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夏の夜のLabyrinth
〜20th 蒼惑星〜

■eternal・20■



自分の研究室に姿を現した広人に、仲文は眉を上げてみせる。
「非番じゃなさそうに見えるが」
「おかげさんでね、相変わらずって感じ」
肩をすくめてみせた広人は、軽く口をすぼめて仲文を見つめる。
「世間サマの喧騒とは、関係なしってわけじゃないだろ?」
「俺個人は関係ないけどな」
「教育的指導、適当に入れないと、あの人家に帰らんぞ」
あの人、とは、今、まさに『Aqua』全土のマスコミから槍玉に上げられつつある天宮健太郎その人だ。
「亮たちは、下手に近付けなくなってるしな」
健太郎がプライベート関係のことを報道されるのはなによりも嫌っていることは、さすがにマスコミも知っている。が、子が屋敷で生活しているわけではないことくらいも、わかっている。
マスコミだってバカではない。
この騒ぎで心配して戻ってくるというのは常識ではあり得る話だし、かわし方を完璧に身につけてないだろうと予測して、そちらについて回る可能性は高い。
それを振り切りきって消え去れば、怪しい、と取り沙汰して逃げ場を無くして来るだろう。
余計なリスクを避けることくらいは、健太郎も亮も相談もせずに決めているはずだ。そのあたり、感情よりも理性優先なのは、仲文も広人も、嫌というほど知っている。
亮も俊も、総司令部や財閥はおろか、屋敷にすら近付かないに違いない。
健太郎は孤独な状況だ。
二人が戻ってこないのが確実で、外に出ればマスコミがついてまわるとなれば、健太郎は面倒くさがって財閥か総司令部に入り浸り始めるに違いない。
ゆっくりと休めないと、自分がイチバンよく知っているくせに、だ。
ふ、と仲文の顔に苦笑が浮かぶ。
「それでもやるっていうのが、らしいけど」
「仲文だって、必要とあればいくらでもやるだろうが」
「広人もな」
顔を見合わせて、微かに笑う。
背後にある問題が、『Aqua』一部の『崩壊』ではなく、この星自体の『崩壊』を食い止められるかどうかにあることくらいは、二人とも何も言われなくても察しがつく。
もしも、一部『崩壊』だけなのならば、もっと対処の方法は別にあるはずだから。
だが、なにも言ってこないということは、今のところ二人の出番は無い、という意味でもある。余計な差し出口をする気は、さらさらない。
「俺に後出来ることは、せめて躰を壊さないよう気をつけるくらいだな」
くせっ毛をかきあげながら、仲文が自嘲気味の笑みを浮かべる。
広人が、もう一度肩をすくめる。
「そりゃ、俺よりはマシだ。俺はなにもすることないしな」
「あのねぇ、二人とも、バカみたいにカッコつけるのはやめなさいよね」
いきなり加わった声に、二人ともが振り返る。
ヒールもぴしりと、仁王立ちになっているのは九条仁未だ。
仲文と広人は、明確な目標があることもあって、かなりな仕事人間だが、それは仁未も同じコトだ。
少なくとも、勤務時間に仕事外のことを考えていることなど、ほとんどあるまい。その彼女がどう見ても、仕事途中に抜け出してきたという姿で立っている。
広人だけならば、ともかくも、だ。
「どうしたんだ、仁未まで」
仲文の眼が、少々丸くなっている。広人も、珍しく驚いた顔つきだ。
「仕事を抜け出すなんて、九条にあるまじき行動だな」
「今日のニュース見たら、どうせここらでしょうもないクダ巻いてるのが二人ほどいるって、ぴんと来たのよ」
にやり、とその形のよい唇の片端を上げてみせる。
「口でぐだぐだと言ってる暇あったら行動してみせないさいよ。仲文は天宮家の主治医でしょう?健さんの健康に留意する義務があるわ。広人だって、『Aqua』一の財閥総帥で総司令官の身になにかあったら許される立場じゃないはずよ?」
