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夏の夜のLabyrinth
〜16th  軍隊+警察+医者=〜

■phantasm・6■



らいんだよ



誰かが追ってくるであろうことは、畝野にだって予測はついていた。そこまで愚かではない。
だが、警察ではないのと、追って来る相手が素人であるということは、必ずしもイコールで結ばれるモノでもない。
その点に思い至らなかったのは、落ち着いているつもりでも焦っていたからだろうか。
ともかく、より困難な方の選択肢を選んだらしいことは、畝野も気付いている。
だが、チャンスを得ようと思うなら、こちらの選択肢しかなかったのだ。
車を使う手もあったが、離れている間にどんな細工をされているかわかったものではない。だから、徒歩で出た。
『Aqua』で最大の都市であるアルシナドの中心街で、足代わりを調達することはたやすいからだ。
しかも、自分のモノを使うよりも、足がつき難い。
が、その足を見つける前に、嫌な状況に陥っている。
先ほどから、ぴたり、と等距離でつけている人間がいる。
が、振り返っても、誰がそうなのかがわからない。
鋭い視線とか身のこなしとか、なにかヒントがあるはずなのに。
実のところ、相手の気配も微妙なモノだ。
なぜ、誰かがつけているとわかるかというと、いつの間にか仕掛けられたらしいイヤホンを通じて、だ。
かなり小型で高性能らしく、服のどこかについているのだろうが、きれいに耳によく聞こえている。
しかも、畝野にとっては不愉快極まりないくらいに明るく楽しそうな声が。
『ねぇねぇねぇ、早めに諦めた方がオトクだと思うんだけど』
望んでいない状況になりつつあるのは、言われなくてもわかっている。
余計なお世話というものだと言い返したいところだが、あいにくマイクはついていないらしい。
返事は行動でのみ、ということならば、畝野の返事はヒトツだ。
イヤホンをつけるならば、ココしかないという場所を振り払い、足を速める。
『残念、ソコじゃないんだなー、でも、私はココでお終い。じゃあね!』
まるで友達と別れるかのように明るく言われると、しん、とする。
思わず、畝野は振り返る。
あるのは、いつもと変わらぬ人の流れ。誰もが、畝野のことなど関係ないという顔つきで歩いていく。
サラリーマン風の男が、立ち止まったままの畝野にぶつかって、悪態をつく。
が、そのまま早足で先に行ってしまう。
追ってきたのは、その男ではない。
聞こえていたのは、若い女の声だった。
変装している可能性、というモノが無いわけではないと知ってはいるが、あの男は違うと直感が告げる。
それなのに、背筋に寒いものが残っているような気がして、男の後姿を見送る。
『あら、そろそろギブアップ?』
新たな声が聞こえてきて、はっとする。
我に返って、また歩き始める。
くすり、とどこか冷めた笑いが聞こえてくる。
『まだ、諦めないというコトね?それなりにやってくれないと、わからないんだけど』
先ほどまでの余裕は、少しなくなってきたようだ。歩くというよりは、小走りに近くなっている。
自分のどこにイヤホンがついているのかがわからない限り、高速移動が可能な交通手段に切り替えたところで無駄だ。
だが、このままでは、どこにイヤホンがあるのか探す間がない。
歩きながら、考える。
少しの間でもいい、まくことが出来るなら。
そんなことを考えながら、どこに入り込むか考える。細い路地を見つけて、躰を滑り込ませる。
『……私はそろそろお別れの時間みたい』
さらり、とした口調で言うと、また耳元には静寂が訪れる。
代わりに、そこそこ人通りの多い路地の喧騒が飛び込んでくる。畝野は、外に音があることを忘れていたことに気付く。
余裕が、なくなりつつある自分を、自覚する。
冷静さを失ったら、それだけ不利になる。
少々、大きめに息を吸ったところで、今度は男の声が飛び込んでくる。
『コンニチハ、やっと少しは、逃げるっぽくなってきたかな』
畝野は、きり、と唇を噛む。
逃げる、などとは、失礼なと思いつつも、今の状況は逃亡に他ならない。それに、このままの展開では相手の思うツボだ。
そんな畝野におかまいなく、相手はどこか楽しそうな声で続ける。
『ただ追いかけっこするのも飽きてきたでしょう?ゲームでもしませんか?』
この路地の、どこかにいる。
直感がそう告げるのに、どこにいるのかがわからない。ただ、あたりを見回したりすれば相手の思うツボへはまっていくことは確かだ。
つ、となにか冷たいものが伝う感覚に眉を寄せながらも、畝野はひたすらに歩く。
『俺が、貴方の先回りを出来るかどうか。ね、おもしろそうでしょう?』
面白いと思うかどうかは、主観の問題だと言い返したいのだが、相変わらずマイクはないし、相手がどこにいるのかもわからない。
どちらかというと、言いたいのは『俺は面白くなどない』という台詞の方だが。
『このまま歩くと、行き止まりですね』
さらりとした口調で、相手は言う。
『さて、俺はどちらにいるでしょう?』
ここらへんの細い路地のことは、よく知っている。右に行けば喧騒へ、左へ曲がれば薄暗い道へと出る。
どちらも顔を合わせたところで判別は付きにくいが、自分を追う者かどうかを判断しやすいのは人の少ない薄暗い道だ。
人を隠すなら、人ゴミの中、というのが真理だから。
相手は見つかりたくはないだろう。
ということは、、曲がるのは左だ。
手早く答えを見つけると、さっと左へと曲がる。
『ご名答。ま、外したら、ソコでジエンドですけど』
