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夏の夜のLabyrinth
〜20th 蒼惑星〜

■eternal・19■



『Aqua』の中枢管理機構は、リスティア総司令部に集中している、という表現から、統括最高権限を持つのが総司令官だ、という表現に変わるのは、すぐだった。
正確に言うならば、翌日のこと。
亮が、『崩壊』が始まる時に予告した状況に陥るのに、日数はいらない。
「ふん」
ジョーが、くだらない、というように新聞をほおる。
ちょうど、洗濯を終えて入ってきた須于が、首を傾げる。
「あら、なにか書いてあったの?」
「総司令官という役職の歴史だ、歴代どのような人物がいたのかという紹介が、余計なお世話なくらいに細に入り、密に入り書いてある」
須于は、新聞を手にとって、ジョーの言う記事のページへと飛ぶ。
「こんなにいたのねぇ、知らなかったわ」
素直に感心している声に、思わずジョーは口元に笑みを浮かべる。
「あら、木村総司令官の汚職事件は随分と大きく書かれてるのね」
「濡れ衣を被せられた鵜野副総司令官は、佐々木晃の父親だからな。そういう意味でも、扱いは大きいだろう」
リスティアで最も注目されていると言っていい政治家だ。当然、マスコミとしては旨みがある。
「ええと、初代総司令官以後、その役割は名誉職という存在であったが、現総司令官となってからは様子が一変している……」
リスティア最大の政治汚職として有名なアスクレス事件で政治への影響力を強め、数多くの犠牲者を出したハイバの惨劇での警察の不始末を通じて、警視総監としての権限強化を成し遂げたことへの文章へとさしかかったのだろう、須于が、軽く眉を寄せる。
「なんかこう、棘のある文章ね」
ジョーは無言のままだ。そのあたりが気に入らなかったのに違いない。
亮が、いつも通りの表情で須于に告げる。
「朝食、出来ましたよ」
「ありがとう」
椅子に座り、にこり、と微笑む。
「今日も、美味しそうね」
「ありがとうございます」
ゆるやかに笑みを浮かべる。
「亮は、新聞読んだの?」
「ええ、一通りは」
感情が害されているようには、見えない。
「気に、ならない?」
そう尋ねたのは、表情に出てないから、ではない。無理矢理飲みこんでいないか、心配だからだ。忍がよく気付くことはわかっているけれど、やはり、心配なものは心配なので。
「最初から、こういう展開になると思っていましたので」
答えた亮の顔には、軍師な笑みが浮かぶ。
「それに、この機会にリスティア軍総司令官がどのような役割と権限を持っているのかをリスティア国民が知っておくのは、悪いことではないでしょう。自国の最高責任者に近い立場なわけですから」
確かに、名誉職であるが故に、警視総監でもあることを国民のほとんどが知ったのは、今回の報道のおかげに違いない。
須于は、軽く首を傾げる。
亮になにか考えがあるらしいのはわかるが、内容までは読めなくて。
言わない時には、尋ねても亮が答えないことは知っている。須于は、大人しく朝食に取りかかる。
ジョーが、面白い記事もないと思ったのか、いつもよりも早く立ち上がろうとしたところで、素振りの汗を流し終えた忍が入ってくる。
テーブルに無造作に置かれた新聞に目をやり、苦笑する。
「本格的に始まったってところかな」
「の、ようだな」
相変わらず、あまり機嫌は良くなさそうな声で、ジョーが答える。
その顔つきを見て、苦笑を濃くした忍は、何気ない口調で問う。
「まだ、総司令官だけ?」
それを聞いて、ふ、と須于も振り返る。
亮の予告を、改めて思い出したのだ。総司令官へと向けられた攻撃の手は、遅かれ早かれその虎の子である『第3遊撃隊』へも伸びてくる。
「ああ、まだ」
苦笑が、ジョーの顔にも浮かぶ。
天宮健太郎という人間を、自分たちは知っている。だからこそ、こうしてある意味個人攻撃としか言いようのない状況を、面白くないと感じるわけだ。
それが、『第3遊撃隊』へと向けられてきたら。
自分が、というよりも、一緒にやってきたそれぞれへの攻撃のようで、不愉快さはこんなものではないに違いない。
きっと、許せないほどに。
「まだまだ、修行不足だな」
なかばひとり言のように言ってから、ジョーは亮へと顔を向ける。
「お茶を、煎れてくれないか?」
「いいですよ、リクエストありますか?」
忍の朝食を用意し終えた亮が、首を傾げている。
「そうだな、君山銀針とか」
「わかりました」
頷く亮に、そろそろ朝食を食べ終える須于も、リクエストする。
「私の分も、一緒に煎れてもらっていい?」
「はい」
君山銀針は、沸騰させた湯をいくらか冷ましてから煎れるお茶だ。そうすると、実に柔らかな甘味が出る。
なんとなく、ほっとする味で気分転換、というわけだ。
亮と忍は、顔を見合わせて笑みを浮かべる。

