[ Back | Index | Next ]


夏の夜のLabyrinth
〜12th  哀しい異邦人〜

■frothspit・2■



今日も朝から、よく晴れている。
ぺきぺきっと慣れた調子で花の長さを揃えているのは俊。相変わらず店の手伝いだ。
「それ、もう少しカモミールいれていいわ」
佳代の声に、振り返る。
「多すぎないか?」
「そんなこともないわよ、ほら」
俊が手にしているガーベラとスイトピー、それにチューリップが入った花束に、佳代が手にしたカモミールを添える。
「たしかにな」
おとなしく頷くと、渡されたカモミールの長さも揃える。いま作っているのは、これから配達する贈答用だ。
合わせてゴムで縛ると、花持ちが良いように処理をする。
ラッピングをどうしようか、などと思いながらバランスを確認していると、佳代がまた声をかけてきた。
「あのさー、俊、その花束だけど、カモミールが多い方がイイと思うのよね」
「それなら、さっき聞いたけど?」
「あれ?そうだっけ?」
振り返ろうとした佳代は、今度は持っていたバケツをひっくり返す。
「おいおいおい」
花束を机に置くと、雑巾を手にする。
「あららー」
なんて呑気なことを言っている佳代のお腹のあたりから、ぐっしょりだ。なのに、ぼんやりと突っ立ったままだ。
俊が少々眉を寄せる。この季節に水浴びはシャレにならない。
「早く着替えてこいよ」
「そうねぇ、ごめんごめん」
またも、そこにあった花のバケツに激突しつつ、奥へと戻って行く。
俊は首を傾げる。
ボケるには、まだ早過ぎるだろ、と思いながら。



