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夏の夜のLabyrinth
〜7th  六月花嫁は盛大に〜

■petal・4■



野島製紙本社ビルも、メガロアルシナドの中に存在する。リスティアが本拠の企業でなくても、ここに支社がなければ、一流としては認められない。『Aqua』の機能が集中しているだけでなく、経済の中心でもあるから。
といっても、野島製紙のビルは崩壊戦争後、しかも最近立て直されている。なかなか、シャレた感じのビルだ。
個人の用件だが、ココがいい、と先方から指定されたのだ。
総司令部や総司令官室には慣れたが、会社という場所はまた別の雰囲気があり、なんとなく緊張してしまう。ちら、と一緒に来た亮の方に目をやると、まったく気にした様子もなく受付に用件を告げている。
名前を告げると、受付嬢は、にこり、と営業スマイルを浮かべた。
「速瀬様でございますね、うかがっております」
二人いるうちの一人がエレベータまで案内してくれ、階数表示の下のテンキーになにか入力した後、
「止まった階で降りられまして、すぐの部屋で、野島がお待ちしております」
そう告げると、自分は降りて扉を閉める。
「社長がビルの何処にいるかわからなくなるようになってるわけか」
通常なら階数が表示される場所には、なにも点灯していない。外の景色も見えないから、はっきりと何階まであがっているのかは、想像するよりほかないようだ。こういうシステムは、テレビで見たことがある。
「ここ最近の最新鋭ってヤツだろ?」
「みたいですね」
忍は、ちょっと眉をよせる。
「どこに向かってるかわからないっていうのは、ちょっと気持ち悪いよな」
忍の台詞に、亮はかすかに首をかしげてから、さきほど受付嬢が入力していたテンキー端末を覗き込む。そして、なにやら打ち込むと、テンキーの上の小さな画面に、階数らしき数字が表示された。
「二十七階に向かっているみたいですね」
にこり、と微笑む。
最新鋭システムも、亮にかかったら子供だましらしい。
あっさりとやってしまうところが亮らしくて、思わず笑ってしまう。が、確認もしたくなる。
「大丈夫なのか?そんなことして」
「受付嬢が簡単にいじれるくらいですから、誰が触れているかまではチェックしてないでしょう」
意に介した様子もない。
たしかに、セキュリティシステムがエマージェンシーを出した様子もなく、目的の階にたどりついたようだ。ほとんど音をさせることなく扉が開く。
右手にずっと廊下が続いていて、その先に扉が見える。が、その扉も、社長室の扉ではなく、更に廊下が続き、また扉があって廊下があって、やっとたどり着く。
用件が個人的なものだからだろう、秘書らしき人影もないので、自分でノックする。
すぐに返事がかえってきて、扉を開ける。
奥のイスから立ち上がった人物がいる。
野島製紙の社長である、野島正和その人だろう。
年は二十代後半、仲文や広人と近い感じだ。父親である野島正一郎の年から考えると、ずいぶん若い息子になる。こんな大企業を支える社長としても、異例の若さ、とも言えるが。それに関しては、俊からの情報によると、父親が作った会社だというだけでなく、才覚が備わっているかららしい。
もともと、ほとんど製紙業界のシェアを握っていて業績が安定しているとの定評から、株価はそこそこの高値で安定していた。が、彼が指揮をとるようになってから、さらに値上がりしている。ようは、業績が伸びている、ということだ。
そんな情報から想像するのはいかにも切れ者だが、目前の当人は、どちらかというとイイ人、といった顔つきだ。目元もキツイという印象はない。
「こんにちは、速瀬さんとお会いするのは初めてでしたね」
「はじめまして」
用件の内容が内容なので、なんとなく固い挨拶になってしまうのは仕方ないだろう。
正和は、亮の方にも笑顔を向ける。
「こんにちは」
「お久しぶりです」
亮も、にこ、と微笑む。
「どうぞ」
ソファを示されて、腰をおろす。正和も、木目調のそう大きくないテーブルの向こう側に腰掛ける。
「こちらで勝手に場所も時間も指定してしまって、申し訳ありませんでした」
穏やかな声で詫びるが、この点に関しては、全く気にしていないので首を横にふった。
「いえ、こちらこそ、お忙しい時間を割いていただいて、すみません」
あまり気持ちのいい用件ではないので、さっさと済ませることにして、大きめのカバンをテーブルに置いた。
「えっと、今日は父のお借りしていたお金を、返させていただけたらと思いまして」
「ええ、お電話でそう伺いました……ですが?」
少し、首をかしげている。婚約したときには返せなかったものが、なぜ急に返せるようになったのかが、不思議だったのだろう。
「特別な収入が、あったもので」
内容は言わずに、カバンを正和に向けてあける。
「ご確認、いただけますか?」
「そのまま、持ってきていただいたんですね」
さらに驚いた顔つきだ。が、すぐに微笑んだ。
「さすがに私一人での確認は無理ですから専門の者を呼びましょう、この場で確認したほうが、お互いイイでしょうから」
正和は立ち上がると、スーツの内ポケットから携帯を取り出し、どこかへ連絡する。
「ああ、野島です。いま、時間は大丈夫ですか?」
ごく丁寧な口調だが、この場でと言うからには、社員に違いない。どうやら、社長でも同等のように話す、と言った風潮のある企業らしい。
「……確認していただきたい物があるので、社長室のほうに来ていただけますか?――ええ、ありがとう、お手数をおかけしますが、お願いします」
