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夏の夜のLabyrinth
〜19th  想いの行方〜

■alae・8■



にっこり、と広人はいつも通りの人当たりのいい笑みを浮かべる。
「こんばんは、文乃さん」
「いい年して、訪問の礼儀から教えないといけないかしらねぇ」
にっこりと微笑み返されてはいるが、目付きが間違いなく凍っている。ここで気圧されてたら話が進まないので、広人も微笑んだまま返す。
「礼儀も状況によりけり、違いますか?」
「状況とは、なんのことです?」
「一分一秒でも早く、亮を連れて帰りたいので」
文乃の表情は、全く変わらない。
「亮さんがどうかしましたか?」
「ええ、ここにいるのを、連れて帰りたいです」
広人も負けてはいない。にこり、と笑っているが、眼光が尋常じゃなくなっている。犯人を追い詰める時そのものの眼光に動じない文乃は、やはり、ただ者ではない、ということだろう。
「なぜ、ここにいると思うのですか?」
「あと一日二日という躰を抱えて、邪魔されずにいようと思うならば、ここがイチバン安全だからです」
「そうですか。邪魔されたくない、と亮さんが思っている、と思うわけですね」
文乃の笑みが、心なしか大きくなる。
「では、どこにいるのかはともかく、家に帰るのが最も正しい選択ではないですか?」
「いえ、それは亮の都合ですから」
「あなたの都合が最優先、というわけでしょうか?」
笑顔のまま、文乃が問う。
広人も、笑顔のまま返す。
「おわかりいただけて嬉しいですね、というわけで、よろしいでしょうか?」
す、と一歩進みかかった広人の前に、音も無く立ち直す。
「あなたがご自身の都合を優先させるなら、私が私の都合を優先させても文句はございませんわよね」
「なるほど、それは一理ありますね。では、お願いをしてみましょう、一歩譲っていただけませんか?」
「お断りいたします」
広人の視線が、一瞬下へと落ちる。
が、顔を上げた時には、その視線はさらに強くなっている。
「仲文が、伏して頼んだとしても、駄目とおっしゃるのでしょうか?」
「あなたは、広人さんであって仲文さんではないですよ」
「そうですね、でも仲文の意思を預かって来ました」
「どのような意思をです?」
広人の顔から、笑みが消える。
「亮の命を、今日明日では絶対に終わらせない、という意思です」
「意思だけでは、どうしようもないと知っているはずです」
仲文の研究は、両親には間に合わなかった。文乃は、そのことを痛いほど知っているし、広人の口ぶりから、仲文が現在進行形で亮を救う方法を探し続けていることを、察しているのだ。
まだ、確実な手段を手に入れきったわけではない、ということを。
「それでも、チャンスを与えられてもいいはずです」
「それが、亮さんの意思を無視することになってもですか」
「ええ、無視しても、です」
まったく、悪びれる様子もなく広人は言ってのける。
「いま、亮がすると決めていることは、後で出来ますから」
「その可能性が限りなく低くてもですか」
「はい」
「それは、あなたの意思ですね」
「そうです」
文乃は、少し考えるように首を傾げる。
「あなたは、仲文さんの意思を預かってきた、と言いましたね。仲文さんも、同じことを思っていますか」
す、と視界から、広人が消える。
「仲文に、チャンスをやってやって下さい」
声は、下から聞こえた。
文乃が視線を落とすと、広人は土下座している。
「あの時の二の舞にはしないと、努力するチャンスくらいはやって下さい」
顔だけが、射抜くような視線だけが、文乃へと向く。
「あなたの意思は、本当に亮と同じですか?あの時の二の舞をあなたの手で作り出したいんですか?」
まさか、広人が土下座するとは思っていなかったらしい。
かすかに、表情が揺れる。
広人は、もう一度、頭を下げる。
「頼むから、仲文にチャンスをやって下さい」
「……おてをお上げなさい」
視線が合ってから、文乃は尋ねる。
「で、亮さんを説得出来るだけの自信が、あるのですか?」
ふ、と広人の顔に笑みが浮かぶ。
立ち上がると、後ろを指す。
「それは、彼らの役割です」
文乃が、不思議そうに首を傾げる。広人の合図を待っていたかのように、車内からはまず、銃を手にした青年が降りてくる。
それだけで驚くのは、まだ早かったらしい。
次に降りてきた女の子は、なんと手にナイフをびっちりと持っている。
