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夏の夜のLabyrinth
〜20th 蒼惑星〜

■eternal・16■



忍が、軽く首を傾げる。
「公園、散歩してこうか?」
亮は、手を取られたまま、こくり、と頷く。
どこへ行っても目立つらしく、人の視線が集中し続けている。人込みが苦手な亮には、かなりの疲労になっているはずだ。
もっとも、注目される理由が、亮が美人だからではなくて、美男美女カップルだから、ということには忍自身が気付いて無かったりするのだが。
「どっか、あんま人通りなさそうなペンチでもあればいいけど」
日差しもうららかだから、座ってしばらくのんびりするのもいいだろう。
忍の言葉に、亮は一方を指してみせる。
「それなら、あちらの方に」
教えられるままに歩いていく方は、忍が来たことが無い場所だ。
「へえ、こんな方もあるんだ」
感心した顔つきに、亮が、笑みを浮かべる。
「特別な穴場、とでも言うべき場所かもしれませんね」
「知る人ぞ知る、か」
だいたい、誰が利用しているのかは予測がつく。
もしかしたら、姉である小夜子もそこで夫となった野島製紙社長、野島正和と出会ったのかもしれない。
亮の言葉どおり、人は通らないし、静かな場所であったのだが。
「れ、先客だね」
スーツ姿で、ごろり、と横になって本を顔に被せている。
かなり背の高いその人が誰なのか、そこそこ距離があるものの、二人にはすぐわかる。
「なるほど、ホント穴場だ」
忍は低い声で呟くように言い、亮へと笑みを浮かべる。
亮も、肩をすくめる。
横になっているのは、リスティア軍総司令官であり、天宮財閥総帥であり、そして、俊と亮の父親でもある天宮健太郎だ。
それじゃなくても『崩壊』の件で、いつも以上に忙しいのだろうに、今日からの世間サマの騒ぎの対応で更に忙殺され始めたのに違いない。
よほどでなければ、休憩など挟まずに動ける人間だ。
先客だと気付いているだろうに、立ち去らない人影をそっと本の影から見たらしい健太郎は、がばり、と起き上がる。
ひどく、驚いた顔つきだ。
たっぷりと十秒ほど、瞬きもせずに見つめた後。
「……亮?」
「当たりです」
見つかってしまったので、亮も大人しく頷く。
いくらか気を抜いていた健太郎には、一瞬、別の人物に見えたのに違いない。
亮が、そんな格好をしているなどとは露も思わないから。
が、意識がはっきりしてしまえば、少し後ろに忍がいるのもわかる。なにが起こったのかを想像するのは、健太郎にもたやすい。
にやり、と笑う。
「ほう、似合ってるじゃないか」
「そうですか?ありがとうございます」
素直に返事が返ってきたので、苦笑気味の笑みを漏らす。
「あーあー、全く、これだからなぁ」
「なにがです?」
怪訝そうな顔つきになる亮に、健太郎は笑顔のまま言う。
「俺がどんなに似あうって言ったって、そんな余裕な顔しなかったじゃないか」
言われて、さすがに、頬が染まる。
忍が、苦笑を浮かべる。
「どうにか我慢して付き合ってもらってるんで、あまりイジメないで下さいよ」
健太郎は快活に笑うと、亮を見やる。
「ちょっと行ったトコに、カフェあったろ?悪いけど、三人分なんか買ってきてくれないか?ちょっとすっきりしたいから」
言いながら、慣れた様子で胸ポケットから財布を取り出す。
亮は、くすり、と笑うと首を横に振る。
「いいですよ、僕も持っていますから」
それから、軽く首を傾げる。
「ホットのカフェモカでいいですか?」
「ああ」
甘いメニューを口にしたのは、健太郎の疲れを亮も察しているからだ。
「俺は、適当でいいよ」
こくり、と忍の言葉に頷くと、亮は背を向ける。
その後姿が消えてから。
健太郎は、軽く髪を整えながら苦笑する。
「参ったな、本当に似てる」