仁未の口元に浮かんでいる笑みが、大きくなる。
「理由が必要なら、それで充分じゃないの?」
仲文と広人は、いくらか困惑気味に顔を見合わせる。まだ、どこか、躊躇っている顔。
仁未が、なにをうながしてくれているのかは、二人ともわかっている。
でも、親子というわけではない。親友、という立場でもない。
たまたま、エキザムのクリアした年齢が一緒だったから、知り合って。そして、ちょっと事件に関わったりして、過去からのつながりを知った。
それからは、協力出来る限りのことはするという関係。
長い時間を、身近に過ごしてきた存在であることは、確かで。
だけど、それなりにドライな距離を保ってきたつもりでもあって。
「いつまでぼんやりしてるの!」
苛立った声を、仁未は上げる。
「そこまで腰が重いなら、言ってあげるわよ。信じてる人間が少なくともここに二人いるって、伝えてらっしゃい!」
二人して、万歳、のポーズになる。
「参りました」
「大人しく、行って来ます」
くすり、と仁未は笑う。
「そ、素直に行ってくればいいのよ」
「善は急げ、かな」
仲文も、す、と立ち上がる。
広人も、頷く。すっかり、吹っ切れた顔つきだ。
「そうだな」
そして、仁未へと二人して向き直る。
「健さんに伝えてくるよ、少なくとも信じてる人間は、三人いるって」
一瞬、眼を見開いてから、花が咲くような笑みを仁未は浮かべる。
扉が閉まってから、その笑みは再び、苦笑に変わる。
いまの『Aqua』の状況が普通ではないことは、仁未にだって嫌というほどわかっている。だが、仲文も広人も動じないのなら、それなりに対処が進んでいるのであろうコトも。
二人とも機密を漏らすような真似はしないが、亮も含めて、『Aqua』中枢に関わる立場であることは察しがついていたから。
そして、だ。
二人ともが、孤独な立場にされつつある健太郎のことが心配なのに、そんな単語だけを告げるのは出来ずにいることも。
「ったく、世話が焼けるんだから」
ストレートのキレイな髪を、柔らかにかき上げた左手の薬指で、小さな石がキラリと光る。
仁未も、そう無駄をしている時間があるわけではない。
くるり、と背を向けて、仲文の研究室を後にする。

予告も無しに、しかも仲文と広人が揃って財閥総帥室に姿を現したのに、健太郎も軽く眼を見開く。
が、すぐに、眉をひそめる。
「亮から、なにかイレギュラーの知らせか?」
言われた二人は、顔を見合わせて苦笑を浮かべる。
「やっぱり、そう言うと思ったんだ」
と、仲文。広人も笑みを大きくする。
「俺もそう思ってた」
健太郎の表情は、ますます不信そうだ。
「なんだ?亮から連絡があったわけじゃないのか?」
香りのいいお茶を手早く三人の前に並べていきながら、梶原が口元の笑みを大きくする。
「亮様からのご連絡でしたら、器用にセキュリティを潜り抜けて来るかと思いますが」
「それはそうだが?」
常に切れ者で通っている健太郎が、話が読めていないので、梶原の笑みはますます大きくなる。
「それに、本当に亮様がご連絡を託したとしましても、お二人が一度にいらっしゃることもなさそうに思われますが」
それから、まだ立ちっ放しでいる仲文と広人へと椅子を勧めながら、頭を下げる。
「いらぬ差し出口でしたね、失礼いたしました」
「あ、いや」
「お茶、ありがとうございます」
梶原にはお見通しのようなので、二人とも気恥ずかしそうな笑みを返しながら、おじぎを返す。
「って、いっつもこのパターンの気がしてきた」
苦笑を大きくしながら、広人が言う。
仲文も頷く。
「確かに」
扉の前に立った梶原は、もう一度口を開く。
「財閥の方には、イレギュラーはなにも入ってきていません。しばしご歓談いただきましても、支障は出ませんから、ごゆっくりなさって下さい」
