□ 火と氷 □ whisper-2 □
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二十年という期限ぎりぎりまで、殺人の立証さえ出来なかった件だ。それを、解決の可能性が高いと言い切るとは。
駿紀は、透弥の顔をまじまじと見つめる。毒舌ではあるが、ほらを吹くタイプでは無いと思うのだが。
駿紀の疑問がわかっていないわけが無いのに、透弥は無表情のまま軽く首を傾げて問う。
「隆南はそうは思っていないと?」
先ほど、犯人を野放しにするのは趣味じゃないと聞いていての問いは嫌味でしかない。
含みをもたせたような態度は気に入らないが、少なくとも透弥もこの件にあたる気でいるのは確かだ。
挑戦されて、尻尾を巻くのも駿紀の趣味ではない。となれば、やることは決まっている。
「先ずはこのファイルの中身を確認する」
言ったなり、手にしていたファイルを開く。
挟まれていた封筒を覗いて確認してから突き出す。
突き出されたそれを受け取った透弥は、机の上に中身を裏返したカードのように広げてから、まっさらなボードの前に立つ。
「発生日時は、416年8月2日。現場は福屋家の邸宅、福屋正の書斎。ガイシャは福屋正、72歳、当時福屋家当主だった」
駿紀の読み上げに合わせ、透弥は古びた一枚の写真を貼って隣に当主と書き加える。細かい点を指摘するなら、福屋正は被害者の可能性があると言うべきであって正式に認められたわけではない。だが、捜査に関わる者という立場からすれば、妥当な呼称ともいえる。
細かいことはともかく、まずは状況の整理だ。駿紀は続ける。
「死亡推定時刻は午前2時から5時の間」
慣れた調子で、几帳面な文字が並んで行く。
「遺体発見は同日6時、発見者は中根悦子、正の孫娘で当時8歳」
マグネットを動かす音が二回したのに顔を上げると、かわいらしい少女のいくらか色あせた写真の真下に、奥様風のものが並ベられている。
「……ああ」
どういうことか理解して、駿紀は思わず小さく声を出す。上は事件当時、下は近い時期のものだ。ほぼ二十年という時の流れが、はっきりと現れている。
「今年の5月に撮影されたものだ」
駿紀の声の意味をどう取ったのか、二枚の写真に何の感慨も無さそうな顔つきの透弥が注釈する。
軽く肩をすくめて、駿紀はファイルへと視線を戻す。
「現場の状況から、外部からの侵入者はないと断定」
資料を繰ってから、付け加える。
「内部の犯行と断定可能な証拠も、現状までは発見されて無い」
よって、この事件は長期案件として今まで残されることとなったわけだ。
外部では無いと断定されているのだから、殺人であった場合、犯行時刻に福屋家の屋敷に滞在していた中の誰かが犯人という結論になる。
「当日、邸宅にいた人間は、正の長男福屋清、妻の千代子、夫妻の子の誠10歳、正の次男福屋勇、長女中根八重子、その夫勉、そして発見者で娘の悦子」
読み上げられるのに合わせ、人物関係を書き込みつつ各々の当時と現在の写真を貼り終えた透弥は、駿紀へと視線を戻す。
「他は?」
家族ばかりで、使用人の類が上がっていない。福屋といえば、当時からそれなりの成功を収めている経営者だ。
屋敷と呼ばれるくらいの大きさの家から考えても、手伝いを担う人間がいるのは、むしろ当然だろう。
「通いばかりで、事件発生時から発見時ににはその場にはいなかった。アリバイも確認済みだ」
駿紀は、資料を繰って答えてから、視線を上げ、軽く眉を寄せる。
「見取り図、無いのか?」
「こちらには、入ってない」
関係者の写真が入っていた封筒を、透弥は軽く振ってみせる。
「足りないな」
駿紀はファイルを繰って、別の封筒を引っ張り出す。
出てきたのは、開くにも音を立てる見取り図だ。黄ばんでいるし、止めてあった箇所のテープがべたついているし、なにやら妙に分厚い。
広げてみると、いくらか厚みのある紙に見取り図が書き込まれ、その上に四方から薄い紙が重ねられている。
「なんだこりゃ」
思わず呟きながら、立ち上がる。
ボードに一番下の紙を止めてから、試しに薄紙を一枚、被せてみる。
「あ、なるほどな」
死亡時刻付近の家人の動きが追えるようにしてあるのだ。
証拠が出ないならアリバイを、と思ったのだろうが、今のところどうにもなっていない、ということなのだろう。
「この屋敷周りの庭には、夜になると犬が放たれていて、家人であろうと吠えかかられた。事件当日、犬が吠える声を聞いた者はいない」
「犬の餌付けや慣れに関しても、徹底的に確認は済まされている、か」
駿紀が置いたファイルを、透弥が手にしてページを繰る。視線が、素早く文字を追う。
