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夏の夜のLabyrinth
〜20th 蒼惑星〜

■eternal・13■



日が昇りきる前に、ここに人々が住まっていたのかというほどに、なにも無くなっている。
いるのは馬にまたがる人々の塊だけだ。
草の民の族長が、大きく手を上げる。
そして、緩やかに隊列が動き始める。
「走る」と言っても、全力疾走で駆けて行くわけではない。そんな走り方をすれば、あっという間に馬が疲れてしまうし、負担も大きい。
そんな走り方をするのは、戦の時だけだ。
が、時が満ちていないままに離れるからかどうか、知っている以上に揺るやかな動きだ。
麗花と雪華は、気忙しげに素早く、眼を合わせる。
軽く、首を横に振ったのは雪華だ。
馬は群れで行動するモノだから、どれか一頭が速度を上げれば、自然と群れ全体の速度も上がる。が、それを麗花たちが仕掛けるのは、まずい、と言っているのだ。
しかし、亮とてこの遅速は予測外だろう。
このままでは、後列だけが『崩壊』に巻き込まれるのでは済まなくなる。
ざわ、と空気が揺れる。
と、同時に、いきなり馬たちの速度が上がる。
「天馬」
「天馬だ」
視線を前へと戻した麗花と雪華の眼にも、それは映る。
つかず離れずの彼方に、全力疾走で走っていく馬たちがいる。
草の民たちさえも乗りこなすことが出来ないと言われる野生馬だ。
それが、まるで「走る」草の民たちを先導するかのように、草原を走っていく。その速度につられて、草の民たちの馬も自然と足を速めていっている。
天馬、と草の民たちに呼ばれた馬たちは、『崩壊』の場から離れる方へと、なんの迷いもなく駆け抜けていく。
「これは、どうやら我らは地の意を汲み違えたらしい」
草の民の一部族を率いている一人が、首を傾げる。
「あなたがたが風を呼び、そして、いまはまた、天馬が駆けるとは」
「地が荒れるのは、ごく一部だわ。そして、あなた方をその一部に巻き込むつもりはないのでしょう」
全く危なげなく、疾走する馬を操りながら麗花が笑顔で応える。
それから、雪華の方へと向き直って、に、と笑う。
この速度なら、余裕で『崩壊』に巻き込まれずに済む場まで、走ることが出来る。
野生馬たちを、タイミングよく仕掛けたのが誰なのか、考えずともわかる。
亮が、悠樹に頼みたかったことは、野生馬の生息地への案内だ。
ここまで来れば、というところまで共に走ったところで、天馬たちの姿も消える。
そして、麗花たちも草の民に別れを告げる。
彼らは、もう後を振り返ることは無い。
ただ、次の自分たちの居場所を探して、旅を続けるだけだ。
「風と草の加護を」
もう一度、旅の行き先を祈り、草の民たちは背を向ける。
声が届かなくなったところで、顔を見合わせる。
「さて、『崩壊』を見届けないとね」
軽く肩をすくめてから、麗花はひらひらとした服を脱ぎ捨てる。
中には、乗馬向きで実用的なリスティアの服だ。
頷き返して、雪華も馬首をめぐらせる。
落ち合おう、と言った場所へと向う為だ。
並んで馬を走らせながら、雪華が首を傾げる。
「にしても、よく野生馬を思い通りのタイミングで走らせたな」
くすり、と麗花は前を向いたまま、笑う。
確実でないことは、亮はしない。
使えるモノは、旧文明産物だろうが記憶だろうが使う。
軍師としての亮は、その割り切りが出来る人間だ。
「よう、お疲れー!」
向こうから、俊たちが手を振ってくれているのが見える。須于も、忍も。
麗花が大きく手を振ると、ジョーも笑みを浮かべて、軽く手を上げる。一気に駆けようとする麗花に、雪華が言う。
「アファルイオのことは、忘れろ」
「雪華?」
拍車をかける前に、振り返る。
雪華はただ、静かに微笑んでいる。
「高梨麗花である間は、公主でもなんでもない。朔哉ならば、そう言うと思う」
「多謝」
満面の笑みを浮かべて、馬を駆っていく。
雪華も、すぐに続く。
「やほう、馬使い」
言われた意味は、すぐに忍たちにもわかったらしい。俊が苦笑して、親指で忍とジョーを指す。
