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夏の夜のLabyrinth
〜14th 皇子の現実 公主の事情〜

■Windhose・6■


らいんだよ


しまった、とは思うが、もう遅い。
ルシュテット皇后の、余裕の笑みの意味はわかっている。彼女は、手出しをされぬとわかっているのだ。
この部屋にいる者は、自分の意のままであることを。
彼女が俊たちにかけたのは、動きを封じるだけの簡単なものだ。だが、瞬きさえ許されぬのだから、目が離せない。
この後、彼女がさらに深い催眠術を用いたとしても、それを避ける手だてがない。
楽しそうに、彼女は笑う。
「さて、まずは何から教えてもらおうかしら?」
いちばん近い俊の顔を覗き込む。
「お顔を見せていただこうかしら?」
目前でうろうろされているので、俊にはまったく、室内の様子が伺えない。
腹立たしいというよりは、戸惑いの方が大きい。
亮からは、なんの警告も受けていない。いままで、読み違えたことなど無かったのに。
ここで相手の意のままになっては、元も子もない。
心で舌打ちする。
どんなにがんばっても、ぴくりとも自分が動かない。ほんの、指先でさえも。
「それとも、このまま近衛兵に捕らえてもらうのが、楽でいいかしらね?」
皇后の笑みが、大きくなった、と思った瞬間。
「砕破」
声と同時に、手を打ち合わせる音が響く。
びくり、と皇后が振り返ったのはわかるが、何がどうなっているのかはわからない。相変わらず、彼女の体で俊の視界は閉ざされたままだからだ。
その結い上げてある髪、邪魔なんだよと思うが、声には出来ない。
「失礼をお許し下さい」
別の声が加わる。男の声だ。
と、皇后の体が、ぐらり、と揺れる。
そして、やっと最初の声の主の姿が見える。雪華だ。
氷のように冷たいまっすぐな視線でこちらを見据えながら、口を開く。
「砕破」
手を打ち合わせる。
ほ、と息が出る。
催眠術が解けたらしい。
「あ、動いた、ありがとう」
「いえ」
にこり、と雪華は笑う。
「亮って、けっこう、際どいの得意だよね」
振り返ると、麗花が苦笑している。両手を軽く振っているのは、問題なく動けると確認中らしい。
「へ?」
「みすみす、相手の手の内に落ちるようなこと、亮がさせるわけないからな」
と、ジョー。
俊も、どういうことなのか理解する。
わざと俊たちを皇后の手の内に落とすことで、催眠術を解く為の時間を作り出したのだ。
命と名誉をかけた『約』を破る可能性がなんであるのか、亮は察していた。ルシュテット皇后が催眠術を操ることを最初から知っていて、なにも言わなかったわけだ。
「人が悪いぜ」
思わず、ぼやく。須于が首を傾げる。
「でも……催眠術解く為だけに雪華さんを呼んだの?」
それを聞いた雪華の笑みが大きくなる。
が、口を開く前に、皇后と同じ薄めの金髪にアイスブルーの瞳の青年が姿を現す。先ほど、皇后の自由を奪った男が彼なのだろう。
隣室への扉の鍵を閉めてから、手ぶりで少し待ってくれと告げ、廊下へと顔を出す。
慌しい様子の部下へと指示を出してから、フランツへと視線を向ける。
心底、ほっとした顔つきで言う。
「フランツ、無事でよかった」
「私は大丈夫だ、リスティア総司令部の方々が帰国に尽力して下さったから……カールの方こそ、無事でよかった」
フランツが名を呼んだことで、同じ年の皇子なのだとわかる。彼は、俊たちに向かって深々と頭を下げる。
「ありがとうございます、なんとお礼を言って良いのか」
率直な態度は、どうやらルシュテット皇家の気質であるらしい。
視線をフランツへと戻したカールは、すこし眉を寄せながら首を振る。
「油断したよ、母上の護身が催眠術だったとは……」
少しの間、躊躇うように唇を噛み締めていたが、意を決したように口を開く。
「『約』を破ってしまったことへの償いは、少しだけ待ってくれないか?」
「カール……」
「母上と叔父上は国民を動揺させるのに充分な発表をしている。その混乱を収める手伝いはさせてくれ」
「カール」
フランツの語調が、有無を言わさないものへと変わる。
「今回の『約』のこと、カールの意思で破ったのではないことは、私が一番よく知っているよ、償いなんて必要ない……それよりも、新しい『約』を結んではくれないか?」
「新しい『約』?」
「そう、私が国を治めるのを、支え続けてくれると」
にこり、と笑む。
一瞬、目を見開いたカールだが、すぐに真面目な視線となる。
「この命に代えても」
それから、笑みを浮かべる。
「ありがとう」
この二人ならば、きっと、本当に互いの立場を侵すことなく国を治めていくだろう。
誰からともなく顔を見合わせて、笑みを交わす。
が、このままほっておくと、ほのぼの路線のままでいそうなので、麗花が口を挟む。
「ルシュテットの未来が安泰になったところで、ひとまず目前のゴタゴタを片付けないとね」
その声に、誰よりも早く反応したのは、意外なことにカールだ。
少々、驚きで目が大きくなっている。
「もしや、プリンツェッスィン麗花では?」
「我請救」
思わず麗花が呟く。
フランツが慌てて口を開く。
「あ、いや、その……その通りではあるがそうじゃなくて……」
妙に戸惑い気味のフランツの様子に、カールはなにやら事情があるようだとは察したらしい。
首を傾げてみせる。
なぜか、フランツは首を何度か横に振ってみせる。
「おやおや」
カールは、大袈裟に肩をすくめる。
「???」
話が見えないのは、俊たちだ。
「あの……?」
フランツが、先に反応する。
「皇后陛下は、私が行方不明だと発表したのだな?」
「あ、ああ……偽者がリスティアに出現しているらしいとも」
いきなりの話題転換に、カールは戸惑いつつも答える。
「じゃ、ここに戻ってきたのも偽者かもと疑われないか?」
「証明と釈明が必要だ」
俊の疑問に、ジョーがあっさりと答える。
「証明は簡単でしょ、ホーエンツォレルン家の印があるもの」
「印?」
「そ、ホーエンツォレルン皇王直系の者には、生まれてすぐに肩に焼印が入るから」
と、麗花。
「それを持ち出さずとも、私が『約』せば問題ないことです」
