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夏の夜のLabyrinth
〜13th  卒業〜

■florid・3■



二手に分かれた『第3遊撃隊』のうち、こちらは国立病院組、忍、亮、須于の三人だ。
薄いクリームで、やわらかな印象の色調になっている廊下を歩きながら須于が言う。
「じゃ、私は夫人の方を見てくるわね」
須于は、看護婦の姿だ。
まだ犯人がわからないから、病院内で狙われるという可能性を排除するわけにはいかない。看護資格は持っているから、いざとなれば護衛と看護の両方に対応可能というわけ。しかも、周囲に怪しまれない。
忍が頷き返す。
「ああ、気を付けろよ」
「頼みます」
須于と忍は、軽く手を振り合う。手を振る代わりに、軽く頭を下げた亮も白衣姿だ。
細縁の眼鏡にカルテを手にした様子は、医者そのもの。忍と二人、向かう先は治療拒否を続けている吉祥寺梓の病室だ。
慣れた様子で、亮は髪をまとめて後ろへとほおる。
「天宮先生は、こんな困った患者さんは担当したことあるわけ?」
忍がほおられた髪を受けとめながら尋ねる。
医師資格のある亮のこと、仲文のサポートで患者を担当したことはあるはずだ。
「治療拒否は、経験ないですね」
素直な返事が返る。
「ほほう」
髪を離して、にこり、と笑う。
「案外、適任かもな」
「僕が担当するのが、ですか?」
「うん」
一瞬表情が消えかかった亮は、すぐに、にこり、と微笑む。
「僕は僕流にやってみますよ」
「ってことは、軍師流ってことかな」
忍はおどけて問い返したのだが、亮の笑みはそれを聞いて大きくなる。
「なかなか、いい勘をしていますね」
「……?」
思わず、忍は首を傾げて立ち止まってしまう。亮は、笑みを浮かべたまま、すたすたと病室へと向かう。
「な、ホントに軍師で行くわけ?」
追いかけながら、もう一度忍が尋ねるが、返ってきたのは不可思議な笑みだけだ。