同じ日の、昼頃。
初めて足を踏み入れる高級料亭街に、忍は少々緊張気味だ。
亮に言われたとおり、ステッチがポイントになっている襟付きのシャツに、黒の綿パン。それに、カジュアルではあるがブレザーっぽい上着というイデタチで、指定された葵の前に立つ。
時計を確認する。約束の、十二時過ぎだ。
白塗りの土塀に、小さな木の看板があり、葵、と書かれているから間違いはない。その脇に、細い石畳の道がある。
気後れはするが、いつまでここに立ち尽くしていたら挙動不信人物だ。
えいっ、とばかりに一歩踏み出したところで、奥の方で引き戸が開く音がする。この道ですれ違うのは無理がありそうなので、忍は入るのを止めて、誰かが出てくるのを待つ。
ほどなくして、和装の女性が現れる。
へえ、大和撫子ってやつだな、と思う。
多分、年の頃は忍とそうは変わらないはずだ。だが、着物を着慣れているとしか思えない風情がある。落ちついた色合いではあるが、振袖だ。
と、なると、もしかして。
などと思っているうち、相手も忍に気付いたようだ。
楚々とした歩き方でこちらに来ると、すれ違いざまに囁く。
「この料亭にいる、長髪の奇麗な方にお伝え下さいませ……狙われてらっしゃると」
「?!」
慌てて振り返るが、彼女はもうすでに待っていたお付きらしい者と歩き去るところだ。警告が、秘密裏であることは安易に想像がつく。
長髪の奇麗な方、といえば、おそらく一人しかいまい。
忍の待ち合わせ相手である、亮だ。容姿に形容詞を冠するなら、奇麗がイチバン合っている。
もしかして、と思った通り、彼女が亮のお見合い相手らしい。
そして、亮が予告していた通り、話は断ったのだろう。しかし、だ。それで、狙われている、とは穏やかではない。
追うことは簡単だが、相手が誰であるかは、亮に会えばわかる話だ。それよりも、警告されたことを伝える方が先だろう。
そのまま、石畳の細道を歩いて行く。
奥まで辿り着くと、ちょうど和装の彼女を見送ったらしい風情で、女将らしい女性が立っていた。かなりの年のようだが、その背筋はしゃんとしているし、なんといっても気品がある。
ただ、亮との約束だけでここまで来たのなら、またもや気後れしてしまいそうなほどの。でも、今は警告がある。
女将らしい女性は、にこり、と笑った。
「失礼とは存じますが、速瀬様ではいらっしゃいませんか?」
「はい、そうですが……」
「天宮様から伺っております、ようこそ葵へいらっしゃいました」
深々と頭を下げられて、さすがに少々恐縮する。
「こちらでございます」
和風のしつらえなので、玄関とおぼしきところで靴を脱ぐ。自分で揃える前に、仲居さんらしき人が手馴れた様子で持って行ってしまう。
「天宮様は、まだご用件がお済みではございませんので、別のお部屋でお待ちくださるようにとのことでございます」
言いながら、その別の部屋とやらへ案内してくれる。
ざぶとんに落ち着いたところで、お茶が供されて、改めて案内してくれた女性が頭を下げる。
「わたくし、葵の女将を務めさせていただいております、どうぞ、ごゆるりと」
「はぁ、どうも……」
立ち去った後で、そういや女将にも心づけは必要なんだろうか、などと思った瞬間。
隣室から、激昂した声が飛び込んでくる。
「やはり、椿は……っ!」
「誰に、何を聞いたのかは存じませんが」
応じている落ち付いた声は、聞き覚えのあるものだ。天宮健太郎に違いない。
どうやら、お見合いをしていたのは隣室らしい。
健太郎の声が続く。
「そこまで不安になられるのなら、遺伝子検査をした方が早いと思いますよ……それより、今のお話から察するに、最初からご存知だったようですね?」
次に発せられた声は、関係の無い忍まで、ぞくりとするほどに低まっている。
「知っていながら無理矢理にという話は、本当だったわけだ」
「あ、いや、その……知りませんでした、知りませんでしたとも!今のお話は、忘れていただければ!」
激昂していた男の声は、こんどは狼狽に取って代わっている。
「そう簡単に、忘れられればよろしいですが?」
相変わらず、いままで聞いたことのないような寒気を感じさせる声だ。
がたがた、という、こういった場所にはそぐわない音がする。多分、相手方の男が帰ったのだろう。
ほどなくして、隣室へ通じるふすまが開かれる。
「お待たせしてしまいましたか、忍?」
にこり、と亮がいつも通りの笑みを浮かべている。
「いや、今さっき、通されたばっかだよ」
くすり、と亮が笑う。
「誰のでもそうですが、逆鱗には触れないに限ります」
敏感な亮のことだ。どこから忍がいたのか、知っているのだろう。
忍は、頷いてみせる。
「確かにな……れ?総司令官は?」
一緒にいたはずなのに、姿がない。
「庭に出ていますよ。すこし、冷ましてくるつもりでしょう」
どうやら、かなり本気で感情を害したらしい。そうでなければ、こちらまで寒気がするほどの声は出るまいが。
あまり、深入りしない方がよい話題だろう。それよりも、だ。
「なぁ、お見合いの相手ってさ、和装の大和撫子じゃなかったか?」
「ええ、会いましたか?」
「ああ、ここ入ってくる時に」
亮も、相向かいに腰を下ろす。
「藍崎 椿さんと言う方で、茶道家元の跡取りでいらっしゃるそうですよ」
「ふうん、道理で着物慣れしてるわけだ」
「彼女が、どうかしましたか?」
さすが、察しがよい。ただ見かけた、という口ぶりではないことに、気付いてくれている。
忍の口元に、なんとも形容しがたい笑みが浮かぶ。
「警告された」
「警告?」
「亮に、狙われてるからと伝えてくれ、ってさ」
「それは、さっきのお粗末なののことじゃないのか」
新たに加わったのは、健太郎の声だ。庭から戻ってきたらしい。
まだ完全に機嫌が直ったようには見えないが、落ちついてはいるようだ。
「彼女の周囲で、そんなまともに不穏なことが企める連中なんて、いないからな」
忍と亮は、顔を見合わせて苦笑する。まともに企めない連中、というのは先ほどの男のことを言っているのに違いない。
「それよりも、腹減ってるだろう?」
と、健太郎も腰を下ろす。タイミングよく、女将と仲居さんたちが姿を現して、お膳を運んでくれる。
そして、軽く料理の説明をしてくれた後、誰もいなくなる。
順に運ばれては来るようだが、誰かが常に控えているという堅苦しさはないらしい。
綺麗な、という表現がぴったりのお膳に感心しながら、箸を手にする。
「忍くん、その前にさ、ほら」
健太郎が、ガラス製のお銚子を差し出している。
「いけるんだろ?」
「あ、はい」
総司令官自らの酌なんて、そうそうは体験できない。ありがたく頂戴する。
三人分のが揃ったところで、乾杯。
最初のを空けたところで、亮が尋ねる。
「午後は仕事じゃないんですか?」
「あるけどさ、飲まなきゃやってられない気分ってヤツ、見逃せ」
珍しい気がするが、先ほどの襖向こうでの激昂を思い出せば、納得できる気もする。
「今回は、まぁ……相手があれでは」
亮も、肩をすくめてみせる。忍は、一昨日、亮に聞いた時から気になっていたことを言ってみる。
「珍しいですね、押し切られるなんて」
「押し切られたというか、なんというか」
思い出したのか、健太郎は眉を寄せる。
「二度と、あんなくだらん口はきかせたくないね」
どうやら、今日のこの場が設定されるまでも紆余曲折があったらしい。亮が、くすり、と笑う。
「二度と、ああいう口をきく元気はないと思いますよ」
「まぁな」
頷いた後、軽く手を横に振ってみせる。
「やめやめ、せっかく美味い飯が不味くなる」
それから、またお銚子を手にして、にんまりと笑う。
「せっかく忍くんも来てくれてるんだもんな」
「呼んでいただいて、ありがとうございます……でも、よかったんですか?」
最高級とおぼしき料亭だし、料理もすごいと思う。場所代だけでもかなりかかりそうな雰囲気の場所だ。
「呼んでるんだから、いいに決まってるよ」
健太郎が、あっけらかんとした表情で言うと、亮が付け加える。
「もっと本音のところを言うと、忍はお気に入りなんですよ」
「え?」
「くだらないことを言っても、嗜めないから」
「そうそ、なにかっていうと、『総司令官なんですから』とか『財閥を背負う立場なんですから』とかなんとかさ、総司令官は冗談言っちゃいけないっていう法律でもあるんじゃないかと思うよ」
「ああ」
思わず、笑顔になる。気に入られた理由に合点がいったので。
弥生のコンサートチケットも真剣に欲しがっていたし、モトン王国に行った時も「いいなぁ」などとぼやいて見せていた。本当は人懐っこい性格なのかもしれない。でも、立場上は孤独なわけだ。
それを察していたわけではないけれど、たまには気を抜ける場所は、誰だって必要だと思う。
健太郎のお猪口が空いているのに気付いた忍は、お銚子を手にする。
「よかったら、いかがですか?」
「お、嬉しいねぇ」
機嫌が直ってきたようだ。
そんなこんなで、豪勢で和やかな昼は過ぎていく。

