[ Back | Index | Next ]


夏の夜のLabyrinth
〜20th 蒼惑星〜

■eternal・31■



忍の言う『あの男』が誰なのかは、俊たちにもすぐに理解出来る。
かつて人を蔑み、『Aqua』に精神制御をもたらした男。
だが、とうに死んでいるはずだ。
怪訝そうな顔をしながら、疑問を口にしようとした俊を、忍はもう一度、静かに、というジェスチャーで制してみせる。
なにが言いたいのかを、正確に察したのはジョーだ。
自分も通信機を外して、麗花へとほおり上げてから、首を傾げる。
「自分を、プログラムの中に潜ませていた、か」
「そういうこと」
いくらか皮肉な笑みを浮かべて、忍は頷く。
正確には、自分の思考をトレースするプログラムを、だが。
ジョーから通信機を受け取った時点で、麗花も覚ったらしい。自分も通信機を外して、俊にもはずすようジェスチャーしつつ、にやり、と笑う。
「通信機を通じた会話は、皆通じちゃうってことね?」
「でも、忍は、どうやってわかったの?」
麗花の後ろから現れた須于が、それこそ不思議そうな顔つきになっている。いくら察しがいい、とは言っても、そこまで完全に読み切ることは出来ないだろう。
俊も通信機を切ったのを確認してから、忍は自分の手元を指して見せる。
握っているのは、龍牙剣。
旧文明産物であり、忍の得物としてずっと傍らにあったそれは精神感応剣だ。
忍の意思に従って切るモノと切らないモノを決められるだけでなく、印さえ残っていれば、その場に瞬間移動させることさえ出来る。
そして、龍牙につけられた勾玉のうちのヒトツは、亮の手元にある。
ようは、旧文明時代の総司令室の通信系等とは、別系統の通信網が出来ているのと同じ状態、ということらしい。
麗花と須于も、忍の側へと降りてくる。
シャトルを掴んでいる金属の腕を仕掛けたのは、間違いなく、今、亮と対峙しているであろう男だ。
どういう手段を使うにしろ、この腕を外さなくては、シャトルは発射出来ない。
言い換えれば、忍たち五人は、『地球』へ取り残されることになる。
『Aqua』と切り離された『地球』は、もう、壊れる寸前だ。
いつ、なにが起こってもおかしくはない。
まだ、空気が存在するだけ、リミットは伸ばされているが。
『地球』自体に変動が起きなくても、ここに縛られている限りは、いつかは終わりが来ることに変わりはない。
それは、亮も痛いほどにわかっているはずだ。
五人は誰からともなく、顔を見合わせる。
それから、忍が無言で差し出した龍牙を、握り締める。
まるで、鮮やかになにかが流れ込んでくるように、はっきりとした映像が意識の中に浮かぶ。

