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夏の夜のLabyrinth
〜18th  永久に揺れる波〜

■breeze・8■



クオトからファイザ湖へと向うなら、山の中腹を通してある一般道を走り抜けるのが早い。
運転しているのは忍で、助手席でナビゲートしているのは亮。
出発したときと同じ状況だが、車の中は静まり返っている。
眠っているような姿のまま、同席している沙羅に遠慮している、というわけではない。無事に送り届けるまでは、という気持ちで六人ともがいるからだ。
トンネルとカーブの連続する道路だが、景色はかなりキレイだ。
なんとなく、後部座席の四人は、その景色へと見入っている。
もし、邪魔が入ることなく沙羅がファイザ湖畔へ嫁ぐことになったのなら、この道を行ったのだろう。
そして、この一杯の緑を目にしながら、希望に満ち満ちたに違いない。
そんなことを思うと、なおさら景色から目が離せなくなっていく。
いまはもう、瞼を閉ざしたままの沙羅の代わりに、この景色を焼き付けておきたくて。
忍が、直線道路を走るのと変わらぬスピードで飛ばした結果、昼をすっかり回った頃に、無事、ファイザ湖へと辿り着く。
湖畔に最も近い駐車場に止めて、次々と六人は飛び降りるように車を降りる。
そして、ファイザ湖へと視線をやる。
なるほど、リスティア一と称されるだけはある。
相当な広さなのに、さざ波ヒトツたてず、真夏の緑をうつしこんでいる姿は美しいという表現が最も相応しい。
「たしかに、キレイだよ?」
微妙に、ひきつった顔つきになったのは麗花だ。
俊も、こくり、と頷く。
「これの、どこに稔さんはいらっしゃるんだろうなぁ?」
まさか、総司令官の権限をもってしても、この湖の水を全て汲み出す、なんてことは無理だ。水底を探るとしても、どの程度沈んでしまっているかもわからない。
「痕跡、探すしかないだろうな」
と、忍。亮も頷く。
「そうですね、少し時間はかかるかもしれませんが」
痕跡、というのは、物理的な、ではない。蔵の中に沙羅がいる、と感じたように、稔が沈められている気配、という意味だ。
「やってみるしか、ないよね」
覚悟を決めたのだろう、麗花も頷く。
「ジョーと須于は、ここに残っていてくださいね」
それが当然、というように、亮が指示をする。
「え?」
少し戸惑った顔つきになった須于に、亮は、にこり、と微笑む。
「いくらワケありとはいえ、車内には遺体が乗ってますし、お二人ともこういった気配には敏感ではないですよね」
笑顔で言われてしまうと、反論のしようがない。忍が、苦笑気味に付け加える。
「それに、須于の体調だって本調子じゃないしな?」
亮が、少々言葉につまったような顔つきになる。
どうやら、本音のところはそれらしい。
先に頷いたのは、ジョーだ。
「わかった、ここで様子を見ている」
「うん、じゃ、また後でね」
軽く手を振り合って、分かれる。
湖の方へと行った四人が、すっかり見えなくなってから。
なんとなく、沙羅が眠っている車内に戻る気にもなれず、車体に寄り掛かったまま、二人で立ち尽くしている。
ぽつり、と須于が言う。
「皆に、迷惑かけちゃったね」
足元に視線を落としていたジョーが、顔を上げる。
須于の方を見て、一つ、息を吸ってから、口を開く。
「誰も、迷惑とは思ってない」
さらに須于がなにか言う前に、言葉を重ねる。
「例えば、麗花がなにかにのりうつられたとして、元に戻すのに、いろいろするのを、迷惑だと思うか?」
「思わないわ、思うわけ、ないじゃない」
驚いたように顔を上げて、まっすぐにこちらを見て否定するのを、ジョーもまっすぐに見つめ返す。
「同じだ」
言われて、それ以上は言葉が見つからなかったらしい。須于は、自分の足元へと視線を落とす。
「……それに」
珍しく、ジョーの言葉続いたので、須于は顔を上げる。
視線が合って、ジョーは戸惑い気味に明後日の方へと顔を背ける。が、言葉は続ける。
「須于だって、辛い思いをしただろう」
自分の中のなにかが、亮を傷つけていると気がついて、必死で止めていた。
最もしたくないことを、自分の中のなにかがしていると知って、泣いていた。
なんて答えていいかわからずにいるうちに、独り言のようにジョーは、さらに言う。
「こんな出来事は、もうまっぴらゴメンだが」
不機嫌そうに、眉が寄る。
「須于があんな思いをしなくてはならないのも、須于が誰かに取って代わられるのも、俺はゴメンだ」
「ジョー……」
須于は、なんと言っていいのかわからなまま、ただ、驚いてジョーを見つめる。
なにかと、行動では守ってくれていた。
それは、わかっていた。
でも、こうして口に出されるのは、初めてだ。
驚いた顔つきのままの須于へと、ジョーは向き直る。
「好きだ」
はっきりとした、須于の目が戸惑ったように見開かれる。
ジョーは、もう一度、繰り返す。
「須于のことが、好きだ」
見開かれた瞳が、笑み崩れて少し、細くなる。
ふわり、と頬が染まる。
視線が、照れたように下を向く。
「あのね、私も……私も、ジョーのこと、好きよ」
それから、気付いて視線を上げる。
「大好きよ」
満面の笑みで言われて、今度はジョーの頬が染まる。
「ああ、うん……その……ありがとう」
二人は頬を染めたまま、車体へと寄り掛かりなおす。視線はまた、好き勝手な方向へと行く。
ジョーが、そっと手を伸ばす。
自分よりも、小さな白い手を、そっと握ってみる。
きゅ、と握り返される力に、確かに言葉が通じたのだ、と実感する。
しばらく、そのまま立ち尽くしていた二人は、人の気配に気付いて慌てて手を放す。
「あの、すみません」
声をかけてきた相手を見て、ジョーも須于も、軽く目を見開く。
俊に、顔がそっくりだったのだ。かけてきた声が違うのと髪が俊より随分と短いのとで、かろうじて違う人物だ、とわかるくらいで。
その彼は、すまなさそうに首を傾げつつ、尋ねる。
「こちらで、沙羅を預かってくださってる、と伺ったのですが」
どちらからともなく、顔を見合わせる。
俊に似ていて、沙羅を探している、ということは、だ。
「もしかして、稔さん、ですか?」
須于が、首を傾げる。
「はい、そうです」
真面目そうに、頷いてみせる。にこり、と須于は微笑む。
「ええ、お預かりしています」
ジョーが、す、と後部座席の扉を開く。
その瞬間だ。
『稔さん!』
『沙羅!』
飛び出してくるように出てきた沙羅を、稔が抱きとめたのを、ジョーも須于も、はっきりと見た。
が、その姿は、すぐに掻き消える。
『ありがとう』
という微かな声とと共に。
そして、沙羅が座っていたはずの場所には、もう、誰もいない。

