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夏の夜のLabyrinth
〜20th 蒼惑星〜

■eternal・6■



プリラードの『崩壊』地帯からの撤収は、亮の読み通りに進んでいる。
もちろん、それは忍たちにとって、驚くにもあたらないことだが。
女王であるマチルダと、キャロラインの自ら足を運んでの説得が功を奏して、周辺住民は残らず退去済みだ。
いまは、予告された地震が本当に来るのかと固唾を呑んで見つめる人々の視線が、不安げに山々を見つめている。
公式発表では、十二時間以内に、ということになっているが、この中の少なくとも八人が、もうすぐのことだ、と知っている。
「?!」
誰かが、辺りを見回す。
低く響いた地響きに、気付いたのに違いない。
すぐに、とてつもない大きな揺れが大地を襲う。
もちろん、人々がいる場所は、そうたいした揺れではない。だが、すさまじい揺れだと感じるのは、目前の山々が普通では考えられない揺れ方をしているからだ。
揺れる、というよりは、地面から持ち上げられ、揺さぶられている、と言った方がいい。
一際大きく大地が持ち上がったように見えた、次の瞬間。
絶望的な音と共に、木々を擁した山々が、崩れ落ち始める。
悲鳴が入り混じり、多くの人々が大音響に耐えられずに耳を塞ぐ。
特殊部隊や秘密警察でさえ、山の方へと気を取られて、数人がまっすぐに山を見つめ続けていることに気付いていない。
「やっぱ、画面で見るのとは迫力が違うな」
口パクだけで、俊が言う。周囲に声を聞かれないようにという配慮だが、大声を出したとしても轟音にかき消されて、他人に会話がバレることはなさそうな状況だ。
麗花が、苦笑を噛み殺す。
「当然でしょ、山が崩れた上に……」
「……もっと、大きな山が現れる」
忍が、後を引き取る。
そして、それは突如地下から現れたモノにふさわしく、命の証拠の欠片も無い、岩と土の塊となる。
が、その前に。
ジョーが、誰よりも早く、その声に感づく。
自分たちよりも一線前にいる、撤収してきた住人たちの中だ。
「ああああああ!!!」
絶望的な声。
年老いた彼女は、必死の力で崩れ行く故郷であった場所へと走り出す。
「待て!」
慌てて特殊部隊か秘密警察かの担当者が止めようとするが、どこにそんな力があるのか、と思うような勢いで振り切り、よろめきつつ、まだ走る。
衝撃弾をしこんだ銃を構えるのを目にしたのに違いない。
かばうように、キャロラインが走り出る。
「ああ!」
「キャロライン!」
人々の間から、崩れ行く山への悲鳴とは別種の声が上がり出す。
「やめて!」
「引き返して!」
「危ない!」
口々に悲鳴が上がる中、老婆はまったく周囲の声が耳に入らぬ様子で、必死に走る。
支えてやれば、この『崩壊』は止まる。
必死に願えば、この『崩壊』が止まってくれる。
多分、そんなことすら、彼女の頭の中にはない。
いつも慣れ親しんできた景色が消えていく。
親のように、子のように、想っていた景色が。
朝に夕に、挨拶をする仲だった山々が。
やっとキャロラインが追いついて抱きすくめるが、そこはもう、かなりな揺れがある場所だ。
キャロラインが老婆に追いつけたのも、あまりの揺れに老婆の足元がふらついたからで。
轟音の中でも、彼女の声はキレイに通る。
「だめよ!」
「離しとくれ!」
老婆が叫んでいるのが、見える。
「いいえ、離さないわ!あなたがいなくなったら、覚えてる人もいなくなってしまうもの!」
びくり、と老婆が止まる。キャロラインを、見上げる。
「もう、あの山が消えてしまうのを止めることは誰にも出来ないの!景色が消えてしまって、あなたの記憶も消してしまったら、あとは何が残るの?」
老婆につられるようにして、警官たちと揉みあっていた人々の動きも、止まる。
「お願い、記憶だけでも残してちょうだい、あんなに美しい山があったんだって、私たちに語って」
『崩壊』という舞台の中で、山々が崩落していく轟音の中で、キャロラインの声だけが響く。
老婆は、それ以上山へと走ろうとはしなかった。
顔を覆って、泣き出している。
キャロラインは、優しく促して戻ろうとする。
何度も頷きながら老婆も大人しく、足を動かそうとしたのだが。
地響きとも、爆発音ともとれる一際大きな音が響いたかと思うと。
「はじまった」
ぼそり、とジョーが言う。
崩れ終えつつある山の下から、新たな山が持ち上がろうとしている。
そのエネルギーは、崩れ去る時の比ではない。
「ああ!」
「いや!!」
人々の悲鳴が、一際大きくなる。
すさまじい勢いで、山の方から地割れが走り出している。
が、キャロラインたちは、揺さぶられすぎて、足元が定まっていない。
「早く、早く助けて!」
誰かが、自分を掴んだままの警察に怒鳴りつけている。言われても、動くことは出来まい。あの勢いで迫る地割れと揺れ。