目前に現れた人物に、亮はいくらか皮肉な笑みを浮かべる。
「ご無沙汰しております、とでも言えばよろしいでしょうか?」
「随分と他人行儀な挨拶だね、私はずっと、会いたいと思っていたよ」
「あいにくなことに、僕はちっとも思っていませんでした」
あっさりと、亮は肩をすくめる。
「ついでに申し上げておけば、とっとと消えてくれることを望んでいますしね」
ふ、と苦笑が男の顔に浮かぶ。
「これはまた、君とは思えない強気の発言だ。どうやら君が執心しているらしいシャトルがどうなっているのか、状況を把握してないのかな?」
「あなたの趣味悪い小細工のせいで、『地球』に固定されているようですね、それとこれとどのような因果関係か、ご説明いただけるなら幸いですが」
相手がとてつもない男だということは、亮は痛いほどにわかっている。
でも、下手に出れば、相手を増長させるだけだ。
しばしの時間が欲しいのも本音だ。
相手が出てきてくれたことで、今まで見えなかったデータへのアクセスが可能になっている。
もちろん、スキャンしていることは男にもバレるだろうが、どうせ指示系統はふさがれているのだ。相手は余裕のままのはず。
言い換えれば、相手がこちらに情報を思い切り見せたところで何の問題もない、と判断するほどにこちらが不利な状況、ということなのだが。
「なに、簡単なことだよ」
男は、にこり、と邪気のない笑みを浮かべる。
「ここまでしてのけた君たちに敬意を表して、私にヒトツ、取り分を許してくれるならば、あのいましめは解いて上げよう、ということさ」
「取引、ということですか」
『うっわ、むかつく!』
『人質になった覚えはねぇよ』
麗花と俊の声が、不意に飛び込んできて、亮はびくり、とする。かろうじて、表情にも出なかったし、感情も動かさずに済んだようだが。
男の方は、全く動じた様子なく、会話を続ける。
「そういう呼び方はあまり好かないね、君は私がなにが欲しいのか、誰よりも知っているはずだよ」
亮は、いくらか眼を細める。
現状、男が断然優位とはいえ、今の俊と麗花の発言は、完全に会話を邪魔するカタチで入ったはずだ。なのに、男は全く反応を示していない。
通信系統は、全て押さえ込まれているはずなのに。
「僕が?ずいぶんと買いかぶってくださってるようですが」
皮肉な口調で告げながら、考える。
声は、どこから聞こえてきたのだろう?
「わからないですね、はっきりとおっしゃっていただかないと」
「ほほう、本当にわからない、と言い張るつもりかな」
皮肉な顔つきの中に、神経質な怒りが去来する。
怒らせたところで、『地球』に固定されてしまっているシャトルを自爆させるだけの手立てはない。それだけは、真っ先にスキャンした。
あちらが感情を動かして、不安定になってくれるのは歓迎の方向、ということになる。
それだけ、冷静な観察が出来なくなっていくのだから。
亮は、ただ、肩をすくめてみせる。
わからないものは、わからない、の意味を込めて。
す、と男が、一歩近付く。
「君が、私の側に来てくれさえすればいい」
亮は、軽く眼を見開く。
過去の記憶の中に、常にそれを言い続けた男の姿はある。ただし、生前の、だ。
今、目前にいる男は、すでにプログラムの一部でしかない。
それが、側にいて欲しい、とは。
「プログラム管理者になれ、とでも?」
怪訝そうな口調で、問う。
が、男は、負けず劣らず、怪訝そうな顔つきをしてみせる。
「別に、君に『Aqua』の管理者になれとは言わない、あんな星は放って置いてもいい、私が欲しいのは、君だと言っている」
『倒錯してやがる』
ジョーの声だ。
ふ、と胸元が温かいのを感じる。
そこにあるのは、忍からもらった指輪と、それから。
―龍牙?
神経をそこにだけ集中して、そっと呼びかけてみる。
『当たり、そっちの様子、よく見えてるよ』
忍が、すぐに答えてくる。
須于が、いくらか抑えた声で尋ねてくる。
『男には、龍牙を通じた会話は聞こえてないみたいね?』
確かに、男は亮が、言葉を失っている、と判断したらしい。奇妙に優しい笑みを浮かべながら、また一歩、こちらへと近付く。
「優しく言ってあげているうちに、気付くといい」
「……なにを、です?」
相手が近付いた分、後に引きながら尋ね返す。
「君を造り出したのは、この私だ。なんであれ君は、私のモノなのだということだよ」
『亮はモノじゃない』
『寝言は寝て言え』
『殺す』
『最低』
『頼まれても想いたくないわね』
亮が口を開く前に、一気に五人からの怒りに満ちた声が返ってくる。
思わず、亮は口元をほころばす。
―絶対に、諦めませんから。
勾玉へと神経を集中させる。
―必ず、皆を『Aqua』に帰しますから。
それから、男へと向き直る。
「心を宿した時から、僕は誰のモノでもありません」
にこり、とはっきりと笑みを向ける。
「それに、現在は正真正銘、人間ですから」
きっぱりとした言葉に、男は一瞬、眼を見開く。
「今、なんと言った?」
「繰り返さなければ、わかりませんか?」
こんな愚かな男の思うがままには、絶対にならない。
「人工生命体だった『人形』は、とうの昔に朽ち果てました」
「なに?」
まっすぐに、男を見据える。
「あなたの造り出した『緋闇石』を止める為に、自らの手で己の心臓部を取り出して」
せめて、自分で始末がつけられたのなら良かった。
でも、それは出来なかったのだ。
そして、彼らにあんな決断をさせることになった。
『死』、とい決断を。
もう二度と、絶対に。
そんな決意も覚悟もさせない。
目前の男の思い通りになど、絶対にさせない。
「あなたが、殺したのでしょう?」
緩やかに、皮肉な笑みを浮かべる。
「バカな……違う、『緋闇石』を止めたのは、あの男だ!」
ぎり、と歯噛みをする。
「いつもいつも私の邪魔をする……私から、君を奪っていく……」
ゆらり、と表情が怒りに歪む。
人を蔑み、『Aqua』を半ば私物化した男に残った最後の感情は、自分が造り出した人形に、想って欲しいというあまりにも人間らしいモノ。
我を忘れていく姿を、眼を細めて見つめていた亮は、勾玉へと神経を集中させる。
―シャトルに、乗ってください!
『え?!』
いきなり飛んだ指示に、戸惑った声を上げたのは俊だ。
―発射スイッチが見えました。
亮の言葉に、須于が怪訝そうに尋ね返す。
『でも、シャトルは捕まったままだわ』
―……切り捨てれば、離すことは簡単です。