「そりゃ、こっちに言ってやってくれよ、ったく、こいつら草の民になれそうだぜ?」
悠樹も、深く頷く。
「本当に、お見事でした。草の民たちさえ、御すことの出来ぬ馬を」
言われた二人は、顔を見合わせて苦笑する。
「麗花がいれば、もっと手際良かったと思うよ」
「ああ、同感だ」
くすり、と笑ってから、怪訝そうに見回す。
「あれ、亮は?」
「亮も、ここで待ち合わせってことになってるの」
須于が、にこり、と微笑む。
「え?」
「草の民も天馬も見える場所で、ってさ」
言ってる間にも、さらり、と長髪を風になびかせながら亮が走ってくる。草の民たちがどちらへと向けて「走る」かは、ほぼ予測できても正確ではない。
天馬の動きに間違いが起こらぬよう、鳥瞰出来る場所を見つけて指示していたのだろう。
見事に嵐砂を操ってみせてから、にこり、と微笑む。
「お疲れ様でした」
「私よりも、雪華に言ってあげて、おかげで労力使わずに済んだわ」
言われて、雪華は、薄く笑みを浮かべる。
「私は私のすべきことをしただけだよ」
「おかげで、犠牲を出さずに済みました」
亮は、素直に頭を下げてみせる。
くすり、と笑う。
「それも、計算のうちでしょう?」
雪華がそれを口に出すのは、珍しい。亮の笑みも、大きくなる。
「確率計算が必要ないので、助かります」
珍しく、雪華が声を立てて笑う。
亮も、くすり、と笑う。
いつだったか、雪華は、亮と話すのは楽、と言ったのを、麗花は思い出す。多分、亮もそうなのだろう。お互い、セーブせずに会話を出来る、数少ない相手なのだ。
「少なくとも、根幹は揺らさない」
雪華が、静かに言う。
「助かります」
相変わらず穏やかに微笑みながら、亮が応える。二人には、それで充分にわかっているらしい。
悠樹は、怪訝そうに首を傾げるが、口を差し挟む真似はしない。
二人の笑みが消えて、真顔にもどろうとした、その瞬間。
ぐ、と地面が振動を伝える。
八人の視線が、まっすぐに上げられる。
「始まった」
ぼそり、と呟いたのはジョーだ。
不気味な地響きが響き渡り始め、すぐに轟音へと取って代わる。
馬たちがいななくのを、それぞれになだめすかす。
人が全く動じないので、かろうじて走り出さずに立ち止まっているが、相当に馬たちは怯えている。
それはそうだろう。
つい、先ほどまで、地と運命を共にしようと草の民たちがいた場所が、一気に崩れ去り、陥没していくのだから。
充分に距離を取っている八人のもとへも、激しい地響きは伝わっている。
ぐあっという別種の音が響き渡り、陥没しすぎた土地へと、一気に水が湧き出す。
ほんのささやかに流れていた小川からも、一気に水が迸る。
地下に蓄えられていた水が、強烈な振動に揺さぶられ、地へと現れてきたのだ。
奔流となり、濁流となりながら、陥没し続ける地へと、水が流れ込み続ける。
広大な草原は、あっという間に、巨大な湖へと姿を変えていく。
悠樹が、大きく眼を見開いている。
「これが……『崩壊』……」
見慣れていたはずの景色が、完膚なきまでに崩されていく。
一樹の弟だけあって、冷静さは失っていないが、それでも意を飲まれ気味であることは、確かだ。
激しい揺れは、やがて収まり、荒々しく波立っていた湖面も、静まり返っていく。
それを見届けてから、やっと悠樹は振り返る。
「雪華殿に、お話をうかがっていて良かった。わかっていても、意図という言葉を思い浮かべたやもしれません」
呆然とした顔つきで、首を振る。
誰からとも無く、五人が顔を見合わせる。
これが、当然の反応だ。
わかってはいるけれど。
亮と雪華は、感情の欠片も無い顔で、視線を見交わす。
「アファルイオには、刺激が強すぎるね」
「でしょうね」
もう、小細工は通用しない。それは、亮も痛いほどにわかっている。
アファルイオの国民たちは、この『崩壊』に素直に反応するだろう。
「だが、根幹は揺らがない」
確固たる口調で、雪華はもう一度言い切る。
「それは、私が保証する」
ふ、と亮の口元に笑みが浮かぶ。
軽く頷いてから、雪華は懐から封筒をヒトツ、取り出す。
