□ 雨告鳥 □ chant-10 □
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一課への申し送りの関係もあるので、必死に机に向かって駿紀は書類を書き上げる。
「よし、上がった!」
ボールペンを放り投げて、思い切り伸びをする。さすがに軽く一睡はしているが、疲労度最高潮というところだ。いつもならワープロを使っているのに、全て手書きなせいもある。一課に戻れば元の環境なのだし、一回のことだと思えばこその我慢だ。
「こちらも出来た」
透弥も、プリンタから吐き出されてきた紙束へ走らせていた視線を上げる。
「で、コレ、承認すんのって誰?」
「額面通りならば、警視総監ということになる」
駿紀の問いに、透弥が返す。
どちらからともなく、視線が合う。
「まさかなぁ」
思わず乾いた笑いを漏らす駿紀に、透弥はあっさりと言ってのける。
「が、他の上司は存在していない」
「そりゃわかってるけど、警視総監の印なんて、どうやってもらうんだよ」
手にしている書類へと目をやる。基本の書式なので印を押すスペースはあるが、おエライさんの大仰なのは入らないと思われる。そういう問題ではないとわかってはいるが、なくとなく現実逃避したくなるのが正直なところだ。
「電話してみるというわけにはいかないらしい」
庁内の内線電話帳を透弥が閉じる。どうやら、警視総監の内線なるものは掲載されてないらしい。肝心なところで役立たない物体だ。
ともかく、少なくとも通常の承認経路は通せない。一課だろうが二課だろうが、後からややこしいことになるのは目に見えている。
事件を解決したのがココでなければ、形ばかりに書いててきとうに散逸ということで済んだのだろうが。
「妙なとこで面倒くせぇ」
せっかくとっとと書き上げたというのに、最もツマラないことに時間を食われそうではないか。
同じことを思ったのか、透弥の顔も不機嫌そうだ。
「…………」
一通り思考を巡らせてみるが、やはりイイ手は無さそうだ。
と、いうことは。
「強行突破しかないな。場所知ってるか?」
「仕方無い。おおよそは聞いたことがある」
二人が立ち上がったのを見計らったかのように、電話が鳴る。
どちらからともなく、顔を見合わせる。いくらか距離の近い駿紀が受話器を手に取る。
「はい」
後、印を押してもらえば、この妙な捜査班ともオサラバだ。今更、名前を付ける気は無い。
『隆南だな』
決め付けてきた声は、聞き慣れた木崎のものだ。驚いて、いくらか気圧されつつ返す。
「はい」
『警視総監室の場所はわかるか?』
今、まさに知りたいと思ってることそのものだ。眼を見開いて、透弥へと視線をやる。
「確実にたどり着けるほどは知りません」
駿紀の返答に、透弥の眉が不信そうに寄る。
『そういうのは知ってるうちに入らん。いいか、一度しか言わんぞ』
木崎の言葉を復唱するのを聞いていれば話はみえるはずだが、透弥の顔はますます不機嫌になるばかりだ。
受話器を置いて、駿紀が「来いってさ」と告げたら更にだ。
「タイミングいいって顔じゃ無いな」
「上からの呼び出しというのは、たいていロクなことは無い。上に行けば行くほど、傾向は顕著だ」
班長である木崎の呼び出ししか食らったことのない駿紀には、上ほどというのはわからないが、ロクでもないという点はなんとなく同意だ。
「まあな。でも印をもらわなきゃ終わらないし、逃げ切れるもんでも無いだろ」
「行くしかないという事実に変化は無いからな」
不機嫌な顔つきから無表情へと変わった透弥が、扉を開ける。
「戻ってきたら気持ちよく解散出来るよう、祈っとくかな」
駿紀がぼやき気味に言うと、微かに透弥の口の端が持ち上がる。
「祈らんよりはマシかもしれない」