切り捨てれば。
亮は、躊躇いながらも、はっきりと言い切った。
その言葉の意味がわからないわけがない。旧文明産物である足を切り捨てることの出来るのは、ヒトツだけだ。
いま、五人が握っている龍牙剣。
そして、それを扱えるのも一人だけだ。
にこり、と忍は微笑む。
「わかった、すぐに準備する」
「忍!」
龍牙を手放して、麗花が怒鳴る。
「何言ってるの?!絶対ダメ!」
シャトルを捕らえるものを、外部から切り離す、ということは。
切り離す人間は、『地球』に残る、ということだ。
考えなくてもわかる。
あの男に、通信網の全てを押さえ込まれている。発射できるチャンスは、一瞬に違いない。
その一瞬のスキに、切り離さなければ、男に気付かれる。
だが、誰かが切り離さなければ、五人ともが『地球』に捕らわれたままになる。
戒めから解き放たれる為には、切り離すことは絶対だ。
口の上では、亮がかなり優位に立ちつつあるのは見て取れた。だが、通信網から男を切り離せたかというと、そうではない。
実質的な状況は、相変わらず男に優位のままなのだ。
次に、龍牙を手放したのは、俊だ。決意した瞳で、まっすぐに忍を見据える。
「忍、龍牙を俺に渡せ」
忍が、軽く眉を上げる。
「なんで、俊に渡す必要がある?」
す、と冷えた視線にさらされて、一瞬ひるんだが、俊は気を取り直したように、向き直る。
「俺が、やるから」
「何を?」
わかっているはずなのに、忍は問いを重ねる。
「だから、俺がコイツを切り捨てるって言ってるんだ」
誰かが残らなくてはならないのなら。忍だけは、どうしても避けたい。
ともかく、亮のところへ忍を帰したい。
思いが、わかってないはずはないのに。
ぐ、と拳を握り締める。
「忍は帰れ!」
「断る」
きっぱりと、忍は言い切る。
「龍牙は俊の得物じゃない」
あっさりと、言ってのけられる。
「そういうことが言いたいんじゃない、俺は……」
「俊、渡せと頼むモノが、間違っているわ」
静かに口を挟んだのは、須于。戸惑った顔で、俊と麗花が、須于を見つめる。
こくり、と頷いたのは、ジョーだ。
「ああ、忍から受け取るべきは、龍牙じゃない」
それから、まっすぐに忍に向き直る。
「だろう?亮は、絶対に諦めない、と言った」
にやり、と忍も口の端に笑みを浮かべる。
そして、龍牙にもうヒトツ、繋がっている勾玉をほどく。
「そう、俺なら、ゼロパーセントじゃない」
ぽい、と勾玉を、俊へとほおる。それから、龍牙を掴み直す。
「だろ、亮?」
うっすらと、笑みを含んだ声が返る。
『ご名答』
が、すぐに緊迫感を帯びたものへと取って代わる。
『ただし、忍が言ったとおり、ゼロパーセントではない、というだけです』
『Aqua』上での移動は保証されているが、『地球』からは試したことすらない。
微かに眉を寄せたのは、俊だ。
「俺らが残ったらゼロ、か」
ほんの少しの可能性でも、賭けるしかない。
最後まで、六人で。
その為には、ここから帰ることを考えなくてはならない。ほんの数パーセントの確率なのだとしても。
「わかった」
俊は、頷く。ぐ、と受け取った勾玉を、握り締める。
途端に、亮と男とが対峙している映像が、また、はっきりと意識に浮かんでくる。
「ああ、見えてる、ちゃんと繋がってる」
麗花も、まっすぐに忍を見つめる。
「絶対、だからね」
「ああ、絶対だ」
にこり、と笑う。
先に、シャトルに上がっていたジョーと須于が、顔を出す。
「急げ、さっきの感じからいって、あまり時間はない」
告げてから、忍へと視線を落とす。
それから、ぼそり、と告げる。
「まだ、勝負はついてない」
カリエを、振って見せる。忍の笑みが、大きくなる。
「ああ、帰ったら、必ず」
須于も、まっすぐに見つめて、ヒトツ、頷く。忍は、軽く手を振る。
シャトルの扉は、ゆっくりと閉じていく。
通路が持ち上がっていくので起こった風が、忍の髪を揺らす。
「ハッチロック、確認」
俊の手の上から、勾玉に手をかざして、須于が告げる。
『点火準備』
亮の、静かな声が聞こえる。
そして、まっすぐに男に向き直っている姿が。
瞼を一度閉ざしてから、須于は、まっすぐに視線を上げる。
「俊、亮の指示を伝えて」
もちろん、須于にだって、亮の様子は気になっている。が、誰かがここからシャトルを動かさなくてはならない。
その役目を、引き受けたのだ。
「須于、俺が出来ることは?」
ジョーの声に、須于は笑みを向ける。
「亮に力を送ってあげて。絶対に必要だから」
微苦笑を浮かべて、ジョーは俊たちの方へと振り返る。そこには、いくらか驚いた顔つきの俊と麗花がいる。
もちろん、麗花もしっかりと俊の手に自分の手を重ねている。
勾玉が映し出すモノが、見えているのに違いない。
「どうした?」
麗花はいくらか眼を見開いたまま、俊の拳から離れて、シャトルの窓際に走り寄る。
そして、窓からかろうじて見える、忍を見つめる。
「やっぱり、そうだ」
くるり、と振り返る。
「亮は、忍と一緒にあの男を切り捨てる気なの、もう二度と、『Aqua』に作用出来ないように」
「?!」
ジョーも、俊へと手を重ねる。麗花も、もう一度手を合わせる。
三人の意識に入り込んできた映像は。
龍牙を手にした忍と、同じ型に構える亮の姿だ。が、手が鞘を掴んでいる形をとっているだけで、まだそこにはなにもない。
ほんのうっすらと、おぼろに紅いモノが見えてはいるが。
亮は、精神力だけで龍牙を造り上げようとしている。
俊も、ジョーも、麗花も。
あの、綺羅な朱鞘を強く念じる。

