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夏の夜のLabyrinth
〜19th  想いの行方〜

■alae・11■



「そうですか」
応える健太郎の顔に、明らかに安堵の色が浮かぶ。
こんなに、はっきりと見える感情は初めてかもしれない、というほどに。
それだけで、確信できる。
成功したのだ。
受話器を置き、す、と立ち上がった健太郎と一緒に、俊も立ち上がる。
こちらを向いた健太郎の顔に、笑みが浮かんでいる。
「成功だ、最後までお前たちと一緒にいけるよ」
俊の顔にも、じわり、と笑みが広がってくる。
「良かった……」
「ああ」
軽く頷いて、二人は歩き出す。
亮に、会うために。

二人が降りていくと、すでに亮は集中治療室への移動を終えていた。手術は成功としたとはいえ、意識がはっきりするまでは予断を許さない。
それでも、ガラス越し見える亮の胸は、微かだが、確かに上下している。
呼吸器も、何本もの点滴も、見える腕や胸元には包帯の白さばかりだとしても。
それでも、生きていてくれている。
仁未が、健太郎たちに状況を説明する為に集中治療室から出てきてくれる。
「院長からも連絡が入ったかと思いますが、成功です」
「ありがとうございます」
二人で、頭を下げる。
仁未は、首を横に振る。
「いえ、亮くんががんばってくれたからです……本当にすごくがんばってくれて」
集中治療室にも、忍はついていっている。
亮の枕元を、そっと覗いているのが、見える。
そちらへと視線をやりながら、仁未は続ける。
「全身麻酔からの目覚めもよかったので、あと数時間もすれば意識も戻るでしょう」
「そうですか」
返事を返した健太郎に、首を傾げる。
「入りますか?」
「そうですね」
頷いてから、俊へと見返る。
「連絡、するだろう?」
「ああ、もちろん」
ジョーたちに、成功を伝えなくてはいけない。三人も、いまかいまかと家で待ち続けているはずだから。
「じゃ、戻ったら外に出すから」
と、視線で忍を見る。
八時間に及ぶ手術に、ずっとついていたのだ。
それに。
成功した、とわかった途端、思い出した事実がある。
亮が行方不明になった、と知ってから、なにも口にしていないのだ。ようするに、昨日の夕飯からずっと、ご飯抜きで過ごしている。
気付いた途端、きゅるるるるっと胃が主張する。
「俺、飯も買ってくるわ」
「ああ、そうした方がいいな」
ふ、と健太郎も微笑む。
背を向けて、訓練しといてよかった、と思う。
病院に迷惑がかかるような足音を立てることなく、でも、思い切り早く走ることが出来るから。
早く、三人に伝えてやりたいから。
手術が成功した、ということ。
亮が、生きている、ということを。
電話を取ったのは、須于だった。
「成功だ、成功したよ!」
俊が興奮気味に伝えると、涙声になる。
『良かった、良かったわ……ホントに、良かった……』
きゃー、という、絶叫に近い麗花の声が、向こうから聞こえる。
そのまま、須于は泣いてしまったらしく、ジョーが変わる。
『それで、どうなんだ?』
「ああ、まだ集中治療室で、完全に麻酔からも覚めてないんだ―――ああ、会えるようになったら、また連絡するよ」
伝えるべきことを伝えて、電話を切る。
病院内にあるコンビニで軽く食べられるものを買ってから集中治療室の前へと戻ると、忍と一緒に亮を覗き込んでいた健太郎が気付いて、忍の肩を軽く叩く。
顔を上げた忍は、俊が軽く手を振ると、大人しく立ち上がる。
亮はまだ、眠ったままのようだ。
静かに瞼を閉ざしているのが、見える。
滅菌服を脱いでから出てきた忍は、さすがに目が充血している。
「大丈夫か?」
ふ、と笑みが浮かぶ。
「ああ」
休め、と言われても休まないであろうことは、よくわかっている。
俊は、手にしているビニール袋を軽く振る。
「少し、腹に入れろよ」
「そうだな」
迷惑にならなそうな場所を探して、二人して腰を下ろして。
「梅とおかかとたらこと、シャケ」
「梅」
俊自身は、おかかを手にする。
「伝えたか?」
手術が成功したことを、ジョーたちに、だ。
「ああ」
そのまま無言で、二人ともおにぎりを二つずつ、たいらげる。それから、お茶を飲み干して。
ぽつり、と忍が言う。
「サンキューな」
「なにが」
忍の視線が、こちらを向く。どうやら、素で俊がわかってないらしい、ということに気付いて、ふ、と忍は微笑む。
「あ、俺のことバカにしてるだろう」
「ないって、感謝してるって言ってるのに」
ぷい、と俊は口を尖らせる。
「じゃ、なんで笑うんだよ」
「だってさぁ、お前って人のイイところ見つけるの得意なくせに、自分がなにやったかってちっともわかってないんだよな」
「え?」
笑顔のまま、忍は言う。
「だから、お前が俺が言うこと言えって言ってくれなかったら、俺は亮を連れて来れなかったってことだよ」
驚いたように、俊は目を見開く。
「え?俺、そんなこと言ったか?」
「だから、気付いてないっての」
押し殺したような声で、でも、忍は笑っている。
笑い終わって、二人して、晴れ渡った空を見上げて。
忍が、言う。
「最後まで一緒に行けるな」
「最後までって……」
健太郎も、そう口にした。どういう意味か、と問いただそうとしたのは、その、健太郎の声に遮られる。
「ああ、ここにいたのか」
視線を向けた二人に、手招きしきしてみせる。
「ちょっと、話がある。いいか」
「ああ」
「はい」
立ち上がると、健太郎について歩き出す。
連れて行かれた先は、行き慣れた仲文の研究室だ。しかも、仲文もいた。
どうやら、亮には仁未がついていてくれているらしい。
「ええと……?」
俊は怪訝そうに仲文と健太郎を交互に見やるが、忍は落ち着いた顔つきで、立っている。
その顔つきを見て、忍は、いまから言おうとしていることに気付いている、と仲文たちにはわかったらしい。
ふ、と痛みのある表情を、仲文が浮かべる。
「すまない、俺の力不足だ」
「いえ」
忍は、静かに、だが、はっきりと首を横に振る。
「とうに、再生能力を失ってしまっていた神経を繋いだだけでなく、しばらくは持つようになった……成功ですよ、ありがとうございます」
深々と、頭を下げる。
健太郎も、頷く。
「忍くんの言うとおりだよ、五歳で退院する時には、いつ倒れてもおかしくない状態だったんだから……それがこれだけ持って、その上、まだいくらかの時間をもらえたんだ、俺からも、感謝するよ」
俊の眼は、見開かれたままだ。
仲文が、俊へとまっすぐな視線を向ける。
「健さんとも、相談したんだが、全て知った上で亮を探してくれて、そして唯一の亮の兄である君に事実を知っていてもらおうと思う」
眼を見開いたまま、俊は、こくり、と頷く。
「確かに、俺の手術は成功したよ、今日明日、ということはない。でも、もう、完全に再生能力を失っているものを、そう何度も繋ぎなおすことは、出来ないんだ」
一度、答えは、忍と健太郎の口から告げられた。
でも、主治医であり、手術執刀医の仲文から、はっきりと聞くべきことだ。
「一年は、もつかどうか俺にも保障は出来ない」
ずしり、と来なかったか、と言えば、嘘になる。
でも、それでも。
なぜ、忍が、健太郎が、最後まで、と口にしたのかがわかる。
あのままだったら、いま、もう、亮は生きてさえ、いない。
血を吐き続けて、自分たちの手の届かないところで、死んでいっていたろう。
ふ、と笑みが浮かぶ。
「それでも、俺たち、最後まで一緒に『第3遊撃隊』として走れるから」
素直に、頭が下がった。
「ありがとうございます」

