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夏の夜のLabyrinth
〜8th  平和主義者の天使〜

■ripple・5■



朝の陽射しは、なにか特別な気がする。
一日を始める為に、自分を洗ってくれるような、そんな感じ。
もう少しすれば、惇の辞書にも『浄化』なんて単語が思い浮かぶのかもしれない。でも、まだ、そんな単語は知らない。
それにしても、ずいぶん早くに目が覚めた気がする。時計が部屋にないので、よくわからないけれど。
扉をそっと開けて、台所から物音がしていることに気付く。
物音の方に、惇は向かってみる。
扉までたどり着く前に、開け放たれたそこから、いるのは亮だとわかる。
長い髪を後ろにまとめて、エプロンをかけて。
細くて白い手が器用になにかを切っている小気味いい音と、鍋がなにかを煮立ててコトコトいう音と。
普通の家庭に、当たり前のようにある光景。
自分の前からは、永遠に消え去ってしまったはずの。
「…………」
近付いたら消えてしまうような気がして、惇は足を止める。
だが、人の気配に敏感な亮は、それだけの距離があるのに惇の存在に気付いたようだ。
こちらに視線を向ける。
微かな笑みが口元に浮かんだ。
「おはようございます、早いですね」
「……いま、何時?」
扉まで行って、惇は尋ねる。
挨拶もせずに尋ねたら、母親なら頬を膨らませたろう。だが、亮は表情を変えることすらない。
「七時前ですね」
白い手が、ダイニングにある時計を指してみせる。
「そう……僕、朝食はいらないや」
惇は、くるり、と背を向ける。
亮は、静かな視線でその後姿を追う。
部屋へは戻らずに、表の玄関を開ける。そして、日の光の中へと惇は消えた。

