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夏の夜のLabyrinth
〜12th  哀しい異邦人〜

■frothspit・8■



「その頃には、財閥の方はあの男の強引なやり方に嫌気が差している人間が多くなっていてね、ほどなくして財閥は俺の手に入った」
淡々とした口調で、健太郎は続ける。
「それから数年かけて総司令官の地位を手に入れ、まだ政治的に影響力を持っていたあの男を追いやった……だから、あの男は俺を恨んでいる」
そこまで言い終えた顔は、少し青白く見える。
俊たちは、なにも言えずに、健太郎を見つめる。
幼い頃、ずっと思っていた。
どうして健太郎は、あそこまで佳代に冷たいのだろうと。それが、許せなくさえあった。
だけど、健太郎にとっては。
多少でも想うことすら、考えもしない存在であったのだ。
最初から。
そして、多分。
やっとあの時の会話の意味がわかる。
六歳の夏に、健太郎が佳代に言った言葉。
「ゲームオーバーだよ」
扉の向こうに見た瞳が酷く冷たかった意味も、口元には勝利を確信した笑みが浮かんでいた意味も。
それから、あの時、最大の驚愕と共に聞いた亮の声。
「彼は、国外追放になります」
彼、とは間違いなく。
「あの時が……そうだったんだな」
やっと、俊が口を開く。
健太郎は、ただ痛みを含んだ笑みを返す。
「でも、政治的に追い落とすって、そう簡単じゃないんじゃ?」
麗花が首を傾げる。俊が素早く計算する。
「えと、十四年前って言ったら……」
「アスクレス事件」
すぐに答えたのはジョー。俊もジョーも、まだ社会事件に興味がある年ではない。もちろん、後から知った事件だが、政治汚職の最大事件としてリスティアで知らない者はいないというくらい大きなモノだった。
誰もがなにかあったとしても、絶対に手が出ないと思っていた大物政治家たちが何人も失脚し、天宮財閥に継ぐといわれていた一財閥が解散した。政治的にも経済的にもリスティアのみならず、『Aqua』を揺るがした事件。
「あれか、でも?」
俊が首を傾げる。
あまりにも政治臭が強いし、企業も関わりが強かったが天宮財閥の名は出ていなかったはずだ。
「そりゃ、確かにあの事件から、総司令官の政治的影響が強くなったけど……」
言いかかって、俊は口をつぐむ。
あの時すでに、健太郎は総司令官だった。事件の検挙に総司令官も大きく関わったはずだ。
「そう、あの事件だよ」
にこり、と健太郎が笑う。
「あの男の行動基準は、天宮財閥をいかに大きくしていくかにあったから……政治家たちと繋がりは強かったけれど、万が一の時に己の名前が出ることはないよう充分に根回しされてたしね」
だから、伸之介の名も天宮財閥の名も、あの事件に関わったとは残らなかった、ということらしい。
「実質的な影響力はなくなったということですか?」
「繋がっていた政治家は、皆、失脚したから」
「巻き込もうと思ったら、出来るんじゃ?」
どうせ自分は失脚するとヤケを起こす者がいても、おかしくはない。
「そこらへんは、政治家たちより上手だったんだろうな」
上手だったのが伸之介なのか、健太郎なのかは微妙な気もするけれど。
「だから、今回の事件は全部俺のせいというわけだ」
「そんなことない」
思わず、麗花の声が大きくなる。
「そんなこと、絶対ないです」
「私も、そう思います」
須于も、まっすぐに見詰めながら言うが、それ以上は言葉がみつからない。
健太郎は、ただ、笑みを浮かべる。
「さて、あちらは絶対的優位に立っていると思っているが?」
俊が首を横に振る。
「『第3遊撃隊』が動ける限り、それは絶対あり得ない」
「これで、茶道家元のお嬢さんが警告できた理由もわかったしな」
と、ジョー。須于も頷く。
「椿さんを生んだのが……麻子さんなんですね?」
「藍崎の家に、俺とのことを吹き込んで引き寄せたらしいね」
薄い笑みを浮かべたまま、健太郎が言う。
「まずは、そっからだ」
俊の言葉と共に、四人ともが立ち上がる。
「理由はなんであれ、忍と亮に手を出した礼はさせてもらうぜ」
「当然、思い知ってもらわなきゃ」
「じゃ、行くか?」
「もちろんよ、時間はないわ」
健太郎は、空になったカフェオレのカップをテーブルに置いてから言う。
「無茶はするなよ?」
「亮を、お願いします」
「ああ」
飛び出して行く四人を見送ってから。
健太郎は、仲文を見返る。
「やっと、居場所がみつかったようだね」
「ええ、みたいです」
仲文も笑い返す。が、すぐにその笑みはかき消える。
「で、俺たちは?」
「黙ってる気があるのかい?」
「まさか」
言ったなり、仲文もリズムよく立ち上がる。
「挑戦されてるのは、俺たちも一緒ですから」

