[ Back | Index | Next ]

夏の夜のLabyrinth
〜7th  六月花嫁は盛大に〜

■petal・5■



婚約の話を持ち出さなかったのは、先制されたから、だ。
まっすぐな視線で、正和が守ろうとしたのは姉だろうし、やり方は間違っている気がするけれど。
借金が返されてくらいでは動じないということは、なにかジョーカーをもっている可能性もある。藪をつついて蛇をだしたのでは、どうしようもない。
野島製紙の本社ビルを出てから、しばらくは二人とも無言で歩いていた。
ふ、と足を止めたのは、亮だ。
「……国立病院」
半分、独り言のような呟きを、忍が問い返す。
「国立病院がどうかしたのか?」
「よらないと」
「なんか、急だな?」
仲文からの呼び出しだとすれば、最初から言うだろう。呟くような一言は、考え事の結論ともいえそうだ。
亮は、かすかな笑みを浮かべる。
「忍が借金を返すと言っているのだから、通常、貸した本人である野島正一郎が顔を出すべき問題です。彼の性格から考えても、そうするのが自然です」
こくり、と頷いてみせる。それは、忍も思っていたことだ。
「ですが、現れませんでした」
「……本人が会いたくても、会えない?」
「体調を崩しているらしいですから、その線が要因として濃厚でしょう」
「たしかにな」
「でも、入院しているというウワサは流れていません……とすると、極秘に入院してるのではないかと」
そこから、国立病院が出てくる理由は忍にもわかる。
リスティア国内だけでなく、『Aqua』全土でもトップレベルといわれる病院だ。要人と呼ばれる人の利用も多い。セキュリティ面から、それを秘す体制がいちばん確立されている場所だ。
「ジョーカーは、彼が握っています」
亮は言い切る。
「息子である正和氏も、ジョーカーに屈服した口だと思います……ただ、忍のお姉さんと違うところは、彼は納得の上で、という点ですが」
なにを根拠にとは問わない。忍も、見てきたことだ。言われてみれば、そうだと思う。
「行こう」
角を曲がって、駐車してあって車に乗り込む。
路上パーキングだが、日向にあった車の中は暑いくらいになっていた。急激に暑くなっていく季節だ。
窓を全開にして走り出す。
目指すのは、白い建物だ。