「外部からの侵入者が無い、という点に関する検証は充分に行われたと判断するしか無いな」
言い方はつっかかったが、外部侵入者に対する認識は一緒なので、駿紀はいちおう頷く。
透弥はそれを見ているのかいないのか、更にページを繰る。
「死因は頚動脈切断による失血性ショックだ」
その周辺の数ページを取り出し、並べる。いくらか色があせているが、血まみれになった被害者の様子ははっきりと見て取れる。
駿紀は、無意識に眉を寄せる。そうとうに凄惨な現場になったに違い無い。
透弥は、感情の無い顔のまま、続ける。
「凶器は、別の部屋にコレクションされていた刀剣の一本と考えられる」
読み上げられた一節に、駿紀は一瞬、ぽかんとする。
「ちょい待て、ってことは現場に凶器は無かったってことか?」
「いや、懐剣がガイシャの手元に落ちていた」
ファイルから顔を上げずに、透弥が返す。
「他殺とするなら、傷の状況から、懐剣のような短剣ではなく、長いもので切りつけたと考えた方が納得がいく」
言い換えれば、自殺ならば懐剣のように短いものでも充分にそういった死に方は可能だ。
「自殺を装ったわけか。細工がずさんだったってことか?」
透弥は、軽く肩をすくめる。
「懐剣はガイシャの血でまみれていて、自殺か他殺かを推定出来る情報は得られなかった」
記録からしか得られない情報をもったいぶる気は全く無いらしく、透弥は続ける。
「当時の捜査陣が他殺に傾いた大きな理由は、容疑者含め周囲全員の意見が、自殺するような人間では無いと判を押したように一致したからだ」
それでも、時に人には魔が差す。それをも否定しうる一致ぶりだったのだろう、としか考えようが無い。
そうそう簡単に頚動脈を切断することなど出来ない。相応の凶器でなくては無理だ。だから、真の凶器はコレクションの中にあると考えられる、という判断になったわけだ。
「でも、それがどれか限定出来ないということは、犯行後、夜中なのをいいことに、証拠となりそうな部分の血痕を拭い去った、か」
口にしてから、首を傾げる。現場写真から考えて相当量になったはずだ。
「……状況次第では、やってやれないこともない、というよりやったんだよな。実際、今までホシが明確になっていないんだから」
ページを繰っている透弥の顔に、皮肉な笑みが浮かぶ。
「全てが推測の域を出ない」
「まぁな」
先ほど貼った、屋敷の見取り図を見つめながら、駿紀は頷く。
確かに、家人の行動を追える様に、薄紙が貼ってある。遺体発見時からのそれは、見事なまでに怪しい部分は無い。
証拠が無い、というこの件の特徴に、更に念を押しただけだ。
「福屋家の人間は、誰がやったのかわかってるんだろうか」
「もしそうであるなら、全員共犯、ということになる」
透弥の口元に浮かんでいる冷笑が、いくらか大きくなる。
「じゃ、互いに疑心暗鬼で過ごしてるって?」
言い返してから答えに気付いて、駿紀は不機嫌な顔になる。
「誰がやったんだとしてもおかしくない、という方か」
「証言録を読む限りでは、はっきりと誰かを意識している者はいない。皆に動機があり、冷徹にやってのけられるだけの度胸も備わっていると判断されている」
誰かを疑うような証言が出ていないということは、誰もが実の親であるはずの正の死を歓迎した、ということになる。
駿紀は不機嫌な顔のまま、問う。
「財産絡みか?」
被害者が資産家で、子が皆が死を望んだとなると、真っ先に思いつくのはそれだ。
資料を目で追っていた透弥は、軽く肩をすくめる。
「いや、経済的な不自由は全く無かった。その点は全員の証言が一致しているし、ウラも取れている」
「金じゃない、となると?」
駿紀の表情は不機嫌から不信へと取って代わっている。
透弥の視線が上がり、駿紀をまっすぐに見る。
「金も出すが」
一瞬の間の後、続きを悟る。
「口も出す、か亅
「この点も証言は一致している。ガイシャは瑣末なことまで全てに口を出さねば気が済まなかった」
駿紀は、ボードに貼られた写真を見やる。
「充分に一人立ちしてる年齢だな。ええと、ガイシャは72で、長男が」
「当時、33」
透弥の返答を書き込んでから、駿紀は、トン、と軽くボードを指の背で叩く。
「遅い子供は甘やかしがちになる、というのだとしても、誰が犯人でもおかしくないほどってのは異常だろ」
「長男も次男も長女の夫も、福屋が経営している企業でかなりの地位を与えられていたようだが、肝心な決定権は無かった。というより、絶対にガイシャにお伺いをたてなくてはならなかった上に、必ず修正が加えられた。それは、誰が見ても問題無いと判断するものであってもであり、時としてガイシャの修正により不利益が出ることさえあった」