遺伝子を、半分もらった母親に。健太郎が、絶対に忘れることの無い、たった一人の人に。
呟くように言った言葉だが、忍にも充分に聞こえる。
「まずかったですか?」
「いや、亮がいいなら、俺は構わないよ」
健太郎の言葉に嘘はないようだ。浮かべた笑みは、穏やかで影はない。
「しかし、よく大人しくあんな格好したね」
亮が、性別を主張する格好が嫌いなことは、父親である健太郎が、最もよく知っているのに違いない。
「麗花と須于に、丸め込まれました」
「ああ、なるほどね、忍くんが言い出すはずないなぁと思って」
言われて、忍の顔にも苦笑が浮かぶ。
そんな忍の顔を、健太郎は、まっすぐに見つめる。
「いつも、亮を守ってくれて、感謝してるよ」
「え?」
「誘拐された時も、この間も……君がいてくれなかったら、亮は、いまはもう、ここにはいなかったろう」
自分がどんな勝手をしたかを知っているから、亮が選ぶ道に反対せずにいた父親が、心で何を祈っていたのか。
忍にも、痛いほどに伝わる。
どこか、痛みのある笑みを、健太郎は浮かべる。
「忍くんも知っての通り、亮の躰は一年はもたない。それでも、もし……」
珍しく、健太郎の言葉が、途中で途切れる。
笑みが、忍の顔に浮かぶ。
「健さん、お願いがあります」
いくらか落ちていた視線が、忍へと戻る。
「亮を、俺に、下さい。俺の出来る精一杯で、幸せにしますから」
健太郎の口元に浮かんでいたほろ苦い笑みが、いくらか大きくなる。
「君が側にいてくれるだけで、亮はとても幸せだよ……ありがとう」
ほんの一瞬、ゆらり、と健太郎の瞳の奥で、なにかが揺れる。
すぐに、消えてしまったけれど。
そして、また、いくらか影のある笑みが浮かぶ。
「……だが、君にはとてつもなく辛い思いをさせることになるな」
多分、健太郎は、忍がどれほどに亮のことを想っているのか、知っている。自分が、どれほどに麻子のことを想い続けているのかを知っているから。
「健さんは、不幸せですか?」
忍は、穏やかに微笑んで、首を傾げる。
問われた健太郎の顔にも、笑みが浮かぶ。
「いや、俺は、果報なくらいだと思ってるよ」
それから、亮が去った方へと視線をやる。忍も、一緒に。
カフェの手提げを持った亮が、戻ってくる。
側に来てから、首を傾げる。
「忍、グアテマラで良かったですか?」
「ああ、ありがとう」
カフェモカを健太郎に、グアテマラを忍へと渡して、自分もカップを手にする。
健太郎はもう起き上がっているので、隣を指されて、大人しく座る。
「亮は、なににしたんだ?」
忍が訊くと、亮は、少し照れた顔つきになる。
「ロイヤルミルクティーです」
やはり、少し疲れていたようだ。
が、そんな素振りはお茶の選択だけで、顔つきはいつも通りの亮になる。
「網の方は、強化しておきましたから」
「ああ、さっそくネズミが何匹かかかってるみたいだな」
健太郎も、いつもと変わらぬ表情で返す。
「ま、せいぜいウロウロしててもらっとけばいい」
「手に余るようなら、きちんと言ってくださいよ」
亮が、返す。
健太郎は、苦笑を浮かべる。こんなところで横になってるのを見つかったのだ、誤魔化しても仕方ない。
「ああ、そうするよ」
空いている方の手が、妙な動きをして、またベンチへと戻る。
忍が、ただ、穏やかに微笑んだのと眼があって、健太郎は決まり悪そうに笑みを浮かべる。
いくらかハイペースで自分のカップを開けて、立ち上がる。
にこり、と穏やかな笑みを亮へと向ける。
「亮こそ、無理はしすぎるなよ」
忍へも、穏やかな笑みを見せて、軽く頷く。
それから、くしゃ、と亮の頭を撫でると、背を向ける。
「じゃな」
早足に立ち去ってく後姿を、亮は、いくらか驚いた顔つきで見つめている。
健太郎の後姿が消えてから、忍が、静かに言う。
「ずっとそうしたかったんじゃないかな、手が、躊躇っては止まってた」
亮の顔に、どこか痛みを帯びた笑みが浮かぶ。
