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夏の夜のLabyrinth
〜20th 蒼惑星〜

■eternal・12■



大地と共に逝くのなら、それも運命、と言い切っていた草の民たちも、病を押して微行してきた公主には、驚いたらしい。
眼を丸くして、迎え出て、すぐに族長のゲルへと案内してくれる。
族長も、いくらか驚いた表情だ。
「衛兵を、全く連れずにおいでか」
「私には、彼女がいれば充分よ」
麗花は、笑みと共に、一歩後ろに控えている雪華へと振り返る。
アファルイオ公主としては、あまりに身軽だが、雪華がどのような腕の持ち主かは草の民たちは良く知っている。
納得した顔つきで、頷いてはみせる。
が、いくらか警戒感をもった顔つきなのは、否めない。
「病の方は、いかがなのか」
「いつでも社会復帰出来るつもりよ」
笑みを消さずに麗花が言うと、雪華が、軽く眉を寄せる。それだけで、本人が思っているほどには体調が戻っていないと周囲は判断するわけだ。
そこらへんの呼吸は、ぴたり、と合っている。
「ご無理は禁物だ、大事になさい」
「お心遣いは、ありがたく頂くわ」
にこり、と笑みは大きくなるが、視線はまっすぐに族長を見つめる。
族長は、いくらか困った表情になる。
視線の強さは、朔哉譲りと言っていい。草の民の前に立ちはだかり、ほとんど殺傷することなく勝利を収めた風騎将軍に。
草の民たちの間では、朔哉はいままでのアファルイオ王とは別格の扱いだ。
その、彼を思い出させる瞳に、ひた、と見つめられるのに耐えられなかったらしい。
麗花は、微笑んだまま、視線を地へと落とす。
静かに、手で触れる。
「まだ、眠っているようね」
「地が起きる時には、意思がある」
静かだが、力強い声で族長は答える。
「そうね、『地球』であれば、そうだったでしょう」
地に手を置いたまま、麗花はさらりと言ってのける。
族長の眉が、ぴくり、と動く。
笑みを乗せたまま、麗花は族長へと視線を向ける。
「ここは『地球』ではなく、『Aqua』よ。人工の星ということを、忘れてはいけないわ」
ひた、と相手の瞳を見据えたまま、続ける。
「大なり小なり、造り上げた者たちの意思が絡んでるモノよ。そして、それは、人間の意志であって、地の意思ではないの」
無言のままだが、族長の表情だけではなく、周囲を固めている草の民皆の表情が凍り付いている。
それを知りながら、麗花は淡々と続ける。
「純粋な地の意思に従うのなら、私だけではなく、兄たちも止めないでしょう。それが、あなた方の信念と、胸に刻んでいますから」
視線はまた、地へと落ちていく。
「あなた方が、唯一認めた王である兄ならばどうするか、ずっと考えていたわ……そして、わかったの」
にこり、と笑む。
「絶対に死なせたりはしない、と」
「あれほど、我らの心に理解を示して下された方が、か?」
凍てついた声で、族長は問う。
「ええ、絶対に。だって、大好きだから」
まさか、大好き、という単語が公主の口から出てくるとは思わなかったらしい。皆、虚をつかれたような顔つきになっている。
しばしの間の後。
静かに口を開いたのは、麗花の後ろを守り続けていた雪華だった。
「風騎将軍様は、国が落ち着かれた後、王を辞して草の民と共に過ごすおつもりでした」
驚いた顔つきになったのは、草の民たちだけではない。麗花も、いくらか眼を見開いて振り返る。
雪華の顔には、なんの感情も乗っていない。ただ、淡々と事実を告げるだけの声が続く。
「ことが決まるまで、口外はするな、と言われておりましたが」
そこまで言って、初めて、視線が、微かに下へと落ちる。
「そして、ことが決まる前に……他界されましたが」
言ってから、ごく自然に「死」に関わることを口にした場合の草の民のしきたりにしたがって、指がまじないをきる。
『崩壊戦争』後、アファルイオという国が生まれてからこの方、歴代の王たちは自由を欲し、時に牙を剥く北方民族たちと時に争い、時に和解してきた。
終始、彼らを貫いていたのは、いつかはアファルイオという文化圏に併合する、という考え方だ。
先々代王であり、朔哉や麗花の父である文哉とて、そうだった。
アファルイオ王が草の民たちの文化を知ろうとする時、それは、彼らの文化を利用していかに作戦に生かすかに主眼が置かれていた。
朔哉だけが、違っていたのだ。