淡々と読み上げる口調が、返って事実を際立たせる。透弥は、視線を上げずに続ける。
「事件直前には、会社としての経営方向が左右されかねない件で、また不味い方向への修正が加えられていた」
「いくつになっても子供は子供のままってことか」
いや、それだけでは片付けられないレベルだ。老醜、という言葉が頭を掠める。
資料を追いながら、透弥が返す。
「息子達の経営能力に関しては、あると言っていいだろう。現に、福屋製作所は優良企業だ」
「むしろ、ガイシャの存在が会社をも揺さぶりかねない状況で、自分たちの人生も口出しされっぱなしだったと来りゃ、追いつまりもする、か」
駿紀は、思わず両手を上げる。
相変わらず、ファイルに視線を落としたまま、透弥が口を開く。
「事件当日に関する証言は幾度と無く取られているが、判で押したように一致している」
想像はつくが、何事も決めてかかってはいけない。
「何て?」
「ぐっすり眠っていたので、異常には気付かなかった」
きっちり予想通りのお約束通りで、駿紀はまたもや両手を上げてしまう。
「なるほど、本当は起こっていた異常が誰によるものか、二十年間明らかに出来ず仕舞いなわけだ」
二十年間、決定打を発見出来なかっただけはある。これはやはり、かなり厄介な件だ。
駿紀は首をひねる。
「となると、どこから洗い直すかな?」
半ば独り言のような問いに、透弥が顔を上げてあっさりと返す。
「福屋家の証言から取るか、事前に島袋氏に話を聞くか、の間違いだろう」
決めつけの口調の中に含まれている意味に気付かないほど鈍くは無い。駿紀は眉を寄せる。
「なら、神宮司はどうする気……」
まっすぐに駿紀を見つめたままの透弥の目を見ているうちに、語尾がたち消える。
解決の可能性が高い、と透弥は言った。
二十年近くの捜査と同じことを繰り返すなど、するわけが無い。別の観点から、とすれば。
「現場検証、する気か?」
透弥の返事は、微かに持ち上がった口の端だ。
「解放して現場検証をするかの判断は捜査側に一任されることになっているから、問題は無い」
「自信がある、と?」
時を止めている事件現場が、一度たりと解放されなかったのに、理由が無いわけではない。
旧文明技術を利用した保存は、簡単なことではない。技術的な面だけでなく、金銭的にも、だ。
費用は全て福屋家がもっているが、維持だけでもかなりな負担となっている。
開放させておいて、再度凍結となれば、その費用はとんでもない額面になる。
現場検証を行うかの判断は捜査側に委ねられているとはいえ、よほどな勝算が無ければ、軽々しく口には出来ない。
が、透弥は意に解した様子は無く、ごくあっさりと言う。
「さて、それは旧文明保存技術とやらの実力次第だな。うたい文句通りなら、全ての時を止めていることになっているが」
「時が止まってるとどうだっていうんだ?」
新しい証拠を見つける気でいるのはわかる。が、何を見つける気でいるのかがわからない。
薄い笑みが、透弥の口元に浮かぶ。
「周囲は二十年近い時が流れているってことだよ」
また煙に巻かれて、さすがに駿紀もむっとしてくる。
「あのな、もって回った言い方は止めろよ」
「現場検証には来るつもりなんだろう?見ればわかる」
面倒臭そうな口調に、ますます駿紀の眉が寄って来たのを見て、透弥は軽く眉を上げてから付け加える。
「見なければ、納得出来ない」
断言されてしまうと、なんとなく言い返し辛くなる。透弥の場合、それを計算して言ってそうなところは腹立たしいが。
納得いかない顔つきのまま口をつぐんだのを横目で見ながら、透弥はファイルへと視線を落とす。
「見ても、信じないヤツもいそうだが」
ぽつり、と漏れた言葉に、駿紀の眉が一気に上がる。
「疑いたくなるような証拠を提示しようってのかよ」
視線を上げた透弥の顔には、奇妙な笑みが浮かぶ。
「確たるモノであっても、頭の固い連中はケチをつけたがる」
「俺は、その頭の固い連中とやらだと?」
決め付けられたようで、ますます腹立たしくなってくる。透弥はファイルを閉じて、今にも立ち上がりそうな駿紀をまっすぐに見る。
「どちらか試してみるか?」
「試す?」
駿紀の問いには返さずに、透弥は立ち上がる。
「ついて来い」
「だから、命令するなっての!」
反射的に返しながら駿紀も立ち上がり、とっとと歩き出した透弥の後ろを追う。

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