□ 雨告鳥 □ chant-9 □
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二人を一緒に護送するわけにもいかないので、警視庁へと頼んだ応援が到着するまでには、しばしの間がある。
渡辺を巡査の手に預け、距離をおいて京子と向き合う。
ここから先の発言は記録され、証拠として採用されることもあり得ること、弁護士を呼ぶ、黙秘するという権利があることを駿紀が告げると、京子は小さく頷く。
「ご理解いただいた上で、早期解決にご協力下さると、こちらとしては助かりますが」
透弥がつけ加えた言葉にも、京子は素直に頷く。
こちらを向いた瞳は、妙に澄んでいる。
全てを話すと決めた人間の眼だ。
少し、視線を落としてから、低い声だが、はっきりと聞き取れる声で話し出す。
「家の契約の件で話があると言ったら、あっさりと部屋に入れました。契約書類が必要だと言って、探させました。しまってあることは、知っていたんです」
だいたいの想像はつくのだが、本人が言わなくては意味が無い。
言葉を切ったが、二人が沈黙したままなので、京子は少し息を吸ってから続ける。
「……書類ケースに入れておいた出刃包丁を出して、振り上げて、降ろしました」
細身の包丁は、自重に助けられて中村の背に深々と刺さった。遺体を検分した駿紀は、そういうことか、と納得する。
「血はあまり出なかったので、やることはほとんどありませんでした。私がいた痕跡だけ、消せばお終いでしたから」
淡淡とした口調が、彼女の冷静さを物語っている。もしかしたら、彼女はある種の感情が欠けているのでは、と考えてしまいそうなくらいだ。
「包丁はどうしました?」
自白したのだから、どちらにしろ現場検証に入ることになるが、本人が言ってくれればことは早い。
京子は、落ち着いた口調で自分の部屋の二箇所を告げる。
どちらからともなく顔を見合わせて、数秒。背を向けたのは透弥だ。階段を昇っていく後姿を、京子はただじっと見つめている。駿紀も、視線を同じ方向へと上げる。
鍵が開きっぱなしの扉の向こうへと透弥の姿が消えるのを見届けてから。
「妹を被害者にしてたまるかと、それだけだったんです」
ぽつり、とした声に、駿紀は視線を京子へと戻す。
京子は、自分の部屋の扉を見上げたまま、淡淡と続ける。
「信じられないかもしれませんが、それなりに人間らしい部屋であったこともあったんですよ」
ゆるやかに、視線が駿紀へと向く。
中村の部屋のことを言っているのはわかる。軽く頷いてやると、京子の視線が揺れて、落ちる。
「それが、美代子と出会ってから、少しずつ元に戻っていってしまって。ああ、出て行く気なんだな、と」
いくらかの間の後、また、ぽつり、と声が聞こえる。
「あちらに拠点を移す気なんだと、確信しました。本気で、美代子を食い物にする気なのだと」
また、沈黙が落ちる。迷うように揺れた視線が、今度は中村の部屋の方へと向く。
「今、お話していて、やっと気付きました。私は、哲也さんが美代子を騙そうとしてなどいないと気付いていたんですね。美代子へと心を移そうとしていることが、ただ許せなかったんです」
その瞳が、一瞬だけ揺れる。
逸らすように上げた、駿紀の視線の先に、まるでタイミングを計ったかのように透弥の姿が現れる。
その気配に気付いたのだろう、京子も冷静な顔に戻って、足早に降りてくる透弥を見つめる。
降りてきた透弥は、京子の前に手袋をした手を出す。
ノートと、丁寧に布に包まれた何か。
「これですね?」
「はい」
顔はうつむき加減のままだが、視線だけはしっかりと透弥の手元を見つめて、京子は頷く。
駿紀が、差し出された布の塊を開いていく。
刃には、すでに血はついていない。が、遺体の傷と合うかどうかは確認出来るだろう。ノートの方は、日記であるらしい。
開いてみると、当該の日の前後に、簡潔ではあるが犯人でしか知りえないことがはっきりと書いてある。