惇の姿が消えてから、しばらくして。
「相変わらず、エプロンが似合うねぇ」
などという褒め言葉なのかどうか、イマイチわからない台詞と共に姿を現したのは麗花。
いかにも眠そうに伸びをしながら尋ねる。
「さっきさぁ、惇くん起きてきてなかった?」
「きてましたよ」
返事をした亮は、かすかに首を傾げる。
「やっぱりねー」
言いながら、大きなあくびをヒトツする。
こころゆくまで大口をあけて、閉じて、それから。
「私さ、ヒトツ疑問があるんだけど」
「なんですか?」
麗花の声が真面目なモノに切り替わったからか、亮は手を止めて視線をこちらに向ける。
「なんで、惇くんって……」
が、言いかかった質問は後ろからの声に遮られる。
「めっずらしーなぁ、須于より麗花のが早いのかー?」
能天気な声は、俊のモノだ。
ぐりっと振り返った麗花は、肩をすくめる。
「まーさか、須于はジョーと朝のお散歩に行っちゃったよ」
俊の顔に苦笑が浮かぶ。
「なるほど、妙に早起きだと思ったら」
「はい、言いたいことはそれだけなら、行った行った」
ぺっぺっと追いやるように手をふられて、俊は腕組みして胸を張る。
「なんだよ、俺がいちゃ邪魔なのかよ」
「私が大切な質問しようとしたら、邪魔したじゃない」
「麗花の口から、大切な質問、なんてのが出てくるなんて夢にも思わないもんな」
わざわざ大切な質問、とイヤミったらしく区切ったのは、犬よろしく手で追い払われそうになった仕返しらしい。子供なみの応酬だ。
「で、ご質問はなんでしょう?」
ほっておくといつまでも続きそうなので、亮が話を戻す。
「そうそう、惇くんよ、惇くん」
「それが、どうかしたのかよ?」
「俊に訊いてないの」
きっぱり言いきって俊を黙らせた後、麗花は亮に向き直る。
「第105部隊が全滅したのって、去年の四月だよね」
亮は、ただ、頷いてみせる。
「総司令官の指令ミスかもって騒がれたのは?」
「五月初頭です」
はっきりとした答えに、麗花は逆に、首を傾げる。
「亮が言うとおりね、お兄ちゃんの仇討ちだったとしたら、どうして去年じゃなかったのかな?」
「それは俺も考えないでもなかったけどさ」
ぴしゃりと訊いていないと言われたのに、俊が口を開く。
「後見人がいるとはいえ、けっこう大グループのオーナーになったら、それどころじゃないだろ」
「仇討ちしようって人間がよ、オーナーになったりするわけ?」
「麗花の言うほうに、一口」
さらに、後ろから声が加わる。
麗花と俊が振り返ると、まだ少し眠そうな顔つきの忍が立っていた。
「それよりも、今年に入ってから、仇討ちを決心させるような出来事が起こったって考える方が自然に思えるけどな」
三人の視線が、亮を向く。
「そう考えるのが、自然でしょうね」
亮は、かすかな笑みが浮かべたまま頷く。それから、すぐに付け加える。
「俊は新聞は隅々まで読んでいるようですから、思い当たることがあるのではないですか?」
ヒントであると同時に、助け舟だとわかったのだろう。俊はハズしてはなるまいと思ったか、少し眉をよせる。
今年に入ってからの、ウェンレイホテルグループ関連のニュースを思い出しているのだろう。
「………」
麗花と忍が、興味深そうな表情で俊を見ている。
思い出せなかったら、どうからかわれるか、わかったものではない。
ますます眉を寄せる。
すぐに思い出せないというコトは、経済面ではなかったのだ。金が動く話ではない。政治面もどちらかというと、得意。だとすれば、三面記事。しかも、小さくしか扱われなかったモノ。
「あ」
眉に寄せられたシワは解消されて、代わりにまん丸な目になる。
「わかった、アレだ!」
「なによ、アレって?」
「ウェンレイホテルのどれかに、手榴弾が投げ込まれた騒ぎがあった」
思わず大声で言ったあと、ぱくり、と閉じる。
「手榴弾?!」
麗花と忍も、俊に負けず劣らず目を丸くするが、俊の表情は、自信のなさそうなモノにとってかわる。
「最近のって、それだと思ったけど……イタズラだったってオチじゃなかったけ?」
「表向きは」
亮は相変わらず、落ち着き払った表情だ。
「じゃ、投げ込まれたのはホンモノの手榴弾だったの?」
「ピンが抜けていなかったので大事にはなりませんでしたけど」
そうでなかったら、爆発して大騒ぎになっていただろう。場所はホテルだ。犠牲者が出ずには済まされまい。
「それって、テロって言わないか?」
「テロというよりは、オーナー殺し狙いと言ったほうが」
公には発表されなかったことを、亮はよく知っているらしい。なので、オーナーである惇を狙ったモノと考えていいのだろう。
「でも、なんで惇くんを狙うわけ?」
麗花が戸惑った口調で尋ねる。質問をきいた忍も俊も、渋い顔つきになる。
「いちばん考えやすいのは……」
「やっぱり、アレだよなぁ」
わかってはいるけれど、二人とも言いたくなさそうな口ぶりだ。
表情と口ぶりで、麗花にもわかったらしい。
「遺産狙い?というか、グループそのもの狙いってとこ?」
そこまで言って、はた、とした顔つきになる。忍と俊が、口にしたがらなかった本当のわけがわかって。
惇がいなくなって、彼の家族が残してきた膨大な財産と大きな利潤を生み出しているホテルを受け継ぐのは、後見人を務めている叔父なのではないか。
「確実な証拠は、挙がっていませんけれど、ね」
亮の言葉が、予測の確定をする。
理不尽に家族を奪われた上に、たった一人残った肉親に命を狙われたと知ったら。
まだ、あの幼さだ。
不可解だったことが、すべてわかった。
なぜ、突然、亮を襲う気になったのか。
そして、衝動的になっているとはいえ、自分の命を狙う者を亮が招き入れた理由も。
「惇くんをココにつれてきたのって、安全確保のためだったんだな」
「破れかぶれになっているようだったので」
自棄になっていたからこそ、あんな無謀な襲い方ができたのだ。そんな状態で暗殺者たちの前にいたら、危険極まりないことになる。
「で、いま惇くんは……?」
麗花が、きょろ、とする。
部屋からは、出た形跡があったから。
「戻ったみたいですよ」
亮が、あっさりと言う。
驚いたのは、三人だ。
「戻ったって、まさか?!」
「ウェスティンホテルに」
「だって、亮」
うまく言葉が出てこない。そこにいるのが危険だから、自分たちのところに連れてきたはずなのに。これでは、みすみす危険な場所に送り込んだも同然だ。
「大丈夫ですよ、狙われるならコチラに向かう途中ですから」
「どうして帰る途中は大丈夫なんだ?」
忍が、不思議そうに尋ねる。
「もし、惇くんがドコに行ったのかを把握しているなら、昨晩中に襲撃があるのが自然です」
この別荘が天宮の私有地と知っている人が少ないのは、忍たちも知っている。知られるとマスコミやら近所に来た経済界の連中とかがおしかけて、結局、休暇ではなくなってしまうからだ。
「でも、ホテルでも危ないんじゃない?」
「ホテルグループを狙っているなら、手榴弾騒ぎの後すぐ、またホテルで騒ぎを起こすのは利巧なやり方とは言えないですよ」
実に、明快な答えだ。たしかに、自分の経営するつもりでいるホテルで治安が悪いという印象をつくるのは得策ではない。
だが、疑問はまだある。
「戻ってくるか?帰ったってコトは、亮を襲うのは諦めたってことだろ?」
「間違いなく、戻ってきますよ」
亮は、確信している口調で言う。
「泊めてくれた場所にはお礼をしなくては、というもっともな理由で惇くんを引き返させるのは簡単なことでしょう……あれだけ、躾のしっかりとしていた子ですから」
どんなに激昂しても人を指差したりしようとはしなかったのを、忍たちも思い出す。
「しかも、外泊していることは従業員にも知られていると思いますよ」
「なるほど、こちらに戻ってくるドコかで、不心得者に襲われたように見せかけるのは簡単ってわけか」
世間に発表されるのは、家族を失って不安定になっていたオーナーが、行き先も告げずに飛び出して行って、何者かに襲われたというニュースになるのだろう。
「それだけ予測できてるのに、帰したってことは」
「証拠がないなら、引きずり出すのも一興かと」
にこり、と亮は微笑む。
三人も、笑い返す。
「オモシロそうじゃん」
なんにしろ、また惇の肉親を奪ってしまうことにはなるのだろうが。もうすでに命は狙われているのだ。向き合うしかあるまい。
それに、後見人とやらのせいで、またもや穏やかな夏休みを奪われたのだ。
お礼はしなくてはなるまい。
「まずは、俊にお迎えに行ってもらいましょうか?」
「仕事は、追っ手を巻くことってわけか?」
「もちろん、帰ってくる頃には、朝食の用意が出来てますよ」
あっさりと言われて、俊の顔はひきつる。
「メシ抜きで、仕事かよ?!」
忍が、左の肩をぽん、と叩く。
「そんな顔しちゃいけないな、軍師に見込まれたんだから」
「そうよ、バイクに乗らせたらイチバンと認めてもらってるわけなんだし」
右の肩を、麗花がぽん、と叩く。
「わかったよ、行きゃいいんだろ」
「頼られて、嬉しいくせにー」
「ウルサイっ」
少し緩みかかった口元を慌てて引き締めると、俊は背を向ける。
忍と麗花は、顔を見合わせて、くすり、と笑う。



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