もちろん、『崩壊』とリスティア総司令官について、いろいろと騒いでいるのは新聞だけではない。むしろ、ワイドショーはその真骨頂を発揮している、と言っていいかもしれない。
コーヒーでも飲みたい、と居間に来た俊は、馬鹿笑いしている最中の麗花を見つけて、足を止める。
「えっらいウケてるじゃん」
と、なにを見てるんだろうと背後から覗きこみ、顔が凍りつく。
「いや、なに言ってるのかなぁってちょっと興味でつけてみたんだけど」
馬鹿笑いを、やっといくらか収めて、麗花が振り返る。
「なんていうか、大げさっぷりもここまで来るとねぇ」
一見冷静だが、よくよく聞けば、端々に悪意が見え隠しているあたりなど、なかなかだといえる。
当然、『Aqua』最大の財閥総帥でもあり、経済的な影響力も見逃せないことも、いまさらのように繰り返される。
確かに、その大仰な口調は、奇妙なおかしさがないとは思わない。が、昨日の、罪も無いおしゃべりだけでもイラだっていた俊には、とても笑い飛ばせるような気分にはなれない。
「よく笑えるな」
半ば、感心した口調に、麗花はにやり、とする。
「この程度、イチイチ腹立ててたら、血管何本あっても足りないよ」
国へ戻れば、麗花も国主の直系なのだ。政策がいつも、思い通りに動くとは限らない。
長引けば、当然、国民からは批判が出る。類稀な名君と呼ばれる人間だとしても、だ。
「なるほどな、俺も血管増やすか平常心保つかしないとダメってわけだ」
「相手は人間だからね」
それにしても、だ。
言い方が笑えるかどうかはともかくとして、己の堪忍袋の具合を確かめるような真似をすることもないのではないだろうか?
「忍耐力試してるわけじゃ、ねぇよな?」
「情報は、なんであろうと欲しいのよ」
「あん?」
情報ならば、亮に訊くのが最も正確に決まっているし、こんな腹立たしいコメンテーターの持って回った言葉を聞かずとも済む。
怪訝そうな俊の顔つきに、麗花は笑みを大きくする。
「世間サマが何を言ってるかが大事なの、ニュアンス込みで」
微妙な苦笑が、顔に浮かぶ。
「顕哉兄は、朔哉兄に比べればそういうところは普通だからさ、雪華と光樹兄がいても、あんまり国民感情が揺さぶられるとマズいかなと思ってさ」
「……」
俊は、思わず、テレビ画面から視線をはずそうとしない麗花の後姿を、まじまじと見つめる。
それから、少し、首を傾げる。
「でもさ、それは大丈夫じゃねぇのか?雪華さんって、亮並に頭いいんだろ?」
「うーん、亮には少し敵わないかな?」
相変わらず、テレビから眼を離さずに、麗花は答える。
「ま、ともかくさ、考えもなしに張一樹の弟連れてくるとは思えないんだけど」
いくらか、眼を見開いて、麗花が振り返る。
ふわり、とトレードマークのポニーテールが揺れる。
「亮だったら、少なくとも、『崩壊』って時に意味の無いことはしないと思う」
「亮も、そう思う?」
麗花が、首を傾げる。
俊が振り返ると、居間の入り口に、ちょうど入ってきたばかりの亮がいる。
「さて、いきなり同意を求められても、話がわからないことには?」
にこり、と亮は微笑む。
俊と麗花は、顔を見合わせて、くすり、と笑う。
扉を閉じてしまえば、物音は聞こえない。もちろん、亮にも、だ。
なんとなく、亮だけは特別な気がしてしまうけれど。
「ごめんごめん、アファルイオでの『崩壊』の時にね、雪華が悠樹連れて来てたでしょ?それって、どういう意味があるのかなって話をしてたの」
「俺は、意味は少なくともあるだろ、って思うんだけど」
軽く、亮は首を傾げる。
「そうですね、アファルイオは『Aqua』全土から見ても、感情が強い傾向のある民族ですから、今回の騒ぎでは国王は辛い立場におかれる可能性は高いでしょう」
こくり、と麗花も俊も頷く。
「国民から、あまりに大きい声が上がってくれば、国王は当然、考慮しなくてはなりません。その際に、リスティア総司令官は信じるに足るという根拠になる情報が多ければ多いほど、国王としては自身の政策に確信を持てるでしょうね」
「ええと、それって、アファルイオ国王が意見を求めた時に、雪華さんだけじゃなくって、悠樹くんもリスティアが信じるに足るって言えば、それだけ安心感があるってことか?」
「それに、雪華は一度、リスティアの行動取ってるからね、純粋にアファルイオの立場の人間を入れたかったってのはあるかも」
それから、にこり、と笑う。
「なるほどね、私が口を差し挟むまでもなく、収まるかな」
ぷちん、とテレビを切る。
「必要となれば、雪華さんから連絡が入りますよ」
亮は、相変わらず穏やかに微笑んでいる。
「そりゃそうね、ねね、亮、お茶、煎れてくれない?」
「いいですよ」
「あ、俺も」
俊も、身を乗り出す。
麗花の笑みが、大きくなる。
「あ、じゃ、オヤツにしようよ!」
「それは、少し待ってるといいかもしれませんね、須于と忍が買い物から、そろそろ戻るでしょうから」
ぽふぽふ、と俊が麗花の頭をはたく。
「ジョー呼んできて、先にお茶してようぜ、あの二人なら無駄足踏まずに帰って来るだろ」
「だね」
亮が、首を傾げる。
「リクエストがあれば、うかがいますが?」
「そうだなぁ、錦上添花なんてどう?」
牡丹のような茶葉から、小菊が咲くお茶だ。見た目もかわいいし、飲み口もさっぱりしている。
「チャイじゃなくていいですか?」
麗花は、基本的に甘いのが好きだ。もちろん、時と場合には寄るけれど。でも、今みたいな時には、間違いなく。
照れ臭そうな笑みが、麗花の顔に浮かぶ。
「んー、らしくないこと聞かせて、俊に気を使ってもらっちゃったからなー」
ジョーも、甘いモノは得意ではない。
「コーヒーとチャイにしましょうか」
「いいの?」
にこり、と亮は微笑む。
「もちろんです」
「じゃ、お願いしちゃおっと」
麗花の顔にも、明るい笑みがいっぱいになる。