それから、もう一度笑みを、大きくする。
「いまも、変わってないと思いますよ」
付け加えてから、姿は消える。
「ホント、変わらないですね、梶原さん」
苦笑を浮かべたまま、広人は健太郎へと視線を戻す。
健太郎が財閥総帥に着任した時に、秘書として指名した男だ。二人が初めて健太郎と会った時も、この場所でこうしてお茶を出してくれてた。
「緊張しなくていいんですよ、弟が二人出来たみたいだと嬉しくて仕方ないんですから」
そう、言ってのけたのだ。
いくらか苦笑を浮かべながら、まだ二十代前半であった健太郎は二人に言った。
「勝手ながら、実はそうなんだ。嬉しいよ、今までは最年少スキップってだけで異世界生物みたいな目で見られてたからさ」
そして、財閥総帥と同年齢でのスキップの件で、試験委員たちを出し抜いてみせた二人を褒めた後、手を差し出してきた。
「俺も最年少スキップ経験者ってことで友達にしてくれると嬉しいんだけど」
そうして、三人は知り合ったのだ。
九歳離れていたけれど、健太郎はそんなことをちっとも気にせず、二人を対等に扱ってくれた。
理由の一端は、子供のはずの亮が、大人と変わらぬ知識と感情を持ち合わせていることだと知ったのはすぐだった。けれど、それだけではない。
健太郎は、年齢に関係なく、相手がどんな人間なのかを的確に見抜くだけの才能があり、そしてそれを認めることが出来るだけの度量を持ち合わせていた。
二人の孤独さも辛さも、そして自然と持ち合わせるようになった小生意気さも理解してくれていた。
梶原が、初めて会った時に言ったように。
健太郎の存在を、説明しろと言われるのならば、兄のような存在。
弱さも知っている。
たった一人愛した人間を手に入れる為に、そして失ったことへの復讐の為ならば、どんなことでもしてのけるだけの情熱を持ち合わせていることも。
やろうと思えば、そんな部分は隠し通すことが出来るのに、自分たちには見せてくれた。
『崩壊戦争』に自分たちが過去に関わったのだと知る、前から。
それだからこそ、亮が過去のことを探り当てた時、素直に協力者の立場を引き受けたのだ。
過去の記憶が戻ったわけではない、そして、現在どうしてもやり遂げたいことがある二人にとって、過去のしがらみは邪魔でしかない存在だったけれど。
一年遅れで女子最年少という記録を保持したせいで、自分たち以上にトラブルに巻き込まれがちだった仁未をかばい続けるだけの余裕があったのは、健太郎がいてくれたからだ。
財閥総帥と総司令官という仕事をこなしながら、時間を割ける限り、二人の相手をしてくれていた。
本当の意味でクールと言い切れる距離を取れるようになったのは、いつの頃だったのか。
今思い出したら、恥ずかしくなるような出来事は、山のようにある。
ずっと側にいた仁未も、健太郎の傍らを離れたことの無い梶原も、二人が健太郎とどんな時間を過ごしてきたのかを、知っている。
もう一度、二人は顔を見合わせる。
それから、視線を健太郎へと戻して、照れ臭そうに口を開いたのは仲文だ。
「亮からは、俺たちはなにも聞いてないです」
「ニュースは、見ましたけれど」
広人が、付け加える。
それから、二人の顔に、本当に照れた笑みが浮かぶ。
「大丈夫だって、自分の眼で確認したかったんですよ」
健太郎が、覚悟の上で動いているであろうことは、言われなくてもわかっている。
決めたからには、絶対にやってのけることも。
仁未が後押しをしてくれるまで動けなかったのは、安心させたいのではなくて、安心したいのが自分とわかっていたからで。
ぽり、と頭をかいたのは仲文だ。
「情けないと言われそうだけど」
「というか、情けないザマですけど」
広人も言う。
自分の為に、仕事をさぼっているわけだから。
軽く眼を見開いたまま、仲文と広人を見つめていた健太郎の顔に、不可思議な笑みが浮かぶ。
