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夏の夜のLabyrinth
〜16.5th 雨降る日には〜

■raindrop・4■



時間は少し、遡る。
まだ、昼過ぎだ。
総司令部についた忍は、かすかなザワメキへと視線をやる。
ロビーにスーツの集団は珍しい。
中心にいるのは総司令官たる天宮健太郎だ。すっかり見慣れた笑顔とは打って変わって、厳しい顔つきで隣りの人物になにか言っている。
SPらしき人もいるし、そのままエレベーターに乗り込むのだと思ったのだが。
周囲の人は、皆、そう思ったはずだ。が、忍は見逃さない。集団の中心から、何気なく健太郎だけが抜け出したのを。
首を傾げる間もなく、誰かが影の方へと引っ張る。
振り返ると、案の定、健太郎だ。
「コンニチハー、偶然だねぇ」
先ほどの厳しい表情がウソのような、機嫌が良さそうな笑みを浮かべている。
軽く会釈してから、言ってやる。
「俺にかこつけて逃げましたね?」
「バレてる?」
にやり、と笑う。
「それはそうとして、亮だろ?」
「はい」
買い出しに付き合ってくれ、と携帯にメールが入っていた。だから、道場から総司令部に直行してきたのだ。
肯定の返事を聞いた健太郎の顔つきが、さらに嬉しそうになる。
手まねで付いて来い、と示すと、先に立って歩き出す。
「……?」
首を傾げつつも大人しくついて行くと、エレベーターに連れて行かれる。
奥まってわかりにくいところにあるので、総司令部の職員専用のモノなのだろう。階数表示の変わりに小型のテンキーがついている。
扉が閉まってすぐ、健太郎は慣れた様子でなにか打ち込む。
「あ」
動き出した感覚に、思わず忍は声を出してしまう。健太郎は、忍の声の意味を正確に察して微笑む。
「そ、地下に向かってる、駐車場よりもずっと下にね」
駐車場以外に、地下になにかあるとは聞いたことがない。
ということは。
おそらく、そこに亮がいるのだろう。
「ロビーで待ち合わせてるんですけど……」
「そうだよ、総司令官の特別許可がないと入れない場所だからさ、そんなとこに忍くんが来たら驚くだろ?」
「いいんですか?」
「いいよ、忍くんだし」
あっさりと言われてしまう。妙に機嫌がよさそうなところを見ると、純粋にイタズラを楽しんでいるらしい。
どちらにしろ亮には会えるのだろうし、健太郎が連れて行くということは、総司令官特別許可とやらももらったことになるのだろう。
ある意味、些細なイタズラに付き合って、総司令官であり財閥総帥である健太郎のストレス解消になるのなら、お安い御用だ。
かなりの速度で降りていったエレベーターが止まり、健太郎がパスを数回打ち込んでから扉が開く。
広がるのは、蓮天神社で見たよりもずっと大掛かりな旧文明産物の廊下だ。
忍は、少しゆっくりとした歩調で、そこに踏み出す。
健太郎は、エレベーターから降りずに指してみせる。
「亮は、r4−c5−l1にいるよ」
暗号のような初めて聞く単語に、忍は頷いてみせる。
「んじゃ、今度、美味しいモノでも食べに行こうね、おごるからさ」
軽く手を振ると、健太郎の姿は扉の向こうに消える。
忍は、相当に高い天井を見上げる。
初めてのはずなのに、懐かしいような気がするのは、ほんの断片を思い出した過去の記憶のせいだろうか。
r4−c5−l1という位置表示も、感覚でどう行けばいいのかがわかる。
回りを確認するように、ゆっくりと歩き出したはずだったのに、いつの間にか早足になる。
「?!」
忍は、我に返って足を止める。自分の目前に、壁が広がっていることに気付く。もう少しで、ぶつかるところだった。
しかも、健太郎が指定した場所とは違うところだ。
だけど。
目前の壁に、手を触れる。
これは、壁ではない。扉だ。
おぼろげに、わかる。
過去の自分にとって、ここは慣れた場所だ。まるで、パズルピースのように記憶がぽつり、ぽつりと蘇っている。
早足になった理由と、この場所の構造の記憶。
忍は、微かに笑みを浮かべる。
今日、行くべき場所はこの扉の向こうではない。少し引き返して、健太郎に教えられた場所へと向かう。

気配に誰よりも敏感な亮だ。
どうかな、と思いつつも、驚かせてみたい気もして、気配を消して部屋を覗きこんでみる。
中央に備えてあるチップビューアーを操作している亮が、振り返る様子はない。ここに、人が来るはずは無いと思っているので、かなり集中しているらしい。
忍は、そっと近付いて行く。
真後ろまで辿りついても、亮は振り返らない。
手を、ゆっくりと伸ばす。
「?!」