マジメな顔つきでカルテと向き合っていた仲文は、来訪者に気付くと笑顔を見せた。
「よう、どうした?血でも吐いたか?」
いきなり物騒な挨拶だが、亮はそうでもなくては寄り付かないのだろう。もっとも、いまは仕事上、そうならざるを得ないのだけれど。
「会いたい人が、いるもので」
「ふぅん、俺じゃないわけねー」
わざとらしくスネてみせると、またパソコン画面に視線を戻してしまう。
が、亮はそんなことには全く動じずに言葉を続ける。
「野島製紙の会長、野島正一郎が入院しているでしょう?」
「ふうん?」
仲文は、相変わらず画面上のカルテに書き込みをしながら、無関心に答える。
「寿命の先の見えた病気で、当人はそう簡単には身動きできないはずです」
亮の方も、まったく変化のない口調だ。
「もともと、そう心臓の強い方でもないのでしょうけど、気分的にも相当弱っているでしょうね」
リアクションは、なにも返ってこない。つまらなさそうにカルテに向かったままだ。
「でなければ、急に政略結婚なんて思い立たないでしょうから」
まだ、パソコン画面に向かったままだが、休みなくキーを叩いているはずの手が、一瞬止まったのを忍は見逃さなかった。
「このままだと、忍のお姉さんは納得のいかないまま、野島家に嫁ぐことになりそうです」
「納得していない結婚は、幸せにはなれないと思うけど?」
はじめて、反応が返ってくる。仲文の視線が、忍を見た。
「お姉さんには、会ったの?」
「昨日」
「イヤだって?」
「口にはしませんでした」
「丁寧語じゃなくて、かまわないよ」
社交辞令でなく言っているようなので、頷いてみせる。それから、ふと、思い出した。
「イヤ、じゃなくて、納得ができない」
忍の台詞に、仲文と亮が首を傾げる。
意味不明な言葉を口走ったのに気付いて、説明する。
「姉貴に話をきいたときの印象だよ、結婚するのがイヤなんじゃなくて、納得ができないってかんじだったんだ」
亮と仲文は、顔を見合わせる。
口を開いたのは、仲文だ。
「立ち入ってるようで悪いけど、野島正和氏とお姉さんって?」
「そこらへんは、俺も知らないけど……少なくとも正和氏の方は、キライではないと思う」
「そうでなければ、『守る』という単語は出てこないでしょうね」
亮の台詞に、仲文はますますわからなくなってきたようだ。
ひとまず、ここに来るまでの経過を説明することにする。
聞き終えた仲文は、小さく肩をすくめた。
「なるほど?それで、野島のオヤジさんを探してるわけか」
「探すのも、入りこむのも、簡単といえばそれまでですけど」
言い直せば、ハッキングするのも潜入するのも簡単だ、という意味になる。
「ホントにやったら、タイヘンな騒ぎだな」
仲文は動じた様子もなく笑う。むしろ、そうなったら楽しいだろうねぇとでも、言い出しそうな感じだ。
その笑いを収めて、真顔に戻ってから。
「たしかにジョーカーは野島正一郎氏が握ってるんだろうな、彼の健康状態を含めて」
「そんなに、悪いのですか?」
「一触即発っていうのは、ちょっと間違ってる単語だけど、ま、緊張感は表してるだろ」
亮に隠しても、すぐに探されてしまうのはよくわかっているのだろう、言いながら仲文はカルテの画面を開いてみせる。
忍と亮は、両脇から覗き込んだ。
専門用語が並んだソレは、忍にはちんぷんかんぷんだが。
「正和氏が言う『守る』のなかには、正一郎氏も含まれているようですね」
「九十九パーセントそうだね、これじゃ」
亮には、カルテの中身がわかったようだ。仲文と顔を見合わせると、肩をすくめる。
それから、忍の方に視線を移して説明する。
「元々、心臓病疾患があったようですが、それが急に悪化しています」
「要因は、すい臓ガン」
心臓病の上にガンときては、お先は真っ暗と言われたようなモノだ。それでは、いままでの余裕もなくなってしまっても不思議はない。
「それって……」
もう、何ヶ月とか、区切られてしまっているのかとききかかるが、それはあまりに失礼な気がして、口をつぐむ。
が、仲文の方は、忍の質問を察したようだ。口元に微かな笑みを浮かべる。
「ガンの手術自体は成功してるよ、腫瘍部は間違いなく全部切除されてるしね」
「でも、切除直後で体力が戻りきっていないし、再発の可能性もぬぐえません」
亮が、仲文の後を引き取る。そう、医者の側は完璧を期しても、病気の性質上、患者の不安は完全にはぬぐいきれない。医者もそう簡単に、再発はないとは、言い切れない。最低、三年の様子見が必要なのだ。
通常の患者でも、不安にさいなまれるのに。
正一郎は、今回の大手術のせいで、持病を悪化させている。たんに体力の低下が要因なのだろうが、もういちど同じことになったとしたら、こんどこそ体は耐え切れまい。時限爆弾を抱えているかいないかの、瀬戸際なのだ。
ますます、余裕は失われてしまうだろう。
そのうえ、いまヘタなショックを与えるのは禁物だ。
自分の親がそんな状態だとしたら。最大限、ショックを与えないようにしようとするのは、当然の行動だろう。
野島正和の行動を、責めるわけにはいくまい。
彼は、守ろうとしたのだから。
それでも、納得のいかないままでは、小夜子は幸せにはなれない。
それも事実だ。
いつか、不幸な結果が訪れる。遅かれ、早かれ。
「3012号室にいるよ」
仲文がぽつり、という。
「言っても?」
いいのか、と確認してしまう。極秘入院の人間の病室を明かしたとなれば、いろいろ面倒なことになりはしないかと思ったのだ。いまさら、なのだけれど。
仲文は、にやり、と笑う。
「主治医は俺じゃないけど、なんとでも言えるからね」
「これでいて外科部長なんですよ、病理部部長も兼ねてますし、ね」
これでいて、という亮の表現は、『若く見えて』という意味だと好意的に解釈することにして。もうひとつ、確認する。
「大丈夫かな?」
会って、話をしても、だ。
極秘入院の意味は、あまり世間に知られないことのほかに。へんにショックを与えるような出来事が、飛び込んでこないように、もあるはずだから。
「大丈夫だよ。きっと少なくともお姉さんの血縁が来るかもしれないっていうのは、考えていると思うよ」
そうだとしたら、正一郎は借金をカタに結婚をせまるというコトの理不尽さを、充分にわかっている、ということになる。
それでも、それを押し通すということは、確固たる理由が存在するということで。
話し合いになるのかどうか、多大な不安だ。
相手は、重病人なのだし。ヘタなことをいえば、タイヘンな状況になるのは目に見えている。
でも。
「会うしか、ないだろうな」
ジョーカーを握っているのは、野島正一郎なのだから。
彼が納得しなければ、始まらないのなら。
彼を納得させるよう、行動するしか、ない。
「行ってくるよ」
亮は、こくり、と頷いて見せた。
「中央エレベーターを三十階で降りたら、左手に曲がってください。『関係者以外立ち入り禁止』とかかれた扉がありますが、開けておきますから」
どうやら、その先が特別な病室になるらしい。
「わかった」
忍は、仲文の控え室を後にした。



[ Back | Index | Next ]


□ 月光楽園 月亮 □ Copyright Yueliang All Right Reserved. □