□ 火と氷 □ whisper-1 □
[ Back | Index | Next ]

妙に高らかに特別捜査課の正式創設が宣言されてから三日。
鶴の一声効果と言うベきか、着々と外見は整っていっている。
お義理で設置されていたとしか思えない電話一台と、どさくさまぎれに神宮司透弥が申請した最新端末と、だだ広い机が二つだけの殺風景だった部屋は、見違えるばかりだ。
通路には真新しい「特別捜査課」のプレートが付き、書類やら資料やらの為の棚などが運び込まれ、電話も各々用になって、すぐに手が届く場所にある。窓の古ぼけたカーテンも、新品のブラインドに取り替えられた。
正式に隆南駿紀の席となったそこには、威圧感たっぷりに最新端末が鎮座しており、当人が難し気な顔つきで向き合っている。
威圧感の要因は、視覚的にはモニタの重量感、感情的にはワープロと段違いの設定事項数だ。懇切丁寧な取り扱い説明書が存在するおかげで困りはしないのだが、聞いたことの無いカタカナばかりが並んでいるのには閉口する。
「ああ、くそ!」
モニタのエラーメッセージに、駿紀は思わず悪態を吐く。
ヒトツ戻って、電話帳並の取説へと視線を戻す。付箋と見比べて、軽く舌打ちをする。
もう一度入力し直して、近寄っても仕方ないのにモニタに迫り寄って、指差し確認をして。
「よっと、これでどうだ!」
勢いで、エンターキーを叩く指にも力が入る。
通信中です、という表示のまま、待つことしばし。モニタに、「接続しました」と現れる。
「よっしゃ、繋がったー!」
思わずバンザイをしてしまい、それから慌てて周囲を見回す。
どうやら、まだ透弥は戻っていないようだ。
ヒトツ、息を吐いてから、はた、とする。
駿紀が端末を立ち上げ始めた途端、透弥はタイミングを計っていたかのように特別捜査課を後にした。以後、戻っていない。
どこでサボってるんだか、と考えかかって、思わず苦笑する。
自分も何ら変わりはないことに思い当たったのだ。
一からの立ち上げだとはいえ、三日も準備にあてていられるのだから、サボっているのも同然だ。
一課にいたのなら、今日も何かの事件の捜査に没頭していて、椅子が温まる時間など無いのだから。
考えてもせんないことがよぎって、駿紀は背もたれに体重を預ける。
「…………」
スケープゴートだかなんだか知らないが、特別捜査課から逃げることは不可能だ。
ここで、やるしかない。
だが、何を?
一課は殺人などの強行犯、二課は詐欺などの知能犯、三課は盗犯、四課は暴力犯。その分類は機能するからこそ成り立っているものであり、先日の中村哲也殺害事件のように一課と二課双方が追っているなどというのは、稀なケースだ。
どの手の事件を扱うかはっきりしていない以上、なんの事件も持ち込まれない、という状況になるのは目に見えていたのだが。
警視総監自身は特別捜査課設立を最高の発案だと信じて疑っていないらしく、権力行使をしてのけた。
おかげで最新端末なんぞが目前にあるわけだが、事件が無ければただの箱。本末転倒とは、まさにこのことだ。
現場に出ることを望むなら、自分で事件を探してくるしかない。
それもまた、おかしな話ではあるけれど。
だいたい事件なんてどうやって、まで考えたところで、開いた扉の方へとふり返る。
てっきり透弥が戻ったと思った駿紀の目は、大きく見開かれる。
「木崎さん!」
思わず立ち上がってしまう。習慣とは恐ろしい。
「やっぱり根を生やしてやがったな」
「スミマセン」
木崎の方が相変わらずの状況であろうことは言われずとも察しがつくので、のんびりと端末を立ち上げたりしてるのが申し訳ない気がしてしまう。
「隆南が謝る筋合いは無い」
一瞬、眉が寄ったのは、特別捜査課を言い出したのと、止めなかった人間を思い出したからに違いない。が、感情的な表情はすぐに消える。
