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夏の夜のLabyrinth
〜12th  哀しい異邦人〜

■frothspit・5■



戦場が燃えるところは、見たことがある。誰かが死んでいくところでさえ、見慣れた景色。
だけど、だからこそ、失いたくないものがある。
麗花が泣きじゃくりながら叫ぶ。
「嘘って言ってよ!ねぇ、誰か嘘って言ってよ!」
「……俺が、言ってやる」
睨み付けるように炎を見つめ続けていた俊が、ぽつり、と言う。
その声音に、三人も視線を炎へとまっすぐに向ける。
炎の中の、微かな気配。
四人とも、瞬きすらせずに炎を見詰める。荒れ狂う獣のような炎が、微かに薄い部分。
「生きてる……?」
須于が、微かに明るい声を上げる。炎の中に、薄い人影。
それは、やがて、はっきりとしたシルエットになる。
一人の、人の、カタチ。
「亮……」
なにかを、被っているようだが、その裾に火がついている。
が、それも、ばさり、と落ちる。亮は、それに気付かぬ様子で歩いている。
いや、その足取りは、少々不安定だ。
「亮!」
声は、かろうじて聞こえたらしい。どこか虚ろな瞳が、こちらを向く。
俊たちは、慌てて走り寄る。
髪がぐっしょりと濡れている。廃工場の旧式防火設備がお粗末ながら、まだ生きていたらしい。
「大丈夫か?!」
がく、と膝をついた亮を、俊が慌てて支えようとする。
左腕を掴まれた亮の顔が、かすかに歪む。
「あっ、悪い」
慌てて手を離して、自分の手にぬるり、とした感触が残っていることに気付く。
「?!」
紅い炎の灯かりの中でも、映える、黒い紅。血の色だ。
「亮、その左手……」
須于が息を飲む。
いつもしている手袋が無いだけではない。肘から手の甲にかけて、まっすぐに切り裂かれている。
俊が触れたのは、まさにその傷だったのだ。
他にも、数ヶ所の火傷を負っている。
須于が、ありあわせのモノで腕の上を縛り上げる。止血しなければ、大変なコトになってしまう。
震える声で、麗花が尋ねる。
「……忍は?」
炎に目を凝らしつづけていたジョーが、こちらに視線を戻して首を横に振る。
「ねぇ亮、忍は?!」
もう一度、麗花が怒鳴るように尋ねる。
炎の赤の側でも、明らかに血の気が引いた顔色の亮は、麗花の声の方に顔を上げる。
「………」
なにか口を開きかかるが、うまく声にならない。
かろうじて支えていた右手も、力を失って、がくり、とよろめく。
「亮っ!」
どうやら、傷からの出血が多すぎて貧血を起こしているようだ。息もかなり浅い。
かろうじて倒れるのを免れた亮は、顔を上げてみせた。
「……すみません……」
それだけを、やっと言う。
麗花たちの方を見ているつもりなのだろうが、焦点が合っていない。
「早く病院へいかないと」
須于が、我に返って言う。
忍の生死も、行方もわからない。
だけど、工場には入れないし、亮もほっておけば失血死してしまう。
四人は、振り返り振り返りしながら、その場を立ち去る。



