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夏の夜のLabyrinth
〜19th  想いの行方〜

■alae・10■



扉を見つめたまま、立ち尽くしている五人に声をかけたのは、健太郎だ。
「早くても、六時間かかる」
振り返った五人の視線を受けながら、健太郎は淡淡と続ける。
「長ければ、十時間も越えるだろう。眠っていても、祈ることは出来るよ、休んでくれ」
休みなさい、という命令ではなかったことに敏感に気付いたのは須于だ。
総司令官という立場にある以上、理性を優先させる、と決めているのだとしても。
それでも、親の顔が、ちらり、とかすめていく。
『Aqua』を守るとか、そういうの以上に、生きて欲しい、という願いを感じる。
「健太郎さんも……休んでらっしゃらないですよね」
「病院の仮眠室を借りるよ」
素直に頷いたのを見て、思わず俊が身を乗り出す。
「俺も!」
あまりに勢いがついてしまって、自分が驚いたらしい。少し、身を引く。
「俺も……病院に残っちゃ、ダメかな」
微かな笑みが、健太郎の口元に浮かぶ。
「さぁ?二部屋も借りられないと思うが」
「え?」
言外に言われた意味を、一瞬取りかねる。が、すぐに気付く。
「俺は、親父と一緒の部屋でも構わないけど」
「そうか?じゃあ、院長に頼んでみよう。ま、俺の頼みを聞けない人間ってのは、少ないけどな」
口元に、ほんの微かに、にやり、と笑みが浮かぶ。確かに、『Aqua』を揺るがす軍事力と経済を統率する人間に逆らえる人間、というのは少ないに違いない。
そのまま、くるり、と背を向ける。慌てて、俊も後を追う。
数歩行ったところで、健太郎はそのまま残っている三人へと、振り返る。
「結果が出る前は、早いかもしれないが……それでも、感謝するよ」
す、と頭を下げられる。
「早くないです、絶対」
きゅ、と手を握り締めながら、麗花が呟くように返す。
もう一度、微妙な笑みを浮かべると、健太郎はそのまま、歩き出す。俊とジョーたちは、軽く手を振り合う。
健太郎たちが、上へと上がった後。
「さて、と」
と、注意を自分へと引いたのは、広人だ。
「後は、仲文と九条の腕を信じるよりほか、俺たちには出来ることも無い。健さんの言うとおり、帰って休んでおく、というのが正しいだろうな」
素直に、三人とも頷き返す。
あまりの大人数が病院に押しかけてても迷惑がかかるだけ、というのは、よくわかる。
出来ることは、本当に祈るくらいしか、ない。
「総司令部まで送るよ、アシ、置きっぱなしだろ」
言われてみればそうだ。総司令部で待ち合わせて、そのまま広人の用意した車で、キャシラへと移動したのだから。
「三人なら乗せられるから、ちょっと待ってて」
言ったなり、広人も背を向ける。
「あ、そっか、あの車、救急車両だったもんね」
どこか、ボケたことに、いまさら気付く。
すぐに現れた車は、スポーティーな広人らしいスマートなモノだ。
ぼそぼそと、お邪魔します、などと言いつつ乗り込むのを待ってから、今度は、ごく普通のスピードで、走り出す。
外へと出ると、もう、東の空が白みはじめている。
こんな空を、何度か六人で見上げたコトがある。
また、もう一度。
そうでありますように。
三人共が、似たようなことを思ったのか、沈黙が車内へ落ちる。
「あーあ、朝帰りでご出勤だよー」
間の抜けた声で、沈黙を破ったのは、広人。
ぷ、と素直に笑ってから、麗花は、背後から覗き込む。
「スーツ変えてから行かないとー」
「ん?」
と、指された膝元を、ちら、と見やった広人は、眉を寄せる。
「げー、クリーニングからもどったばっかだったのになぁ」
そのおどけた言い方に、くすくす、と須于も笑う。
きっと、最高級のタキシードを着ていたのだとしても、あの瞬間、文乃に同じコトを言われたのなら、同じようにしてのけるに違いない。
すぐに見えてきた総司令部の前で、三人は下ろしてもらう。
「じゃ、気をつけて」
軽く手を振ると、広人の車はあっという間に見えなくなっていく。
「広人さんは、信じてるのね」
その後姿を見て、須于が呟く。
耳聡く聞き咎めたのは麗花。
「須于は、信じられない?」
ゆっくりと、首を横に振る。だが、その眉は軽く寄せられる。
「とても、難しいことは確かだわ……そうじゃなかったら、健さんがずっとついているなんて、あり得ないもの」
昨日だって、あんな遅くまで総司令部にいたのは、亮が行方不明になった後始末という仕事が増えたからに違いない。
病院で亮の側にいついているとなったら、一日、総司令官も総帥も休む、ということだ。
健太郎は、早くて六時間、と言った。
それは、ただ、手術が終わるまでの時間であって、その後もある。いろいろと考え合わせたら、結局はそうなるだろう。
それでも、健太郎はそちらを選んだ。
普通なら、当然、自然に選ぶのだろうけれど。
健太郎の立場で、それを選ぶことが、どれほど大変なことなのか。
「最初からわかっていたのに、それだけの力を得ることを、選んだのは自分だ」
ジョーの口調は、責めているものではない。
「……それだけ、難しいことが起ころうとしている」
「亮が、命を延ばすことよりも、その解決方法が優先だ、と思うほどに」
須于が、瞼を落とす。
「……亮は、いつも守ることを選んできたんだんだよ……大事なモノと、一緒に壊れてしまうんじゃなくて」
目を細めながら、麗花は昇りつつある太陽へと、視線をやる。
「大事なモノを、残すことを選んできたんだよね……たとえ」
ふ、と言葉を途切れさせる。きゅ、と手を握る。
「でも、私たちには、亮も大事だもの」
「そうね」
こくり、と須于が頷く。
「帰って、寝ましょう。いつ、交代して看病が必要になるかわからないわ、それに」
「亮は、自分のことおいといて、相手の疲れには敏感だからな」
「そうだね」
絶対に、絶対に。
うまくいきますように。
健太郎が、広人が、言うように、ここまできたら。
祈ることしか、出来ないけれど。

