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夏の夜のLabyrinth
〜7th  六月花嫁は盛大に〜

■petal・3■



忍は、ため息混じりに言う。
「ま、金額が金額になっちまったからなぁ」
「って、いくらになったんだ?」
立ち入りすぎてる気もするが、それが前提の話だ。俊が尋ねる。
「ざっと、一億」
「げ」
そんな金額は、おいそれとは通常の家庭からは捻出できない。
「……でも、よく飲み代だけで、そんなになったな」
俊があきれ半分、感心半分の口調で言う。
「飲み代だから、じゃないんですか?」
亮の台詞に、視線が集まる。
「高いのなんて、探せばいくらでも出てきますから」
驚いた様子もなく言う。
「高いったって……」
「グラス一杯で何千ってするのも、ザラにありますよ」
「何千?!」
グラス一杯だけでそんなにするというのも信じられないが、それだけ金払って飲むヤツの神経も信じられないらしい。須于は、目を白黒させている。
「まぁ、そうかもねぇ。ワインのボトルだってプレミアついたら一本数十万どころじゃないしね」
麗花も、あまり驚いた様子はない。
「グラス分に割っても、それっくらいはしちゃうよね」
「飲む場所にもよるだろうし、な」
ジョーにしては控えめな発言だ。忍の親、ということに配慮したのだろう。だが、言いたいことはわかる。それを聞いた俊も一億、という数字に急に合点が行ったようだ。
「ま、そういうトコに行ってれば、な」
そういうトコというのは、めかしこんだキレイなおねぇさんが、やさしい言葉と共に相手をしてくれるお店、のこと。男性にとって居心地はいいのかもしれないが、それなりに積まなくてはならない。
さすがに、須于にもなにが言いたいのかはわかったようだが、コメントはしない。
「詳細はわからんが、十一年間も毎日飲んでりゃ、それなりの金額にはなるだろうな」
「ねぇねぇ、わかんないんだけど」
麗花が首を傾げる。
「健太郎さんと会うくらいだから、野島製紙ってそれなり大きい企業なわけでしょ?」
「製紙業界では最大手だな。ほとんど占有してるって言っていいくらいのシェアを保持してるよ」
答えたのは俊だ。忍と関係があるからというわけでなく、そういったことに興味があるらしく、よく新聞の経済面などに見入っているのだ。そうでなくては、シェアまでは把握できない。
「だったら、ね、どうして急に借金返せなんて言ってきたの?事情考えたら、どう考えたってアチラのほうが立場弱いよね?」
アチラ、とは野島製紙のことだ。
「借金を返して欲しいというよりは、忍のお姉さんが目的、と考えたほうが自然な気がしますけれど」
亮が、落ちついた声で意見を述べる。
音量はまったくないのに、誰の声よりよく通る。どこか感情のこもらない声と内容が、少しぞくり、とした。
「忍のお姉さんと結婚したいから、借金をカタにしたってこと?」
須于が、確認する。
「それが、いちばんわかりやすいように思えるのですが……結局は、社会的に考えたら断然アチラのほうが有利ですし」
確認するような視線を、忍に向ける。
忍は、苦笑でそれを肯定する。
「まぁな、一介のサラリーマンなんて、まともに太刀打ちできないな」
金があれば、すべてができる、とは思わない。
だけど、ないよりも、ずっと多くのことができる。そのうえ、社会的地位も持っていれば、その分世界も広くなる。どれをとっても、結局はアチラのほうが有利なのだ。
借金を返せ、というほかに何を言われたのかはわからない。だけど、少なくとも、忍の姉である小夜子が、野島正和との結婚を承諾せざるを得ないだけの、なにかは言われたのだろう。
「でも、ずいぶん、いきなりだよな?」
俊は、話の全容がなんとなくわかっても、納得できない様子だ。
「入隊前には、そんな話、カケラもなかっただろ?」
質問だが、口調は確認だ。
「ない、出たの、一週間前だから」
一週間前に出た話が、もう式場予約まで具体化しているというのも常軌を逸している。普通の結婚だって、そんなことはあり得ない。
「おかしいわ、そんなの」
決然とした口調で、須于が言う。
麗花も、頷く。
「うん、納得できないよ、そんなの」
「望まないのに結婚するなんて、そんなのおかしいわよ」
「だからって、どうしろと?」
忍が、問い返す。
「姉貴がイエスと言ったんだ、理由はともかく」
それを、とやかく言う権利がどこにある?
「じゃあ、なんで小夜子さん、お前呼んだんだよ?」
逆に、俊が問い返す。
「式に出ろってんだろ?」
「それなら、手紙で済むことだ」
ジョーは、言いながらタバコに手を伸ばす。
それ以上、説明を加えようとしないジョーの代わりに、須于が付け加えた。
「言葉ではなにも言わなかったかもしれないけれど、きっと、顔を見て、伝えたいことがあったんじゃないかしら」
顔を見て、瞳を見て、言葉以外の伝えたい言葉。
もしあったとしたら、忍が気が付かないわけがない。でも、それを口にせずに帰ってきたのは。
「ここまで言っちゃたら一緒でしょ」
「そうそう、気になるよ」
「いまのところ、任務もないし、な」
忍が返事を返す前に、亮が言う。
「では、後は結婚の前提条件さえ、片付けてしまえばいいわけですね」
「前提って?」
麗花が無邪気に尋ねる。俊が、最短の単語で答えた。
「借金」
「あ、ナルホド、理由を消しちゃうわけね」
それが、大前提なのだから。
「どうやって?」
切り返したのは、忍。
そんな大金は、持っていない。借りるにしたって、結局、同じ危険性を残したまま、なのだ。だいたい、借りるあてがない。
いや、あてがないわけではないが。
五人の視線が、なんとなく、一人に集まる。
視線に気付いた亮は、にこり、とした。
「先日の特別手当が、ちょうど、ですけれど」
『先日』にも、『特別手当』にも思い当たるフシがなくて、きょとん、としてしまう。
奇妙な間が少し開いた後、珍しくはっとした顔つきになったのは、ジョーだ。
「まさか……冗談じゃ、なかったのか?」
「嘘を言っているように聞こえましたか?」
微笑んだまま切り返されてしまうと、ジョーには返す言葉がない。
ジョーだけがわかったようなので、周囲はますます、わからなくなる。
「なになに?どこに、お金があるの?」
「ココに、です」
「ココって、うちのこと?」
意味不明な質問になっているが、亮は頷いてみせる。
「そう、このあいだのプリラード親善大使護衛及び人探し任務の、特別手当です」
「ほええええ」
麗花が、謎の悲鳴をあげる。
いままでの事件でも、褒賞みたいのはあったけれど、一億なんて桁ハズレなモノではなかった。
「外交問題ですし、本来なら『第3遊撃隊』が顔を出すような任務ではないですし、ね」
あの時、亮は『それなりのものは、いただかないと』と言っていたが、どうやら本当に手に入れたらしい。経済観念もしっかりとしているというか、さすが財閥総帥の子というべきか。
それはともかく、借金を帳消しに出来るだけの資金は、目前にあるということだ。
「おい、でも、それは……」
『第3遊撃隊』全体で使うべきモノであって、忍個人の問題に使うモノではない。言いたいコトはわかってる。
「あのね、こんな気分悪いままいろっての?」
「そうそ、リーダーに集中力欠かれても、困るしね」
「もともと、あるはずはなかった金だし」
忍は、降参のポーズになる。
「では、ありがたく」