冴え冴えとした月を見上げる。
ビルの向こうに見えるそれは、氷のようだ。
灯かりを落とした部屋には、ただ、月明りだけが届く。開け放った窓から、白い光だけが彼を照らす。
こうして、家の部屋から月を見上げるのは、随分と久しぶりのことだ。
状況が状況でなければ、気持ちよくグラスを傾けたいところだが。
電話の呼び出し音が、不意に響く。
健太郎は、驚いた様子もなく、受話器を手にする。
『久しぶりだな』
廃工場のスピーカーから聞こえたのと同じ声が、もっとはっきりと響く。
「やはり、あなたでしたか」
なんの感情も篭らぬ声が、応答する。
『言ったじゃないか……あのお礼は、必ずすると』
「お礼、ですか」
皮肉な笑いが、その声に微かに加わる。
『君は常に私の期待を裏切りつづけてくれたが……それにしても、あの時のは許し難い裏切りだ』
「裏切るも何も、はなからあなたと私は添わない」
健太郎は、微かに首を横に振る。
『一度目のお礼はさせてもらったよ、君の大事な二人は、火の中だ』
「なんですって?」
抑えてはいるが、感情が滲む。
『くくく……君の忘れ形見の片割れが余計な手出しをしてくれたのでね、ちょっと花火を上げたのさ』
ひとつ、深呼吸をする。
「あなたは、私から、これ以上なにを奪えば満足なんです?」
『私が、いつ君から何を奪ったというのだね?私はいつだって、君が最高の人生を送れるようにしてきたのだよ、感謝されこそすれ、裏切られるようなことをされる覚えは無い』
「いい加減にしろ!」
抑えきれなくなった感情が、一気に溢れる。
「これ以上余計なコトをしてみろ、ただではおかない」
『君になにが出来るというのかね?今だって、何も出来てはいないじゃないか?』
相手は、おかしくてたまらないようだ。
『か弱い忘れ形見を一人で寄越すような真似をして?』
「……いま、なんと言いました?」
『君の忘れ形見を、一人きりで敵中に寄越すなど、愚かだと教えてあげているのだよ』
健太郎の顔に、先ほどまでとは異なるなにかが浮かぶ。
「ご教示、ありがたく受け取っておきましょう……ですが、過剰な自信は互いに命取りですよ」
『負け犬の遠吠え、という単語を教えてあげよう』
まったく動じぬ様子で、相手は言う。
『また会える日を、楽しみにしているよ……近いうちにね』
一方的に、通話は切れる。
受話器を置いた健太郎は、唇を噛み締める。
相手は、取り引きの場であったピエドの廃工場を爆破させたのだ。やり口からいって、容赦無い方法を取ったに違いない。
二人は、無事だろうか?
あまりにも深く、長い、因縁。
全て、絶ち切った筈だったのに。
窓枠に寄りかかり、月を見上げる。
凍りついた月を。
「忘れ形見、か」
笑いがこみ上げる。
く、と喉に引っかかるような笑いが。
その時、だ。
扉の方に、気配を感じて振り返る。
立っている人を見て、健太郎は驚いた声を上げる。
「君は……」
相手は、少々困った笑みを浮かべる。
「すみません、でも一度来たことのある、ここしか思いつかなかったんです」
「じゃあ……?」
健太郎は、驚いた顔つきのまま、確認するように首を傾げる。
相手は、ひとつ、頷いてみせる。



ベッドの上の亮が、珍しいわけではない。
いや、どちらかというと見慣れたものになりつつある。が、だからといって大丈夫、という楽観的な気分になれるわけもない。
青白い顔のまま、酸素吸入をされている亮を、心配気に覗きこむ。
「大丈夫ですよ。命に別状はありませんし、時間もそうかかりませんから」
看護婦が、安心させるように言ってくれる。
頷きつつも、亮から目が離せない。
術衣を着た仲文が顔を出して、ひとつ、頷きかけてくれる。やっと、俊たちは亮のベッドにかけている手を離す。
亮を乗せたベッドが扉の向こうに消えていき、手術中、という赤いランプが点灯する。
立ち尽くしたまま見詰めていると、後方から近づいてくる足音がする。
振り返ると、健太郎が立っていた。
「健さん……」
麗花が呟いた声は、いまにも泣き出しそうだ。
「工場が爆発したそうだね、いま警察から報告をうけたよ」
健太郎は、そっと言う。
「亮が、ケガを……」
須于が、辛そうに報告する。軽く頷いて、ランプを見上げる。
「安藤が執刀してるんだろう?大丈夫だ」
黙りこくっていた俊が、言い辛そうに口を開く。
「忍が……」
「忍くんが、どうかしたのか?」
健太郎は、不思議そうに首を傾げる。
「亮についてるんじゃ?」
それ以上は言えずに、ただ、俊は首を横に振る。
「工場から、出てこない」
ぽつり、とジョーが言った。
「出てこない……?」
ふ、と健太郎の表情が凍る。
「………」
四人は、さし俯いてしまう。
「多分、縛られていたんだと……」
「亮は、自分で出てきたのか?」
「はい、見捨てるとは思えないですけど、でも……」
でも、忍は俊たちの前に姿を現していない。
「わかった、現場には高崎が行くよう指示を出そう」
すぐに携帯を取り出すと、指示を飛ばす。それから、俊たちに向き直る。
「君たちも、行くといい」
「いいんですか?」
「当然だろう、君たちにしかわからない痕跡があるかもしれない」
健太郎の顔に浮かんだのは、総司令官の笑みだ。
会釈をして、すぐにでも向かおうとした四人を呼びとめる。
「オマケは?」
ジョーが、笑みで応える。
健太郎は、頷き返す。