下手に近付けば、犠牲者の数をイタズラに増やすだけだ。
振り返ったキャロラインも、自分たちに何が迫っているのかに気付いたらしい。
が、無理矢理に走ることも出来ずに、老婆をかばうように覆いながら、自分も頭を伏せる。
「走って!」
「お願い!」
「助けろってんだろ!」
わぁ、という大きなざわめきが、人々を押し包む。
「……ジョー」
亮が、静かに言う。
細い指が、手早く数点、着地可能点を指していく。
「ああ」
もう、人々は地割れに追われるキャロラインと老婆に完全に気を取られていて、元の住民と野次馬たちとの境もあいまいになりつつある。
軽く頷いてみせたジョーの姿が、忍たちの中から消える。
悲鳴が、人々の間から上がる。
強烈に太い地割れが、やっと走り出した二人の後ろへと迫ってきたのだ。
人々の半分は、思わず顔を覆った、次の瞬間。
いままでの絶望的なざわめきとは、別種の声が人々の間に広がる。
「なに?!」
「誰?!」
こんな場所で、カウボーイハットを目深に被り、まるで地面が揺れてなどいないかのような身軽さでキャロラインの元へと駆けて行く、一人の影。
信じられない速度でキャロラインのところまでついたかと思うと、片側に老婆を抱え込み、片側にはキャロラインを抱き寄せる。
それで、初めて自分の側に人が来たのだ、とキャロラインも気付いたらしい。
顔を上げて、大きく眼を見開く。
開きかかった口が、声を出す前に、ちら、と視線を送る。
微かな笑みが浮かび、キャロラインはカウボーイハットの男にしっかりと寄り添う。
二人を半ば抱えるようにして、彼は見事に地割れに巻き込まれること無くこちらへと向ってくる。
年配の誰かが、ぽつり、と言う。
「カールだ」
「カール?」
不信そうに、誰かが訊き返す。
「カール・シルペニアスだよ」
「まさか」
その名を知らない者はいない。プリラードの人間ならば、なおさらだ。『Aqua』に誇る名優なのだから。
でも、彼はとうに、この世の人ではない。
「カールだよ」
「映画のままじゃないか」
がっちりしているという体格ではないのに、安心できる力強さ。
誰もが眼を耳を塞ぎたくなるような惨劇の中での、あの余裕。
どれをとっても。
目前に広がる景色が現実か映画か、人々が判断しきる前に、男はキャロラインと老婆を皆の前へと連れて来る。
まずは、二人を安全な場所へと連れて行ってから、としている間に、誰かが叫ぶ。
「退避しろ、地割れがかなりヒドイ!」
また、悲鳴が入り混じり、パニックを起こしかけた民衆たちを、軍隊と秘密警察が必死で先導していく。
地鳴りが止み、揺れが収まり、そして。
土と岩の塊である鋭利な山々が完全に出現し終えたのを、人々は呆然と見上げる。
いままでの美しく、柔らかい曲線とは全くの対称をなす、天を突くような山脈。
慣れ親しんだ尾根は、もう、どこにもない。

夕方から夜にかけては、プリラードの山脈崩壊と新たな山々の出現映像ばかりだ。
「もう、飽きたよう」
ホテルのベッドに腰掛けながら、麗花が口を尖らせる。
忍が苦笑する。
「仕方ないだろう、『Aqua』全土にとって、二度目の『崩壊』は相当な衝撃なんだから」
「まぁな、『Aaua』に天変地異?なんて文字が、ちらほら出始めちまってるしな」
俊が肩をすくめたのに、ジョーが薄い笑みを浮かべる。
「天変地異ならば、人為ではない」
「まだ、目の前のことでいっぱいいっぱいだものね」
須于も、頷く。
そのうち、誰かが我に返って気付くだろう。
『Aqua』は人工惑星だということに。
機械で出来た星に、地震など本来ならば起りえないことに。
理由が『地球』を内包しているからだ、とは誰も気付かない。
「しばらくは映画気分が抜けないと思いますけれど」
亮が、静かに口を挟む。
麗花が、テレビを指してはしゃいだ声をあげる。
「あ、出た出た!」
カウボーイハットの男が、両脇に老婆とキャロラインを抱え込むようにして地割れの合間をぬって走っていく。
崩れいく山を背景に、ヒロインを守って走るヒーロー。
映画の中でなら、誰もが見慣れた光景に違いない。
「おおー、何度見ても、スゴイなー」
思わず、俊と忍は二人して拍手してしまっている。
「よく見てるってのもあるんだろうけど、血は争えないってあるんだなぁ」
「他人だったら、似てる止まりでしょうね」
須于も、にこり、と笑みを大きくする。
ジョーがノーコメントでいるかわりに、ワイドショーらしい番組の方では、この謎のヒーローが誰なのか、ということで盛り上がっている。
「誰なのか、彼女は気付いていましたね?」
「ああ、眼が合ったしな」
亮の問いに、ジョーはごくあっさりと答える。
「では、問題ないでしょう、彼女は必要なことを言うはずです」
「始まるよ、記者会見」
麗花が振り返ってテレビを指している。