真に、彼らを理解する為に。
彼らが、牙剥くことなく、北の地で生き抜くためにはどうすればいいのか、探る為に。
「主張が全て通ると勘違いされるのは困る。だが、互いにいくらか譲り合うことさえ出来れば、争う必要がないという生き方は、必ず見つかるはずだ」
草の民の族長との会談で、朔哉は必ず言っていた。
もちろん、常に穏やかな話し合いの席上であったわけではない。
いままでの王のやり方を知っている草の民たちが、そうそう簡単に王の方策転換を信じられるわけもない。
むしろ、戦場で相対していることが多かったろう。
戦では、朔哉は容赦無かった。
「殺すということは、殺されていいということ」
剣を手にし、戦をしかけてきた民たちに、底冷えをするような瞳で言ってのけた。
「剣を引け、さもなくば殺す」
だが、一度、会談の場となれば、いままでにない譲歩をあっさりとしてのけた。
草の民は戸惑い、その強さに圧倒され、そしていつしか惹かれるようになった。
彼ならば、信頼に足る。
颯爽と馬を駆る姿に、草の民たちは「風騎将軍」の名を奉る。
聞いた朔哉は、いつになく嬉しそうに破顔したという。
無論、朔哉一人が信頼を勝ち得たわけではない。
朔哉の方策に従い、常に側にい続けた張一樹と周光樹、そして戦場の紅一点でありながら男に引けを取るどころか、勝ってみせた雪華も、だ。
戦場でも会談でも、まったく表情を変えないながら、最も風騎将軍の意を汲み取っていたのは誰なのか、草の民たちは知っている。
時がくれば、風騎将軍の隣に、将や参謀としてではなく、並ぶことになろうと予測もしていた。
そして、草の民たちを謀るような発言を、けしてするような人間ではないことも、草の民たちはよくわかっている。
族長が、感に堪えぬ面持ちになる。
「風騎将軍は、それほどまでに我らを……」
族長だけではない。
周囲を固めている、それぞれの民を束ねる者たちも、だ。
が、すぐに首を横に振る。
「しかし、もう風は去った」
指が、まじないを切る。
いない者を話題にしても、詮方ない、と言いたいことは、わかる。その点は、麗花とて全く同意見だ。
だけど、麗花には、雪華が次に何を言うのか、もうわかっている。
ただ、微笑んで雪華を見つめる。
それだけで、雪華がなにを望んでいるのか理解した上で、許可までもそれだけでよこしたのだ。
ほんの微かに、雪華の顔にも笑みが浮かんで消える。
「風騎将軍の一件は、我らにも予測だにしなかったこと、その損失は大きく、為すべきことも多い」
視線を上げて、雪華は言う。
「だが、それも、いま少しのこと。風は確かに去っていったが、私はここへ帰りたいと思う」
まじないを切ってから、静かに胸に手を置く。
草の民が、強い望みを抱いた時の仕草だ。
またも、驚きが草の民たちの顔に浮かぶ。
「そのようなこと、王たちが許すとは思えぬが」
「許したわ」
にこり、と笑んだのは麗花だ。
「アファルイオ公主、孫麗花が、周雪華が望みを通すことを許しています」
つ、とアファルイオの方式に乗っ取って、誓いをたてる仕草をしてみせる。
あまりにも、鮮やかで優美な動きに、草の民たちは息を飲まれる。
考え込むように視線を落として、初めて、雪華の左手の薬指に光るものに気付いたらしい。
一瞬、眼を見開いて、それから。
まっすぐに、視線を上げる。
「氷雪姫は、風と共に草を駆けることをお望みか」
氷雪姫とは、戦場で舞うように剣を振るう雪華に草の民たちが奉った名。それを口にする時は、最高の尊敬を含んでいることを麗花も雪華も知っている。
「帰る場所を、残しておいて欲しい」
静かに、雪華は繰り返す。
「風騎将軍には、返しきれぬカリがある。それは、氷雪姫も一緒だ。貴女と草の上を駆けることを望まれるというのならば、それ相応の応えが必要だ」
族長は、静かに言う。
「我らがここで消え去るわけには、行くまい」
さっと、決めた仕草で立ち上がる。
「走る」
移動する、ということだ。
「恩にきます」
麗花は、草の民たちが立ち上がっているのをわかっていて、平伏する。
それもが、彼らにとってはカリとなることを知っていて。
「公主、ダメ押しをされずともいい、我らは行こう」
にこり、と微笑んで、立ち上がる。
「風と草の加護を」
旅の道行きを祈る、草の民の大事な挨拶を、さらりと麗花はしてのける。
袖が風をはらめばはらむほど良い、とされる、複雑な動きを、ヒトツも間違えることなく。