カールが、にこり、と笑みを浮かべる。国民に『約』すことで保証するわけだ。
「なるほどな、今更、行方不明になっていなかったですってわけにはいかんから、あとはその理由か」
「そのことに関して意見させていただくことをお許しいただけるなら、率直が肝要と申し上げます」
新たに加わった声に、誰もが振り返る。
「亮!」
隣りには、龍牙剣を抜き払った忍。
「露払いしてくれてあったお蔭で、早かったよ」
にこり、と笑って剣を鞘におさめる。
「大名様か、お前は」
「母の国を自らの足で歩いてみたかった、と言うの?」
俊のツッコミは無視して、須于が尋ねる。
確かに理解は得られるかもしれないが、少々自分勝手ともいえる。信頼が薄らぎはしないだろうか?
「建て前は、この際、置いておくことにしてってことだろ?」
忍が、笑顔のまま亮を見やる。亮も、にこり、と笑う。
「ええ、その通りです」
話が見えずに、俊たちの顔には奇妙な表情が浮かぶ。
それには構わず、亮はフランツへと視線を向ける。
「行った先はアファルイオ離宮ということにすれば、コトはすんなりと収まるでしょう、ましてや、病を押して理解を求めるためにアファルイオ公主が姿を現したとなれば」
「や、しかし……」
フランツの顔には、困惑が浮かぶ。
「国民の動揺は、収めなくてはなりますまい」
雪華も口を挟む。
「その為の準備は、出来ております」
「アファルイオ公主って、麗花のことだよな?」
「そうです」
亮の肯定で、俊たちは思い出す。
そういえば、麗花は公式発表では連続して家族を失ったショック大きく、長期療養が必要な病にふせっていることになっているのだ。
当人からは想像の出来ない華奢なイメージで通っているのである。
にしても、相変わらず話が見えない。
「あのさ、どうしてアファルイオ離宮に行ってたってので、国民が納得するわけ?」
「『約』の履行に関しては、ルシュテット国民は寛容なんだろうな」
と、忍。
「あ、なるほど」
ジョーと須于にも、話が見えたらしい。
「フランツは麗花との『約』の確認のために、公に発表する前にアファルイオを訪れたことにするのね?」
「命と名誉がかかる『約』のこと、それなら国民も納得するわけか」
「そういうことです」
ジョーに頷きかけた亮に、俊がさらに問う。
「それって、『約』を偽造するってことにならんのか?」
「なりませんよ」
にこり、と亮は笑みを見せる。
「ですよね?」
「たとえ幾つの時であろうが、ルシュテットの者にとって『約』は絶対です」
カールが、その胸に手を置く。
雪華が俊たちへと向き直る。
「麗花が病との報に、ルシュテット皇王フリードリヒ陛下が痛くお心を痛められましたので、極秘で真実をお伝えしてあります」
「先代祭主公主殿の件は、察しをつけておりましたので……」
フランツが付け加える。それだけ、ルシュテット皇家とアファルイオ王室の繋がりが親密ということなのだろう。
「フランツは麗花がアルシナドにいるって知っていた」
道理で、すぐに麗花を見てわかったわけだ。
「それでカラコンしててもわかったのね」
須于が、思わず口にする。いまだに戸惑い気味に、俊が尋ねる。
「んじゃ、リスティアには麗花を探しに来た……?」
「もちろん、公式に連絡を要請することは可能であることは重々わかっていましたが、コトが明らかになってからも身を潜めているのにはワケがあるのだろうと思い、このような方法を取ったのです」
困惑顔で、フランツが説明する。
「……公になる前に、プリンツェッスィン麗花に確認を……と、思ったのですが」
行った場所が異なるだけで、実際にフランツがしようとしていたことには変わりない、ということ。
彼は実際、幼い頃交わした『約』のことで麗花を探していたのだ。
『約』の内容は、聞かなくても察しがつく。
麗花が、降参のポーズをしてみせる。
「少なくとも、ルシュテットが混乱におちいったままでいることは歓迎すべきことではないし、混乱を収めるのに協力するのもやぶさかではないわ」
「プリンツェッスィン」
「着替えるのに十分ちょうだい、その後で話しましょう」
カールが呼び鈴を鳴らす。
姿を現した侍女に、指示を出す。
「麗花公主がお見えだ、客間にお通ししろ」
す、と頭を下げた侍女について、麗花と雪華が姿を消す。扉が閉まる前に、麗花は軽く手を振ってみせる。
浮かんでいたのは、いつもの笑顔だ。
「フランツも、着替えないとな」
「ああ、この方達にも部屋と着替えを用意してくれ」
「着替え?……ああ」
カールにも、忍達の格好がなにを連想させるか、容易にわかったようだ。
「それから、臨時近衛隊長を兼ねて欲しい」
「わかった」
フランツは忍達へと向き直る。
「ことは急ぎますので、少々失礼いたします」
「構いませんよ」
「このお礼は、必ず」
きちりと礼をして見せた後、慌しくフランツも姿を消す。先ほど指示を出した時に、皇太子が無事戻ったとカールが告げたのだろう、侍従が寄って来て、普通に対応しているのが閉まる扉の向こうに見える。
さてと、というところで、亮が寝室の扉の方へと声を投げる。
「こちらには、近衛隊長が正式に発行した皇太子暗殺要請と、指紋付きのナイフがあります……大人しくされるのが、賢いと思いますよ」
笑みを含んだ声だが、どこかぞっとさせるような冷たさを含んでいる。
「母上、これ以上の暴挙に及ぶようでしたら、コトを公にするより他、ありません」
更に重ねられたカールの言葉に、凍ってしまったかのように扉向こうの気配が止まったのがわかる。
カールは、亮たちへと向き直る。
「フランツの無事を守っていただいたこと、改めて御礼申し上げます」
「いえ」
忍が、笑顔をみせる。
「こう言って失礼かもしれませんが、なかなか情熱的な皇太子でいらっしゃるようですね」
にこり、とカールも笑みをみせる。
「フランツは、誰よりもルシュテットらしい人間ですよ」
それから、侍従を呼ぶための呼び鈴を鳴らす。
「別の部屋をご用意します、帰りには正式な通行証も必要でしょうし、しばしお待ち下さい」
忍達の姿から、どうやってルシュテットに来たのか察しをつけたようだ。
「それは、ありがたいです」
素直に頭を下げる。