仮眠室とやらに案内された俊は、目をぱちくりとさせながら、周囲を見回す。
「なぁ、ホントに仮眠室か?」
訊きたくなるのも無理はない。
ホテルと見まがうばかりの施設が揃っている。
健太郎が、苦笑気味の笑顔を浮かべる。
「世の中には、『病気の家族の側につきっきりで』なんてのを世間サマの宣伝文句にして、病院相手には権力振りかざして不自由させたら許さない、なんてヤツはけっこういるんだよ」
「はぁ」
ついていけない世界だ。でも、現実に、こうしてきちんと存在しているのだから、事実でもある。
自ら案内してくれた院長も、にやり、と口の端に笑みを浮かべる。
「ちょうど、そういうバカもいないのでね、寝るにはなかなかいい部屋です」
それから、健太郎へと向き直る。
「たまには睡眠不足を解消せんと、特別製目薬でも、最近は誤魔化しきれてないですよ」
「気のせいでしょう」
さらり、と返す。
「まぁ、ともかく、最低六時間は寝れますから」
院長が消えてから、俊は眉を寄せて健太郎の顔を覗き込む。
確かに、眼は明らかに充血している。疲れと睡眠不足のせいだろう。
「院長の言うとおりだけど……特製目薬ってなんだよ」
「んー?一般用の充血取りは役立たないから、特別に調合してもらってる」
スーツの上着を脱ぎながら、あっさりと言ってのける。
「それって、すっげ疲れてるってことじゃ」
くすり、と健太郎は笑う。
「お前だって、天宮に戻ったら使うよ」
それから、まっすぐに俊に向き直る。
「こんな機会は滅多にないから、少し話をしようか?」
「ああ」
確かに、どんな状況であろうとも仮眠が取れるように訓練は受けているが、寝付けそうにないと思う。
頷いて、ホテル並みの施設である証拠のヒトツである冷蔵庫から、小さなお茶のペットボトルを取り出す。
そして、グラスに注いで、腰を下ろす。
「佳代さんが知っていること、というのは、お前たちの血縁上の母親が誰か、ということと、亮に性別がない、ということだな」
「俺ら、旧文明産物使って生まれたろ」
佳代は想像がつかないだろうが、俊には話でそこまで察することが出来るだけの知識は得ている。
「そう、お前らの父親は第一級犯罪者だということ」
にやり、と健太郎は笑う。
「それから、俺がいつも何時に帰って来てたか、覚えてるか?」
「ああ、覚えてる。週二回以外は、日付変更線踏み越えなきゃメデタシ」
「そういうことだ、数十万の人間の運命を手にするからには、それなりにやることはある」
淡淡とした口調で言い、健太郎はグラスを手にする。
「好き好んで、背負うモノでもない」
俊は、まっすぐに健太郎を見返す。
「それでも、誰かが背負わなくちゃならないなら、俺がやりたい、と言うのは考えなしな発言になるのか?その……すっげ僭越な発言と思うんだけど、誰かに譲るくらいなら、俺が継ぎたいってのは……アレか?」
ふ、と健太郎の顔に、笑みが浮かぶ。
イチバン、俊がよく知っている笑顔。
それは、父親そのものの。
「いや、わかったよ。戻って来い」
「あのさ、親父」
久しぶりの笑顔につられるように、自分が息子になっていくのが、わかる。
「ん?」
「親父にとっては、イチバン大事な人が母さんだってのは、すっげよくわかってるつもりだよ、今では……でも、なんつーか……」
「オフクロ、は佳代さんだろ、それは、お前にとっては当然だろうな」
まったく顔色を変えることなく、健太郎は言ってのけた。
思わず、まじまじと見つめてしまう。
穴あくほど見つめても、なんの含みも見つけられない。
「お前には、ちゃんと佳代さんのいいところも受け継がれてるよ」
「親父……」
「麻子と出会ってなくて、お見合いしたんだったら一緒にいたと思うよ、いまでも」
健太郎の空いたグラスに、お代わりのお茶を注ぎながら俊は言う。
「あのさ、亮の手術が上手くいったら」
軽く首を傾げた健太郎に、一気に言う。
「俺も、母さんに会いに行ってみたいんだけど……」
「ああ、麻子も喜ぶよ」
ふ、と柔らかな笑みが浮かぶ。
「その、写真とかさ、あるのか?」
やはり、それはそれで、気になる。
