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夏の夜のLabyrinth
〜18th  永久に揺れる波〜

■breeze・7■



当然、そのパワーの全てが自分にくる、と覚悟した俊は、思わず目を見開く。
まるで、素通りしたかのように、なにも来ない。
息を呑むような声を微かに上げた誰かに、敏感に反応したのは忍。
「亮!」
俊よりも幽霊に共鳴しやすい体質なのが災いして、また力が亮の方へと集中したらしい。
最初の襲撃でも、ダメージをくらっていた亮にとってはかなりキツいものになったことは確かだ。
血の気の引いた表情の中の瞳は、かろうじて焦点を保っているだけだ。
ゆら、とよろめいた躰を、忍が支える。
もちろん、須于があんな状態のところで倒れてるヒマなどないと判断したのもあるだろう。
だが、それだけでなくて、心配をかけまい、とも思ったのだろう。
忍の着ているTシャツを掴んで、かろうじて身を支えつつ、口元に微かな笑みを浮かべる。
このまま沙羅の力が暴走したら、亮がただではすまない、とは忍だけでなく、思う。
忍は、抱き寄せるように亮を覗き込みながら呼びかける。
「亮、しっかりしろ、どこが苦しい?!」
口元に浮かんだ笑みが、微かに大きくなる。
「大丈夫ですから……」
だいぶ虚ろになりかかりつつも、亮の眼はまっすぐに忍を見つめている。忍にしか見えなかったろうが、その瞳ははっきりと、落ち着いて、と告げていた。
まだ、沙羅は須于から離れてはいない。
ぐ、と、忍が唇を噛み締める。
が、この光景が、思わぬ効果をもたらした。
なぜか、沙羅が呆然とそれを見つめているのだ。
まるで、硬直してしまったかのごとく。
それから、声がした。
「ダメ、やめて……」
どこか、必死の声は須于のものだ。
沙羅のではなくて、須于のだ。
はっきりと、五人ともそれを感じる。
そして、頬から涙が零れ落ちていく。
「須……」
思わず、ジョーは身を乗り出す。
誰がとり憑いていようが、ジョーにとって目前にいるのは須于だ。
そして、須于が泣いているのはたまらない。
だが、とり憑かれている須于に余計な手出しをすれば、須于をどうされるかわからない、と忍たちに警告されていることを思い出す。
現にいまだって、こうして俊に向かって怨念を思い切りぶつけてきたのだ。
それは亮へといったが、この力がいつ、須于の躰へと向けられるかなど、わかったものではない。
それに、須于がこうして亮たちを傷つけることなど望むはずがない。いや、望んでいない。
だから、声がしたのだから。
だから、こうして涙が頬を伝っているのだから。
刺激することは、厳禁だ。
必死で言い聞かせて、かろうじて踏みとどまる。
自分が、無力だと、急に思い知らされる。
泣いているのに。
苦しんでいるのに。
なにも、出来ない。
ふ、と彼女の視線が目前で止まったまま、だが、凝視するように見つめるジョーへと落ちてくる。
そして、何かに気付いたのだろう。
「ああ……彼女は、貴方にとって、大事な人なのね?」
先ほどまでとは、全く異なる、震えるような声で彼女が問う。
「本当に、大事な人なのね……」
その言葉で、やっと、気付く。
どうして、目前にいた俊を襲わなかったのか。次に覗いた須于に、愛したはずの人間に裏切られて殺されたと信じている沙羅が、とり憑いたのか。
好きだ、と口にしたことがない。
照れくさい、というのあったが、言わなくてもわかっている、とたかをくくっていたのもある。
それが、須于を不安にさせていたのだ。
沙羅が、ほんの少しすれ違っただけで、稔の気持ちがわからなくなってしまったのと同じように。
一言も言われないことで。
そして、須于の不安と沙羅の気持ちは、共振した。
だから、沙羅は須于にとり憑いた。
亮が、サービスエリアでぽつり、と言った言葉を思い出す。
時には、言葉も必要ですよ。
皆、気付いていたのだ。
なぜ、須于がジョーを微妙に避けているのか、を。
わけがわからずに、ただ、見守っているのではなくて。
口にすればよかったのだ。
俺が、なにかしたのか、と。
ジョーのせいだからね、と麗花が言った意味が、やっとわかる。
それから、忍の、なに言えばいいか、わかってるか?という問いの答えも。
彼女の気配が、急速に弱まっていく。
抜け出すように、須于の頭上へ別の少女が現れる。
柔らかな髪に、水色のワンピースでこちらを見つめている。
大きく見開いた瞳からは、雪のような涙が零れ落ちている。
『ごめんなさい……』
くらり、と揺れた須于の躰を、ジョーは抱きとめる。
彼女は、まだ、そのまま宙にいる。
『あなたの大切な人なのね』
止まらぬ涙が、ふわふわと落ちていく。
『私も……愛していたのに……』
「君を閉じ込めたのは、稔さんじゃないよ」
忍が、静かに言う。
さすが、というべきか、しっかりとした視線で見つめながら亮も言葉を重ねる。
「あなたに横恋慕していた男がいましたね?」
こくり、と沙羅は頷く。
『あの男、なのね?』
俊が、頷き返してやる。
『稔さんが、裏切ったのではなかったのね……』
さらさらと、涙はこぼれ続ける。
瞼を、閉ざした後も。
『じゃあ、稔さんも……』
「……つれてってやるから」
ぽつり、と口を開いたのは、ジョーだ。自分の腕の中で眠っている須于を、見つめたまま。
「その、稔ってヤツのところへ、連れてってやるよ」
麗花が、にこり、と微笑む。
「うん、絶対。沙羅ちゃんのこと、ずっと待ってるよ」
『ごめんなさい……ありがとう』
ふっと薄れると、溶けるように消えていく。
誰からとも無く、ため息が漏れる。
ジョーの腕の中で、須于は眠っているらしい。
半ば無意識に、頬を濡らしている涙をぬぐってやる。
亮が、須于の腕を取って脈をみていたが、軽く頷いてみせる。
「躰が疲労しただけのようですね、朝まで寝れば、大丈夫でしょう」
「一段落ってとこだねぇ」
麗花が肩をすくめる。時間を確認した俊が、大欠伸をしてみせる。
「夜明けと一緒に起きるにしたって、まだ時間あるぜ、寝なおそう」
「だな」
忍も頷くと、立ち上がる。
「ジョー、布団までは連れてってやれよ」
「わかってる」
抱き上げながら立ち上がったジョーを先導して、麗花がふすまを開けてやる。
亮も、す、といつも通りの身のこなしで立ち上がる。
「では、改めて」
「おやすみ〜」
ジョーが戻ってくるのを待たずに、俊はとっとと布団にもぐりこんでいる。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
忍たちも、部屋へと戻って障子を閉める。
それから、もう一度尋ねる。
「大丈夫か?」
「ええ、大丈夫ですよ」
にこり、といつも通りの笑顔を浮かべているが、顔色はお世辞にもいいとは言えない。
「眠れば直る、ってやつだろうけど」
「そうですね」
亮の笑みが、苦笑へと変わる。
ここでは隣のジョーたちの気配が気になって、亮は熟睡は出来ない。
喉まで出かかったため息を、かろうじて飲み下してから言う。
「鋭意努力、してやってくれ」
「はい」
この手のことに関しては珍しく素直に返事が返ってくる。
そして、また、静寂が訪れる。



