□ 火と氷 □ whisper-13 □
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「ああもう、なんだってあんなに話が長いんだ!」
特別捜査課の部屋の扉を閉めた瞬間に、駿紀は大きく伸びをする。延々と同じ姿勢で話を聞いていたせいで、体中がばきばきと音を立てそうだ。
無言のまま自分の椅子に腰を落とした透弥は、視界に入った書き損じの書類を握りつぶしてゴミ箱に投げ捨てる。機嫌が悪いのが、表情を見なくてもわかる音だ。
たった二人の課だから、送検などに必要な書類を全部二人で片付けなくてはならないのは仕方ない。取り調べに関しても同様だ。
引き継いだ検事は透弥の知り合いで、科研についても理解が早く、証拠として有用ならば積極的に使うと請け負ってくれたのは何よりだった。
問題は、その後だ。
なぜ、書面に書き起こし済みのことを口頭で延々と説明しなくてはならないのだろう。
直の上司が、あの演説で有名な総司令官兼警視総監、長谷川であるのは問題だとしか、言いようが無い。
問題といえば、そもそも、たった二人で捜査課が成り立つという発想自体が、だが。
自分の椅子に腰を下ろしてから、はた、とする。
「あー、そういや、助かった。ありがとう」
礼を言われた透弥は、気味が悪いというのをはっきりと出した顔のまま動きが止まっている。
「そこまで嫌な顔すること無いだろうが。神宮司がかわしてくれなかったら、課長たちに科研の有用性について説明するのに延々と付き合わされてるとこだった」
「俺がうんざりしてただけだ」
肩をすくめてみせてから、透弥は椅子の背に体重を預ける。
うんざりという単語のアクセントが強いのは気のせいではあるまい。今回の報告が前回の比では無い長さになったのは、課長やら班長やらが顔を出さなかったからではない。
科研の現場検証がモノを言ったという報告にいたく興味を示した長谷川が、林原を呼んだせいだ。
絶好のアピールの場だというより、純粋に説明するのが楽しくて仕方の無い上に、聞き手も無類の話し好きとくれば、推して知るべし。
しかも、その後、他の課長たちにも有用性を説かねばなどと張り切りだした総監が、その場で収集をかけようとしたものだから堪らない。
透弥が上手いこと口を挟んだおかげで、その時点で二人はお役ゴメンとなったものの、そうでなかったら同じだけ、いやそれ以上の時間をとられただろう。
正直、報告に向かった時間がいつだったかなど、思い出したくも無い。何時間経ったのかを具体的に知ったら、間違いなく疲れが倍増する。
なんてことを考えただけでも疲れてくる。
駿紀は、軽く首を横に振る。
「ダメだ、このままだと腐る」
無言の透弥は、このまま朽ち果ててて消えたそうだ。
このままじゃ、本気で滅入る。こういう時にすべきことは、アレだ。
「美味いもの食いに行こう」
いやに決然と言い切った駿紀に、透弥の視線が何を言い出したのか、と問うている。
駿紀は立ち上がって、首を傾げてみせてやる。
「美味いものは美味いものだよ。少なくとも嫌いじゃないだろ。それと、美味い酒」
無言のまま、透弥は、駿紀の顔を不可思議なものでも見るような表情で見つめる。ややの間があってから、ぼそり、と口を開く。
「「行こう」という単語は一人で行く時のものでは無いように思えるが」
「回りくどい確認しなくたってそうだよ。神宮司だって、腐りかかってるだろ」
「否定はせんが、隆南ほどではないな」
やや、いつもの調子が戻ってきたようだ。微妙に毒が入っている。
「どういう意味だよ」
「変わった思考だと言ってるんだ。どんなに酒と料理の味が良いとしても、願い下げの相手では意味がないと思うがな」
扇谷の元へ行った時のやり取りを指しているのだというのは、すぐに理解出来る。駿紀は、あっさりと頷く。
「ああ、あの時はな。でも今はちょっと違う。仕事に関しちゃ、神宮司と組むのは悪く無い」
実際、今回の件を通してそう思ったのだから、嘘は無い。
無表情に駿紀を見つめたまま、透弥はたっぷりと一分は黙り込んでいた。
が、やがて、口の端にらしい笑みを浮かべる。
「そこまで美味いと連呼するからには、いい店を知っているんだろうな」
にやり、駿紀も笑い返す。
「まぁな」
返した瞬間に、思い出す。福屋のところに初めて行った日のことを。
「そういや、食えないモノあるか?」
「酒と、酒に合うものでは思いつかんな」
立ち上がりながら、さらりと返事が返る。確かに、生クリームのケーキに酒を合わせることは無いだろう。そもそも、駿紀が気付いたということ自体を知らないはずだ。
「なら問題ないな、行こう」
駿紀が扉を開ける。
後に続きながら、透弥は疑わしそうに目を細める。
「本当に美味いんだろうな」
「あのなぁ、これから行くのは、リスティア米どころの酒蔵で少量生産の地酒、しかもリーズナブルってのを集めてあるっていうところだぞ。ついでに、魚はリデンとフェナイからの直送もん」
振り返って、ふん、と駿紀は鼻を鳴らす。
「文句は、飲んで食ってから言え」
「大層な自信だな」
呆れたように透弥は返すが、顔は不機嫌なものではない。
「そこまで言うなら、付き合おう」
「口より先に、体は付いてきたように見えたけどな」
駿紀が言ってやると、透弥は軽く肩をすくめる。
「帰るだけにしろ、この部屋は出るだろうが」
「屁理屈だ」
駿紀が唇を尖らせたのへ、ごくあっさりと透弥が返す。
「自分のことを言ってるのか」
あれやこれやと言い合う二人の後姿は、やがて角を曲がって消えていく。