ゆっくりと、首を横に振る。
「情けないのは俺の方だよ、心配かけるような真似してるわけだからね」
カップを手にしながら、首を軽く傾げる。
視線は、軽く下に落ちる。
照れ臭い時の健太郎の癖だと、二人ともが知っている。
「でも、嬉しいよ。仲文と広人に心配してもらえるっていうのは」
笑みを浮かべたまま、二人へと視線が返ってくる。
「なんかこう、弟に心配してもらえてるみたいでさ」
くしゃり、と滅多に見せない笑みを浮かべる。
「ついでだから、いくつかお願いしてもいいかな?」
すぐに、二人ともが頷く。
「もちろん、俺たちに出来ることなら」
声が揃って、初めて二人は顔を見合わせる。
くすり、とどちらからとも無く笑う。
「いくつか、ではなく、いくらでも」
広人が言って、仲文が付け加える。
「だから、俺たちのお願いも聞いて下さいね」

仲文たちとの約束通りに、健太郎は自分の家である屋敷へと帰って来る。
「お帰りなさいませ」
いつも通りに、使用人の筆頭である執事の榊は、全く感情の伺えない表情で頭を下げる。
梶原とは好対照だと健太郎は思う。
二人とも、自分の感情は全く表情に出さないという点では共通しているけれど。
大事な存在だというのとは別の次元で、二人共が欠けては、自分はやっていけないだろう。
改めてそんなことを思うのは、今の状況と、わざわざ呼び出してきた黒木や、滅多に来なくなっていた財閥の方へと仲文と広人が揃って顔を出したりしたせいに違いない。
微かな苦笑が、健太郎の口元に浮かぶ。
「榊」
「はい」
静かに、頭を軽く下げる。
指示を待つ時の、榊の癖だ。
父親も、天宮家の執事を勤めていた。変わらぬ姿勢と表情で。
彼の父親だけではない。初代の頃から、この家の執事を勤めている家柄だ。どのような当主が立とうとも、その顔に感情を見せることなく。
「ニュースは、把握してるな」
微かに、首の角度が下がる。
無駄の無い、肯定だ。
「天宮の家にいる者だということだけで、なにかと面倒に巻き込まれたり、迷惑が起ることも多くなる。職を辞すことは個人の裁量にまかせると伝えなさい、次の職が見つかるまでは、我が家に勤めてくれている間と同じ給料を保証する、期間は無期限だということも」
背広を脱ぎ、ネクタイを緩めるといういつも通りの動作をこなしつつ、さらり、と言う。
使用人たちのことだ。
これだけの騒ぎになってこれば、絶対に避けられないことになる。
己の生活の糧を得る為に勤めているのに、不必要なストレスをかけることは健太郎の望むことではない。
「お前も、例外ではないよ」
また、微かに頭が下がる。
変わることの無い、肯定。
「それから、当家に勤め続ける気ならば、一点、守ってもらわねばならないことがある」
静かに、榊は視線を向ける。
「どのように不当な騒ぎになろうとも、こちらから傷つけるような真似はするな。言葉の上でもだ。そして、傷つくようなことはあってはならない」
「かしこまりました」
す、と榊は頭を下げる。
「相手を傷つけぬために、やむ終えず傷を負った場合には、その周辺でかかる費用は全て遺漏無く請求するように、と」
再度、榊の頭が下がる。
「いいか、お前がやめれば私が困るとか、数日猶予を用意するとか、心遣いは一切いらないと心得とけ」
「僭越ながら、お願いを一点、申し上げてもよろしいでしょうか?」
頭を下げたまま、静かに榊は言う。
「なんだ?」
「変わらずお使えさせていただくことをお許しいただけますと、大変にありがたく存じます」
健太郎は、くすり、と笑う。
「それは、俺の方も助かるな」
いつもと全く変わらぬ角度で頭を下げた榊の口元に、初めて見る、ほんの微かな笑みが浮かぶ。



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