いつもの裏口から外に出てきた四人は、顔を見合わせる。
「さてと、茶道家元令嬢にどうやって近付く?」
このまま押し掛ける訳にはいかない。圧倒的優位だと確信はしているだろうが、まだ茶道家元周辺に相手方の見張りがいないとは限らない。
「お茶を習いたいって言うのは?」
と麗花。
なるほど、完璧な正攻法だ。だけど。
「上手くいっても家元自身って可能性高いんじゃないかしら?」
須于の言う通りだ。令嬢自身が教えているというのなら、ともかく。
「そか、家に入り込むだけじゃ、ダメだもんねぇ」
首を傾げてしまう。
黙りこくって何か考えていた俊が、不意に手を叩く。
「わかった!」
「なにが?」
「藍崎椿に会う方法だよ、つり銭だ!」
三人には、まったく話が見えてこない。怪訝そうな顔つきで一人興奮気味の俊を見つめる。
「なに?ちゃんと説明してよ」
「だから俺んち花屋でさ、一昨日買い物に来たんだよ、彼女が」
俊は、もどかしげに早口に言ってのける。
俊の家が花屋であることには、驚かない。茶道家元の令嬢である藍崎椿が花屋に行くということにも。
だが、来たということを知るには店頭に立っていなくてはなるまい。
麗花と須于に、俊が花束を作ってるところが想像つかなくても仕方あるまい。ジョーにいたっては、花屋というもの自体が想像を絶する物体のようだが。
黙りこくってしまった三人になにを思ったのか、俊が付け加える。
「いまは、似合うか似合わないかは取り沙汰してないだろ」
俊の台詞に、三人共が『その問いの答えなら、間違いなく似合わない』と心で応える。
ひとまず、気を取り直した須于が確認する。
「じゃ、俊が花屋でのお釣りが変だったって近付く訳ね?」
「本人に確認してもらいたいって言えば、間違いなく会えるよね」
「少なくとも、それしか思いつかないことは確かだ」
ジョーも、煙草の火をもみ消しながら言う。
「いまんとこ、手がかりもそこしかないしな」
四人は、誰からともなく頷きあう。