携帯を切って、すぐにソファに戻ってくる。
「こういった作業が得意な者が、すぐに来ますので」
少し、待ってくれということだ。忍は頷いてみせる。
「軍隊にいらっしゃるそうですね」
金額を確認できる者が来るまでの、雑談なのだろう。忍は軽く頷きながら肯定する。
「ええ、陸軍に所属しています」
「最近は、大変でしょうね」
緋闇石の件や、アーマノイド反乱といった軍が大きく動いた事件をさしているのだろう。
「ここしばらく実戦はなかったですから、最初は驚きました」
「慣れてしまいましたか?実戦に」
「実戦になる、ということには」
敵とはいえ、相手を貫くことには慣れたくはない。そんな言外の意味を察したのだろう。正和は、静かに頷く。
「私も志願徴兵でしばらくいたんですけど、まるで学校の延長みたいでした」
「それが、理想ですね」
忍の返答に、正和はにこ、と微笑んだ。多少、社交辞令の入った固めのものではなく本当ににっこり、と。
リスティアでは十八歳になったら志願徴兵が行われる。
志願という単語がついているのは、強制ではないからだ。だから、忍と俊の同級生だった貴也はほぼ半年遅れの志願徴兵となったわけだったが。
それはともかく、たいがいの人間は高校卒業と同時になるので、これを終えてから大学進学なり、就職なり、それぞれの道へと歩みだす。
たいがいの、というのは、スキップしている者もいるから。そういう者は、すでに進学していたり、研究所にいたりとかもする。頭脳がついていけても、身体的な成長はどうにもならないので、十八歳、で区切られている。
正和も、その志願徴兵に応じたのだろう。ただ、ここ数十年、軍隊が大きく動くような事件は起こっていなかった。忍たちが入隊してからだ。こんなに事件が頻発したのは。
「社員の家族にも、犠牲者がいます」
正和は、少し目線を落とした。
緋闇石の事件の件だろう。最初の奇襲で一部隊が全滅したのがもっとも大きな犠牲だったが、それ以降も犠牲者がいなかったわけではない。忍たちが中枢に突入した、最終戦でも、だ。
「残された家族の悲嘆は、多少やわらぐことはあっても消えることはないでしょう」
「そうですね……」
「自分に守れる者は、守りたいと思います」
まっすぐな視線が、こちらを見る。
ゆるぎない視線が。
守りたい者がいるのだ、とわかる。実際にそういう対象がいなくては、できない瞳。
しかも、迷いのない。
瞬間、気圧される。
守りたい者が、誰なのか。結婚するのだから、姉なのだろうか。
でも、こんな脅迫に近い状態での結婚では、幸せにはなれない。すくなくとも、姉は素直に心は開かない。
なら、他に誰が?
そこまで考えたところで、扉がノックされる。
正和は、先ほどまでと同じ、穏やかな表情でそちらをみやる。
「入ってきてくれ」
姿を現したのは、かなり小さな人だった。両手に事務用の黒いアームカバーをした見るからに事務の人、である。しかも髪はすっかり白くなっていて、定年間近そうだ。牛乳ビンの底を切り抜いてきたような眼鏡の奥から、ちいさな瞳をしばたかせている。
こちらに向かって会釈をしてから、正和に向かって、口の端をゆがめた笑顔をみせる。タバコのヤニで黒くなった歯がのぞいた。
「数え仕事ですな」
「ええ、一億あるはずです」
正和は、カバンをさしてみせる。
「ほう、新札ですな、五分いただけますかな」
頷いて了承を示されると、彼はカバンをひょいっと持ち上げると、社長の机にどかり、と置く。そして、遠慮なく社長のイスに腰掛けた。
カバンのふたを、そっと開ける。とたんに、目つきが変わった。
びんぞこの向こうで、頼りなげにしばたいていた瞳には、光がある。そして、札束を手にとった。
それを見届けて、正和は忍たちに視線を戻す。
「彼は、父の頃から出納関係を中心に扱ってくれている重鎮です。いまは経理全体を取り仕切ってくれていますが……いちばん得意なのは、アレなんです」
と、もう一度視線を移す。忍も、一緒にそちらを見やる。
「うわ」
思わず声を上げてしまったのは、束を崩すことなくあっというまに数えていく仕草に驚いたから。
本当に、速いのだ。目にもとまらぬ早業、とはこういうコトというのを、初めて実感した気分になってしまう。
「事業を起こした当初は、小切手では信用されないことが多かったらしくて」
おそらく、すぐに現金を用意しなくてはならない場面が、幾多もあったのだろう。間違うわけには、いかなかった。必要にかられたからこそ身についた職人芸ということらしい。
本当に、五分で彼は数え終えてしまったらしい。かばんを、閉じてしまう。
もとのしょぼしょぼした目つきになって、こちらを見る。
「一億、たしかにありますな」
「ありがとうございます」
正和は頭をさげる。
「いや、久しぶりにやったので、少々時間がかかりましたな。お待たせして申し訳ありませんでしたな」
そう言って頭を下げると、そのまま、社長室をあとにした。
どうやら、五分とは彼にとっては多目の見積もりだったようだ。
完全に扉が閉まってから、正和はひとつの封筒を取り出した。
「では、こちらを」
封のされていないソレを開いて、中身を取り出す。証文、だ。
書き込まれている金額、それからホンモノであるという証拠類を確認した後、亮にも渡す。
亮も、頷いてみせる。
「確かに」
これで、借金は返却できた。
「それでは、これで」
そう、別れを告げられる。結婚に関する話は、ちら、とも出ないまま。



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