侍従に案内された部屋は、かなりの広さだ。
ものすごく絢爛というわけではないが、客が心地好く過ごせるようにと心配りされているのがわかる。
普通では、こんなところには入れない。
着替えを終えて、物珍しそうにあたりを見回してしまう。
「すごいわね」
須于が、らしくなく、妙にはしゃいだ声で言う。
珍しく、いつもなら一番落ちつきなくあたりを見回してそうな俊が、椅子によりかかったまま静かだ。
「どうかしたか?」
ジョーが、あまり機嫌がよくなさそうな顔つきで尋ねる。
「あ、いや……麗花のヤツ、どうするのかな、と思ってさ」
「さぁな、麗花が決めることだから」
反対側の椅子に腰掛けた忍が、物憂げに肘をつきながら返事を返す。
本当ならば、祭主公主の件にケリがついた時点でアファルイオに帰っておかしくないのだ。というよりも、彼女の実際の立場を考えたら、そうすべきなのだ。
『約』の確認のためにルシュテット皇太子が極秘にアファルイオを訪れていた、という作り話に雪華が協力してくれているということは、アファルイオ国王であり麗花の兄である、顕哉の承認済みということになる。いくら特殊部隊隊長とはいえ、独断では出来ないことだから。
年末は見逃したとはいえ、今回、戻って来いと指示を出していないとは言いきれない。
「そう……よね」
ぽつり、と須于が呟く。妙にはしゃいでみせたのは、それがわかっていたからだ。
ジョーも不機嫌そうな表情で黙り込んだままでいる。
俊が、少々不機嫌そうな顔を亮に向ける。
「最初から、こうするつもりだったのか?」
「皇太子の行き先をアファルイオにすることを言っているのなら、その通りです」
冷静そのものの顔つきで亮は答える。
「それって……」
須于が言いかかったところで、扉がノックされる。
顔を出したのは、カールだ。
「失礼します、リスティア総司令部より、連絡が入っているのですが……」
「わかりました」
亮は、カールについて部屋を出て行ってしまう。
ただ、部屋には静寂に包まれる。


らいんだよ


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