来意を告げた俊は、奥の間へと通される。
たかがつり銭にしては、大仰な扱いだ。俊はポケットに入れている得物を確認する。万が一の為にはめている時計は通信機にもなるモノだ。
案内をしてくれた者がいなくなり、しばらくして少々固い表情を浮かべた椿が姿を現す。
今日も抑えた色の小袖で、す、と座る姿は慣れている。
「ご用件は、なんでしょうか?」
口調も、固い。
やはり、と思う。こちらの用がつり銭ではないと気付いている。その目的がわからぬから、お茶も出さないし、他人の気配もしないのだろう。
気付いているのならば、話は早い。
「昨日、料亭で総司令官子息が狙われている、と警告したそうですね?」
びくり、と肩が震える。
なにか普通ではない用件とは思っていたようだが、その件だとは察しがついていなかったようだ。
が、すぐに立て直したようだ。
「なんのお話でしょうか?」
椿にとっては、警告が精一杯だったかもしれない。
かといって、こちらにも時間がない。こうしている間にも、なんらかの動きをしているはずだ。
単刀直入に、言うしかあるまい。
警告してくれたということは、少なくとも椿には害意がないと信じるよりほか、ない。
「昨日、あなたの声をかけたのは俺の友人です……あの後、誘拐されて行方不明です」
椿の目が、大きく見開かれる。
「あの方が……誘拐されたのですか?」
俊は、視線を反らさず頷く。
「まさか……」
彼女がなにを思ったのかは、わかる。
「いや、彼は亮の知り合いだったから」
ただ、椿は首を横に振る。瞼を固く閉じ、しばらくひとつ、大きく呼吸をする。
それから、ゆっくりとその瞳を、こちらへと向ける。
さきほどまでの警戒はない。代わりに、なにかを決意した強い光がある。
「お話いたします、最初からこのお話は罠でした」
「このお話、というのはお見合いのこと、ですね?」
「はい、父から言い出した話です……委細は私にはわからないのですが、断片的に父が誰かと電話している声を聞いてしまい、よくないことを考えていることがわかったのです」
「わかっていて、あなたは話を受けたんですか?」
言われた椿は、少し俯く。
「申し訳ありません……でも、この機会を逃したら、実際にお会いできないと思ったのです」
「お会いできない?」
「天宮総帥に……」
相変わらず俯いたまま、椿は、少しためらいがちに言う。それを聞いた俊は、少し眼を見開いた。
「じゃあ、あの……?」
その言葉で、椿も俊が知っている、とわかったのだろう。頷いてから口を開く。
「母が、たった一人想って、待っていた方はどのような方なのかと、そう思って」
堰を切ったように、言葉が溢れ出す。
「この家の者は、母のことをよくは言いませんけれど……ずっと母についていて、そして私の乳母をしてくれていた者から母のことは聞いておりました……それに、たったヒトツ、私、母のことを覚えております」
「覚えて?」
思わず、オウム返しにしてしまう。健太郎の話だと、麻子は椿を生んですぐくらいに亡くなったはずだ。
「ええ、誰もそんな頃のことを憶えているわけがないと言いますけど……でも、あれは絶対に母の声でした」
椿は、目線を反らさない。が、かすかにその瞳が揺れる。
「あなたは幸せになって、と」
俊は、しばし椿を見つめる。生まれたての赤ん坊が、母の声を憶えていることなどあるはずないと思う。でも、ずっとずっと、そう呼びかけていたのなら。
愛せないと泣きながら、反面でずっと祈りつづけていたのなら。
麻子は、幸せになりたかったはずだ。
たった一人、想った人と。
叶わぬ願いを、託したのかもしれない。
「……信じます、俺も」
「ありがとうございます」
椿は、揺れた瞳のまま、微笑む。
それから、すまなそうに俯く。
「ですが……私、ほとんどお役に立てません……父が連絡をとっていたのが、女の方ということくらいしか」
「女?こちらに連絡をつけていたのは、女だったんですね?」
「はい、一度だけ、取り次いだことがありますから」
「で、お見合いの後、連絡は?」
椿は、首を横に振ってみせる。
「一度も、ありません」
「わかりました、ありがとうございます」
頭を下げて、立ち上がる。
おそらく、藍崎の家は健太郎たちを誘い出す為に利用されただけだ。家元を締め上げても情報は得られまい。
門まで見送りに出た椿は、深々と頭を下げる。
「話してくださって、ありがとうございました」
俊も、礼を言う。
母が命を賭けて想った人に会いたい、と願った椿を責める気になれなかったのだ。
「私も、あなたとお話できて嬉しかったです……ありがとうございました」
「じゃあ」
俊は、背を向ける。
椿は、もう一度深々と頭を下げる。

少し行った先に、ジョー達が待っている。
「どうだった?」
麗花が真っ先に尋ねる。俊は、肩をすくめてみせる。
「藍崎の家に連絡をしてきてたのは、女だったってことくらいだな」
「付近に、見張りはいないみたいよ」
俊が椿に会っている間に調べたのだろう、須于が言う。
「ああ、見合い以来、連絡ないみたいだ」
「ということは、藍崎は誘い出す為だけに利用された、ということか」
ジョーの見解は、俊と同じだ。
「ああ、俺もそう思う」
「ひとまず、連絡してきてたのは女でお見合い以来接触がないっていうのは、健さんたちにも報告しといた方がいいよね?」
と、麗花。
「ああ、なにか心当たりがあるかもしれない」
ジョーが頷く。
今回の件は、過去の事件に関わっている人間が関与している可能性が高い。いまさら、総司令官に逆らう気になる人間は、そう簡単にはみつかるまい。
そこまで考えて、俊ははっとする。
過去の事件に関わり、事情に詳しい者。
そして、女。
「まさか……」
思わず、呟く。
でも、全部説明がつく。事情に詳しいのも、あの朝の奇妙な行動も。
だとすれば、止めなくては。
あの時の、二の舞を踏ませないためにも。
「俊、どうしたの?」
顔を上げた俊は、片手で拝んでみせる。
「悪いんだけど、総司令官に連絡するの、少しだけ待ってもらえないか」
「どういうことだ?」
「もう一箇所、聞き込みたいんだ」
「……わかった」
ジョーが、頷いてくれる。麗花と須于も、不思議そうな表情のまま、頷く。
亮が、どうして犯人を知っていながら口にしなかったのか、正確な意味がやっとわかった。
健太郎の過去を語らなければならないから、だけではない。
最初から知っていたのだ。誰が関わっているのかを。
それを知らせない為に、口をつぐんだ。
多分、俊だけではなくて。
いまから行こうとしている先に、いる人を傷つけない為に。



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