ピエドに引き返した頃には、もう明け方になっていた。
あれだけ燃え盛っていた炎は、嘘のように消えている。すでに、何人かの警察と消防署員が現場検証を始めている。
誰に声をかけたものか、とあたりを見回していると、中の一人が近付いてくる。
「やぁ、久しぶり」
その人はそう言って、軽く手を振ってみせる。
「あ、広さん」
人好きのする笑みは間違い無い。スーツではなく現場用の制服だったのと、ヘルメットを被っていたのとでわからなかったのだ。
よくよく見れば、一人だけ腕章をつけている。
「総司令官直々のご指名に君たちの登場ってことは、タダの廃工場爆発事件ってわけにはいかなそうだね」
四人は、誰からとも無く、顔を見合わせる。
どこまで話してよいものか、迷ったのだ。
でも、広人は遊撃隊協力者でもあることだし、健太郎とも懇意だ。それに、忍を探してもらうには、事情には通じてもらっていた方がいい。
「あの、実は……」
「忍が誘拐されて、その身代金引渡し場所だったんです、ここ」
広人の眉が、軽く上がる。
「で?」
この場に、忍と亮がいないことには、広人だって気付いている。
「相手の指名で、亮が取り引きの為に工場に入って……それで、爆発が」
「出てきたのは、亮だけでした」
「確実に、忍くんもここにいた?」
「亮の読みでは」
広人は軽く頷いてから、質問を変える。
「爆破の正確な時間はわかるかな?」
「0時十四分三十秒」
直前に時計を見た麗花が、秒数まで正確に言ってのける。
「ありがとう」
にこ、と笑って、手帳にそれを書き留めた広人は振り返る。
「おーい、害者出てるか?」
「いえー、見つかってませんー!」
と、部下らしきのが顔を上げて答える。もう一人、その隣りにいたのが顔を上げる。
「人、入ってんですか?」
「いや、念入れは必要だろ?」
「そうですけど……」
部下らしき人物は、ヘルメットをかいてみせる。
「ここまで燃えきってると、見分けは難しいと思いますよ、さっき消防のもぼやいてましたから」
「ですね、炭化しきってますよ、こりゃ」
もう一人も首を軽く振る。
「でも……そうだなぁ、こりゃ、精密機械の部品かな?」
俊たちは、顔を見合わせる。
炭化しきってるとはいえ、なにか痕跡は残っているかもしれない。
「あの……」
俊が、思いきって口を開く。
「現場、入っちゃ駄目ですか?」
「いいよ、ちょっと待って」
広人は、先ほど声をかけた部下の一人を手招きする。
「はい」
「こちらはね、演習の為にこちらに来た軍隊の小隊の人たちだよ。捜索に協力してくれるそうだから、ヘルメットと手袋出してあげて」
「わかりました」
頷いて、道具が置いてある場所へと案内してくれる。
「驚いたでしょう?来たらこんなで」
「ええ」
驚いたのは夜中だが、間違いでは無いので頷く。広人の部下だからかどうか、彼もフレンドリーな性格のようだ。
「軍隊の方の協力があると助かります、最近は爆発物にも詳しい方が多いですし」
それなら、お手のモノだ。
「お役に立てるといいんですが」
控えめに、言っておく。
ヘルメットと手袋をして戻ってくると、広人は消防署員とと話している途中だ。四人は、現場へと足を踏み入れる。
広人達の声が聞こえてくる。
「こりゃ、センサーでも使わないと無理じゃないですか?」
「センサー?これだけ炭化しきってて、反応しますかね?」
「そうなんですけど……まぁ、ここまで炭化しきってるケースは珍しいですからね、こんなところに火の手があがるとは」
「油断は禁物ってことですね、いい教訓だ……周辺の廃工場も検査しておく必要がありますね」
「ええ、すぐに調査団を派遣するよう本部に連絡入れます」
「お願いします」
立ち去っていく消防署員を見送ってから、広人は必死の表情で現場検証に加わっている四人へと視線を移す。
おそらく、爆破の要因となった爆弾は発見出来るだろうが。
しばらく眺めているが、やがて、通信機の振動を感じて、それに目をやる。
軽く眉を上げた後、それを手にして、連絡をつける。
「高崎です―――ええ、来ていますが―――――」
もう一度、視線を四人へと戻す。
「無理だと思いますね、その手は素人ですから」
それから、もう二、三言言葉を交わすと、通信を切る。その顔には、いつもの人好きのする笑みは浮かんでいない。
「あいつが……」
微かな呟きは、空気へと溶けて消える。



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