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夏の夜のLabyrinth
〜10th 迷宮の中の迷宮〜

■pebble・7■



好奇心で入り込んだまではよかったのだけど。
「なんだよ、また行き止まりじゃん」
俊が悪態をつく。どうやら、自業自得という言葉は手持ちの辞書から抜け落ちているらしい。
蓮天神社の地下が旧文明産物なのは、入ってすぐにわかった。それ以外には考えられない空間だったから。
最初のうちは、なにか仕掛けがあるかもしれないとおっかなびっくりだったが、どうやらなにも無いらしい。そうわかってからは、歩く速度はぐんと上がった。が、そこから問題になったのは、分岐点だ。
これがまた、実にたくさんある。
「引き返せばいいってわかってはいるけど、あれね」
「これだけ数が多いとな」
ジョーはポケットに手を伸ばしかかって、ここが狭い通路であることを思い出したらしい。煙草を取り出すのを諦める。
「なんか、どこ行っても同じ通路だしなぁ」
最初こそ物珍しかったが、こうも続くと味気ない景色に飽きてくる。分岐の行き止まりには、必ず扉らしいモノがあるので、その先にはそれぞれ何かあるのだろう。でも、それが何なのかが表示されているわけでもない。
好奇心は満たされないし、どことなく通路自体が落ち着かない。
三人ともいいかげん疲れてきたところで、その音は聞こえた。
なにかが砕け散る音。
聞こえてきたのは微かなものだったが、瞬間、三人の表情が変わる。
「……ガラスだわ」
音の反響が終わりきってから、須于が呟く。
俊も頷く。
「遠くはないな」
言いながら、ジョーを見る。
さきほどまでの少々疲れ気味の表情がすっかり消えている。はっきりと、どこかを見据えている。
「あっちだ」
「さっすが、地獄耳」
にやりと笑った俊が、いつもの調子でからかい半分に煽る。
が、須于は少々心配そうな表情だ。
「忍たち、大丈夫かしら?」
先に入っていたのが二人だとしたら、ガラスが砕けた音は二人たちのいるところから発せられた音、と考えるのが妥当だ。
なにかなければ、ガラスは砕けない。
無言のまま、ジョーが先に立って走り出す。俊と須于も、すぐに続く。
薄暗い通路を勢いよく走りきった先に、開いた扉が見える。
「来るなッ!」
という忍の声と、ジョーが銃を構えたのと、紅い閃光が走ったのと。
多分、同時だった。
次の瞬間、ジョーが弾き飛ばされて後ろにもんどりうつ。
「ジョー!!」
須于の悲鳴。
飛び散る真っ赤な血は、ジョーの頭部からだ。
「……かすっただけだ」
少々、くぐもった声がかえる。脳髄を吹っ飛ばされはしなかったようだが、額の真ん中から鮮血が溢れている。
言葉通り、ジョーは通路の側壁に肘をついて体勢を立て直す。が、その額からの血は止まらない。凄惨な顔つきになっている。
「そんなじゃ、視界が無理だ」
俊が前に出る。
先ほどの閃光のせいで、視界が暗い。
だが、あの閃光は知っている。
去年の春、リマルト公国との国境で見たモノ。
『緋闇石』の焔。
「ここであったが百年目ってヤツにしてやる」
かつて自分を操り、『Aqua』に恐怖をもたらしたモノ。自分の意志を奪い、記憶を奪い。
許せるはずのない、モノ。
可笑しそうな笑い声が、部屋の最奥から響く。
「どうやって、と一応尋ねてやろうか」
楽しくてたまらないという声。
ぎり、と唇を噛み締める。
落ち着け、と言い聞かせながら獲物を構え、踏み込む。
「?!」
が、足は意に反して止まってしまう。
眼前の光景に、凍りついたかのように。
全身をなにかで切り裂かれたかのように血まみれの忍と、龍牙剣で腹部を刺し貫かれた亮。
これが、この血まみれの景色が。
記憶の無かった自分が、やってのけていたであろうこと。
大事だと思う者を、手にかけ、笑い声を上げる。
凍りついた血が、逆流する。
「てめぇ……」
得物を、構え直す。
どうしたら『緋闇石』を消せるかなんて、わからない。
でも、ともかく粉々にしてやりたい。
許せない。
が、踏み込もうとした足は再度止まる。
目前の忍が、多少よろめきつつも立ち上がったから。
部屋の奥に立つ人の口元に、にやり、と笑みが浮かんでいる。その笑みが、忍へと移る。
