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夏の夜のLabyrinth
〜10th 迷宮の中の迷宮〜

■pebble・11■



リスティアとアファルイオの国境で、ちょっとした騒ぎがあったのは十二月頭のこと。
アファルイオ側からのリスティア領内への不法侵入を試みたと言われるモノで、未遂に終わったが、リスティアのマスメディアでは大きく取り上げられた。
というのも、滅多なことでは動かないリスティア軍総司令官、天宮健太郎が正式の抗議をしたからだ。
表向きのにくわえて、アファルイオ王室には『十一月中旬の一件を、こちらが知らないとでも?』という不快感あらわの裏抗議までついてきた。
祭主公主指揮下の特殊部隊を掌握していない状態の王室としては、実に立場が弱いことになっている。
抗議の真の意味は『いい加減に祭主公主をどうにかしろ』ということだからだ。アファルイオ国内でのみの騒ぎならともかく、リスティアにまで秘密工作員は逃亡してくるわ、それが暗殺されるわでは確かに穏やかではない。
よくわかっているのだが。
さすがの顕哉も、誰もいないのを見計らって思いっきり悪態をつく。
「ちくしょっ、あの鬼百合め!」
あまり機嫌をそこねたくはない大国の相手で手一杯のところで、不機嫌極まりない妹姫の呼び出しときている。
リスティアからの抗議が大使から直にもたらされるという、本気でリスティア総司令部が怒ってるという意思がはっきりと示されたイベントの後、麗花はむっつりと黙り込んでいるようになった。
前のように、お菓子でイライラを吹っ飛ばす様子も無い。
危険な兆候だ。
いま飛び出したら、祭主公主の毒牙にかかりにいくようなモノだ。
あっちもこっちもこんな状態では、悪態をつきたくもなろうというモノだ。
不機嫌そのものの顔つきで乗り込んだのだが、待っていた麗花の方はそんな表情におかまいなしに、もっと不機嫌な顔をしている。
もっとも、ここ最近で機嫌のよい麗花など見たことないけれど。
兄の顔を見ても、口を開こうとさえしない。ふい、と窓の外を見たままだ。
窓の外には、相変わらず護衛兵たちがいる。今は、麗花の脱出と祭主公主の手の者の侵入に最も神経を使っているのだろうが。
麗花は、口元に笑みが浮かびかかっていることに気付いて、慌てて飲み込む。
タイミングよく、光樹の足音が聞こえる。
不機嫌な顔を作り直して、振り返る。人払いはすんでいるから、あとは本題に入るだけだ。
「二人とも、やる気あるわけ?」
いきなりのケンカ腰。
なんのコトを言っているのか、顕哉も光樹もわかっている。
「しかし、祭主公主が動かないことには……」
顕哉お決まりの台詞を、ぴしゃりと遮る。
「あのね、せっかく囮になる為に帰ってきてあげたのよ?もっと有効利用すること考えてよね」
「祭主公主を誘い出す、と言いたいのですか?」
さすがに、光樹には読めたらしい。
ここ数年間、祭事はすべて天楼の内部で行い、祭主公主は一歩たりともその牙城から踏み出してはいない。それを誘い出すことは、ほぼ不可能と誰もが考えている。
正直なところを言えば、麗花自身もそう思っていたのだ。
亮から、具体的な方法を指示される前は。
雪華から了承の返事を返した翌日には、『迷宮』すなわち亮からの具体的な作戦提示があった。
想像していたよりも、ずっと大きな話に、さすがの雪華も最初は面食らったようだ。が、すぐに、目を細めて微笑んだ。
「面白いね、協力するといったからには、やるよ」
以来、雪華には会っていない。亮は容赦なく、雪華も最大限に利用する案を提示してきたから。
もちろん、麗花にも仕事はある。
それが、いまやろうとしていること、祭主公主を天楼から引きずり出す作戦を持ちかけることだ。
この作戦は、絶対に成功させなくてはならない。
祭主公主に引導を渡す為に。
『緋闇石』を永遠に葬り去る為に。
そして、麗花が紫鳳城から抜け出す為に。
リスティア国境で、アファルイオ軍のふりをして騒ぎを起こしたのは、実はリスティア軍だった。
抗議する口実を作る為に、亮たちが仕掛けたのだ。
もちろん、リスティア国境を守る守備兵はそれを知らないし、アファルイオ王室が全軍を把握しきっているわけではないという弱点を知り尽くした上での作戦。
騒ぎを利用して外圧をかけるというのは、作戦提示の中に書かれていたから驚かなかった。
が、さすがに大使を城によこすのは、大袈裟だと首を傾げたくなった。