シャトルの外で、忍は、ただ、静かに龍牙の鞘を掴んだまま立っている。
瞼を閉ざしたまま。
先にあるのは、亮の姿だ。
自分と、全く同じ立ち姿で立っている。
同じように、瞼を閉ざして。
そして、今や。
その手元には、はっきりとした、朱鞘が出来上がりつつある。
忍が手にしているのと、全く同じ剣が。

「ほう」
いくらか楽しそうな声で、男が肩をすくめる。
「何をし始めるのかと思えば」
もう、男からも、はっきりと認識できるだけの存在感を、龍牙は放っている。
うっすらと亮の口元に笑みが浮かぶ。
それは、いつもの亮の笑みではない。
でも、忍そのものの笑みでもない。
多分、二人だけではない。
これは、『第3遊撃隊』の笑みだ。
ゆっくりと瞼を開けていくのと同時に、さらり、と鞘を抜きはらう。
それは、す、と腰に収まる。
忍の腰にベルトで固定されるイメージが、しっかりと六人にあるからだろう。
白銀の刃は、意識だけの世界でも、はっきりとその光を放つ。
「私を、消そうと言うのか」
「あなたは『Aqua』には必要のないモノですから」
静かに、亮は告げる。
押し殺した笑みが、男の口から漏れ始める。
「自分の立場がわかっているのかい?現実の君に繋がっている線は、私の支配下にある」
「それが、どうかしましたか?『Aqua』は貴方の思い通りにはなりません」
相変わらず微笑みながら、亮ははっきりと言い返す。
男は、少し、眉を寄せる。
「私を消すと言うのなら、君も一緒に連れて行く」
いくらか、切羽詰った口調だ。
「どういう手段を使ってでも、だ」
「いいえ」
亮は、はっきりと首を横に振る。
「絶対に、僕は貴方の道連れになったりは、しません」
言葉と同時に、亮は、思い切り踏み込む。
その動きは、まったく忍と同じで。
かつて、優を貫いたように。
『緋闇石』に乗っ取られた朔哉を貫いたように。
龍牙は、間違いなく、男を刺し貫く。その心臓部を、まっすぐに貫き通す。
呆然とした顔つきで、男は胸元に手をやる。
そして、己の手が真紅に染まっているのを見て、大きく眼を見開く。
まるで、そこにホンモノの人がいるかのようにむせた男の口からは、血が溢れ出す。
「……絶対に、お前は、私の……」
血まみれの手が、亮の肩を、がっしりと掴む。
「……離す、もの、か……」
亮の顔に、微かに痛みのこもった笑みが浮かぶ。
「サヨナラ、博士」
ずるり、と龍牙は引き抜かれる。
『緋闇石』と同じ閃光が鮮血のように飛び散っていく。
そして、世界は、紅く染まる。



[ Back | Index | Next ]


□ 月光楽園 月亮 □ Copyright Yueliang All Right Reserved. □