そこそこの量を飲んでいたし、ご飯の間はご機嫌なように見えていた。
が、石畳を歩き始めた健太郎は、けろりとした顔で伸びをしてみせる。
「さて、午後からはがんばらんとな」
「午前中は、ロスりましたしね」
亮が、にこりとしながら言う。
「そうそう、こういう時に限って、なんかトラブっていたりとか」
「忍くんまで、そういうことを言う?」
情けない顔つきになるものだから、思わず忍も笑ってしまう。
「亮、まさか、このまま遊びに行くなんて薄情なことは言わないよな?」
「では、昼に呼び出しただけで忍に帰れと言うわけですか?」
「む、それはそうだけど……あ、じゃあ忍くんも、総司令部にご招待ってのは?」
「で、なにをしろと言うんです?」
亮の涼しげな口調での反論に、また笑ってしまう。
と、そんなあたりで白塗りの土塀のところまで出てきたのだが。
その気配に気付いたのは、三人同時だ。
「道交法違反」
「景観保護法違反でもありますね」
「ドライブテクがあることだけは、認めてもいいけどな」
相変わらずの軽口で最後に言ったのは健太郎だが、確かにその言葉には一理ある。高級料亭街であるこの通りは、車両侵入禁止故に、かなり道路幅が狭くなっているのだ。
しかも、エンジン音から察するに、ほぼ道路脇両側にある白塗りの土塀にほとんど擦りそうな幅のゴツイ車が侵入して来たことは、想像に難くない。
なんてことを思うか思わないかの間に、その姿が見え始めている。
「誰だよ、血迷いやがって」
もう目前に迫ったそれを、忍と亮は土塀に飛び乗ることで、さらりと避ける。
健太郎も、そつなく葵の石畳に戻ったようだ。
行き過ぎた車は急ブレーキで止まったかと思うと、今度は猛スピードでバックしはじめる。
これは、どう考えても。
「もしかして……さっきの警告って、コレのことか?」
「の、ようですね。厄介なことに、度胸の無い男よりも数段タチが悪そうですが」
車が止まった位置を見て、忍と亮が、同時に舌打ちをする。
健太郎が、更に奥に後ずさろうとした足を止める。
車窓から、まっすぐに銃をつき付けられているのがわかったからだ。
「ご理解が早くて助かりますな」
銃を向けているらしい男の声が、スモークをはった窓の中から聞こえる。
「が、あなたをお連れしても、あまりこちらにはメリットはない」
その通りだろう。総司令官が誘拐されたとなったら、リスティアは総力を傾けて総司令官の保護と犯人の逮捕に向かうことになるだろうから。そうなれば、少々の組織では歯が立たない。
「……で?」
面白くもなさそうに、健太郎が尋ねる。
忍と亮も、コトの成り行きを眺めるしかない。いま、ヘタに動けば健太郎の命を危険にさらすのは目に見えている。
「やはり、なにかとお話を聞いていただくには、有利なカードを持つに限る……例えば、自分のせいで誘拐されたなんて、口が裂けても言いたくない人間、とかね」
その台詞が終わるか終わらないかの内に、忍達の方に向いている、車の窓が開く。
そして、声の主が顔を現す。とはいっても、サングラスをかけていて、本当の顔はよくはわからないが。
口元の笑みだけは、はっきりとうかがえる。
笑みを浮かべたまま、男は言ってのける。
「あなたに、来ていただこう」
そして、指差された当人が、戸惑った声を上げる。
「え?俺?」
「そう、降りて来ていただこうか」
想像だにしなかった展開に、忍は、思わずもう一度尋ねてしまう。
「本当に、俺なのか?」



[ Back | Index | Next ]


□ 月光楽園 月亮 □ Copyright Yueliang All Right Reserved. □