素直に口に出来たのは、佳代のことを真剣に嫌っているわけではなく、むしろ認めてくれているのがわかったからもしれないが。
「写真もなくはないけど、生き写しがいるけどな」
「え?」
きょとん、とする。
「毎日のように、見てただろうが」
「あ……」
自分よりも、なにもかもが華奢なつくりの、美人としか言いようがない姿。
「そっか、亮って母さん似なのか」
仕事優先のあたりとか、性格的なものは健太郎に似ている気がして、そこまで考えが回っていなかった。
そういえば、佳代も生き写し、と言っていた。彼女にとっては、少しでも面影があれば、そう見えるだろう、と流していたのだが。
健太郎が言うのだから、本当にそうなのだろう。
と、同時に。
なぜ、健太郎があれほどまでに凍りついたように頑なであったのかも、わかった気がした。
俊も、一瞬思ったことだったけれど。
自分が誰よりも想った人に生き写しの子が、想った人と同じ年で死に瀕しているとなったら。
だからこそ、忍の抑えきった感情を誰よりも察っすることが出来たのだろう。
そうでなければ、期限すら、口にしなかったかもしれない。
考えに沈んでしまった俊に、健太郎はぽつり、と言う。
「それでもってお前は、俺似らしいよ」
「らしいって?」
「亮が、言っていた」
「俺、聞いたことない」
健太郎の顔に、苦笑が浮かぶ。
「そりゃそうだろう、息子騙すような父親に似てるなんて言われて嬉しいとは、普通思わない」
またも、まじまじと健太郎を見つめてしまう。
自分の想いを貫くためにしたことが、どういう風に周囲を傷つけたのか、健太郎は知っている。
そして、自分を許してはいない。
そうなるとわかっていても、それでも、なお。
冷静な顔を、し続けながら。
「で、そんな親父って、いいよなって思うあたりは、母さんからもらってんのかな」
飲みかかったお茶を、健太郎は奇妙な顔で飲み込む。
噴出しかかったのを、どうにか堪えたらしい。
「気味悪いこと言うな、バカ」
顔が赤くなった父親、というのを、初めて眼にして、俊はぷ、と笑ってしまう。
それから、どちらからともなく、時計を見上げる。
まだ、一時間も経っていない。
長い、永い、時間。
早くて六時間、という手術は、まだ序の口に違いない。
「寝るか」
健太郎が、立ち上がる。
「それが、イチバン、早く過ぎそうだ」
どうやら、健太郎にとっても、とてつもなく長い時間であるらしい。
素直に頷いて、俊も立ち上がる。
ホテル並みにイイ感触のベッドに横たわり、灯りを、小さくしてから。
「もし、手術してるのが母さんだったら……」
「自分でやってるかもな」
ぽつり、と返事が返る。
健太郎は、医師の資格を手にしているのだ。天宮の家を継がず、独りで生きていく為に。
「おやすみ」
そのまま、健太郎の方からは寝息が聞こえてくる。どうやら、訓練の習熟度は断然上であるらしい。
俊も、瞼を閉ざす。

どちらの目覚める気配に、どちらが反応したのか。
ともかく、ほぼ、同時に目が覚めたらしい。
顔を見合わせて、苦笑する。が、これ以上は眠れなさそうなので、起き上がる。
なんだかんだで、あれから七時間ほど、しっかりと眠ったらしい。ようするに、手術が始まってから、八時間。
連絡が何も入らない、ということは、まだ、終わっていないということだ。
訓練されてる、とはいえ、それだけの時間眠れた、ということは、疲れている証拠でもある。
携帯を手にして、外部からの連絡もチェックしていたらしい健太郎が、ふ、と笑う。
「さすがに、遠慮してるらしいな」
子供が緊急手術中だ、というのは財閥の方も総司令部の方も、知っているということだろう。
そうでなければ、こんな余裕は取れないのだろうが。
天宮を継ぐ、ということは、そういうことだ。
それでも、もう、決めたことだから迷わない。
さて、というように、二人が時計を見上げた時だ。
室内ホンが、鳴る。
顔を見合わせてから、健太郎が、受話器を取る。



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