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夏の夜のLabyrinth
〜20th 蒼惑星〜

■eternal・9■



扉は、なんの予告も無しに、いきなり開く。
「瑳真くん、まめの予防注射のことなんだけどー」
片手に仔犬、片手に書類を抱え込んだ少女は、目を丸くして足を止める。
「お客様がいらっしゃっていたとは知らず、大変な失礼を……」
天宮財閥ほどではないものの、大きな企業グループを統率している吉祥寺家の一人娘らしい、大人びた詫びの言葉も、空中分解する。
その驚きぶりに、ウェンレイホテルグループを背負っている瑳真惇の方が、怪訝そうな顔つきになる。
「吉祥寺?」
「瑳真くん、病気、なの?」
「は?」
梓の言葉に、惇の目が丸くなる。
顔を見合わせて、惇の前のソファに座っていた二人の客は微笑む。
髪の長いキレイな方、亮が、笑顔を梓へと向ける。
「いえ、惇くんは病気ではありませんから、大丈夫ですよ」
「良かった……」
心臓が縮むような思いをしたついでに、梓は腕の仔犬をきつく抱きしめていたらしい。開放されて、嬉しそうに鳴きながら、仔犬は、とててて、と惇の元へと走る。
「まめという名前なんですか?」
亮が、笑顔を子犬に向ける。
「はい」
半ば、無意識の手つきでまめの頭をなでてやりながら、惇は亮と梓を、交互に見やる。
「あの、どうして、僕が病気なことに?」
梓が、天宮財閥の子である俊と亮の知り合いでも、驚きはしないのだが。
「だって、私の目の手術してくれた、先生なんだもの」
「医師免許を取得してますので、ご縁があって」
にこり、とさりげなく、亮は言ってのける。
それから、再度、梓の方へと視線をやる。
「まだ、名前を名乗っておりませんでしたね、こちらが兄の天宮俊、私が天宮亮です」
「天宮財閥総帥の、ご令息だよ」
惇が、付け加える。
「そうだったんですか、存じ上げず、重ね重ね失礼いたしました」
梓は、ぺこり、と頭を下げる。
なぜ、梓が惇の家にいるのか、というのはぶしつけな問いになってしまう。が、両方を知っている俊にとっては、少々奇妙な光景でもある。
「ええと、いや、俺たちも名乗ってなかったんだから」
俊も、礼を返しつつ、なんだか戸惑った顔つきだ。その表情を見て、惇が付け加える。
「あ、同じクラスなんです、ミドルスクール入ってから」
「お元気そうで、なによりです」
亮が、にこり、と梓に笑みを向ける。
「その節は、お世話になりました」
もう一度、梓は頭を下げる。
梓の目の手術、といったら、一回しかないから、いつのことか惇にも想像がついているのだろう。多くは尋ねようとせずに、仔犬を抱き上げてやっている。
「かわいいですね」
亮が手を伸ばすと、仔犬は嬉しそうに眼を細めてしっぽを振る。
「雨の日に、拾ったんですか?」
「ええ、傘の下にいたのを……吉祥寺が、名前をつけてくれて、で、面倒もいっぱい見てくれてるんです」
「名付け親の特権って、勝手に決めて」
照れたように、梓も微笑む。
それから、真顔に戻る。
「お仕事の話をなさっていたんですよね、お邪魔してすみませんでした」
ぺこり、と頭を下げ直す。
「いえ、梓さんが元気になさってるのにお会いできましたから」
「はい、毎日、いっぱいいっぱい『発見』してます」
亮も、笑みを大きくする。
「あの、もしよろしかったらなんですが」
惇が、真顔で俊たちへと向き直る。
「はい?」
「吉祥寺も、この場で話をうかがってもよろしいですか?ご存知のとおり、今回の件では、吉祥寺グループも無関係ではいられません。お話なさってくださっていることには、世界情勢に関することも多く含まれておりますし、彼女にも勉強になるんではないかと思うので」
俊が、軽く首を傾げる。
「その判断は、むしろ惇くんに委ねられるんじゃないかな、どうしても、君のホテルグループの現状の細かいところに踏み込まざるを得ない話をしてるから」
「僕は、構いません。他人に漏らすような人間じゃ、ないですから」
はっきりと言い切られて、梓は少し、頬を染める。が、すぐに、まっすぐに俊へと向き直る。
「もし、よろしいようでしたら、お聞かせ下さい。父や瑳真くんが背負っていることを、少しでも理解出来る機会を与えて下されば幸いです」
俊が同じ年頃の頃には、保証付で絶対に出来なかった言葉遣いを、さらりとしてのけて頭を下げる。
惇が、あれから、わき目もふらずにウェンレイホテルグループを背負っているように、梓も、一生懸命に前を向いて歩いている。
痛いほどに、伝わってくる。
健太郎が、行ってやれ、と口にした意味が、本当にわかった気がする。
「じゃ、どうぞ」
惇の脇を、指す。梓は、ありがとうございます、と頭を下げてから、そこへ腰掛ける。
まめも、場の雰囲気を察したのだろう。大人しく、惇の足元に伏せる。
俊は、改めて口を開く。
「ただし、これはあくまで俺の一意見ということを、忘れずに聞いて欲しいんだ、答えはヒトツじゃないってこと」
「はい」
小さな生徒は、二人して、大きく頷く。