まっすぐに駿紀へと向き直った顔は、真剣そのものだ。
「戻る気はあるか?」
一課へ、ひいては木崎班へだということは、考えずともわかる。
木崎が特別捜査課に反対したことは本人は口にしないものの、容易に想像がつく。そもそも、駿紀が一課所属になったのも、木崎が相当に強引な手段で生活安全課から引き抜いたからだ。
理由はさっぱりだが、木崎はえらく駿紀を買ってくれている。
今も、こうして真剣に考えてくれているらしいことはありがたいと思うが、特別捜査課創設者は警視総監だ。
いくら木崎が強引だとはいえ、無理な話なことはわかりきっている。それが出来るなら、創設自体が取りやめになっていただろう。
駿紀は、軽く首を傾げる。
「出来るものなら、その方が役立ちそうですけれど」
一人でも人手があれば、それだけ捜査ははかどる。難事件担当と言ってもいい木崎班にとって、不意打ちで一人欠員を出したことは痛手のはずだ。
その点は、駿紀にももどかしい。
返答を聞いても、ややしばし、木崎はまっすぐに見つめたままでいたが、やがて意を決したように口を開く。
「方法が、無くもない」
声が、いつもよりぐっと低い。まるで、誰かに聞かれたら困るとでもいうかのように。
駿紀は、もう少し首を傾げる。
「二人程度では、何も出来ないということを示せばいい」
木崎の言ってのけたことの言外の意味を、駿紀はすぐに理解する。
捜査に失敗すればいい、と言っているのだ。
軽く目を見開いた駿紀の手に、木崎は分厚いファイルを押し付ける。
「島袋さんが手がけられていた件だ。例の、と言えばわかるだろう?」
島袋は先々月に退職したばかりの大先輩をも言うべき人物だ。木崎班ではなかったが、駿紀もよく知っている。島袋が扱っていた件中、未解決で、しかも「例の」などと呼ばれるは一つしか無い。
すぐに思い当たった駿紀の顔つきは、複雑なものとなる。
確かに最もその件のことを知り、気にかけていた人間はもういない。だが、仮にも警察官であるのなら、最初から未解決と決めてかかるのはいかがなものか。
その表情をどうとったのか、木崎は真剣な顔つきで駿紀を覗き込む。
「お前の検挙率なら、一回くらいのミソはなんの問題も無い。大丈夫だ」
駿紀の肩に手を置いて、に、と笑う。
「待ってるぞ」
「はあ」
微妙に腑抜けた返事になるが、木崎は言いたいことを言って満足らしく、軽く頷いて背を向ける。
気になったのは自分の検挙率のことなどでは無いとは、なんとなく言いそびれたまま、駿紀は木崎の後姿を見送る。
扉が閉まって、やや経ってから、手元に残されたファイルへと視線を落とす。
実際に資料を目前にするのは初めてだが、概要は知っている。
二十年近く前、とある資産家の家で起きた事件もしくは事故だ。
酷く猟奇的だったとか、事前に予告状が届いたとか、悪目立ちする要素は全くといっていいほどに無かった。
それどころか、証拠自体がほとんど見つからないままなのだ。おかげで、未だに事件か事故か未決のままでいる。
なのに世間では、奇矯な事件として有名だ。
何せ、当時のまま現場が保存されているのだ。
犯人がわかるまでは、という当主の方針なのだそうで、旧文明産物の保管等に使われる技術を惜しみなく注いだシステムなど、いかにもマスコミが食い付きそうなネタではある。
おかげで実際には、関わったことも無い駿紀もこの程度には知っている。
にしても、二十年弱とはけして短くは無い。
いや、二十年という時間が過ぎ行く瞬間は、関わりのある者にとっては大きな意味さえ持っている。
殺人には、時効が無い。
だが、それは殺人と断じられた場合だ。
二十年に渡り、殺人であるという確たる証拠が提示されなければ、それは事故と判断される。
よって、このファイルに収まっている件も、あと少しで事故と分類され、これ以上の捜査は不要と断じられる運命にあるわけだ。