「さて、どうする?お前の剣は、そこでほら、腹を貫いてるぞ」
くすくす、という笑いが漏れる。
「抜けば、あっという間に失血死だろうな」
部屋の奥さえ見えない薄暗がりの中で、忍がものすごい形相になるのが、俊にもわかる。
自分の背後で、須于が唇を噛んだ気配と、ジョーが銃を構え直す気配。
怒りが充満した、そう思った時。
冷たいくらいの声が、通る。
「残念ながら、今回もあなたの負けです」
怖いくらいに落ち着いた声が誰のものだかは、考えなくてもわかる。命に関わるかもしれない大ケガを負っても、何事もなかったかのように話せるなんて、知る限りたった一人だ。
「何をしても、あなたを消そうという意思が揺らぐわけも、変わるわけもない」
壁によりかかるようにしていた亮が、ゆっくりと血まみれの龍牙剣に手をかける。
切っ先から、傷口から、鮮血が飛び散る。
「考えなしに行動したのは、どちらでしょうね?」
笑いさえ、含んだ声。
その細い手が、朱に染まった龍牙剣を忍へと差し出す。
忍の顔に、痛いくらいに切ない表情がかすめる。だが、何も言わずに、忍は血まみれの亮の手から龍牙を受け取る。
「余計なところに、力を割いたな」
いままできいた、どんな忍の声よりも、静かな声。
俊だけでなく、後ろで様子を窺っていた須于も息を飲む。
忍の周囲に力が満ちるのが、わかる。
握った刀身が、うすく青白い光を宿したようにさえ感じる。
部屋の奥の人物の口元から、笑みが消えたのがかろうじて見える。
舌打ちと、そして。
「次まで、命があるといいな」
捨て台詞とともに、『緋闇石』は消える。
まるで、煙か何かのように、跡形も無く。
と、同時に、あたりを覆っていた重苦しい空気も消える。
咽かえる咳音に、俊は我に返る。
忍と須于が、座り込んでいるあたりがイチバン血まみれだ。いつのまにか、須于は脇をすり抜けたらしい。
壁にもたれかかったままの亮の、口のあたりが血まみれになっている。咽たのは、吐血のせい。腹部を貫いた龍牙剣が、内臓を傷つけたのだ。
「亮ッ!」
忍の、必死の声。
須于が、自分の手も朱に染めながら応急処置をしている。
「俊、出来るだけ、車を近くに寄せろ」
傷口を自分の腕で押さえながら、ジョーが言う。言われて、血がついてないのが自分だけと気付く。たしかにこの状態で人目についたら、物騒この上ない。
「わかった」
握り締めたままだった得物を、ポケットに突っ込む。
「忍」
血の気の引いた顔が、こちらを向く。こんなに顔色が悪いのは初めて見る気がする。
「キー貸してくれ、車出すから」
言いたい意味はわかったのだろう、軽く頷くいた後、血まみれの手の平を見せてGパンの後ろポケットを指す。
俊はキーを拝借すると、すぐに元来た通路を走り出す。印を付けてきたわけではなかったけれど、そういう方向感覚は誰よりもいい。
石垣に見えた扉は、内側から見ると通路内にある扉と変わらない。その扉を蹴るようにして押し開いて、外に出る。
外は、いつのまにか日が暮れていた。街灯の白い灯りが、あたりを照らし出している。
さわさわと、木が乾いた音をたてる。
風が冷たい。
俊は、自分の頬を両側からはたく。
駐車場への階段を一足飛びに飛び越える。



予想はしてたが、思った以上に窮屈だ。
顕哉も光樹も、祭主公主に狙われる自分を心配しているのだとは、よくわかっているけれど。
麗花は、思わず小さなため息をつく。
これでは、『緋闇石』と雪華の動きを捉えるどころではない。
あれから、光樹から雪華による暗殺は司祭補佐だけではないこと、場所が広範囲であることなどを教えられた。そんなのとっくに知っている。リスティア総司令部は、順序さえ押さえていたのだから。
知りたいのは、何があったかじゃない。今、なにがどうなっているのか。
アファルイオでしか、自分しか知ることの出来ないこと。必ずあるはずだ。そうでなければ、『緋闇石』を消すことが最優先だと告げた亮が、アファルイオに麗花を送り込んだ意味がなくなってしまう。
なにか動きがあるまでは、大人しくしていようと思っていたけれど。
どうやら、動かなくては欲しいモノは手に入らないらしい。
悪戯っぽい笑みが浮かぶ。
その方が、性にはあっている。
さて、どうやって抜け出そう?
