[ Back | Index | Next ]


夏の夜のLabyrinth
〜13th  卒業〜

■florid・5■



居間に再集合したものの、俊たちの顔には戸惑いが浮かんでいる。
「なんで、梓ちゃんがオイル入れ替えるわけ?」
麗花が、みなの疑問を口にする。
ロイヤルミルクティーが湯気を上げるカップを乗せたトレーを持ってきた亮が、静かに答える。
「梓さんは『卒業』したいそうですよ」
「『卒業』?」
俊がカップを受け取りながら、怪訝そうに問い返す。ジョーも、須于も、麗花も、煙に巻かれたような顔つきだ。
「国語辞典によるとね、『卒業』ってのは『規定の課業を修め終えること』、『ある過程を終えること』だってさ」
辞書を開きながら忍が読み上げる。
亮の顔に、苦い笑みが浮かぶ。
「『卒業』の『卒』の字は、『死』にも通じます」
ぞくり、としたものを感じたのは、他の五人とも、だ。
「ちょっと待ってよ、それって?」
「梓ちゃんのしたい『卒業』は、『自分の人生』からだってことか?」
まだ十二歳だ。
そこまで思い詰めるのは、よほどということになる。
「そうだとしてもよ?」
須于が、納得できかねる顔つきで言う。
「こんな方法、お母さんと運転手さんまで巻き込んでしまうわ」
亮の顔には、相変わらず苦い笑みが浮かんだまま、だ。
「亮、わかってるんだろ?」
嫌な考えにならざるを得ない予測を、延々としているのは嬉しくはない。俊が答えを促す。
「……誰を狙った事故だったのでしょうね?」
が、亮は謎かけのような言葉を口にする。
「お母さんを、『巻き込み』たかった」
忍が、答えを見つける。
「自分も、もちろん」
「でも、どうして……?」
須于が、少し血の気の引いた顔で問う。
「異性関係だろうなぁ、吉祥寺グループ総裁夫人って、美人で有名じゃん」
麗花は、ひょい、と肩をすくめる。眉を寄せたのは俊。
「んじゃ、あれか?表向きは家庭的と有名な総裁夫人の裏の顔は?ってヤツ?」
週刊誌の見出しになりそうだが、須于が首を強めに横に振る。
「それは絶対ないわ、お互い、想い合ってるとしか思えなかったもの」
「側で見てたもんな」
病院でのコメントを聞いている忍は、すぐに納得したようだ。亮も頷く。
「あるとすれば、過去形の出来事でしょうね」
「そうなると、十二年前くらいね?」
「だろうな、梓ちゃん自身も巻き込もうっていうんだから」
ようするに、梓の出生になにか謎が含まれている、ということだ。もっと端的に言ってしまえば、母親と他の男との間の子供かもしれない、ということ。
「そんな長いこと暖めてるとも思えないし、知ったのは最近?」
「だろうな、衝動的な感じするし」
「ツメ甘いもんね」
なんとなく、視線が集まって、それから亮へと移る。
「下世話だとは思うけど……」
「調べるしかないでしょうね」
亮はあっさりと立ち上がると、総司令室へと向かう。多くの情報を扱うなら、総司令室のホストがイチバン処理が早い。
五人も、慌ててついていく。

目の回るような画面の切り替わりが終了して、それをぐるっと見渡して。
「ないじゃん」
と、俊。麗花も納得いかなそうに言う。
「週刊誌も、戸籍も血液型も問題ないじゃん」
「口コミなんだろう」
ぼそり、とジョーが言う。
「それって、なんの証拠もないってことよね?」
須于が首を傾げるが、忍は納得したようだ。
「だからこそ、不安になったんじゃないかな」
「そうかもしれません、決定打があるとしたら、父親は事実を知っていて梓さんごと受け入れた、ということになりますから」
「そっか、逆にいまは、完璧に修復されてるってことになるな」
俊も麗花も、納得できたようだ。
「わからないってことは、お父さんが騙されてるかもしれないわけだもんね」
多分、梓は両親のことが好きなのだ。だからこそ、父親が騙されているかもしれないことにも、母親が騙しているかもしれないことにも、耐えられなかったのだろう。
誰が告げたのかはわからないが、少なくとも梓には信憑性の高い話だった。
苦しんだ結果が、ああいうことになったわけだ。
「でも、それってさ、すごい悪意のある告げ口ってことにならない?」
「もちろん、梓さんが許せなくなっていったのは母親やイレギュラーな存在である自分だけではないでしょうね」
亮は、無表情のまま続ける。
「幸せを踏みにじるような真似をした者も、許すつもりはなかったはずです」
「あ!」
思わず須于が声を上げる。
「運転手ね?」
「予測の範囲を出ていませんが」
無駄のない計画だったわけだ。必要ないと判断した人間を、まとめて消す手段を思いついたのだから、賢いと言った方がいいかもしれない。
「運転手の方は、まだしばらくは病院に拘束されたままだろうし、問題ないだろうけど」
忍が、言いながら亮を見る。亮は、無表情なまま頷いてみせる。
本当に悪意ある告げ口をしたのが運転手だとわかれば、いくらでも手の回しようはある。それこそ、亮か健太郎がその気になれば、手の平を返すよりも簡単なはずだ。
麗花が、眉を寄せる。
「ひとまずは、梓ちゃんだよね」
「眼が見えないまんまって、やっぱな」
俊の言葉に、ジョーが肩をすくめる。
「眼が見えなくてもいいというのが、自分の意思だということが問題だろう」
「だな、捨ててるの眼だけじゃないし」
忍も真顔に戻って言う。須于が頷く。
「必要なのは、そんな考えから『卒業』してもらうことってことね」