そんな大袈裟な茶番をしてのけた訳がわかったのは、大使が帰った後。いつのまにか、袖に小さく折り結んだ紙が入り込んでいるのに気付いた。
雪華宛の公式のモノではなくて、麗花個人への手紙が。
文面のほとんどは亮からで、几帳面な文字で雪華に提示された作戦に関する補足。いや、補足というより『第3遊撃隊』向けの通常指示、と言った方がしっくりする。
その手紙で、麗花は国境を騒がせたのが『第2遊撃隊』であったことを知った。そして、雪華には告げられていない作戦が付け加わっていた。
紫鳳城を抜け出し、『緋闇石』との対峙に参加する方法が。
それだけでも飛び上がるほどだったのに、さらに続きがあった。
「土産は見逃してやる」は忍からで、「愛玉食いすぎるなよ」とは俊。「退屈しすぎないでね」は須于だし、「準備運動でもしておけ」はジョーだ。
きっと、ジョ一は忍たちに強引に書かされたに違いない。
待っててくれるから。
『第3遊撃隊』に戻る為に。
絶対に、顕哉と光樹を動かさなくてはならない。そんな思いを秘めながら、麗花は相変わらず不機嫌な表情で告げる。
「そうよ、またとないチャンスじゃないの」
まっすぐに向き直る。
「今までと、状況は全然違うわ」
「たしかに公主のおっしゃる通り、状況は一変しています」
光樹は頷いてみせる。
「雪華の『挑発』に焦っていますし、『警告』にのせられて戻ってきたはずの麗花公主は、意に反して動かないのですから」
「だが、天楼を出ることの危険性は誰よりも知っているはずだ」
「その危険を冒してでも、出てこなければならないように仕向けるに決まってるじゃない」
「確かに焦ってはいるだろうが……?」
顕哉は困惑顔になる。麗花は顕哉にお構いなく、光樹に向き直る。
「そういうのを考えるのが、参謀じゃないの?そんなだから、リスティアから文句言われちゃうのよ」
穏やかな光樹の顔が、さすがに少々ひきつる。
プライドは、高い方なのだ。
「お、おい麗花」
あせる顕哉にお構いなく、麗花はトドメを刺す。
「このままなんだったら、リスティア戻って総司令部に頭下げた方がずっとマシよ」
片頬にかろうじて残っていた笑みも、四散する。
「……祭主公主を、引きずり出せばよろしいわけですね?」
「引きずり出すだけじゃ、意味ないじゃない」
光樹の顔には、ほとんど表情が無い。
「現行犯逮捕に、ご協力いただけるのでしょうね?」
「もちろん、その為に帰ってきたんだから」
まったく動じた様子無く、麗花は光樹を睨み返す。顕哉は頭痛がしてきそうなポーズだったが、こうなったら二人とも止まらないのはよくわかっている。
「兄上と雪華のことは、どうする気だ?」
いまだ朔哉は居所不明のままだ。
「祭主公主とのことにケリをつければ、必ず、姿を現すはずです」
光樹は、まったく動じた様子はない。
「麗花を囮に使ったとして、そう簡単に本人が出てくるものか」
「出てきます、確実に」
「どうやって?」
顕哉の顔には、不信そのものが浮かんでいる。いままで、ほとんど諦めていたのだ。そう簡単にいくわけがない。
「年送りの儀を、斎外公主が執り行えばいいのです」
雪華が死体を抹消すること無しに挑発して回ったおかげで、アファルイオ国民も、うっすらとだが察しをつけてきている。
国王と祭主公主の間には亀裂があるらしい、と。
斎外公主とは、天楼に篭らなくてはならない祭主公主の代わりに、天楼の外で祭事を執り行う者のこと。
祭主公主への尊敬が絶対の為に、実際に用意された例はほとんどない。
予定通りの光樹の発言に、麗花は喜ぶというより半ば感心している。
亮は何でも知ってるとは思ってたけど、アファルイオの神事祭事にまで通じているとは。
祭主公主を引っ張り出すなら、斎外公主を城で用意するしかない。ただし、麗花の方から言い出してはいけない。参謀自ら考えついたと思わせなくては。
亮の注文に、雪華はにやりと笑って言った。
「簡単、怒らせればいい」
結果、思惑通り、というわけだ。
麗花は不機嫌な顔のまま、言う。
「斎外公主は誰って聞かれる」
「もちろん、麗花公主が」
光樹は躊躇いなく答える。麗花の不機嫌は、たちまち笑顔になる。
「二重の囮ってわけね」
自分をないがしろにするも同然の役目を標的が務めると聞けば、祭主公主はいきり立つに違いない。
顕哉の顔にも、笑顔が浮かぶ。
「さすがだ、光樹!それならイケる!」
思わず興奮した声を上げてしまい、慌てて麗花と光樹が押さえ込む。