振りだし先が振りだし先なので、小切手のままというわけにはいかず、まずは換金である。
万札が百枚束になっているのが百束、特殊なカバンにぎっちり、を目にしたときは、目をみはった。
「うひゃー、すごー」
「壮観だなぁ」
なんか、触れるのもヤバそうな感じである。全部、新札だし。
「ドラマみたい」
「誘拐事件の身代金?」
「だとしたら、間はみんな新聞紙だな」
それを聞いて、忍が笑う。
「本当にそれやったら、火に油だろーな」
「ねぇねぇ、一度やって見たかったことあるんだけど、イイ?」
麗花のわくわくとした視線に、俊が肩をすくめる。
「ダメって言ったって、やるんだろ?」
「うふふふふふふ」
不気味な笑いと共に、札束をひとつ、手にする。で、俊の顔を覗きこんだかと思うと。
ぺちっ!
いきなり、いい音が響く。
「いてっ!」
俊は、思わず声を上げる。
「おおー」
謝るよりも先に、感嘆の声を上げている。
我に返った俊が、くってかかる。
「なにすんだよ」
「札束で叩くと、本当にイタイんだね」
満面の笑みで言われたら、脱力するよりほかない。一瞬、あっけにとられていた須于と忍も、笑い出す。
「すっごい貴重な体験だぜ、こんな札束、めったに拝めないし」
「自慢できるわね」
「それじゃマゾだよ!」
大マジメに言い返した俊の言葉に、ジョーの口元にまで、笑いが浮かんでいる。
「誰が、マゾなんですか?」
携帯をポケットにいれながら、亮が入って来る。
「違う違う、誰もマゾじゃない」
慌てて手を振る俊に、忍がまた笑い出す。
「それじゃ、自分から自分だって言ってる」
亮も、大袈裟に肩をすくめる。
「俊がマゾだったとは、初耳です」
「だから、違うんだって」
あまりいじめてもカワイソウだと思ったのだろう、笑みをおさめて忍を見る。
「明日、正和氏とアポイントとれましたよ」
まずは、望まぬ結婚の前提を取り除きに行くのだ。



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