総監室の扉が開き、疲労の色濃い四人の課長がぞろぞろと出てくる。
その後に続いて出てきたのは、庁内で検挙率一、二を争っていると言われる木崎と勅使。実際、捜査にあたる人間が科研の重要性を知らなければ意味が無いという、長谷川の確固とした意思の元に呼ばれたのだ。
この二人の顔には、先に出た課長たちのような疲労は無い。
無表情に見えるその目だけが、彼らの感情を示している。
木崎は今にも発火しそうなくらいに怒っており、勅使は手を打って笑い出しそうなくらいに面白がっている。
無論、山内一課長も小松二課長も、それぞれの部下がそんな感情を抱いているなどとは、毛ほども思っていない。そうとうに気をつけていなければ、わからないほどだ。
が、木崎は勅使が何を思っているのかを、察しているらしい。
睨むような視線で見やり、歩調を落とす。
その意味を理解した勅使は、ちょい、と反対を見やる。あちらに行けば、あまり人通りのない階段へと抜けられる。
いきなり指紋判別だの血痕検出だのというわけのわからないことを吹き込まれて、それに頭を悩ませている課長たちは二人の班長が違う角で曲がったことなど気付きもしない。
二人きりになった、と判断したなり、木崎の顔にはあからさまに不機嫌な顔になる。
「お気に入りの部下を取られた上、クソくだらねぇことを押し付けられてるってのに、随分な余裕だな。さすが、いつも冷静な勅使班長は違うよ」
「いきなり使える部下に抜けられて、痛くない人間はいないだろう。そんなこと、木崎班長なら身に染みてご存知かと思っていたが」
いくらか呆れた表情が、勅使の顔に浮かぶ。
が、その返答は木崎の感情を逆撫でしただけのようだ。眉間に深い溝が刻まれる。
「とてもそうは見えないが?むしろ、面白がって煽ってやがるんじゃないのか」
「煽る?まさか。言いがかりは御免こうむる」
「では、何を面白がってる」
答えを聞くまでは絶対に開放しないという木崎の目つきに、勅使は苦笑する。
「俺には、科学捜査というのは興味深いものだ。今後の捜査に導入を奨励するというのはありがたい」
「はッ、馬鹿らしい!」
木崎は、ぷい、と一瞬そっぽを向く。が、すぐに噛み付きそうな視線を戻す。
「あんなもの、検出出来ると知れた途端に犯人どもは対策してきて意味がなくなる」
「その間に、もっと新しい技術が生まれる」
静かに返す勅使に、木崎は口の端を歪めてみせる。
「ははぁ、その屁理屈っぷりを部下に仕込んだわけだ。ごちゃごちゃとゴタク並べて他人をうやむやに巻き込みやがる」
「何が言いたい」
苦笑が浮かんでいた勅使の口元から、感情が消える。
「勅使班長のところの部下がどんな馬鹿らしいことをしようが、そのお陰でどうなろうが、俺にとってはどうでもいいことだが、隆南を巻き込むな。大事な部下だと思ってるなら、手綱を握っとけ」
「神宮司を侮辱するような言葉は差し控えてもらおうか」
勅使の目からも、感情が消える。木崎は、それに動じた様子は全くない。
「侮辱だと?事実を述べただけだ。隆南に余計なことを吹き込ませるな」
一歩間違えば噛みつきそうな距離の木崎の顔を見つめている勅使の顔に、先ほどとは別種の笑みが浮かぶ。冷笑だ。
「木崎班長の大事なお気に入りは、他人に少々吹き込まれた程度で己の主義主張を転換するような安っぽい男なのか。それは随分とお粗末なことだ」
「何ッ?!」
ぎり、と木崎が歯噛みするのを、笑みを大きくすることで勅使は一蹴する。
「隆南の方がずっと柔軟な思考の持ち主のようだな。彼は自分の目で見て、確認して、そして科学捜査が有用なモノだと判断した。それすらもせず、くだらないものだと片付けるような上司のところにいるよりは、今の方が幸せかもしれんな」
「貴様、言わせておけば」
木崎は掴みかからんばかりだが、勅使は全く動揺していない。
「お互い様だ」
「ああ、そうだな」
すんでのところで感情をせき止めたのだろう、木崎はヒトツ、大きく息を吐く。
火をたたえたような目だが、それは感情に任せたものではない。いつもの、どんな事件にも喰らいついて離れない木崎らしいものだ。
そのまっすぐな視線で射抜くように見据えながら、低い声で告げる。
「勅使班長に言ったのが間違いだった」
「そのようだね、木崎班長」
ごく静かに勅使が返す。
彼もまた、刑事らしからぬと称される穏やかな表情だ。だが、その静かな瞳はどんなに些細なことをも見逃さないと言われている。
「ヒトツだけ、言っておく」
得体が知れないとも言われる勅使の瞳を気にする様子なく、まっすぐに受けながら木崎は続ける。
「俺はどうあっても隆南を取り戻す。せいぜい、自分の大事な部下を守ってやることだな」
「ご忠告はありがたく」
勅使が軽く頷くと、話は終わったとばかりに木崎は背を向ける。
その後姿が完全に消え去るのを見届けてから、勅使も歩き出す。口元には、総監室から出てきた時と同じ、楽しくて仕方がないという笑みが浮かんでいる。
「どうやら、また何か仕掛ける気らしいが……あの二人、どうかわすかな」
一人ごちた声だけが踊り場に残り、勅使の後姿も消える。



〜fin〜


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