不意に抱きすくめられた亮の躰が、こわばるのがわかる。
素早く振りほどこうとする動きを封じ込めるのに、ちょっと腕に力を入れてから声を出す。
「俺だよ」
「父さんですね、連れてきたのは」
イタズラの主も、すぐにわかったようだ。抱きすくめられたまま、少し肩をすくめる。
「充分驚きましたし、動けないんですが?」
離して欲しいらしいのは、躰のこわばりからもわかっている。忍の口元に、微苦笑が浮かぶ。
「やだよ、やっと捕まえたのにさ」
「いつからの、やっとなんでしょうね」
口調には、微かにため息が混じっている。
ここは、過去の二人にとっては馴染みのある場所だ。場をきっかけに記憶が戻るという経験を亮もしているのだろう。
珍しいと分類していい忍の強引さを、過去の性格と判断したらしい。
「さて、いつからだろうね」
「…………」
黙り込んでしまった亮を、忍は少し、引き寄せる。
「過去のことを思い出したからって、俺が俺じゃなくなるわけじゃないから、大丈夫だよ」
「そうでしょうか?」
「そのせいで今の記憶が消えたことは、ないから」
返事はない。それで、気付く。
多分、亮は思い出す、とかではなく、最初から記憶がある。
「……ごめんな、亮にだけ辛い思いさせて」
亮は、軽く首を横に振る。
「いえ、忍には随分と負担かけてますし……」
「そうか?全然、たいしたことないけど」
不満そうに付け加える。
「甘えてもくれないしさー」
忍に抱きすくめられっぱなしのまま、亮が無理矢理振り返る。
「忍っ、僕は……」
「戸籍上はね」
珍しく頬が紅潮している亮の端整な顔を、動じた様子もなく見つめながら忍が言う。
「無理だよ、遺伝子そのままなんだから」
「無理じゃないかもしれないですよ?」
「かも、なんて言ってる時点で無理だったってことだろ」
少々、いつもよりも早口の亮に、冷静に忍が返す。
これでは、いつもと逆だ。
それに気付いたのだろう、黙り込んだまま、亮は困ったように忍を見つめる。
微かに、痛みを含んだ視線で。
忍の眉が、軽く寄せられる。
「まだ、終わってはいない、ということか?」
「一年以内にケリをつけなければならなくなるでしょうね」
視線が、すこし、落ちる。軍師なモノとは違う、静かな声。
「もうヒトツ、『緋闇石』がある……?」
「そうではないです、違うことです……でも、『緋闇石』よりも厄介な相手になるでしょう」
亮がここで、探していることは、多分。
だけど、その正体を無理矢理聞き出す気はない。
「相手がなんであれ、俺たちは亮の指示を信じるから」
言われて、ふ、と微かな笑みが浮かぶ。
忍は、痛みの消えない亮を、まっすぐに見つめる。
「だから、亮……約束してくれないか?」
「約束、ですか?」
「そう、全部終わったら幸せになってくれるって……もし、許してくれるなら、俺の側で」
また、困惑が浮かぶ。
「だから、僕は戸籍上は……」
「でも、そうじゃないから、あんなに悩んだんだろう?人間ではないかもしれないと」
びくり、と瞳が揺れる。忍は、言葉を継ぐ。
「戸籍上、選んだのは、その方がコトを片付けるのに好都合だったからだ」
どちらでもないが故に、どちらを選ぶも自由のはずだ。
終わったのなら、関係無いと言外に告げる。
亮の顔には、苦笑が浮かぶ。
「忍には、敵いませんね」
笑みも、痛みも消えて、無表情になる。
「でも、約束は出来ません」
無表情は、亮が自分の中の何かを消そうとしているということ。全部、知られているとわかっていて、忍の側にいることは強制じゃないと知っていて、約束できないということは。
人工生命体では、ない。
躰は、普通の人間と変わらない。
でも、持っている遺伝子は、人工生命体のモノ。
最初から全てを知り、なにもかもを抱え込んで、やってきたことは。
「亮……まさか……」
笑みが浮かぶ。
痛みを含んでいて、どこか諦めていて、そして、どこか哀しい。
「望んでしてきたことですから……でも、だから、約束は……」
忍は、なにも言えずに首を横に振る。無意識に、亮を抱え込んでいる腕に力が入る。
『崩壊戦争』でやり残したことを、やり終える為に生まれてきたのは確かだ。
だけど、そのせいで全てを犠牲にしていいはずはない。
「それでも、約束してくれ」
こんなに必死の忍の瞳を見たことがなくて、亮は戸惑う。
亮の肩に、忍は顔を伏せる。
「……頼むから、約束してくれよ……また、同じ思いさせるなよ」
記憶があるのは、亮だけではない。
忍の中にも、最後の痛みは残っている。
どうしても、避けられなかったこと。
考えて、考え抜いて、選択肢はヒトツしかなかったから。だから、選んだ。