ノックの音にも、病室の中の少女は返事を返さない。
少ししてから、もう一度、ノックの音。
さらにしばしの沈黙の後、引き戸が開けられる音がする。誰かが、入って来る気配がする。
ベッドの上の少女は、少し身を固くする。
この気配は、知らない人だ。
身内でも、いままで来た医者とも看護婦とも違う。
どうやら、目が見えなくなってから、気配にはかなり敏感になっているらしい。
扉のところに立ったまま動かない、というのも不可思議だ。
見舞いに来たにしろ、投薬にしろ検査にしろ、すぐに自分の側に来るのが自然のはずなのだから。
しかも、戸口付近に立った気配は、ともすれば空気の中に溶け込むかのように消えかかる。
それでも、梓は相手が動くのを待つ。
相手も、ほんの微かな気配を漂わせたまま、まったく動く様子はない。
しびれを切らせたのは、梓の方だった。
「……誰?」
小さくて、聞き取れるか取れないかわからないほどの声だ。少し、得体の知れない者への怯えも含まれていたかもしれない。
相手は、返事も返さなければ、気配の薄さも変わらない。
梓は、声を少し大きくする。
「そこにいるのは、誰?」
「………?」
「え?」
不思議な風が、耳元をよぎった。そんな気がして、梓は気配の方へと顔を向ける。
「何か、言ったの?」
「誰だと、思いますか?」
相手の声が、風の正体だ。
風のように、やさしく、そしてかすめていってしまうかのような、不思議な響き。
梓は、首を横に振る。
「……わからないわ、初めて、ここに来る人だっていうこと以外は」
「よく、ご存知じゃないですか」
はじめて、相手の動く気配がする。
そして、ごく身近に相手の気配を感じる。相手が、自分を覗き込んでいるのがわかる。
「初めまして、梓さん」
近くで聞いても、風のような不思議な印象は変わらない。目前にいるはずなのに、ともすれば溶けるように消えてしまいそうな。
この不思議な存在は、いったいなんなのだろう?
誰、という質問には答えてもらえなかった。それなら、質問を変えなくてはなるまい。
「どこから来たの?」
「どこだと思いますか?」
「名前は、教えてくれないの?」
「なんていうと思います?」
返ってくる返事は、まるで答えになっていない。他の相手なら、馬鹿にしてると思うけれど。
不思議と腹が立たないのは、言い聞かせようとすることも、おだてようとする様子もないからだろうか?
「あなた、不思議な人ね」
少し、心臓がどきどきしている。わくわくしている、という方がいい。
プレゼントを開ける前のような、そんな気分。
すぐに正体が知れて、がっかりするのがもったいないような。
なので、遠まわしな質問をしてみる。
「あなたは、なんの為にここに来たの?」
「何の為だと思いますか?」
「全然、まともに答えてくれないのね」
気になっていないが、いちおうは抗議してみる。が、相手はまったく動じた様子もない。
「そうですね」
目前にいるはずの気配が、すっと消えかかる。
「?!」
慌てて手を伸ばした先に、紐のようなモノが触れる。
「……?」
少しの間触ってみて、はっとする。
「髪の毛ね?……ずいぶん、長いのね」
梓の声が、少し弾む。相手を捕まえたという安心感と、それから、すこし様子がわかったことの喜びで。
「女の人なのかしら?」
「どちらでしょう?」
「どちらなの?」
「どちらだと、思いますか?」
相変わらず、まったく答えになっていない返事しか返ってこない。梓は、少しの間首を傾げていたが、やがて横に振る。
「わからないわ」
相手が動いていないのを察して、さらに手を伸ばしてみる。自分から情報を得るしか、相手の正体を知る術がないようなので。
伸ばした指先が、なにかの襟に触れる。
キレイに、アイロンされたスーツのような襟。が、この感触はスーツではない。
「お医者様なのね?」
断定する口調に、また、問いが返される。
「なぜ?」
「だって……これ、白衣の襟よ」
梓は、手を引っ込める。そして、相手の顔があるであろう方向へと自分の顔を向ける。
「でも、不思議なお医者様ね?」
「そうですか?」
「だって、検診も注射も点滴も、それから手術のお話もないじゃない」
そこまで言ってから、思い当たったように付け加える。
「それとも、これからするの?」
「いえ、しませんよ」
ごくあっさりと、相手は言ってのける。
なんと返していいかわからずに、梓は黙り込む。
沈黙が、訪れる。
先に口を開いたのは、今度は相手の方だ。
「梓さん」
「はい?」
「事故に遭う前に、見ていた景色を思い出せますか?」
予想だにしなかった問いに、梓は戸惑う。
窓の外を、眺めていた。それは憶えている。なのに、なにが目に映っていたのか、そう言われるとわからない。
「……思い出せない」
「では、いつも学校へ行く時に、歩いて十分のところにあるものは知っていますか?」
また、戸惑う質問だ。
「……多分、家、だと思うけれど……」
その答え自体に、自信がない。なのに、質問は重ねられる。
「その家の、屋根は何色でしょうか?」
「わからないわ」
困惑したまま、首を横に振る。
「ほら、ね、『見えている』だけで、『見ている』わけではないんですよ」
相手の気配が、ごく側まで寄る。
「それなら、目が見えても見えなくても一緒でしょう?」
驚いて、思わず見えないはずの目でまじまじと相手の方を見つめてしまう。
「……本当に、変わっているわ……ほかのお医者様も、看護婦さんも、刑事さんたちも……お父様も、皆、友達の顔もきれいな花も、見えなくなってしまうんだよっていうのよ」
「友達の顔も花も、見ていないのなら、同じですし……いままで見ているのなら、思い出すことができますよ」
梓の声に、別の調子が加わる。
どこか悲痛で、必死のなにかが。
「私も、私もそう思ったの、触ったりすればいいんだって……だから、手術なんていらないって思ったの、それに……」
語尾が立ち消えるように、弱くなる。
「それに?」
相手は、まったく先ほどまでの語調を変えることなく、先を促す。
梓は、俯く。
「私……『卒業』したいの」



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