女王からプリラード国民、ひいては『Aqua』全土に対する会見は済んでいるし、各国の首脳たちの慌しい動きも、もう伝えられている。
今回も、健太郎始め、大国と言われる国々の対応はかなり迅速だった。
復興に必要な手は打たれた、と誰もが知っている。人的被害が出ていないことで、誰もの興味はもっと軽い方へと移っている。
新たな山々がどうして出現したのか、などの学術的な興味の方は、調査機関含めて答えが出るまでには時間がかかる。それよりも、プリラード人ならずとも興味深々なのは、山脈が崩れ落ちる映像と同じだけの回数流れている、謎のヒーローの正体だろう。
実際に彼に救われたキャロラインは、まだ口を開いていないのだ。
そして、その彼女の記者会見が、いまから行われるらしい。
相当数のマスコミ関係者が集まっているのが、画面からもわかる。
「ご心配をおかけしました」
にこり、と微笑んで、キャロラインが頭を下げる。
怪我はありませんでしたか?とか、山が崩れたことについてどう思うか、昨日の撮影分はどのような扱いになるのか、老婆の様子、など、ありきたりの質問が数個続き、約束どおり応答が続いてから。
満を持したように、誰かが問う。
「あなたを助けたカウボーイハットの男性についてですが……」
キャロラインの顔に浮かんだ笑みが、いくらか大きくなる。
「ええ、あの方のおかげで助かることが出来ました。感謝の言葉もありません」
「誰だったんでしょう?」
問われて、首を傾げる。
「さぁ、かなり酷い揺れで、走るだけで必死でしたし……あれだけ目深にカウボーイハットを被ってたので、顔までは……」
あの場の再現ビデオが、画面の端で小さく再生されている。
確かに、キャロラインは一度顔を上げた以外は、しっかりと寄り添ってはいるが相手を見上げてはいない。
彼女の言葉に、嘘があるようには聞こえない。
「あの後、彼とはお会いになっていない?」
「ええ、お礼を申し上げようと思ったのですが、どこにもいらっしゃらない、と伺いました。私も周囲を見回しましたが、それらしい方はいらっしゃいませんでした」
記者が、言葉を重ねる。
「では、彼は消えてしまった?」
「私たちの目前から、という意味では、そうですね」
別の記者が、恐る恐るといった口調で口にする。
「皆さんの間からは、カール・シルペニアスという声も上がっていたようですが」
それを聞いたキャロラインは、いくらか眼を見開く。
「まぁ」
「あなたは、どのように感じられましたか?」
いくらか言葉を捜すように、キャロラインは少し、視線を落とす。
それは、思い出を遡るようにも見え、ひどく綺麗な表情に見える。
「カールとは、随分と共演させていただきました……確かに、あの時の感覚は、映画で彼に守ってもらっていた時と、とても似ています」
それから、実に穏やかな笑みを浮かべて、記者たちの方へと視線を上げる。
「とても、プリラードという国を愛していた方でした。ですから、もしかしたら、プリラードの自然が、誰か人を傷つけることがないように、と願ったかもしれませんね」
想いが、誰かに宿ったのかもしれないし、彼自身が具現化したのかもしれない。
カール・シルペニアスという俳優は、それだけの存在感がある俳優だ。
それを、キャロラインが口にすると、また、穏やかで優しい事実のような気持ちになる。
記者たちは、半ば、下種の勘繰り的な部分も持ち合わせていたに違いない。カール・シルペニアスとキャロライン・カペスローズの共演作が多く撮影されていた当時、交際しているのではないか、という噂が、無かったわけではない。
でも、いまさら掘り返したところでなにになるだろう?
そんな気にさせてしまう、なにか。
「さすがだね」
にこり、と忍が微笑む。須于の笑みも、大きくなる。
「守り通す、と決めているもの」
カールが守ろうとした者を、自分が心から愛している者を。
麗花が、笑顔で振り返る。
「良かったね、ジョー。また、守れて」
にやり、とジョーは笑みを浮かべる。
「この程度じゃ、全然返せてないけどな」
「でも、ジョーで無かったらキャロラインもこの余裕はなかったと思うぜ」
笑顔で言ってから、俊は亮へと向き直る。
「にしても、策士だよな、これで、リスティア総司令官陰謀説が流れるのはいくらか遅れるってわけだ」
映画のワンシーンのような情景に、人が気をとられている間は。
にこり、と亮は微笑む。
「一石二鳥、でしょう?」
「三鳥くらいいってる気もするけど」
須于が肩をすくめ、忍が尋ねる。
「次は……?」
「次は、僕らには手出しは出来ません、お手並み拝見ですね」
イタズラっぽい笑みが、浮かぶ。
「Le ciel noirの」
思わず、忍とジョーが口笛を吹く。



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