その次の女の子も、なにやら手にしているらしいし、次の青年は棒のようなモノ、そして、最後に降りてきた青年は、夜目にも鮮やかな朱鞘の剣を手にしている。
文乃の前に揃うと、にこやかに微笑んで頭を下げる。
「今晩は、夜遅くにこんな人数で押しかけてすみません」
口にしていることは、実に殊勝で礼儀正しいものだが。
姿は、どう見ても異様だ。
「さっそくですが、中に亮がいますよね」
あっさりと確認に入ったのは、麗花だ。俊が続ける。
「きっと、誰が来ようといないと言えと言われてらっしゃるでしょうし、最悪いるのがわかっても、絶対に通すな、と指示されているかと思いますが」
「亮なら、私たち五人の声くらいなら、雑音にもならないはず」
ジョーの後を、にこり、と微笑んだ須于が締めくくる。
「通信機は持っているはずですから、こちらの音声だけ、入れてください」
一方的な要求に、文乃は動じた様子なく微笑む。
「それは出来かねる、と言いましたら?」
「邪魔はよけて、家捜しします」
笑い返しながら、忍がさらり、と龍牙を抜きはらう。
「亮も、文乃さんに多少なりと危害が及んだり、この家に支障が出ることは望んでないでしょう」
「まあ、脅迫ですわね」
「脅迫ではなく、事実ですよ」
あっさりと言ってのけた忍の脇から、須于が一歩前に出る。文乃の着物の胸元を見て、にこり、と微笑む。
「でも、最初のお願いはしなくても良かったみたいですね、そこに、通信機があります」
ぴたり、と指してみせる。
一瞬、後ろに引いていた広人が目を見開いたから、プロでも気付かないくらい巧みに隠されていたはずなのに。
文乃の表情が微かに揺れたのを見逃さず、すい、と須于は、もう一歩寄る。
「失礼します」
まったく無駄の無い動きで、須于の手には言葉通り、ほんの小さなマイクが摘み取られている。
「聞こえてるなら、話は早いな」
と、俊。
すう、と大きめに息を吸う。
「俺たち、過去のこと、思い出したよ」
「と、いうわけで、やってる仕事は、少なくとも軌道修正必要になった」
ジョーの口調は、ぼそり、とした相変わらずのものだったが、麗花は不機嫌そうだ。
「私、亮からの直の指示しかきかないよ」
いきなりストレートに来たので、思わず俊もジョーも、麗花を見つめる。
「雪華連れてきても、ムダだからね」
眼に、いっぱいの涙が浮かんでいることに、気付いたのは忍。
「亮以外の指示は、健さんだったってダメなんだから。絶対に、ダメなんだから」
声が、にじむ。
大事な人を不条理なカタチで失ってばかりなのに、麗花は誰かを大事に思うのをやめようとはしていないのだ、と気付かされる。
リスティアに来て、出逢った『第3遊撃隊』も、麗花にとってはかけがえないモノなんだ、と。
だから、亮を失いないたくない。
少なくとも、最後までは諦めたくない。
大きく見開かれたままの瞳から、ぽろり、と涙が零れていく。
「亮じゃなきゃ、嫌だからね、ダメなんだから」
忍が、ハンカチを出してやる。
須于が、マイクに向かう。
「あのね、亮、もうヒトツ、私たち、わかったの」
少し、大きく息を吸う。
「私たちの最初にこなしたのって、いじめっ子退治だったのね」
「忍が剣士で、俺が王子、ジョーが騎士で、須于がアリスで、麗花が姫」
忍が、やっと口を開く。
「天使は……亮だ」
その一言を言いながら、気付く。
我知らず、口元に笑みが浮かんでくるのがわかる。
「あれがあったから、『第3遊撃隊』なんだな」
亮はあの出来事をヒントに、どうやって現在の環境で『緋闇石』と対峙するのか、考えついたのに違いない。
なんの根拠も無く、六人揃えばどうにかなる、など、考えられない。
忍の言葉で、俊たちも気付いたようだ。
「遊撃隊って、私たちの為に造られた組織なのね?」
「麗花の言うとおりだよ、俺たち、亮じゃなきゃ」
「ああ、最強にはなりえない」
届きますように。
声と、それから。
マイクは、一方的に声を届けるだけだ。
その先で、亮がどんな顔をしているのか、見ることも聞くことも出来ない。
でも、確信出来る。
絶対に、いま、この瞬間は、指示を打ち込む手を止めている。
俊の、須于の、麗花の、ジョーの、必死の声を瞼を閉ざして聞いている。
躰よりも、心を痛めながら。
忍は、マイクではなく、家の奥へと視線を向ける。
「……亮、顔、見えるとこまで行くぞ」
その視線を見て、す、と一歩、文乃が引く。
「お通りなさい。部屋は、すぐにわかるでしょう」
五人は素早く視線を見交わす。