術後は順調だ、と仲文は説明してくれた。
意識さえ完全に戻ってしまえば、集中治療室も出られる、と。
だからといって、すぐに退院できるわけではない。入院の為の準備も必要なので、俊は一度、家へと戻る。
再度、集中治療室に忍と健太郎が入り、仲文は仁未と交代する。
その時の受け継ぎでなにを聞いたのか、仁未は微かに微笑んで、頷く。
そして、集中治療室を出た仁未は、携帯を取り出す。
メモリーを呼び出すのも、もどかしそうに通話にする。
『おう』
簡潔でぞんざいな、広人の声が返ってくる。
「成功したわ、本当なら仲文が伝えるべきなんだけど」
『ああ、ヤツはいつものこった』
少しの沈黙の後、滅多にない静かな声が返る。
『ともかく、最後まで行けるんだな、お疲れさん』
「高崎くんこそ、お疲れサマ」
その言葉には、いつも通りの声で返ってくる。
『ああ?俺は別にそうはなんもしてねぇけど……あ、仲文にスーツのクリーニング代、もつよう言っといて』
「え?」
何の話か見えずに、問い返す。
『それから、文乃さんにも成功したって、伝えといてくれよ、今度、九条歓迎会兼仲文成功祝賀会やろうぜ、俺、仕事だから、じゃな』
一気にまくしたてられた挙句、一方的に切られてしまう。
首を傾げつつ、文乃も心配しているであろうことは察して、電話をかける。
『そうですか、ようございました』
静かな声が返る。
『仁未さんにも、随分と造作をかけましたことでしょう、感謝いたします』
電話向こうで、深々と頭を下げているのだろう。
思わず、仁未も下げ返す。
「いえ、私に出来ることをしただけですから」
『仲文さんは、幸せ者です。土下座してでも、望みを叶えてやろうという親友と、何年もの研究をして協力して下さる、貴女という方がいて』
「はい?!」
広人がどうやら、土下座したらしいという事実よりも、その後のほうが問題だ。
付き合いは保留中、なのだから。
『今後とも、仲文さんをよろしくお願いいたします。末永く』
ふつり、と電話は切れてしまう。
呆然と、携帯を見つめる。
留学する時、何度も考えた。
これは、自分の為だ、と。仲文に役立つなら、使うのも悪くない、と。
でも、心の奥で、もう、あんな傷ついた仲文を見たくない、と思っていたのを、きっちりと見抜かれていたらしい。
それは、広人にも、かもしれない。
「でも、仲文の方から『保留』取り下げたら、だからね」
誰にでもなく告げると、仁未は踵を返して歩き始める。
少し頬を染めながら。

