[ Back | Index | Next ]

夏の夜のLabyrinth
〜7th  六月花嫁は盛大に〜

■petal・11■



花開いたパラシュートは、二つ。
しかも、まかれた追っ手の報告では、逃げおおせた花嫁は、小夜子ではなかったと言う。
と、いうことは。
正一郎の口元に、笑みが浮かぶ。
追っ手に追い詰められて、この式場に向かっている発信機の主こそ、小夜子だ。
花嫁の脇についているのが、弟である忍であることも、決定的な要素といえるだろう。
最初に、小夜子を連れ出したのは、彼なのだから。
いまや、状況は素人目に見ても、野島側の方が有利に見える。
かく乱を狙ったとはいえ、本人よりも囮が先に脱出してしまったら、どうにもならない。
健太郎の隣で様子を見守っていた透子は、つまらなそうな顔つきだ。
「なぁんだ、勝負あったか」
と視線を健太郎に向けたのだが。
健太郎のほうは、相変わらず、楽しそうな表情のままだ。
「天宮、いったい誰の味方なの?」
「別に、誰の味方でもないよ」
集中して最後の花嫁を映し出すカメラを見上げながら、健太郎は言う。
「楽しみに来たんだから、面白ければいい」
まるで、まだ勝負はついていないような彼の口調に、戸惑った顔つきになったまま、モニターをもう一度見上げる。
小夜子の他に、花嫁は二人だった。
消えた花嫁が小夜子以外なのだったら、残るのは小夜子しかいないのに。
父親の脇で、モニターを見上げていた正和が、ぽつり、と呟いた。
「……小夜子じゃ、ない」
正一郎が聞きとがめて、顔を正和の方に向けたときには、彼は方向転換している。
「正和?!」
呼び止められて、正和は父親の方を振り返る。社長という立場でいるときには見られない、イタズラっぽい笑みが顔に浮かんでいる。
「親父の、負けだよ」
言い切って、走り出す。
正一郎は、狼狽した表情でモニターを見上げる。
顔の映らない、花嫁を。
顔がわからないのに、花嫁が小夜子ではないとわかったのは、正和だからだろう。きっと、ちょっとした仕草で。
息子が、小夜子と人目につかぬよう、付き合っていたことは知っている。
だから、息子の台詞に間違いはあるまい。
だとすれば、いま、映し出されているのは、どこからともなく現れた、四人目の花嫁ということになる。
モニターの花嫁の、口元が映し出される。
そこが見えるよう、顔を上げたのだ。
顔全体は、見えない。
が、その映し出された口元には、笑みが浮かんでいる。
と、思った次の瞬間には、モニター全体に白いモノが広がった。
ゆっくりと舞い落ちていくその様から、ハンカチなのだとわかる。
モニターが遮られたのは、ほんの一瞬だったのに。
花嫁と、一緒にいた忍は、その姿を消していた。
追っ手たちの、戸惑った報告がそれを裏付ける。
「消えました!」
それしか、言えなかったらしい。
ほんの一瞬の隙に。
四人目の花嫁も、消え去ったのだ。
どっと、大きな音を立てて、自分の心臓が波打つのが正一郎にはわかる。
それから、汗が流れ落ちるのが。
冷静にならなくては、と思うのに。
負けの確率がゼロとは、思っていなかった。が、勝つつもりでいた。
それに、なによりも。
「ジョーカーは抑えたそうですよ」
落ち着いた声に、はっとする。
自分の視線の高さまで、相手は屈み込んでいた。
「もう、ジョーカーは、ないんです」
相手、である天宮健太郎は、もう一度言う。
「まさか……」
やっと、その三文字だけを口にすることができた。
健太郎は、にこり、と笑う。
「一週間も、あいつらに猶予があれば、充分ですよ」
「一体……」
何者なのだ、と尋ねかかるが、その言葉は飲み込んだようだ。正一郎の顔に、生気が戻る。
それから、数ヶ月ぶりの、心の底からの笑顔が。
「完敗だ」