俊が、軽く頷いてみせて、忍が、一歩出る。
龍牙を収めて、そして、その後姿は家の中へと消える。
見送る俊たちも、手にしていた得物を収める。いざということきは、本気で脅してもおとしても踏み込むつもりだったが、もう、それは必要ないから。
四人の視線は、祈るように家の方へと注がれたままだ。
一歩下がったままの文乃も、車に寄り掛かっている広人も。
その視線を、亮のいるはずの方へと、向けたまま。

靴を脱いで、玄関へあがって。
文乃が、すぐにわかる、と言った意味はわかる。
灯りが漏れている部屋がヒトツしかなかったからだ。
そこに、亮がいる。
忍の足は、躊躇うことなく、そこへと向う。
目前までくれば、軽やかに響くキーボードの音。
周囲が、純和風の造りだということ以外は、いつもの総司令室に向かう時と変わらない。
いや、この緊張感は。
亮が、初めて『第3遊撃隊』に現れた日と同じかもしれない。
忍の気配が、そこまで来た、ということに気付いているはずだ。でも、あの時と同じく、亮の手は止まらない。
亮らしい、と思う。
微かに、自分の口元に笑みが浮かぶのがわかる。
ふすまを、静かに開ける。
いつの間に、これだけの準備をしていたのか。最初から、いつかはこうなるとわかっていたから、そっと文乃と準備を進めていたに違いない。
目前に広がっている光景は、『第3遊撃隊』宅の総司令室の縮小版だ。
多量のモニター全てから、音声と映像がすさまじい勢いで流れているのも、忍にとっては見慣れたもの。
そして、その真ん中に据えられた椅子に、見慣れた細い後姿。
数時間前に、あれだけ大量の吐血をしたとは思えないくらいに、いつも通りの。
忍が真後ろまで来ているのに、手が止まらないのも。
事件の最中なら、当然の姿で。
これだけ忙しなく手も視線も動いているのに、上半身を動かした時に、バランスとる為に動くはずの足が、ぴたり、と動かない。
たぶん、もう、足は動かないのだろう。
自分の意思で、どこから止まるか、それさえも制御してる。
そうまでしても、亮は『Aqua』を壊さない為の方法を、残そうとしている。
あまりにも亮らしくて、忍の口元に浮かんでいた笑みが、少し大きくなる。
きっと、俊たちは怒るだろう。自分の躰を優先しろ、と。
それが、当然で、本当なら自分もそれを口にしなくてはならないのかもしれない。
でも、いまの忍の中に、怒りはない。
俊たちに託された無言の願いは知っている。でも、それを強引にするつもりは、ない。
こちらを振り返らなくても、なにも言わなくても、亮がこの音声に混じる有機質の声を聞き分けられることを、忍は知っている。
いつもよりも、少し、息を大きく吸い、口を開く。
「正直言えば、もう迷ってないかっていうと、嘘になるな」
ほんの微かだが、亮の首が傾げられるのがわかる。
なにを、と問うているのだろう。
「俺の勝手を、言うコトを」
『Aqua』を守ること。
それを選んだのだと、わかっているから。
「人の生死をこちらの勝手で願うことほど、僭越で我侭で身勝手な発言はないと思うから」
それでも。
「それでも、考えてた……ずっと、俺の中にあるのは、現在の俺が想ってるのか、過去の俺の想いなのか」
亮の手は、止まらない。
忙しくモニターを確認し、そしてなんらかの指示を入力して、シュミレート結果を叩き出しては修正をかけていく。
無視しているわけではない。
亮は、どちらもしてのけられるだけの能力があるだけだ。
「やっとわかった」
なんの反応もなく無表情でいる時は。
忍は、一度、瞼を落とす。
一番、いまから言おうと思っていることを、したくなる時。
それは、亮が、自分の中の感情を、殺そうとしている時。
緩やかに穏やかな笑みが浮かぶ。
こちらを振り返らなくても、亮は忍が、まっすぐに見つめていると知っている。
「過去の記憶なんて思い出すずっと前から、俺は、亮を守りたいと思ってる。間違って誘拐された時も、雪の日に出会った時も、軍師になってからも」
ふ、と亮の手が、止まる。
入力が止まったので、シュミレーションが止まる。シュミレーションの停止で、処理待ちの情報も。
まるで、凍りついたように、部屋の動きが止まる。
亮は、それでも振り返らぬまま、停止したモニターを見つめている。
忍は、緩やかに、椅子に座ったままの亮へと、腕を回す。
「好きだ」



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