[ Back | Index | Next ]

夏の夜のLabyrinth
〜7th  六月花嫁は盛大に〜

■petal・6■



病室の扉を、軽くノックする。
もし寝ていたりすると悪いので、控えめに。
が、すぐに返事が返ってくる。多分、検温の看護婦か、見舞いの息子かくらいにしか思っていないのだろう。気安い声だ。
昏倒するほどは驚かないでくれよ、と念じながら扉を開ける。
開く扉に視線を向けた野島正一郎は、そのまま止まっていた。
やはり、意外な人物の登場だったらしい。
「……こんにちは」
そっと、声をかけてみる。
「やぁ……何年ぶりかな」
すぐに気を取り直したようだ。笑顔を向けられる。
「さぁ、ずいぶんご無沙汰していましたから」
「すっかり、大きくなった」
感心した口調は、お世辞ではなさそうだ。己の衰えをイヤというほど思い知らされているいま、忍くらいの若さは羨ましさをおぼえるのかもしれない。自分の力ですべてに手を伸ばすことが出来て、すべてがこれからで。
忍は、それには微かな笑顔でこたえる。
「お見舞い、というわけではないだろうね」
よほどのニブさで無くては、ただのお見舞いとは思うまい。国立病院の機密性の高さは相当なものなのだから。それをくぐりぬけて顔を出すということは、それなりの用件がある。
「姉のことで」
単刀直入に、用件を切り出す。
回りくどい言い方をしたところで、どうしようもない。
正一郎も、すぐに理解したようだ。
「正和との、結婚のことだな」
ふ、と笑顔が浮かぶ。
「借金を、返済してくれたそうだね」
どうやら、もう息子から連絡が入っているらしい。
正一郎は笑顔を収めて、ふっと真顔になる。
鋭い眼光が、忍を見つめた。病気で臥せっているとは思えない瞳が、まっすぐにこちらを射貫く。
視線の強さは、正和以上だ。
「きっかけはなんであれ、承知してくださった話だ」
破談にする気はない、と言外に言う。
おそらく、この眼光で自分の作った会社を支えつづけてきたに違いない。威圧される瞳。でも、気圧されていては話はすすまない。ココにきたのは、言いくるめられるためではない。
少し、大きめに息を吸う。
「失礼とは思いますが」
音量も、音程も、いつものまま、の声だ。
「こちらとしては、納得しかねています。きっかけがなんであれ、とおっしゃいましたが、そのきっかけがなくなれば、話も振り出しというのが筋かと思うのですが」
「きっかけであって、要因ではない」
かぶせるように、正一郎が言う。
『きっかけ』はあくまでも『きっかけ』にすぎない。『要因』は他にある。
「その『要因』が、こちらにはわからない」
「知って、そして、どうするんだね?」
視線を和らげることなく、尋ねてくる。
「納得するか、その『要因』を取り除こうとするか、でしょうね」
「どちらもできなかったら?」
「聞いてみなくては、判断しかねます」
正一郎の抱えているものが、なんなのかはわからないが。
彼自身にも、扱いかねている。そんな気がした。
少なくとも、どうしても『要因』を口にしたくないことは確かだ。
視線を怖じることなく受け止め続けている忍を見て、正一郎はなにか考える顔つきになる。
「……少なくとも、度胸はある」
ぽつり、と呟く。半ば、独り言であったろう。
しばし、視線を落としたまま考え込んでいたが。
もういちど、まっすぐな視線がこちらを向く。
「でも、度胸があるだけではどうにもならない」
正一郎の言う正確な意味を取りかねたので、視線を受け止めるだけにとどめる。
「行動力と、知力がなくては」
『要因』を取り除くためには、ということなのだろう。
「試させてもらおう。君がもし、承知するのならば、だが」
「行動力と知力を、ですか?」
「そうだ、君に全てを話すことが、正しいかどうかの」
受け止めきれないなら、いっそ知らないほうがいい。そう判断したからこその今回の無茶な縁談になった、そういうことになるようだ。そちらの説明はないから、忍が想像するしかないのだが。
「縁談は、このまま進めさせていただく」
話が急に飛んで、少し戸惑う。
が、それにかまう様子もなく、正一郎は言葉を続ける。
「ただし、婚姻届を提出するのは、結婚式が完全に終わった後、だ」
「………?!」
なにが言いたいのかは、おぼろげにわかってくる。
その突拍子もなさに、どう返事をしていいかわからない。
「利用できるモノは無制限に利用していい」
ルールは、実に単純。そして、ターゲットも。
「結婚式から、花嫁を攫えと言うんですね?」
はじめて、正一郎の口元にニヤリ、とした笑みが浮かぶ。
「もちろんコチラも、あらん限りの妨害をさせていただくが」
忍の口元にも、笑みが浮かんでくる。
正一郎は知らない。いま、忍がなにをやっているのかを。
もちろん、軍隊に所属していることくらいは、知っているだろうが。所属部隊はどんなに調べても陸軍、としか出てこないから。
だが、実際は。
彼が所属しているのは『第3遊撃隊』で、そのメンツはこの理不尽な結婚話を壊せるモノなら壊してやりたいと思っているのだ。
利用できるモノは、無制限。
「その試験、受けましょう」
納得できないものは、できないのだから。