三人は改めて顔を見合わせ、そして笑みを大きくする。



年末最大の祭事である年送りの儀が紫鳳城内で、しかも斎外公主が執り行うという知らせは、いち早く天楼へともたらされた。
もちろん、情報が漏れるよう光樹が細工したのだ。
具体的には、秘密裏に衛兵たちに護衛の話をもちかけたり、麗花が侍女たちに『秘密なんだけどね』という接頭詞と共に、衣装について相談したり。
なぜか、公式発表よりもウワサのほうが効果が大きい。しかも『秘密』と言われたモノは、特に。
話を伝えた者が退出し、誰もいなくなった後。
真夕里は、手にしていたグラスを床に叩きつけた。
「こしゃくな小僧め!」
眦が裂けている。握り締めた拳が震える様といい、すさまじい怒りの形相だ。
斎外公主を立てるだけでも十分に業腹なのに、それが麗花だという。
とっくに天楼に飛び行ってきて、息の根を止めているはずだったのに。
「この国の巫女はわらわじゃ、あの小娘に斎外公主など務まるわけがないではないか!」
吐き捨てるように言ってから、中天を睨みつける。
「許さぬ……絶対に許さぬぞえ……」
低く呟く。
「わらわがたった一人の巫女じゃ、人々が慕うのはこのわらわだけじゃ……」
さながら幽鬼の如く立ち上がった真夕里の背後に、声がする。
「祭主公主様、これを利用しない手はありませぬぞ」
はっとして振り返った顔には、まだ怒りの形相が残っている。声の主は相変わらず幕影に立っている。
「利用する、と申したか?」
「そうでございます、恐らく国王は斎外公主に祭事を執り行わせることで、祭主公主様の権威失墜を狙っているのでございましょう……それを逆手に取るのでございます」
影の提案に、真夕里は興味を覚えたらしい。その眦から、怒りが消える。
「いかようにして?」
「神事祭事には、数多くの決まり事と型がございます」
「いかにもその通りじゃ、その型を誤ることなく、また美しく執り行うことこそが祭主公主が努め」
恋に狂い、その手を明けに染めてきたとはいえ、一方では祭主公主でありつづけたのだ。
その誇りが、口調に滲む。
「いかに王室育ちの麗花公主といえ、斎外公主としての型はご存知ありますまい」
「あの小娘に、なにが……」
怒りを思い出したかのように、言いかかって、ふと止まる。
「なるほどのう」
真夕里の口元に、いつもの妖艶な笑みが浮かぶ。
「わらわがアファルイオの巫女たるものの心得を、教えて差し上げればよい」
「一朝一夕には、身につくものではございません」
「そう、天楼にきて、学ばねばなるまいの」
乱れた着物の裾を整え、さらりと座に腰掛ける。
影の考えは、まさにこちらの思惑通りにコトを進める為の妙案といえよう。しかも、あちらからの発案を逆に利用するところが気に入った。
その美しく整えた長く紅い爪を頬にあてる。
「だが、そう簡単には天楼には来るまい」
「先ずは、祭主公主様自らが紫鳳城に上らねばなりますまい」
「なんと!」
先ほどよりも、激しい怒りが彼女の頬を染める。
「わらわに死ねと申すか?!」
「ご安心くださいませ、私どもがどこまでもお供させていただきまする」
「そなたらのことは、信頼はしておるが……」
影は相変わらず、感情のまったくこもらぬ声で言う。
「昼日中、民衆の前を堂々とお通りなされませ。祭主公主様が紫鳳城に向かわれたと皆に知れ渡れば、そうそう簡単には手は出せませぬ」
祭主公主は、まだ多少落ち着かなげに爪で肘掛を叩いていたが、やがて問う。
「わらわの安全はそれでよいとしても、麗花が同じ手を使ったらいかにするつもりじゃ」
同じ手とは、もちろん天楼へ来る時の過剰防衛だ。特殊部隊がついてきたら、さすがに手が出ない。
「麗花公主は、城に閉じ込められたままで大変にご不興の様子と聞いております」
影の声に、はじめて笑いが含まれる。
「護衛は連れて来られましょうが、いつまで大人しい公主であらせられますか」
目前の手の届きそうな場所に、親と兄の仇がいる。
そんな状況で、大人しくしていられる性質ではないのは、皆がよく知っている。先に刃を向けた方が『加害者』だ。
「……明日、登城するぞえ」
「はっ」
影の気配が消える。
真夕里は、そっと袖の下の面をなでる。
「明日は、しばし離れておらねばのう……」
切なげな声でいうと、そっと口付ける。



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