文句無しの証拠品だ。
慣れた調子で袋に入れていくのを見ていた京子が、ぽつり、と口を開く。
「あの、どうして」
「え?」
駿紀が、首を傾げる。
「どうして、私だと?」
中村のことで尋ねたいことがある、と言った時点で、自分とわかってしまったのだと諦めたのだろう。が、あれほどまでに痕跡の無い現場から、どうやって京子の存在を見つけてきたのかは知りたいらしい。
駿紀と透弥は、どちらからともなく視線を見交わす。
小さく透弥が頷いたのを見て、駿紀が口を開く。
「アカショウビンの羽が、中村の部屋から見つかりました」
正確には、雨戸の戸袋の中なのだが。
京子は、軽く眼を見開く。
「アカショウビンの……」
小さく呟いて、視線を落とす。
「そうですか、羽が残っていたんですか」
俯いてしまっているが、薄い笑みが浮かんでいるのが見える。
あの赤みがかった羽から足がついたことよりも、あの部屋に自分がそこにいたという証拠が残っていたことの方が、彼女には嬉しいのかもしれない。
なんとなく、やり切れない気分で、駿紀は視線を逸らす。
ぱたり、と地面に染みが出来る。
雨が降ってきたのだ、と気付いたのは一瞬後だ。
「また、梅雨がきますね」
誰に言うとも無いらしい、京子の声。
「アカショウビンは梅雨時期にやってくるので、雨告鳥とも言うんです」
彼女の言葉に込められた想いは、表情からは伺えない。
こんな場所には不釣合いなエンジン音がいくつも近付いてくるのが聞こえてくる。
頼んでいた応援が、到着する音だ。

渡辺と京子を応援の手に預け、二人も車へと滑り込む。
待っていたかのように大粒の雨が車窓を叩き出し、夜闇と水とで視界が消える。
「そういや梅雨なんていう季節か」
ぼそ、と呟きながら、駿紀はエンジンをかける。透弥からの返事は無い。
ワイパーが回って、いくらか視界が広がる。
ヒトツ息を吐いて、すっかり深夜という時間になりつつあることを、やっと実感する。
機械的には、時間の流れを感じていなかったわけではなかったのだが。
走り出してからも沈黙が支配したままなので、ややしばらくしてから、駿紀が尋ねる。
「一応、落着か?」
「後は一課の仕事だ」
ごくあっさりと、透弥が返す。
今まで追ってきたモノは何も関係なく、中村哲也殺害事件は痴情のもつれということになったのだ。
後は、殺人を追うことが仕事の一課が扱うのが筋だろう。
「書類は書かされんだろうけどなぁ」
駿紀のぼやきにも、容赦ない。
「特殊な班を組まされたからな、それなりに書かされるだろう」
「しかも、事件を解決しちまったしな」
デスクワークのことを思って、少々不謹慎な言葉で言った後、はた、とする。
本当に、二人で事件を解決してしまったのだ。
しかも、下地となる捜査をそれぞれに終えいていたとはいえ、一日で。
「運転に集中しろ」
ぼそり、と透弥が不機嫌そうに言う。
微妙に考えに沈みそうになったのを読まれた気がして、む、と眉を寄せる。
「安全運転だろうが」
書類さえ書き上げてしまえば、いちいち神経逆撫でしてくれる相手ともオサラバなわけだ。あと一息、一気に片付けるに限ると思いながら、駿紀はアクセルを踏み込む。
が、事件を追ってる途中ではないし、雨も降っているし夜でもあるわけで。
ようは、警視庁に着くまでには、まだしばらくかかる。
別に、沈黙したままほっといても構わないはずなのだが、なんだか息がつまりそうだ。が、下手なことを言うと、ロクな答えが返ってこなさそうでもある。
平和裏に辿りつきたかったら、黙っとくに限るだろう。
にしても、だ。
なにかが思考というか、記憶の中というかに、つっかかったままになっている。
今回の事件は解決したはずなのに。
何がつっかかているのかと、ざっと今朝からの出来事を思い浮かべてみる。
本命じゃないな、と思いつつも、ヒトツ気になっていたのを思い出して口にする。