「帰りは、アファルイオを楽しんでもらえると嬉しい」
後は、アファルイオから離れるだけだ。危険を犯して、密出国する必要はない。雪華が手配してくれたのは、通常の出国が可能な手続き一通りだ。
「ありがとうございます」
封筒の中身を確認して、亮が頭を下げる。忍たちも、一緒に。
雪華は、一方を、まっすぐに指してみせる。
「ここをまっすぐに行くと、馬貸し小屋がある。そこに行けば、なにも問題無く普通の旅行客として扱われるから」
もう一度、六人は頭を下げる。
雪華と悠樹も、軽く礼してから、ぴしり、と馬に鞭をあてる。
草の民たちが動き出すまでは、彼らを刺激しないために、マスコミ関係者の一切の立ち入りを禁じていた。が、草の民が去り、『崩壊』が起こったとなれば、だんまりというわけにはいかない。
急に出没した巨大な湖への危険喚起も必要だし、北方警備部隊の配備の変更もある。
二人が実質的に忙殺されるのは、これからだ。
後姿が小さくなって行くのを見届けて、六人も馬を駆り始める。
あまり、この周囲に長居は無用だ。
「にしても、悠樹、すっかり大きくなったなー」
「お、姉の心境ですな」
麗花がしみじみと言うのに、忍がにやり、と笑みを浮かべる。俊も、隣へとつけて言う。
「カワイイ弟に一人立ちされて、寂しいってとこ?」
「微妙にねー」
「でも、あれだけしっかりしてると安心でしょ?」
須于が、にこり、と微笑む。俊も須于も、この数日で、すっかり馬に慣れた様子だ。余裕で操っている。
「そうだねぇ、いかがでしょ?」
くるり、と顔だけ振りかえって、亮に尋ねる。
にこり、と亮は微笑む。
「そう遠くない日に、顕哉国王の二樹と言われるようになるでしょうね」
「亮のお墨付きだな」
ジョーも、笑みを浮かべる。
なんとなく、ほのぼのしたところで、俊が首を傾げる。
「んで、俺らはこれから、どうやって帰るわけ?」
「まずは、馬を返します」
「んなことわかってら!」
亮が済ました顔つきで言うのに、俊が食ってかかる。くすり、と亮が笑う。
どうやら、亮にまでからかわれているらしいとわかって、俊は照れ臭そうな顔つきになる。
「あー、もう少し早足で教えてもらえるとありがたいですが」
「ここからリスティアへの直行便は無いので、まずはレパナに飛びます」
忍が首を傾げる。
「じゃ、レパナ空港で飛行機乗り換えるってわけか」
「の前に、観光がてら一働きですね」
それを聞いた途端、麗花のどこかしみじみしていた表情が消えて、にやり、と笑みが浮かぶ。
「レパナで一泊ってこと?」
「ええ、ホテルをとっていただいているようですし」
笑みが、大きくなる。
「ってことは、一働きついでに遊べるねぇ、一度、皆で屋台巡りしたかったんだよね」
「愛玉ね」
にこり、と須于が微笑む。
俊が、にやり、と笑う。
「三つ」
「余計なことは覚えておかなくてよろしい!」
馬上でなければ、後頭部からツッコミが入るところだ。俊は得意そうに笑うと、先へと駆ける。
が、麗花は返って、笑みを大きくする。
「ほほう、私と馬で勝負しようっての?」
「げ」
しまった、という顔つきに俊がなるのを見て、須于がくすくすと笑う。
「愛玉のほかに、オススメってなぁに?」
「いっぱいあるよぉ、ゴマ団子もイケちゃうよん」
須于の助け舟にのって、俊も尋ねる。
「中華まんは?ふかしてるんだよな?」
「肉まん、野菜まん、フカヒレまん、叉焼まん、あとあったかなぁ」
「おおお、なんか、すっげ、腹減ってきた」
麗花と須于が、同時に笑い出す。
「まだ早すぎるよ、ここから飛行場へ行かなきゃなんないんだから」
「げ、レパナ着く頃には、俺、お腹と背中がくっついてるぜ」
後ろで、思い切り聞こえている声に、笑いをこらえつつ、亮が振り返る。
「お疲れサマでした」
「あー、五頭で助かったぜ」
忍が苦笑すると、ジョーも頷く。
「麗花がいればいいと、心から思った」
「疲れてませんか?」
いくらか心配そうな顔つきの亮に、忍は笑みを向ける。
「それほどでもないよ、折半だったし。それよりも」
すぐに、真顔に戻る。ジョーも、頷く。