リスティアに行く前には、しょっちゅう抜け出していたせいで大概の抜け道は塞がれている。そう簡単には、出られない。
笑みを浮かべたまま、窓の外へと目をやる。
近衛兵たちが、あちらこちらにいるのがわかる。自分が帰ってきてから、城の警備兵は大幅に増強されているらしい。ご苦労なことだ。
窓を開けただけでも、緊張感が高まるのを知っている。からかってやりたい気もするけど、顕哉と光樹のダブル小言をくらうのが目に見えているのでやめておく。
ひとまず、お茶でも飲みながらのんびりと考えることにして、立ち上がりかかった瞬間。
麗花は、ひだに隠しこんでいたナイフをすばやく掴む。
が、投げる前にその手を止めた。
相手も、こちらの姿に十分驚いたようだ。
「ホントに……帰ってたのね」
「雪華こそ、どうして城に?」
姿を現したのが雪華だとわかった途端、別の緊張感が伴う。
いまの気配からいってまともに入ってきたのではない。侵入してきたのだ。それに、雪華がいるなら、近くに『緋闇石』がいるはずだ。
が、それを問うわけにはいかない。
躊躇っているうちに、雪華の目が細まる。
「麗花は知ってるのね?あれが『何』なのかを」
ナイフを元に戻しながら、麗花は肩をすくめる。
「あれって、なんのこと?」
「時間がないの、無駄はお互いに無しにして」
麗花は、まっすぐに雪華を見つめる。乳兄弟といっていいほどに幼い頃から、ずっと側にいた。武術も知力もかなわないと思うが、嘘をついているかどうかはわかる。
「わかったわ、雪華が先よ」
「いいわ」
軽く頷いてみせる。
「朔哉兄が亡くなったわ」
麗花は目を見開く。
出かかった言葉を、かろうじて飲み込む。さっき雪華が言った『無駄』の中に、驚くとか疑問とかも含まれると、すんでで気付いたから。
「陛下と兄さんが見舞いに来てくださった日の夜、呼吸器も点滴も、なにもかわりないのに」
まっすぐに見つめつづけていた視線が、少し落ちる。が、相変わらず声は事実を告げるだけのモノだ。
無駄はしないと言ったのに、朔哉の死の様子を詳しく語るのは、麗花が信じられるようにだろう。
「ゆっくりと冷たくなっていって、私は手を握っているしかできなかった」
完全に呼吸も止まり、死んだのだとわかってから、雪華は立ち上がった。
やっと、我に返ったのだ。顕哉たちに、知らせなくてはならない。
異変が起こったのは、その時だ。
紅い焔のような光が場を支配し、思わず目を反らした。が、焔はすぐに消えた。
そして。
点滴も、呼吸器も、もう無いのに。
朔哉が目を開けた。
「なにかが、朔哉兄を操っているのは、確かだわ」
「朔哉兄さんは、紅い石を持っていない?」
麗花が、ほとんど確認の質問を発する。
「額に、焔のような光を発する紅い印が」
額を指してみせた雪華の視線が、再びまっすぐに麗花へと注がれる。
「あれは、何?」
「『緋闇石』、旧文明産物よ」
「『緋闇石』……」
「リマルト公国の件は、知ってるでしょう?」
まっすぐに麗花を見つめる瞳が、細まる。
「元凶は、『緋闇石』?」
「そう、知る限りは暴走型なのに、なぜ今回はこんなに大人しいのか不思議」
雪華の口元に、皮肉な笑みが浮かぶ。
「本領を発揮し始めているわ」
「朔哉兄さんは、どこ?」
「消えた、手品みたいにね」
皮肉な笑みを浮かべたまま、雪華は肩をすくめてみせる。
「瞬間移動されたら、捕捉は無理」
言いながら、時計に目をやる。
「そろそろ、戻ってくるかもね」
「どうして?」
「誰かを殺りに行ったのは確か、何度か見てるから所要時間の予測は可能」
「いままでも?」
こうして消えたりしたのか、の意味だ。
「初めて、これで確信した」
麗花も言葉数が少ないが、雪華も少ない。お互い、補えると知っているから。
確信したのは、朔哉自身は本当に死んでしまって、なにかに操られている、ということをだ。
いままでは。
おかしいということを百も承知で、それでも奇蹟かもと、思いたかったのかもしれない。
「で?」
『緋闇石』が戻ってくるなら、本当に無駄は出来ない。必要な情報交換は終わらせなくては。
「祭主公主を動かす」
「動かせる?」
戻ってきたことを知らぬわけが無いのに、手出しをしてこないのは麗花が痺れを切らすのを待っているからだ。
「せっつけばいい」
冷たい笑みが浮かぶ。
「なるほどね」
「いつが、いい?」
雪華の問いに、浮かびかかった笑みが四散する。
「時期を、私が?」
冷たい笑みは、悪戯っぽいそれにかわる。
「麗花が決めたってことに、してもいい」
雪華は、気付いている。麗花が、アファルイオに戻ってきた本当の『理由』を。
麗花を知っているからこそ。ただ囮になるためだけに、帰ってくるわけが無いということを、雪華は知ってるから。
でも、亮たちと連絡を取る方法など決めてはいない。
どうやって、と問いかかって、気付く。相手は『Aqua』イチの軍師であることに。ネットワークのどこかに痕跡さえ残しておけばいい。
亮なら、絶対に気付いてくれる。
忍たちは、朔哉を解放してくれる。
「そう、じゃ、決めさせてもらうわ」
「だから、城からは抜け出さないでいてよ」
それも、お見通しらしい。麗花は肩をすくめる。
「了解、雪華も、無理はしないで」
微かな笑みを残して、雪華の姿は消える。



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