翌日も、気持ちのいいくらいの晴れだ。
「おはようございます」
朝食の手伝いに顔を出した須于を見て、玲子が首を傾げる。
「あまり、よう眠れなかった?」
少々、心配そうな顔つきだ。
「え?いえ、そんなことないですよ?」
慌てて手を振る須于の後ろから、静かな声が加わる。
「昨晩、黄泉からの伝言を伝える手伝いをしたので、少し疲れ気味なだけですよ」
眼を見開いて、声の方へと須于が振り返る。
昨晩の出来事を、わざわざ口にしたのが亮なのに、驚いたのだ。
「あら、まぁ」
玲子は、目をぱちくりとさせている。
亮はいつも通りの静かな笑みを、須于たちへと向ける。
「それで、あの蔵にはもっと奥があることがわかりました。申し訳ありませんが、後でもう一度開けさせてください」
「かまわへんけど、なにがあるんかねぇ?」
変わらぬ表情のまま、亮が答える。
「横恋慕する男に恋人と引き離されて、蔵に閉じ込められたまま亡くなった方が」
「まぁ、じゃぁ……ほんまやったんねぇ……」
玲子は、半ば呟くように言う。
興味津々の顔つきで、運ぶのくらいは手伝えるだろうと顔を出した麗花が首を傾げる。
「ほんまって、じゃ、なんか他に言い伝えが?」
「言い伝えってほどじゃないんやけどね、開けてはならん蔵やと、ずうっと言われとったんよ」
苦笑気味の笑みが浮かぶ。
「その横恋慕したのは、穂高の家の男やろうね。なまじ財があると、ものがようわからんようになるのが人間の業なのやもしれんねぇ……いまも、開けてはならんところには、隠し宝があると思うてるらしいしねぇ」
麗花と、須于が顔を見合わせる。
なぜ、玲子が旧文明産物があるのかもしれない、と言い出したのかが、わかった気がしたからだ。
財産に眼がくらんで、どんな大騒ぎになってもいいから開けようとしている守銭奴たちに踏みにじられる前に、こうしたモノを取り除いてしまおう、と思ったのに違いない。
好奇心で踏みにじってはいけないものもあると、彼女は知っている。
視線を戻して、須于と麗花は、にこり、と笑う。