夜もずいぶん更けているのに、亮が寝る気配がない。
今回の件に関しては、そう情報処理をしなくてはいけない状況ではないのは、わかっている。
忍は、亮の部屋へと通じている内ドアを開く。
開け放った窓に寄りかかっていた亮が、こちらを見る。
「今日のは、感心したよ」
にこり、と笑う。
亮は、なんのことを言っているのか、というように微かに首を傾げる。
「梓ちゃんに会った時さ、自分の気配をコントロールして、気を引いただろ」
それを聞いた亮は、くすり、と笑う。
「忍だって、完全に気配を消していたじゃないですか」
病室の前で延々と立っていたら、ヘンな人だ。亮に続いて病室には、入っている。
が、それに梓は気付いていない。忍が、気配を消し去っていたからだ。
「気配を消すか出すかの単純作業なら、そう難しくないよ」
肩をすくめてから、忍も窓枠に寄りかかって外へと視線を向ける。まだ、夜の空気は冷たい。
ぽつり、と口を開く。
「あれ、本気で言ってただろ」
『見ていない』のならば見えなくても一緒だ、と亮が口にしたことだ。
亮の口元に、苦笑が浮かぶ。
「……そういう選択肢を彼女が望んでいるのなら、と思わないわけではないですが」
忍は、視線だけで続きを促す。
「選択する時は、狡さもあっていいということも、知っておいて損はないでしょう」
「どういう意味だ?」
「まだ考え始めてから一年も経っていないのでしょうから、その選択を考えることを止めようと思う出来事が起こるかもしれない、という可能性を考慮せずに、選択すれば後悔するかもしれません」
言葉を切った亮は、さらり、と付け加える。
「最後の選択は、いつでも出来ますから」
「……まぁな」
梓が、目が見えなくてもいい、と言った真の意は、まだ生から『卒業』することを諦めたわけではないという意思表示に他ならない。
治療拒否は、生きることを拒否しているということだ。
「そう言ったのは、仲文だったんですけどね」
恐らく、言われたのは亮自身だ。
過去のどの時点かはわからないけれど。亮は、最後の選択を望んだことがある。
止める為に仲文が言った台詞だったのだ。
最後の選択は、いつでも出来る。だから、今は選ぶな、と。
亮は、薄い笑みを浮かべる。
「仲文が正しかったことは、わかりましたから」
「最後の選択はいつでも出来ることが?」
最後の選択、の真の意味がわかる忍は、少し渋い表情になる。
亮は、忍の表情に気付いているのかいないのか、変わらぬ口調で言う。
「その選択肢について、考えることをやめようと思う出来事が起こること、ですよ」
窓の外を向いていた忍は、亮へと顔を戻す。
相変わらず窓の外を向いたままの亮の顔には、微かな笑みがある。
微かな驚きよりも、痛みを知っている笑みよりも、滅多に見ることの出来ない、くすぐったそうな笑み。
「それって……」
忍が尋ねかかると、亮は自分の顔にどんな表情が浮かびかかっているのか気付いたのか、ふいと向こうを向いてしまう。
「………」
忍も、視線を窓の外へと戻す。
自分の口元にも、笑みが浮かんでいるのがわかる。
「なぁ、亮?」
「はい?」
亮が、こちらを向く。もう、いつも通りの落ちついた表情になっているのが、視界の端でわかる。
「信じてるからな、なにがあったとしても」
瞳が、かすかに見開かれる。
完全に、不意打ちだったようだ。
なにか言おうとした口元が、ぱくぱくと金魚のように動いただけで閉じてしまう。
この間は、亮から言い出したことだったから心の準備が出来ていたようだが、この手のことは本当に言われなれていないらしい。
亮は、窓の外に視線をやってから、窓枠にかけたままの腕に突っ伏してしまう。
やがて、小さな声が返ってくる。
「……はい」
そのままの姿勢で、しばらくいたが。
ぽつり、と返ってくる。
「忍は、大丈夫ですか?」
「え?」
亮は、相変わらず自分の腕の中に突っ伏したままだ。そのせいで、声が少しくぐもっている。
「忍も、なにも言わないでしょう?人のことを気にかけているばかりで」
「……言う前に、亮がフォローしてくれてるから」
それから、また笑顔になる。
「俺も、と言うってことは自覚はあるんだ?なにも言わないっていう」
「え?いえ……忍がそういうなら、そうなのかなと思うだけで」
顔を上げた亮は、微かな笑みを浮かべる。
「まったく、損な性分してるよな」
「どちらがですか?」
こんどは、はっきりとした笑みを浮かべる。その表情は、いつもと変わらないけれど。
痛みも、哀しいもなくて。
どこか、優しい。
「ったく、やっぱ亮には敵わないな」
忍は、思わず頭に手をやる。
それから、どちらからともなく笑い出す。



[ Back | Index | Next ]


□ 月光楽園 月亮 □ Copyright Yueliang All Right Reserved. □