理解して、納得して選択した。
それでも、痛みは消えない。
飲み込んだからこそ、痛いかもしれない。
「諦めないこと……それで許してくれるなら……」
忍が、顔を上げる。亮の視線が、視線を避けるように下に落ちる。
「選択肢がヒトツしかない状況にならない限り、あえてその選択肢は選ばないことと……可能な限りの努力はするというので、いいのなら……」
落ちていた視線が、上がる。
まっすぐに受けとめて、反らさない。
「それで許してくれるなら、約束します」
「……亮」
にこり、と亮が微笑む。
思わず、忍は本当に抱き締める。
ずっと強ばりっぱなしだった亮の細い腕が、背にまわるのがわかる。
「……忍も約束してください……なにがあっても、どこへ行っても、生きて帰ってくると」
「……約束するよ」
それから、腕を離す。少し、照れ臭そうに微笑んだ。
「悪い」
ゆるやかに微笑んで、亮は首を横に振る。
忍は、その笑みを見て首を傾げる。
「ヘンなこと訊くけど……亮は、どっちがいいんだ?」
亮の笑みが、少し、大きくなる。
「どちらでもない、がいいですね」
「へ?」
思わず、まぬけな声で返してしまう。
「コトが起こった時に隣りを一緒に走ることもできるし、さっきみたいに背に手を回すこともできるでしょう?」
亮は亮なりに、どちらでもないことを、受け入れているのだ。
忍も微笑む。
「なるほど、な」
すっかり、いつもの顔つきになって伸びをする。
「なんか、けっこう狭くなってんのな、ココ」
「歩いてみましたか?」
「少しだけど」
チップビューアーを落としてから、亮は肩をすくめる。
「あのままは、制御しきれないようですよ」
亮にも、この場所の記憶はそれなりに残っているらしい。それだけ、前の自分たちには馴染みのある場所なのだろう。
扉を開ければ、もっと過去は戻るのかもしれないけれど、今の自分たちが生きている場所はここではない。
どちらからともなく、歩き出す。
「買い出しって、けっこうあるんだろ?」
忍の問いに、亮は首を横に振る。
「そんなには」
「んじゃ、なんかあったのか?」
「今日で三日連続で雨なので」
なんのことかわからず、忍は軽く首を傾げる。
「姫君が、少々、傷心なんですよ」
「ああ……」
思い当たるフシはある。ぽり、と頭をかく。
「悪いコトしたよな、兄貴の真似なんかしちまって」
「真似……ですか?」
「俺の剣ってさ、ちょっと風騎将軍入ってるんだ」
言いながら、腕を動かしてみせる。
「イヤでも気になるよな」
「では、埋め合わせてください」
「って、俺にソレイユ通り行けって?」
別に、麗花だって特別に意識しているわけではない。なんとなく、気になっているだけの程度のはずだ。
だけど、それとなく気を使ってもらえたら、それはそれで嬉しいに決まっている。
亮の言いたい意味はわかる。麗花を元気付けるなら、甘いモノに限る。だが、この雨だ、亮も車で出てきているはずで。
亮はくす、と笑う。
「今日は、電車で出てきましたから」
「サンキュー」
忍が一人で行くには、辛い通りだ。通り自体から甘〜い香りが漂ってそうな場所だから。
それを察して、亮は付き合えるように車を置いてきたのだ。
駐車場について、車に乗ってから忍が尋ねる。
「どうせ、飯食ってないんだろ?」
問われた亮は、微かに首を傾げる。少し躊躇ってから、口を開く。
「石焼ビビンバというのを、食べてみたいんですが」
希少価値とも言える亮のリクエストに、笑顔になる。エンジンをかける。
「美味いトコ知ってるよ、チヂミは食ったことある?」
亮も笑顔を返しながら、首を横に振る。
「ないです、美味しいんですか?」
「俺、好きなんだ」
車が走り出す。
外は、まだ雨だ。
だけど、地下よりもずっと優しい明るさで。
赤に変わった信号に、ブレーキを踏む。亮が、ぽつり、と口を開く。
「忍は、雨は好きですか?」
「どっちだろうな、泣いてもわかんないことだけは確かだけど」
幼い頃、そんなことがあったのかもしれない。ちら、と亮を見る。
「亮は?」
「嫌いでは、ないですね」
「ふぅん、どうしてか訊いてもいいか?」
亮は、窓の外へと視線を向けたようだ。
「雨の音しか聞こえなくなって、世界がココにしかない気がするので……」
遠い過去も、そのせいでの歪みも、全て消えてしまって。
「そりゃ、悪くない考えだな」
笑顔を、亮に向ける。
「じゃ、今日はそういうのは無しってのは?」
「そうですね、今日のところは」
亮も、笑顔を返す。



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