警視総監室へと通されて、先ず嫌でも目に飛び込んできたのは長谷川の満面の笑みだ。リスティア初の文人総司令官としてなにかとマスメディアに露出しているせいで顔は知っているが、このようににこやかなのは見覚えが無い。
かといって、警視総監としての顔はこうなのだ、とも思い難い。
ともかく、印をもらって以上終了としたいけど、などと考えつつ周囲を見てみれば、四人の人物が突っ立っている。複雑な顔つきの山内一課長と腹立たしいのを堪えているらしい木崎、となると、後の二人は二課の方だろう。
透弥と視線が合うと、警視総監から見えないのをいいことに眉をしかめて見せたのが勅使に違いないから、奇妙な顔つきのまま凍りついているのが小松二課長と思われる。
そんな奇妙な空気を察しているのかいないのか、相変わらずこぼれんばかりの笑みを浮かべたまま、長谷川が口を開く。
「今回の件、ぜひ君達自身の口から報告を聞きたいと思ってね」
「報告の件でしたら、こちらに」
手にしている書類を、実に事務的に取り出したのは透弥だ。
笑顔のまま、長谷川は書類を手にする。
「ほう、もう仕上がっているとは、仕事が早いね。隆南くんもかな」
「はい、印をお願いします」
思わず本音を口走ったところで、透弥がさらりとフォローする。
「この件に関しましては、急ぎ一課へ引き継ぐ必要があります」
言外に、とっとと済ませたいというのが滲んでいる言葉に、無言で様子を見守っている四人の表情が、微妙に動く。特に、木崎と勅使の不機嫌さが三割増量だ。
「……?」
駿紀が、怪訝そうな顔つきになる。透弥も警戒した視線を長谷川へと注ぐ。
ますます空気が冷えているというのに、長谷川はのん気に書類を繰って確認している。何度か頷いて、顔を上げる。
「無駄がなくていいね」
無造作に大きな印を押すと、不機嫌そのものの顔つきの木崎を見やる。
「これは木崎君のところに回せばいいのかな」
「はい」
いつもよりも数段低い声で答え、木崎は書類を手にする。先ほどから、絶対に駿紀と視線を合わせようとしないあたり、らしくない。
勅使の顔つきもどう見ても不機嫌なあたり、絶対に、漂っている空気は不吉だ。
梅雨寒というにはあまりに冷え切った警視総監室の雰囲気を全く読まずに、というよりもわかってて無視をしていると判断した方が良さそうだが、長谷川はにこやかな視線を駿紀と透弥へと戻す。
「今回の件、あのまま一課と二課それぞれで追っていたら、このような早期解決は望めなかった。犯人への手掛かりの洗い出しといい、その後の対応といい、さすが山内君と小松君が名を上げただけのことはある」
優秀だと褒められているわけだが、素直に喜べない空気になっている。
「チームワークも素晴らしいね。人質を取った相手への対応などは、互いに信頼していなければ到底不可能だ」
いや、とっとと終わらせたい一心だけだったんですが、と駿紀は思い切り返したいが返せない。まさか、お互い一緒にいたくなかったからだとは、とても言えない。
喉元までせり上がった声を飲み込んだせいで、妙な音が鳴ってしまう。
代わりに、口を開いたのは小松だ。
「先ほども申し上げましたが、いくら犯人を止める為とはいえ、住宅地での発砲は」
「あの場の判断としては間違っていません。早期に押さえる必要があったことは確かですし、神宮司は充分にその実力があります」
不機嫌そのものの顔つきで切り替えしたのは、勅使だ。そんなことを言えと誰が言ったと無言で視線が告げ、小松は首をすくめて黙り込む。
殺気だった視線を木崎から送られて、山内が恐る恐る口を開く。
「先ほども申し上げましたが、この形態が上手く機能したのは、特殊な件であったからでして」
「これから、こういう特殊なケースはますます増える」
きっぱりと言い切り、長谷川は山内の言葉を封じてしまう。その根拠はどこに、とは尋ねられない雰囲気だ。
「今回の件で、今までの組織に囚われない捜査体制の必要性が、はっきりと実証されたのだよ。無論、すぐに多人数で機能するとは私も思わん」
話の結末が、具体的に見えてくる。
「先ずは、この形式でどこまで出来るのかを検証する」
この、が、どの、なのかは、言われずとも察しが付く。
勘弁してくれ、は無理だと長谷川の視線が告げているので、せめて他人で、と心で空しく祈ってみたりする。
こんなことならば、警視総監室に向かう前にもっと真剣に祈願しておくのだった。
今更、というよりも、二人で事件を解決してしまった時点で、マズイと判断すべきだったのかもしれない。
警視総監を前にして初めて察しが付いたのだが、一課と二課の人間を組ませるという発想は、そもそも警視総監その人から出たモノであったわけだ。その意図が図にあたって、長谷川は今、最高に盛り上がっているのに違い無い。それは、瞳が輝いているのからも容易に想像が付く。
信念に間違いはなかったとかと言い出しそうな雰囲気さえ漂っている。
呼び出す相手が上であればあるほどロクなことは無い、という透弥の言葉が身に染みて実感出来てくる。
転ばぬ先の杖、いや違う、後悔先に立たず。いやいや、それでは悪いコトをしたみたいではないか。
思考回路が混乱しているのを、必死に駿紀はなだめる。
そうじゃない、そうではなくて。
「一寸先は闇」
思わず呟いてしまったのと、長谷川が再度口を開いたのは同時だ。
「隆南駿紀君と神宮司透弥君を配属する。二人しかいない点に関しては、可能な限りの便宜を図ることで円滑に業務が進むようはからうこととする」
木崎が耐えかねたように口を開きかかるが、勅使に視線で制される。
駿紀は、もうため息すらつく気力も無いままに立ち尽くしていたが、はた、と気付いて透弥を見やる。
奇妙なくらいの無表情だ。
不機嫌とは違う、と直感する。が、機嫌がいいわけでは、けして無い。
「君達は必ず、期待に応えてくれるものと信じている」
長谷川の言葉と同時に、視界の端で透弥の口元に酷薄としか言いようの無い冷えた笑みが、ほんの微かに掠すめる。
思わず、ぞくり、とするほどのソレは、きちんと見直した時にはすでに消えている。
仕方ないので、スクールの教師でも今日びそんな熱血発言はしない、などと的外れなツッコミを心で入れてみる。これからのことを考えたら、もっと言っても元は取れなさそうだが。
木崎も勅使も、部下をいきなり持っていかれて不機嫌そのものながらも、諦めが入ってきているようだ。
山内と小松は、とうに諦めきっている。
少し胸をそらして、長谷川が立ち直す。
総司令官として演説をする時の、お得意のポーズだ。
どうにも逃げようが無いのなら、覚悟を決めるしかあるまい。
駿紀は、まっすぐに長谷川警視総監を見つめる。
「本日より、特別捜査課を正式に創設する」



〜fin〜


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