笑みを含んだ声で、相手は言う。
これだけ歩き回っていれば、暑くなってきて当然で、汗をかくのも自然現象なのだが、畝野の額や背中を流れていくのは、冷や汗ばかりだ。
相手とのゲームとやらは、どうやらことごとくクリアしているようだが、このままでは真剣にラチがあかない。
これはいよいよ、足を使わなくてはなるまい。
このまま歩きつづけでは、まくことも出来ないままに疲労してしまう。
『さて、最後の問題です』
まるで、畝野の思考を読んだかのように、相手の声が聞こえる。
『いままでのゲームは、どういう趣向だったでしょう?』
びくり、と足が止まる。
目前には、乗ってくださいとばかりにエンジンのかかったバイクがある。ご丁寧なことに、メットまで用意されて。
もし、畝野の側にマイクがあったのならば、いままでで最も正確な答えを口にすることが出来ただろう。
自分で選択していると思わせつつ、思い通りの場所へと導く為のゲームであった、と。
『調べる時間もないでしょうから、説明しておくと、そのバイクには細工はありませんよ。交番で見咎められないよう、メットは忘れずにかぶってくださいね。では』
どことなく慇懃無礼という単語を思い出させる丁寧な口調が、ふつり、と切れる。
マイクを通していたから気付かなかったが、どこかで聞いたことのある声だった気が、今ごろしてくる。
ということは、いま、自分を追っている人間は、顔を知っている人間である可能性が高い。
電話のみでの知り合いなのなら、イヤホンを通しての声は返って聞き覚えがあるはずだ。
まだ、大丈夫だ。
まだ、冷静に考えることが出来ている。
そう、自分に言い聞かせる。
迷っているヒマはない。即座に正しい判断が出来るか。
それだけだ。
バイクにまたがり、思い切り路地を走り出す。
瞬間、後方からもエンジン音が聞こえてくる。振り返ればどんな者がいるのかわかるのだろうが、その余裕はない。
『嬉しいねぇ、バイクでこんなの、久しぶりなんだよ』
楽しそうな声が飛び込んでくる。
『畝野さんは、バイク得意なのか?どうせなら、本気でやりたいんだけどな』
どうせならのどうせが、何にかかっているのか多大な疑問だ。だいたい、楽しそうなところが癪にさわる。
『俺ともゲームしようぜ、さっきのと同じのさ、バイクで』
と言ったなり、大きなエンジン音がして先回られる。
路面を走れるのは、一台だけだ。
相手は、後方から畝野の頭上を越えるだけのジャンプをして見せたのである。
薄暗いここでも、ひときわ闇を思わせる黒の姿が視界を遮る。
畝野は、相手の顔を確認することもせず、思い切りバックする。
『そーれじゃ、効率悪いっしょ、仕方ないなー』
もう一度、バイクは大きくジャンプして、行く先を遮られてしまう。
畝野も、すかさず前進に切り替える。
『いいねいいね、その調子じゃなきゃ』
嬉しそうな声を合図に、デッドヒートが始まる。
先回られて、引き返して、を何度繰り返したのかわからない。
突然、視界に光が広がる。
本能的に目を細めたところで、声が聞こえてくる。
『まぁ、まずまずの出来だったよ、じゃ、俺はこれで』
言葉通り、エンジン音が遠ざかる。
いくらか我に返って、自分がどこへ出てきたのか確認しようとした瞬間。
さっと、なにか熱い風が行き過ぎる。
「?!」
振り返るが、誰もいない。
ひとつ、ため息がイヤホンから聞こえてくる。
『まずまず、か。本気は出せないな、それじゃあ』
低音の心地よいバスの声で、そういう物騒なことを……と思って、はっとする。
熱い風の正体に、思い当たったのだ。
これは、銃弾だ。
『先に断っとくが、お前が下手で避け損ねて死ぬのは、俺のせいじゃないからな』
台詞終了と同時に、また、すり抜けていく。
冗談ではない、と思う。
慌てて、バイクを走らせ始める。
動かぬ標的よりも、動いている標的の方が断然、狙いは定まり難い。そのくらいのことは、畝野だって知っている。
やみくもにジグザグ走行をする畝野の耳元に、またも声が聞こえる。
『避けるならもう少し、マシな動きにしろ』
その台詞が終わるか終わらぬかのうちに、右側に連続で撃ちこまれる。
自然、車体は避けるように左へと曲がる。
いくらかまっすぐに走った後、今度は右。
回るような景色がすぎていることも、もう、畝野にはわからない。
ただ、ひたすらあたらないように。それだけしか、頭に無い。
自分の口から、悲鳴のような声があがっていることも、気付いてはいまい。
『そろそろ終わりだ、じゃあな』
別れを告げた声も、畝野の耳に届いたかどうか。
『無様にコケないようにしろよ』
「?!」
せっかくの忠告も、無駄であったらしい。タイヤが急に盛大な音をたてたかと思うと、横ザマに投げ飛ばされる。
銃弾がタイヤにあたって、パンクしたのだ。
ものすごく派手に転んだのに、すぐに動き始めた反射速度は褒められてしかるべきだろう。
全身が痛いが、必死で起き上がる。
ともかく、歩き出さなくてはならない。
なにがどうあろうと、逃げ切らなくては。
ただヒトツ、ありがたいのは、いま転んだショックで、マイクもどこかへといったらしいことだ。
あの、気味の悪い声が聞こえてこない。しかも、新たな声が聞こえてくる様子もない。
転んだというのに、しつこくくっついたままでいたメットを脱ぐ。
状況を把握する為に、あたりを見回そうとして、背後の気配に気付く。
いつの間にか、真後ろに誰か立っている。
畝野は、思い切って振り返る。


らいんだよ


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