夕飯をご一緒に、というのを辞して外に出ると、もう日は暮れている。
「早く帰って、夕飯を作らないといけませんね」
亮は、ごく自然にそれを口にする。
惇は、「夕飯を用意させますので」と言った。梓も、それに疑問は感じていなかった。
ああいう家で育てば、料理人がいるのが当然、という生活になるのだろう。梓のところなどは、家族団らんの日には母親が腕をふるったりもするのかもしれないけれど。
いくら、性別がどちらでもないからといって、亮が天宮家の台所を仕切るわけはないのだ。
「ずっと、仲文のところに?」
「ええ、あのあと二ヶ月ほどしてから……」
運転席の亮は、俊の問いに前を向いたまま答える。
「遊撃隊発足まで?」
「……はい、父には、ずいぶんと寂しい思いをさせてきてしまいましたね」
ぽつり、と言う。
「亮」
「言葉を口に出来るようになってからは、ずっと対等の会話をしていました……祖父の件も、旧文明の後始末の件も……特に、過去の件は、僕にイニシアチブがあるところもありました」
亮の言う通り、はっきりと過去を記憶している者の方が、ことの成り行きを見定めやすいところはあったろう。
健太郎と亮は、親子でありながら、同志のような関係でもあるわけだ。
「……でも、父にとっては、僕はやはり、子供なんですよね」
微かな、痛みを帯びた笑みが浮かぶ。
俊は、なにも言えずに、亮の横顔を見つめる。
ずっと、亮はそれを知っていたろう。
ただ、気付かぬふりをするしかなかったのだ。
過去の清算を、済ませると決めたから。
母親の側で、子供でいれば良かった自分は、幸せだったのだろう。それを知っていたからこそ、健太郎は、俊を天宮の家に取り戻そうとはしなかった。
自分がつけた傷のことを、一言も言い訳することもなく。
冷徹で、過ぎるほどに聡明な男。
世間では、天宮健太郎という人間を、そう評する。
過ぎるほどに聡明であることに異論はないけれど、本質は怜悧などではない。
なにも言わないけれど、いつも、自分の子供たちが幸せであるよう、祈っているし出来ることはしてきたのだ。
その為に、自分が傷つこうが寂しい思いをしようが。
「……父を、お願いします」
信号で止まった瞬間に、口にする。
まっすぐに、こちらを見つめながら。
俊は、うまく言葉が出てこないまま、亮の瞳を見つめる。
「僕は、父を悲しませることしか、出来ないので……」
言葉を返す前に、亮の視線は、また、前へと戻ってしまう。
手術の結果を、知らないわけではない。目前の死を先へと伸ばしにしただけという表現も可能なのだということも。
でも、こうして口にされれば、胸が痛む。それを、冷静に口に出来る亮が、なによりも。
ひとつ、大きめに息をしてから。
「ばっかだな、親父は亮が、やれる中で精一杯やってくれてるだけで、嬉しいんだよ」
亮の手術は上手くいったけれど、きっと一年はもたない。そう、仲文が告げた時。
忍もそうだったが、健太郎も微笑んでいた。
あれは、つくった笑みではなかった。
もちろん、精一杯の努力をし続けてくれた仲文への感謝もあったと思う。
でも、それだけではなくて。
「亮が、少しでも生き延びるってことを選んでくれたことが、なにより嬉しかったと思うよ。俺もそうだし、忍だって」
そう、あの時、なによりもそれが嬉しかった。いまだって。
いくらか、戸惑ったような表情が亮の顔には浮かぶ。
俊は付け加える。
「もちろん、俺なりに孝行するつもりだよ、親父も母さんも、おふくろも」
亮は、前を向いたまま、ただ、微笑む。
それが、ひどく嬉しそうに見えて、なんとなく照れくさくて、俊は窓の外へと視線をやる。