病院内の仲文の部屋に戻る前に、忍は公衆電話による。
呼び出し音が数回鳴った後、礼儀正しい声が聞こえてくる。
「お忙しいところを申し訳ございません。速瀬の家族の者なんですが……速瀬小夜子をお願いします」
すぐに、ききなれた声が返ってきた。
『どうしたの?』
職場にかけてくるなど、ほぼありえないことだったから、戸惑っているようだ。
「すこし、大丈夫か?」
『うん?』
「訊いておきたいことがあって」
『なに?』
「姉貴、今回の話、納得してないだろ?」
返事は、返ってこない。
結婚するから、と告げたときと同じで当人の意思が見えない。でも本当はそうではないということを、弟である自分が、いちばんよく知っている。知っていて、こないだは口にしなかった。
本当なら、口にすることではないから。
だけどいまは、確認しなくてはならないことがある。
返事が返ってこないようなので、忍はさらに問いを重ねる。
「でも、野島正和氏のこと、好きだろ?」
しばらくの沈黙の後。
返事の変わりに、小さなため息が聞こえた。
諦めたため息だと、忍にはわかる。
『相変わらずね』
察しがいい、というのは小夜子自身が忍を評した言葉だ。ときにそれは、見透かされているような気分になる。だから、忍は滅多なことでは自分の気付いたことを口にはしない。それは、小夜子も知っている。
『でも、どうしていきなり?』
「野島のオヤジが、花嫁、攫ってみろってさ」
『会ったの?』
驚いたようだ。
体調が悪いことは知っていたようだが、どこに入院しているかまでは知らないようだったから。
「まぁね……もし、攫えたら、大元の原因、とやらを話してくれるとさ」
『……………』
「もちろん、姉貴が反対するなら、この話はココで終わり」
結婚する当人が、ソレでかまわないというなら、強制する力はない。
事情を話して、野島正一郎に取下げを願うだけだ。
『簡単には、攫えないんでしょうね』
「だろうね」
『自信、あるの?』
もちろん、攫ってみせる、だ。
「あるよ」
あっさりとした口調だ。
くすり、という笑い声が、受話器の向こうから聞こえる。
それから、先ほどまでの迷いのある口調とはまったく違う、明るい声が返ってきた。
『私も、納得しないままはイヤだって、言おうと思っていたところだったの』
「じゃ、話は決まりだな」

電話を切って、亮たちが待つ部屋に戻る。なにやらカルテに向かっていた亮と仲文が、同時にこちらを向く。
視線が、どうだった、と尋ねている。
「式の当日、花嫁を攫って見せろ、とさ」
「攫う?」
「そう、それがジョーカー開示の条件」
亮はすぐに理解したようだ。
「なるほど、テストというわけですか」
「姉貴の許可済み、それと、利用できるモノは無制限許可」
「式場は、決まっているんですよね?」
「ああ、ロイヤルホテルとかって言ってた」
口元に、笑みが浮かんだ。
「相手にとって不足無しって顔だね」
仲文が、おかしそうにチャチャを入れる。
「え?」
「リスティアロイヤルホテルって言ったら、国賓級を泊める由緒あるホテルだからね、もちろんその警備網は相当なモノを用意してるはずだよ」
本気で作動させればだけど、と付け加える。
「こちらも本気を出すわけには、いきませんし、ね」
亮は肩をすくめてみせる。軍師としての腕は『Aqua』でも最高の部類に入るだろうことは、もう知っている。 本気を出したら、ホテルひとつくらいは簡単に崩壊させてしまえるに違いない。
思わず、想像して笑ってしまう。
亮は、忍の考えていることがほぼ、想像できたらしい。
「やりませんよ、ヒドイことは」
「わかってるって」
笑いを収めて、降参のポーズをしてみせる。
亮は、もう一度小さく肩をすくめた。



[ Back | Index | Next ]


□ 月光楽園 月亮 □ Copyright Yueliang All Right Reserved. □