そのことに、亮自身も気付いていたのだろう。
「このカッコで、会えて良かったな」
隣に腰を下ろしながら、微笑む。そうでなければ、健太郎は躊躇ったままだったのだろうから。
「……そうですね、心配をかけてばかりですけれど」
忍は、黙って、亮の降りている手に、手を重ねる。
しばらく、そうしてぼんやりと座っていてから。
ゆっくりと、陽が傾き始めたのを見て、忍は立ち上がる。
「さて、そろそろ行くか?」
「ええ、そうですね」
立ち上がった亮の顔には、いつも通りの笑みが浮かんでいる。
「総司令部地下に、寄ってから」

総司令部地下には、またもや先客がいた。ジョーだ。
「やはり、いましたね」
亮が、苦笑を浮かべる。
が、亮と忍が来た、とわかった瞬間から、ジョーは眼を大きく見開いたままだ。二人が側まで歩み寄っても、まだ、まじまじと見つめたまま、立ち尽くしている。
さすがに、怪訝そうに亮が首を傾げる。
「どうか、しましたか?」
「いや、亮、格好」
後ろから、忍がツッコむ。
すっかりモードが軍師に切り替わってしまっていて、自分の服装へと意識が行ってない。
言われて、亮は自分の服へと視線を落とす。
「ああ、これは……麗花と須于に……」
思い出して、表情は困惑気だ。
それでも、まだ、しばらく、硬直でもしてしまったかのように、じっと見ていたジョーは、忍が目前で掌を振ってみせて、はじめて口を開く。
「……悪い、かなり驚いた」
「すみません」
謝られて、ジョーは困ったように微笑む。
「あ、いや、その、最初は格好だったんだが……」
「なにか、思い出したか?」
忍が、首を傾げる。ジョーは、軽く眉を寄せる。
「なにか、あったはずなんだが、はっきりとは思い出せない」
「それって、亮が過去でも、こういう格好をしたことがあるってことか?」
「多分、そうなんだと思うが」
手が届きそうで届かないもどかしさで、ジョーの顔はますます苛立たしげになる。
忍も、ジョーの言葉の端から、自分の記憶を呼び覚まそうとするのか、す、と眼が細まる。
静かな声が、少し離れたところから聞こえてくる。
「不思議ですね、こんなところに弾痕がある」
ぎくり、と二人が止まる。
「亮?」
「こちらには、切っ先が掠めた痕ですね」
忍とジョーが、口々に言う。
「ええと、それはだな」
「ああ、その……」
二人の視線を全く無視して、亮は続ける。
「一人は双剣、一人は銃とナイフですか」
それは、戦闘能力に秀でた二人には、現在の戦闘では必要になったことがない戦術。
最も過去の記憶を多く持っている亮にとっては、なにをしたのか類推することは容易い。
膝をついて、壁に指を走らせていた亮は、微妙に不機嫌そうに眉を寄せて顔を上げる。
「二人とも、記憶を蘇らせるような真似をするのは、三人いる時、と約束したのではなかったでしたっけ?」
どうやら、しっかりと前回の手合わせの痕を、見つかってしまったらしい。
どちらからともなく、顔を見合わせる。
「昨日は、麗花に歌を歌わせましたし?」
そこまで言われてしまうと、誤魔化しようがない。
「いや、その、少しでも思い出したくて……」
「無理は、していないが」
亮の顔に、痛みのある表情が浮かんだのを見て、二人とも、黙り込む。
ゆっくりと二人に近付き、覗き込む。
「記憶が必要と、頼んだのは僕です。ですが、我侭と承知でお願いします。僕がいないところでは……」
「わかった、もう二度としない」
忍が、静かに頷く。
ジョーも、まっすぐに亮を見つめながら、頷きかかって、止まる。
鋭い視線を、亮の背後へと投げる。
「誰か、来る」
すぐに、耳の鋭いジョーではなくても、近付いてくる足音が誰のものか判別出来るようになる。
亮が、軽く肩をすくめる。
「昨日、歌わせたりするからですよ」



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