「そういや、よくブレーキ傷つけずにタイヤバーストさせたな」
「事故を起こさせる気なら、そうしたさ」
当然だといわんばかりの口調に、かちん、とくる。
「狙ったってわけか?」
「出来ないなら、撃たない方がマシだ」
何を言っている、とでもついてきそうな感じだ。ちら、とバックミラーを見やると、透弥はいたって本気の顔つきをしている。
現場に駆けつける前に、透弥が反対に走ったのは銃を用意する為だったことは、もうわかっている。
続けざまに後輪を打ち抜いたのは、片方だけだとスピンして激突する可能性が高まるからだ。そんなことになれば、下手すると中に乗っている人間はケガでは済まなくなる。
駿紀が口にした、ブレーキの件も同じことだ。バーストの衝撃でブレーキラインが切断したら、大事故になりかねない。
ようは、透弥のしてのけたことは、普通なら危険度の高い賭けだったわけだ。
が、透弥にはそのつもりが無いらしい。
狙い通りに止められるという自信があった、ということになる。
「あ、わかった!」
急に上げた素っ頓狂な声に、透弥が眉を寄せる。
が、おかまいなしに駿紀は続ける。なんせ、ずっとつっかかっていたことが、ようやくわかったのだ。
「神宮司って、どっかで聞いたと思ったら、アレだ。現役軍人差し置いて射撃国際大会で優勝」
「刑事も銃器の扱いという点では現役だと思うが」
身も蓋もない返答だ。一応は喜ぶところではないのか。
「頻度が違うだろうが」
「現役で思い切り撃ちまくってるような状況の人間が、のん気に大会なぞに出場するとは考え難い」
不機嫌そうな口調なところから察するに、望んで出た大会では無かったらしい。
言ってる内容も、もっともと言えばもっともだ。リスティアで戦争が無いというだけで、『Aqua』のどこかでは殺しあってる人間がいる。そんな生死の境にいる者が、純粋に腕を競う場などには現れないだろう。
通常、あまりそういうことまでには考えが至らないとも思うが。
なんにせよ、あまり引きずるのは得策の話題では無いようだ。
「まぁな」
てきとうな相槌をうって、口をつぐむ。
いくらかの沈黙の後。
「少なくともこの職についている限りは、過去の記録がどうであるかよりも現状の実力の方が大事だ。おかげで、余計な書類を一枚書かなくて済む」
「え?」
透弥の言っている意味がわからずに、駿紀は問い返す。
「何もせずに、あの距離を追いつけるのは隆南くらいだろう」
付け加えられた言葉に、納得する。
「ああ、あの程度なら余裕だ」
全力疾走したわけではないから、事実だ。駿紀にとっては自慢でもなんでもなく、当然のこと。
なるほど、透弥にとっても銃で車を事故らせずに止めるというのは、そういう範囲内のことなのだ。
納得して、軽く頷く。
が、すぐに首を傾げる。
「ん?俺の足と書類と、どういう関係があるんだ?」
「走るだけで追いつかないのなら、それなりにすべきことが出来る」
別に、もったいをつけているわけではなさそうのなのは、ちら、と見た横顔からわかる。
そして、答えも。
「例えば、ちょいと走りにくくなってもらうとか、か」
無論、銃で、だ。
誘拐犯人相手とはいえ、人間そのものを傷つけると、それなりにウルサイことになる。
無言が肯定であるらしく、透弥は黙ったまま車窓の外を見つめている。
ああ言えばこう言う体質のようだが、少なくとも認めるところは潔く認めるというのも、知っている。
「あんな速攻で止まってなかったら、俺の足でも難しかったな」
無視しようと思ったのではなく、単に、どう答えていいのかわからなかったらしいのは、バックミラーから見える視線の動きでわかる。
いくばくかの間の後。
「そうか」
とだけ返る。
いつの間にか、雨は小降りになってきていて、視界の先には見慣れた建物が見えてくる。

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