朝食を済ませてすぐに、蔵へと向う。
今日は、最初に入ったのは亮と忍だ。す、と蔵の中に視線を走らせた亮は、指で長さを測っていたようだが、一方の壁へと歩み寄ると、軽く叩く。
それから、忍の方へと振り返る。
「そこです、厚さは十センチほどでしょう」
「おう」
答えて、龍牙を朱鞘から抜き払う。
薄暗い蔵の中でも、刃はほの薄い光を帯びている。
「行くぜ」
「ああ」
少々後ろに立っている俊が、返事を返す。
無駄のない動きの後、壁、と思っていた場所の一部が崩れて、そしてその先にぽっかりと狭い空洞が広がる。
思わず、六人ともが息を呑む。
とうに、全てが朽ち果てるだけの時が過ぎているのに。
その髪も肌も、水色のワンピースも。
昨日、おぼろな姿で見たのを、鮮やかに描き直したかのようだ。
まるで、眠っているかのような姿のまま、沙羅は蔵の壁に寄り掛かっている。
「そっか、そうだよね。好きな人に会いに行くんだもん、キレイでいたいよね」
麗花が、ふ、と口元に笑みを浮かべる。
奥へと足を入れたのは、俊だ。
気味悪がる様子も無く、沙羅の躰を抱き上げる。
そして、ぽつり、と呟いた。
「いちおう、稔ってヤツにそっくりらしいからな」
蔵から沙羅を連れ出し終えたところで、亮が玲子に告げる。
「須于に見つけてくれと頼んできたのも縁でしょうし、本当の想い人のところへ連れて行って差し上げようと思っているのですが」
「そやねぇ、そうして上げてくれると嬉しいわぁ」
玲子はやわらかい笑みを浮かべる。
それから、須于の顔を、そっと覗き込む。
「ここに来たせいで、えらい目に会わせてしもうたねぇ、ごめんなさいね」
「いえ、そんなことないです、だって、ずっと閉じ込められているんじゃ可哀相ですから」
慌てて首を横に振る須于に、ほっこりと笑みを浮かべる。
「優しいお嬢さんやねぇ、だから、頼りにしたんかねぇ」
その視線と、その言葉で。
全てが、わかる。
なぜ亮が、クオト行きを最初に須于に相談したのか、旧文明産物がある可能性はほとんどないのに『第3遊撃隊』の仕事として引き受ける気になったのか、そして、旧家で広いとはいえ、宿泊させてもらうことを承知したのか。
こちらを、優しく覗き込む瞳を知っている。
かつて、同じ瞳を持った人がいた。
いつも、自分を抱きしめてくれたその人を、須于は、お母さん、と呼んでいた。
身寄りの無かった父と恋に落ちた母は、家を飛び出して、父と一緒になった。
実家とは、全く縁を切ったのだ、と言っていた。
「そう、あなたのおばあさんと約束したの」
一度だけ、そう告げたのを、はっきりと覚えている。
だから、両親をあんなカタチで失った後も、探すことはしなかった。
それでも、祖母だけは、両親を祝福してくれていたのだと、須于は知っている。
たった一人だけ、両親を理解してくれている人。
もしも、会えるものなら、と思ったことがなかったわけでは、ない。
思わず開きかかった口を、須于は閉じる。
口にされることを、望んではいない。
だから、こんなカタチにしたのだから。
きっと祖母の周りには、朝食の前にぽつりと口にしたような、財産狙いの人間がたくさんいるのに違いない。
そんな世界に、巻き込まないと、堅く決めているから。
それが、彼女の愛情だから。
だから、思い切りの笑顔を浮かべる。
「きっと、いちばん想っている人と一緒にいられるのが幸せって知っていたからだと思います……両親が、そうだったので」
「そう……」
微かに、玲子の瞳も揺れる。
が、彼女はなにも、口にはしない。
沙羅を抱きかかえて立っている俊や、麗花たちの方へと向き直る。
「お手数をおかけしてしまいますねぇ」
「いいえ、楽しかったですよ」
にこり、と忍が微笑む。麗花も、大きく頷く。
「おばあちゃん家で過ごすのって、こんな感じかなぁって思っちゃっいました」
「私も」
須于も、にこり、と微笑む。それから、首を少し傾げる。
「あの、たまに、お手紙書いてもいいですか?本当に、ご迷惑にならないくらいで」
「ああ、待っとるよ」
玲子の顔にも、なんともいえない笑みが浮かぶ。
「あ、そうだ」
俊が、はた、としたように口を開く。
「蔵から出た日記なんですけど、一冊以外は穂高家の歴史っていった感じでしたよ」
「ああ、真面目に穂高家の当主を勤めてらっしゃったようでした」
ジョーも、頷く。
朝食までの間に、他に大変なことが書いてないか、男性陣が全てチェックしたのだ。
「立派に穂高家を切り盛りしたからこそ、あの伝説が周囲に信じられたのでしょうね」
忍が、付け加える。
静かな笑みを浮かべて、亮が言う。
「穂高家に伝わる、弔い火、という風習があるそうですね。あの一冊は、どうかそうして差し上げてください」
「ええ、そうさせていただきますよ。ほんま、ありがとうねぇ」
玲子は、深々と頭を下げる。



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