家に帰ると、ライブへ行っている須于以外は、もう揃っている。
「お腹すいたよう!」
亮の姿を見たなり、麗花が哀れっぽい声を出すものだから、思わず笑顔になる。
「すみません、遅くなりました。お詫びに、リクエストにお応えしますが?」
「ホント?!」
眼を輝かせる麗花の背後から、ソファに腰掛けたジョーの声が、ぼそり、と加わる。
「当然、その権利は均等にふりわけられるんだろうな」
「ええ?!」
珍しい人物自らの参戦に、麗花が眼を丸くしているところへ、忍も顔を出す。
「あ、亮、帰ったのか、メシ作ろうかと思ったんだけど、つい」
待ってしまったらしい。ジョーが顔を上げる。
「リクエストを聞いてもらえるらしいぞ」
「お、ラッキー、じゃ、俺は」
もご、と麗花がその口元を抑える。
「ズルイ!私が最初に訊かれたのー!」
するり、と手をすりぬけて、忍は、にやりと笑う。
「先に訊かれたかどうかなんて、関係ないよなぁ?」
「当然だ」
「俺も腹減ったー」
俊が、お腹をなでる。
「カレーじゃないからね!」
すかさず麗花。忍とジョーも、すぐに頷く。
「それは確実に」
「それはない」
「どうして!」
くすくすと、亮が笑う。
「で、忍たちのリクエストは、なんですか?」
「サトイモの味噌汁」
ぼそり、とジョー。忍も続ける。
「麻婆豆腐」
「あ!それなら、デザートにお茶の蒸しパン!」
「じゃ、特級茶葉の凍頂烏龍茶」
カレーの入る余地はないが、リクエストはしたいので言ってみる俊に、すぐにツッコミが入る。
「特級と三級の違い、わからないくせに〜」
「さ、最近はわかる!」
ジョーと忍が、顔を見合わせて笑っている。
「あ、ひでぇ、ホントだってば」
「じゃ、飲み比べしてみます?」
亮が、エプロンをかけながら、イタズラっぽい笑みを浮かべる。
「おう、受けて立ってやらぁ!間違ったところで、修行と心得て」
「自信ないんじゃん」
くすくすと麗花が笑う。忍が、亮の隣に立つ。
「手伝うよ、一人じゃ悪い」
「ありがとうございます、じゃ、麻婆豆腐は忍の特製ってことにしていただいていいですか」
「うわ、辛さちょっと控えめ!」
辛いモノ好きの忍に、俊が釘を刺す脇から、すかさず麗花も言う。
「ええー、麻婆豆腐は辛くなきゃ駄目ー!」
「と、本場出身の方が言ってますが?」
「俺も、麻婆豆腐は辛い方がいい」
ジョーが、言いながら新聞を置く。腕を軽くまくりながら、心得た忍が差し出す包丁を受け取って、カウンターのイスに腰掛ける。
「サトイモ、剥くぞ」
「じゃ、お願いします」
遠慮なく、亮は洗ったのを手渡す。
「おおー、器用〜」
麗花が脇から覗き込んでる後ろで、俊が一人で拗ねている。
「ちぇー、俺だけかよー」
「今日は須于がいないからねぇ」
にやり、と麗花が笑う。亮が、サラダ用のドレッシングをつくりながら、首を傾げる。
「でも、最近、辛いのも美味しい、と言っていましたけど」
「うわ、ホントに俺だけ!」
「カレーは辛いの好きなのにな」
忍が、中華鍋を器用に片手で操りながら、首を傾げる。
「それとこれとは別!」
ジョーが剥き終えたサトイモを鍋に入れて、火にかけながら、亮が笑う。
「ご飯、たくさん食べてくださいね」
「言われんでも大盛り所望!」
くすくすと笑いながら、麗花が亮へと向き直る。
「雪華と連絡取れたよ」
にこり、と亮の顔に、軍師な笑みが浮かぶ。
「海路でつけてって」
「そうですか」
その言葉だけで、亮にはどこにどう行けばいいのか、理解できたらしい。笑みが、大きくなる。
「では、少々忙しくなりますね」
「海路の手配で、か?」
俊が、真顔で尋ねる。
「いえ、そちらはすぐに出来ます」
「じゃ、なんでだ?」
亮の笑みは、心なしか、さらに大きくなったようだ。
ジョーと忍も、亮へと注目する。
「付け焼刃ではありますが、少々訓練をしませんと」
その言葉で、麗花にも話がわかったらしい。にんまり、と笑う。
「なーるほどね、私は有利だな」
「まっさか、女装の、とか言わないだろうな?」
亮と麗花が、思わず笑いを堪える。忍も、苦笑する。風騎将軍と呼ばれたアファルイオ先代王朔哉に興味があるだけはあって、ぴんときたようだ。
「違うって、馬だろ?」
「ご名答です」
笑顔で亮が頷いてみせる。ジョーも、納得したらしい。
「なるほど、北方民族は騎馬移動が主体だったな」
「で、海路の方は、どうするの?」
麗花の問いに、俊も頷く。
「ああ、簡単って、どういうことだ?秘密裏に来いってことだろ?」
「餅は餅屋でしょう?」
料理を作る手を休めることなく、亮は言ってのける。
麻婆豆腐の味付けを確認した忍が、にやり、と笑みを大きくする。
「Le ciel noir」
俊の眼が、丸くなる。
「でも、そんなことしたら、またカリ作っちまうんじゃ?」
「今回の件に関しては、黒木氏もカリにはしませんよ」
ジョーも頷く。
「どういうつもりで総司令官がいるのか、誰よりもわかっているはずだからな」
「政治的にも、協力した方が得だしね」
麗花も、にこり、と笑う。
「そういうことです」
微笑んでから、お味噌汁の味見をする。
「さて、夕飯、出来ましたよ」
忍特製の麻婆豆腐も、熱々で大皿に盛られて、美味しそうな湯気を上げている。
食後のデザートの蒸しパンを蒸し始めてから、亮も椅子に座る。
「では、いっただっきまーす」
ぺこりん、と麗花が頭を下げ、忍たちも口々に「いただきます」を言いながら箸を手にする。
ひとまず、馬も『崩壊』も、考えるのは夕飯の後だ。



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