じぃっと湖面に見入りつつ、麗花がぼそ、と言う。
「ちゃーんと、フォロー出来たかねぇ?」
「ここまで来てしなかったら、ただのバカと呼んでやる」
ゆっくりとボートを漕ぎつつ、俊が答える。もちろん、ジョーのことだ。
麗花は思わず笑う。
「そりゃそうよね」
遠目から見たら、のんびりと湖面をすべっているカップルに見えるのだろうが、実際にしているのは死体探し。
実にシュールである。
「どうだよ?なんか、感じたか?」
「んーん、まだ、なんにも」
麗花が、首を横に振る。
「そうか、出来れば、忍たちに見つけてもらいたいけどな」
「なんでよ?」
湖面から顔を上げて、麗花がこちらへ向き直る。少々、咎めている顔つきだ。
俊は、情けない顔つきになりつつ、肩をすくめる。
「だってさ、俺とクリソツの死体なんて、あんま拝みたくない」
一瞬、目を見開いた麗花は、次の瞬間、苦笑する。
「そりゃそうね、うん、気持ちはわかるかも」
が、すぐに、すまし顔でつん、と言ってのける。
「でも、さぼりはダーメ」
「はぁい」
情けない声を上げつつ、俊はオールを握り直す。

こちらも、ボートで漕ぎ出して遊んでいるカップルのように見える一組だ。
忍と、亮である。
「どうだ?」
珍しく、どこかぼうっとした顔つきで湖面に指先をつけている亮へと、忍が尋ねる。
漕ぎ役を引き受けているので、神経全てを稔探しには費やしていない。
ふ、と顔を上げた亮は、静かに微笑む。
「稔さんなら、大丈夫だと思いますよ。『沙羅さんをお連れしましたよ』と、伝えましたから」
「ああ、水の中なら伝わるか」
頷き返して、忍は湖面へと視線をやる。
このどこにいても、声が聞こえれば迎えに行くだろう。
なるほど、亮はそこまで考えていたわけだ。なんにせよ、ここまで来さえすれば、沙羅を稔の元へと返せる、と。
「どちらも、時間が必要、というわけか」
「そうですね」
稔が沙羅を迎えに行くまでの、それから、ジョーがきちんと言葉にするまでの。
軽く、忍も笑みを浮かべる。
また、湖面へと視線を戻した亮は、ぽつり、と言う。
「もう、麗花にあんな風に歌わせてはダメですよ」
須于の中の沙羅を眠らせるためとはいえ、少々危険な方法だったことは、忍も知っている。
過去の記憶を刺激するようなことは、亮は極力避けてきている。たとえ、相手が忍であったとしても、だ。
「わかってる……悪かった」
「いえ、あの時は、あれが最善でした。謝ることはないです」
顔を上げて、微かに笑みを浮かべる。
それから、ひとつ、重たそうに瞬きをして、視線を逸らしつつも口元がふわ、と軽く開く。
忍は、思わず軽く目を見開く。
「亮?」
「はい?」
視線を戻した亮の顔つきが、なんとも珍しい。
「……もしかして、欠伸したか?」
「眠いときには、欠伸くらいでます」
「眠れそうか?」
「ええ……申し訳ないんですが……」
とろり、とした目つきになって、船のへりへと寄り掛かる亮に忍は微笑みかける。
「ああ、少し、ゆっくり漕ぐよ」
「ありがとうございます」
微かに語尾がかすれて、亮は瞼を閉ざす。本当に、眠ったらしい。
一昨日も昨日も、ほとんど一睡もしていないのだから、眠いには違いない。
でも、いつも精神力で誤魔化してしまうはずなのに。
自分の口元の笑みが大きくなっているのに気付いて、忍は慌てて口元を引き締める。
湖畔へと、視線をやる。
ジョーに、なにを言えばいいか、わかってるか?と問いかけた。
本当は、他人にそんなことを言えた義理ではない。
自分だって、はっきりと口にしたわけではない。
幸せになって欲しい、というのは、友人にだって言える言葉だ。自分の側で、というのだって、少々依存度が高ければ、ありえない言葉ではない。
確かに、あの時は抱きしめたけれど。
亮は、どちらでもない、で構わない、と言ったけれど。
ただ、それを口にしていいのかは、わからない。
どちらでもないと、確信できたから、だから。
そんなのは、許されることではない。
答えは、相変わらず、出ないままだ。
微苦笑が、口元に浮かぶ。
それから、言葉通りに、ゆっくりと漕ぎ始める。



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