反対に、にこり、と亮が微笑む。
「大丈夫ですよ、今日は様子を見ていただけですから」
亮の場合、その手の言葉が最も信用ならないと、肝に銘じて二人とも知っている。なにやら疑わしそうな視線に、亮は苦笑する。
「そんな、顔色悪くないでしょう?」
「ま、そういうことにしとくか」
タイミングよく、俊が振り返る。
「麗花といると、腹減るんだけど」
「巻き込むな、聞こえないようにしてるんだから」
忍が、すぐに返す。満面に楽しそうな笑みを浮かべた麗花が、よく通る声で言ってのける。
「忍にオススメなのは、麻婆豆腐だねぇ、小龍包なんてどうよ?ジョー」
「だから、ヤメロ、腹が減る!」
ジョーなど、片手で耳をふさいでいるふりをしている。
「早く、空港へ向かった方が良さそうですね」
亮の言葉に、男性陣が大きく頷く。もう、どうしようもなく、お腹が空いてきているらしい。
麗花と須于が、並んで馬を走らせ始める。
すぐに、忍たちの馬が前へと走り出る。
抜きつ抜かれつの姿は、あっという間に『崩壊』の場から遠ざかっていく。



重厚な造りの、どちらかといえば大時代的なビルの最上階の部屋の、扉が開く。
漆黒のスーツの男が、頭を下げる。
「お連れいたしました」
「ああ、ご苦労、あとはいい」
部屋の主は、ぞんざいに手を振る。
「失礼いたします」
男は、もう一度頭を下げると、姿を消す。
それを見届けてから、案内されてきた彼は、やっとサングラスをはずす。表情は、苛立たしげだ。
「わざわざ呼び出して、何の用だ」
「おーや、ご挨拶だねぇ」
室内にいた方は、ソファに腰掛けたまま、氷とバーボンの入ったグラスを揺らす。それから、笑みを含んだ顔を、健太郎へと向ける。
「今晩を逃したら、しばらくは会えなくなると思ったから呼んだのに?」
Le ciel noir総帥、黒木圭吾らしい余裕のあしらいだ。が、相変わらず健太郎は機嫌が悪い顔つきのままだ。
「そんな、ガキみたいな理由で呼び出すな」
「ともかく、一杯やれよ、来たからには元はとらないと」
「用はなんだ」
立ったまま、健太郎は、もう一度、最初の問いを発する。
黒木は、いくらか真顔に戻って、グラスをテーブルに置く。それから、軽く首を傾げる。
「どうしても理由が必要なら、俺が手配した船で動いた六人が、その後どうしたか気になったから、とでも言っとくか?」
「それなら、ニュースでも見とけ、情報不足だ」
ますます、機嫌悪そうに眉が寄る。黒木は、軽く肩をすくめる。
「一緒に飲みたかったから誘った、それだけだ。悪いか?」
「バカか、お前は」
悪態をついてはいるが、もう、その顔は怒ってはいない。むしろ、いくらか困惑している。
「俺のことを、気にするな」
「相変わらず、無茶言うなぁ」
言いながら、立ち上がる。そして、グラスへと氷を入れ、ストレートのバーボンを注ぐ。
「飲めよ、味わかるヤツと飲まないと、つまらん」
「まーた、イイモノ手に入れて来やがった」
香りだけで、なになのか判別できる時点で、それを健太郎も知っている、ということなのだけど。
氷の凍てついた音をさせて、健太郎は軽くあおる。
「美味いだろ?」
にやり、と黒木が笑う。
窓に寄りかかって、健太郎が苦笑する。
「バカだ、お前、ホントに」
もう一度、繰り返す。
「お互いにな」
全く堪えてない顔つきで、黒木が返す。
「どちらかっていうと、お前の方がバカ度は上だと思うけどな」
健太郎は、その口元に皮肉な笑みを浮かべる。
「なんとでも言え、俺は自分でやるべきと決めたことをやるだけだ」
「好きにすればいい、ただ、お前に手出しするヤツがいれば、命はないだけだ」
さらり、と言ってのける。
「せいぜい、お前に命を狙われるヤツが出ないよう、気をつけるよ」
「賢明だ」
どちらからともなく、外の景色へと視線をやる。
「あと、何回だ」
「二回」
「一ヶ月?」
「一ヶ月半だな」
大晦日まで、ケリがつくまで。あと、四十一日。



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