家の駐車場へと車を止めたところで、やっと須于は決心がついたらしい。
「あの、ね」
躊躇いがちの声に、ドアを開けようとしていた忍は、手を止める。
軽く首を傾げて、先を待つ。
「……昨日の、幻影片のことだけど」
「うん?」
「あれだけ鮮明な地球の画像なんて、旧文明時代には取り出せなかった情報よね?特に、異端者には」
忍は、姿勢もまっすぐに戻して、頷く。
「そうだな」
「私のもっていた幻影片も、最初はオモチャみたいな『地球』しか映すことは出来なかった」
その言葉は、確信が篭っている。
「あれは、誰かの記憶をもらったんだわ」
ゆっくりと、須于は忍へと視線を向ける。
「私たちの中で、『地球』を覚えていることが出来たのは、亮だけよね」
視線を合わせた忍の眼が、軽く見開かれる。それから、納得した顔つきになる。
「ああ、そうか、なるほど……」
その言葉が、亮が『地球』を覚えていることではなく、別のなにかに納得したからだ、と須于にはわかる。
真面目な顔つきのまま、忍の顔を覗き込む。
「多分、そうじゃないかとは思っていたけど、過去の道具を手にしていると、随分と記憶は戻りやすいみたいね?」
なにが言いたいのかは、最後まで言われなくても忍にもわかる。
「無理はしない、そう約束しているから……俺だけじゃない、ジョーもだ」
過去の道具が最も身近にあるのは、二人だから。
須于は、小さく頷く。
「ええ、わかってるわ。でも、昨日の亮みたいに、引きずり出されることもあるかもしれない。お願いね、苦しい時には、ちゃんと言ってね」
「大丈夫だよ、ありがとう」
にこり、と微笑む。
「亮にも、あんな風にならないように伝えるから」
少なくとも、眠りに落ちたのは『地球』を離れた後だ、と。
もっとも、昨日ので、亮の方が先に思い出しているかもしれないけれど。
忍も、付け加えるのを忘れない。
「幻影片も本領発揮だろうけど、須于こそ、あまり無理するなよ?いっつも、黙って面倒みてばっかいるのは、むしろ須于の方なんだから」
「え?」
いくらか驚いたように、須于は眼を見開く。
「だってそうだろ?俺たちのエンジン周り全部、黙って整備して、いっつも最高に保ってくれてるんだから。忘れんなよ、そういうこと」
くすり、と須于は笑う。
「忍もね、皆の気持ち、いつも考えてくれてるでしょ?」
「さて、そうならいいとは思ってるけど」
ドアを開ける。
「きっとそろそろお茶の時間だぜ?早いとこ上がろう」
「そうね」
須于も、ドアを開ける。
荷物を手にして、上がっていく前に、須于はもう一度、ぽつりと言う。
「健さん、大丈夫かしら?」
世間での騒ぎは、嫌でも大きくなる。それでなくても総司令官と財閥総帥をかけもっていて忙しい身の上なのに。
忍の顔に、苦笑が浮かぶ。
「そればっかりは、亮がなにも言わない限りは俺たちも手が出せないよ」
「……そうね」
覚悟している、と亮は言い切った。
『Aqua』全土から敵視されることになったとしても、『Aqua』を守り抜くと決めた、ということだ。
耐え切るしかないのだと、わかってはいるけれど。
「健さんにだって、友達も理解者もいるよ」
いくらか沈んだ顔つきだった須于の顔に、笑みが戻る。
「そうだったわ、きっと、大丈夫ね」



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