正和のほかに、もう二人、会場から抜け出した者がいる。
早足で、駐車場へと向かう。
「まいったわね」
女の方が、腹立たしそうに言う。
つとめて落ち着こうとした口調で、男が答える。
「大丈夫だ、明日にはメンテナンスがはいる」
「無駄だよ」
突然、まったく別の声が会話に加わる。冷ややかで、感情のこもらない声が。
びくり、としてあたりを見回す二人の前に、声の主が姿を現す。
その姿に、顔色を変じたのは男の方だ。
女の方は、睨みつけるように、見つめている。
そこに立っていたのは、忍だ。
「メンテナンスに入っても、データ改ざんは出来ないよ」
忍は、もう一度、口を開いた。
「まるで、なにしようとしてるか、わかってるみたいな口ぶりね」
「そちらの選べる選択肢は二つ」
相手の言葉には、お構いなしに忍は続ける。
「一、結婚を全て消し去る、二、重婚が暴露される、どちらか」
なにをしようとしているかがバレている、というだけで男の方、野島真人は血の気が引いてきたようだ。わかるということは、データ改ざんした証拠を捕まれているに違いないから。
しかも、データ改ざんした場所は戸籍。それだけで、かなりの罪になる。
が、女の方、かつては小夜子と忍の母であり、いまは野島真人夫人に収まっている彼女は、相変わらず動じた様子はない。
「ってことは、あんたたちも戸籍に侵入したってことになるわね」
「セキュリティチェックの名目で」
ようは、公式な許可のもとでの侵入だと告げている。
「さ、早いところ選んでくれるかな、いま、書き換えるからさ」
「そんなこと、出来るわけないでしょ」
「出来なきゃ言うワケ無いだろ?面倒だし、戸籍ごと消しちまうか」
忍は、物陰にいる誰かに、そう呼びかけた。
軽い、キーボードを叩く音が響く。
どうやら、そこに端末を動かしている人間がいるらしい。
動けなくなっている真人に、彼女は視線で自分たちの端末を起動するよう、伝える。
この、持ち歩きの端末は肌身はなしていないから、誰かに侵入されることはまずない。
本当に彼らが、そんなコトできるのかを、確認しようというのだろう。
硬直してたわりには、すばやい動きで、真人は端末から戸籍にアクセスする。
そして、狼狽した大声を上げた。
「や、やめろっ!」
うつし出された画面は、今まさに彼の戸籍が消し去られようとしているところだったのだ。
「やめてくれっ!」
絶叫に近い声。
彼女の方も、その声で忍の言うことが本当だと認識したようだ。はじめて、表情が険しいものへと変じる。
「その二つの選択肢しかないっていうわけね」
「これでも、寛大な選択肢だと思うけどな」
それから、可笑しそうな笑みを口元に浮かべる。
「もう一つ選択肢を加えてもいいけれど、選ばないだろ?」
「聞きたくも無いわね」
吐き捨てるように言ってから、ひとつ、ため息を吐く。
それから、はっきりと言い切った。
「一、片側は離婚よ、あの日に遡って」
顔には、さばさばした表情が浮かんでいる。
「それくらい、できるんでしょ」
忍は、軽く頷いてみせる。
驚愕した顔つきの真人を尻目に、彼女は背を向ける。
「と、言うワケだから」
ハイヒールの音が、高く響く。
真人が何か言えるようになるまでには、彼女の姿も、忍たちの姿も消えていた。

忍は、隣を歩く四人目の花嫁をまじまじと見る。
「それにしても、似あってんな」
正直に、感想を述べる。
アップにした髪、白くて細い首筋から肩のライン、それから、ふわりと広がるスカート。
少々、スレンダーすぎるかもしれないが、間違いなく似合っている。
花嫁らしからぬのは、手に携帯型の端末を持っていること、だろう。
「姉貴より、似合ってる気がする」
「誉め言葉なんですか?それは」
肩をすくめた花嫁の正体は、亮だ。
最初から、亮が四人目をやるつもりでいたわけではない。
小夜子と同じ年で仲のよいイトコに頼むつもりでいたのだ。が、麗花たちが、それに反対した。
素人でその役割はツライという、至極もっともな理由を口にしていたが、亮の花嫁姿が見たかったのが本音だと、忍は思う。
そして、期待通りの花嫁が目前にいる、というわけだ。
二人が向かっている先は、式場。
とはいっても、もう誰もいないだろうが。
後始末、だ。
小夜子につけられた発信機の信号をかく乱する為に、野島側の極近くにちょっとしたブツを仕掛けたので、それを回収しなくてはマズイ。
モニターもしまわれ、正一郎方の親戚も追っ手もいなくなったそこは、キレイな教会に戻っている。
まるで、なにもなかったかのように。
が、誰もいないはずの式場には、一人、残っている者がいた。
イスに腰掛けて、天井を見上げている。
人の気配に振り返ったその人は、忍の父親、一真だ。
「騒ぎの原因は、俺だったらしいね」
「そうかもな」
忍の口から、歯切れの悪い答えが返ってきたのがおかしかったらしい。口の端がゆがんだ。
「当人は知らずにのうのうとしてたんだから、笑うよな」
くっくっという押し殺した笑いが、本当にこぼれてくる。
笑いながら、一真は尋ねる。
「で?」
「ケンカ両成敗ってとこ」
忍の返事に、自嘲したような笑いが止まる。代わりに、見開いた目が忍を見つめた。
「まさか、そんなことが……」
「出来るし、やったんだよ」
忍は、すたすたと目的のモノがある場所へと向かう。
そして、ブツを手のひらに収めると、振り返る。
「望み、半分だけは叶ったんだから、満足してもらわないと」
「お前が、やったのか?」
「俺一人じゃ、ないけどね」
花道を、歩き出す。
父親は、最も愛していた人を、もしかしたらいまだに忘れられない人を、永遠に失った。
それは、野島真人も。
それから、忍も。
心の片隅で待っていた母親は、もういない。
彼女はもう、誰のモノでもない。
その事実を、淡淡とみつめている自分がいる。
口にはしなかったが、ずっと攻めている自分がいた。
親父がだらしがなかったら、出て行ったんだ、と。
母も、置いていくなんてヒドイ、と。
本当は、少し不安だったのだ。
決着がついたとき、自分はどう思うのだろうと。
今、不思議と喪失感はなかった。
もしかしたら、それは。
いまは、もっと大切なモノがあるから、なのかもしれない。
戸口を開くと、亮が待っていた。
中にいる人が誰なのかを判断して、自分は行かない方がいいと思ったのだろう。
忍は、笑顔を向ける。
「行こうぜ」
亮は、軽く頷いてみせる。
向かう先に待っているのは、多分、イチバン大切な場所だ。



[ Back | Index | Next ]


□ 月光楽園 月亮 □ Copyright Yueliang All Right Reserved. □