麗花自身が、会談の時には朔哉に連れられて、よく草の民たちと会っていたから、それ自体は彼らにとっても不思議はない。
だけど、その服は。
アファルイオ王室の公式のものよりも、明らかに袖が大きく、軽い布で出来ている。
より、大きく風をはらむように。
それは、より、草の民たちに幸運をもたらすように、ということに他ならない。
族長は、笑みを浮かべて、す、と膝をつく。
「アファルイオの公主よ、我ら草の民は誓おう。未来永劫、風騎将軍と公主の血がこの国を治める限り、裏切りが存在せぬ限り、けして、我らも裏切らぬ、と」
雪華の顔にも、笑みが浮かぶ。

草の民たちが、実際に移動を始めるまでには、かなりの時間がかかる。
まずは、ごちそうを作るところから始まるからだ。
悠長だというのではない。
一度、移動を始めれば、いつ落ち着ける場所が見つかるかわからない。当然、豊かな食を得られる保障も、どこにもない。
放浪する間の食料は、節約せざるを得なくなる。
だから、落ち着いていられるうちに、出来る限りの栄養をつけておく必要がある。
必然の知恵だ。
そして、それに今まで育んで貰った地への感謝の祈りなどが加わり、それは盛大な祭が行われることになる。
厳かな祈りが捧げられ、そして火を囲んで飲めるだけ飲み、食べられるだけ食べる。
それが、人々を慈しんでくれた地への返礼とされているから。
そして、朝、ほんの微かな日が昇るまで眠り、一気にゲルを片付けて旅立つ。
病み上がりだろうがなんだろうが、この慣習は消えない。当然、麗花も雪華も、特別な客人として上座に招かれている。
『崩壊』が近いどころか、明日であることは、麗花も雪華も知っている。
草の民の慣習に従っていれば、『崩壊』が始まるまでには退去しきらないことは、時間的な計算をせずとも明らかだ。
後列の一部が、間違いなく巻き込まれる。
それでも、正確な時間を告げるわけにはいかない。
理屈では、『Aqua』が人口の星と知ってはいても、やはり、草の民にとっては地は地なのだ。
「走る」ことを決めたのは、麗花と雪華の真摯な態度と、風騎将軍の威光があったからであって、けして人工の星の意志を無視することに決めたからではない。
それは、この盛大な祭を見れば、痛いほどにわかる。
時が満ちる前に旅立つことをわびる人々の祈りが、そこかしこからひそやかに聞こえているのだから。
人為の『Aqua』に近い立場と知れば、途端にここから動かないと言い出すに決まっている。
一度「走り」出してさえしまえば、たとえ後列が地の怒りに触れたのだとしても、走りきる。
少なくとも、犠牲は最少で済む。
もちろん、それは麗花たちの想定する最悪の事態だけれど。
草の民たちに会う前から、説得が上首尾であっても、後列が逃げ切るのには間に合わないとわかっていた。
それでも、亮はいつも通りに笑みを浮かべていた。
自信しかない、軍師な笑みを。
ただの一人でさえ、犠牲を出す気は無い。
それだけは、確信出来た。
ただ、どんな方法を用いるのかは、一言も口にしなかった。
亮らしいと言えば、亮らしい。
くすり、と麗花の口から笑いが漏れる。
雪華が、軽く首を傾げる。
「随分と、楽しそうね」
「そりゃね、草の民が「走る」前の祭なんて、そうそうは経験出来ないでしょ?」
苦笑じみた笑みが浮かぶ。
「それは、そうだろうな」
普段は観光客でも心よく饗応してくれる草の民だが、「走る」前の祭だけは彼らだけで執り行うものだから。
二人が招かれているのは、本当に特別だからだ。
それを、気負うことなく楽しめてしまう麗花に、さすが、というべきなのか、らしい、というべきなのか、そのあたりは雪華でも迷うところだ。
「完璧、という言葉は、あり得ない単語だ」
ぽつり、と火を見つめながら、雪華が言う。
それは、朔哉と共に戦ってきた者ならば、深い悲しみと耐え切れぬほどの痛みをもって知っていること。
無論、麗花とて、わかっている。
それでも、不思議なくらいに、浮かんでくるのは笑み。
「まだ、不確定が絡むようなことじゃないのよ」
同じく、火を見つめたまま、麗花が答える。
雪華は軽く眉を上げるが、なにも言わない。麗花の信じる軍師が、どんな器量なのかは、雪華も知っているから。
それに、どちらにしろ、答えは、明日出る。



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