ただの事故とはっきりわかるものが、延々二十年も捜査されるわけが無い。
誰もが、事件と感じつつ、だがその証拠が掴めないまま、ということだ。
世間では「時を止めた事件」などと呼ばれているが、確実に時間は移ろっている。留まっているのは、現場だけだ。
関係者の誰かが鬼籍に入っていてもおかしくは無いし、捜査規模もとうに縮小されている。今から得られる情報は、かなり限られる。
発生当時から今に至るまでの実際を知っているのは島袋くらいだろうが、その島袋も現役ではないのだ。
事件と断じられ、更に解決ともなれば、その可能性は限りなく低い。
ようするに、黒星ヒトツ付けてでもという木崎の言葉は、本気ということだ。
複雑な心境のまま、駿紀はファイルの表紙を開く。
が、次の瞬間に音を立てて閉じる。
「わかりやすい反応だな」
扉の向こうとこちらのクーラーの設定温度が異なっているわけではない。館内統一だし、そもそも吹き出し口は廊下には設置されていない。
むしろ、温度が低いのは室内のはずなのに、間違いなく廊下から冷気が漂っている。
廊下というより扉を開けた透弥から、もっと正確を期すならば、その口調からなのだが。
「背後から音も無く開けられたら驚くだろうが」
負けじと駿紀も言い返すが、お前って妖怪かなんかか、というのは喉元に押し込める。言いたいのは山々だが、口にしたらこの毒舌から何が返ってくるのかわかったものではない。
「己の居室に戻るのに、いちいちノックするのか」
ご説ごもっとも、駿紀もノックはしないだろう。が、このままノックの是非について論じるのは不毛と判断したのは、透弥の方が先であったようだ。
無表情のまま、透弥の手元にあるファイルへと視線を落とす。
「コレを持ち出したわけか」
「は?」
微妙に納得しているらしい口調に、話が見えない、の意を込めて駿紀が返す。苦笑に近いような、どこか面白がっているような奇妙な笑みが透弥の口元に浮かぶ。
「長期案件なんて手を出してる暇なぞ、最も無い御仁とすれ違った理由がわかっただけだ」
先ほど木崎と言葉を交わしたばかりの駿紀には、充分に意味がわかる。
透弥が、木崎の考えまで見透かしていることも、だ。
確かに黒星作ってでも、という考え方自体はどうかとは思うが、少なくとも駿紀を取り戻す為と忙殺されている中考え抜いてきたことだけは確かだ。
それを、冷笑で片付けられるのは我慢ならない。
言い返そうと息を吸ったところで、笑みを消した透弥が先に口を開く。
「一課の鬼班長が何考えてようと、俺には関係無い。関係があるのは、隆南の方だ」
「俺?」
思わず自分を指差し、マヌケに問い返す。透弥は、探るような視線で駿紀を見つめたまま無言だ。
少々の間の後、透弥の言いたいことを悟る。
入ってきて、一目で駿紀の手にしているファイルが何の事件のものか理解した。ということは、このファイルがあった場所、すなわち長期案件の保管室にいたのだ。
と、同時に、木崎の言葉を聞いた時のもやもや感が甦る。
ヒトツくらい黒星があっても、と木崎は言った。駿紀の側から見たら、確かにそうかもしれない。通常の木崎なら、そんなことは口が裂けようが腹が裂けようが、絶対に口にしないこともわかっている。
なぜならば。
「事件が解決しないということは、犯人がそのまま野放しになるってことだ」
駿紀は、まっすぐに透弥を見上げる。
「俺の趣味じゃない」
ふ、と透弥の口元が微かに緩んだように見えたのは、気のせいだっただろうか。
「俺もだ」
透弥は、つい、と駿紀が手にしたままのファイルを指差す。
「事故確定までは、一ヶ月ある。となると、この件は解決の可能性が高い」
目を見開いて、駿紀はファイルと透弥を交互に見やる。

[ Back | Index | Next ]


□ 月光楽園 月亮 □ Copyright Yueliang All Right Reserved. □