手術が終わって二時間ほどしてから。
亮は意識を取り戻した。
自分の意思で動くことが出来る、ということを、確認するかのように、ゆっくりと瞼を開いていく。
最初に、忍の笑顔が視界に入ったらしい。
ふ、と微笑む。
それから、健太郎に向けて、こくり、と頷いてみせる。
健太郎も頷き返すと、忍へと頭を下げてみせてから、その顔から父親の表情を消すと、仕事へと戻っていった。
その後、仲文の予告どおり、通常の病室へと移動する。
二人きりになってから呼吸器をはずしてしまった亮に、忍は首を傾げる。
「大丈夫なのか?」
「ええ、手術前よりも、呼吸しやすいくらいです」
それだけ、しんどかったということだ。
声も、手術室に入る前よりも、ずっとクリアになっている。喉も楽になったのだろう。
苦笑を浮かべて、忍は亮のおでこをこづく。
「バカ」
「すみません」
苦笑は、ふ、とやわらかい笑みにと変わる。
それから、そっと、まだ顔色が白い、それでも、手術前よりはずっと血の気のある頬へと手をやる。
確かな体温が、そこにある。
「よく、がんばったな」
亮は、首を横に振る。微かな、でも痛みのある笑みが浮かんでいる。
「いいえ、謝らないと……」
「謝ることなんて、どこにもないよ」
医師の資格を持ち、誰よりも自分の躰のことを知っている亮には、誰に告げられなくても、事実はわかっている。
忍の笑みが、大きくなる。
「最後まで、一緒に行ける。それだけは、確かになったじゃないか」
「忍……」
そっと、頬をなでる。
「そりゃ、贅沢言ったらいくらでも出てくるぜ?」
痛みを帯びた表情が、浮かぶ。
「亮が、一人で苦しむ前に、出会えたら……こんなに苦しませることなんて………」
それが、きっと、なによりの本音。
亮は、もう一度、首を横に振る。
「忍は、気付いてくれました」
言葉を捜すように、一度、口をつぐむ。
「何度否定しても、拒絶しても、諦めずに手を引いてくれました」
ふわり、と笑みが浮かぶ。
「だから、いま、ここにいられます」
自分の頬に触れている手に、そっと、亮は手を重ねる。
「約束、しなおさせてください」
穏やかな、でも、まっすぐな視線が、忍を見つめる。
「出来る限り、努力します……生き延びることを」
自分の手よりも、大きいその手を、大事そうに握り締める。
暖かくて、優しくて。
いつも、自分に伸ばされている。
離したくない、手。
ずっと、そんなことは口にすることすらおろか、思うことすら許されないと決めてきた。
そんなことない、と、ずっと忍は告げ続けてくれていたのだ。
誘拐された時も、あの雪の日も。
『第3遊撃隊』の軍師として、出会ってからも。
死、というカタチで消えようとした自分を、それでも。
それでも、望んでくれた人。
「忍がいなかったら、きっと知りませんでした……誰かが側にいることが、暖かい、とは」
穏やかな声が、静かに続く。
「俊と理解しあえることもなかったでしょうし、皆が望んでくれることが、こんなに暖かくて嬉しいと知ることもなかったでしょう」
きゅ、と忍の手を握っている手に、力がこもる。
瞼が、伏せられる。
「好きです」
忍の眼が、見開かれる。
確かに、自分はその単語を、亮へと告げた。
実のところ、それで充分と思っていた。
そして、命消える時には、自分の側がいいと望んでくれたことは、十二分だと。
生きる、と言ってくれたことは、望外だと。
まさか、返ってくるとは。
感情を殺していってしまう亮の口から、聞くことが出来るとは。
ふ、と笑みが浮かぶ。
そっと、亮の顔を覗き込む。
「亮?」
「はい」
いくらか、音量が下がった声で返事が返り、そっと瞼が開く。
目前に忍の顔があるのに気付いた亮の頬が、染まる。
「な、なんでしょう?」
「ちゃんと、瞳を見て言ってくれないと」
口の端に、イタズラっぽい笑みを浮かべる。
「俺もちゃんと、瞳を見て言ったつもりなんだけどな?」
冗談めかした口調とは、口元に浮かんだイタズラっぽい笑みとは裏腹に。
その瞳は、痛いくらいにまっすぐで。
「………」
いくらか、亮の頬は、先ほどよりも血の気が多くなったようだが。
「好きです」
ふ、と照れた笑みが忍の顔に浮かぶ。
「ありがとうな」
そっと、染まっている両頬を包み込む。
「好きだよ、誰よりも」
こくり、と頷いてから、亮の顔にも、笑みが浮かぶ。
人差し指で、軽く触れた後。
確かに、そこに、息づいているということを確かめるように、そっと。
ゆっくりと、唇で触れる。



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