□ 火と氷 □ whisper-12 □
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青白い光がなんなのかはわっていないだろうが、少なくとも駿紀たちが凶器を断定したということは理解したのだろう、清と勇は、再び部屋が明るくなっても押し黙ったまま林原が手にしている刀を見つめている。
そんな視線を気にする様子も無く、林原は柄に茎を止めている目釘を小槌で抜き、柄を握った左手の甲を軽く叩く。す、と出た刀身を受け止める仕草も慣れている。
「手馴れてないか」
兵役義務を経験しているとしても、日本刀の取り扱いなぞは無い。駿紀の囁きに、透弥はほんの微かに口の端を持ち上げる。
「林原の父親も刀剣コレクターだ」
そういえば、政治家だとか言っていたのを思い出す。
「なるほど」
返して、林原の手元に注目し直したところで、はっとする。
「あ?」
ちら、と見えたものは。
「おや、これは」
林原も、声を上げる。
「はばきの下になったので、気付かなかったんですねぇ」
いつもの口調で言いながら、透弥たちへとその部分を向ける。清たちに背を向ける格好になった瞳は勝利の確信に輝いている。
そこには、はっきりとした赤の指の跡。
先日見せてもらったのと似た、流線状の模様も確認出来る。指紋だ。
しかも、血でついたモノ。
全く表情を変えず、透弥が頷く。
「大きめに書き写してくれ」
「了解」
頷き返すのを待ち、清たちへと向き直る。
「居間の方へ行きましょう。皆さんにお願いしたいことがあります」
清と勇は、もう一度顔を見合わせる。

居間には、戻った福屋清と勇を含め、昨日と同じ七人が揃う。
「お待たせし、申し訳ありませんでした」
清と勇の顔つきが、不可思議そうなものになっているからだろう。他の五人も、軽く頭を下げる駿紀たちを不安そうに見つめる。
「現場検証の結果、いくつか新たなことが判明しました」
駿紀は、昨日と同じ並びの七人の顔を順に、ゆっくりと視線を合わせながら告げる。
「先ず、現場の血痕が、一部、拭き取られていたことを確認しました。少なくとも、正氏が亡くなられてから悦子さんが起こしにいくまでの間に、誰かがあの部屋に入り、手を加えたことは明らかです」
息を飲んだのは八重子だ。勉が首を傾げる。
「そんなことが、どうしてわかるんです?」
「ごく低濃度の血液を検出する方法があります」
事実を説明するだけの語調と、どこか冷たさの含まれた透弥の声に、それ以上は問えなくなったのだろう、勉は頷いて黙り込む。
「また、コレクション室の粟田口久光の複製品からも、同じく血液が検出されました」
駿紀は、もう一度、七人を見回す。
「取り扱い時に間違って怪我をした、程度のものではなく刀身全体が染まるほどの大量のものです」
口元を押さえたのは、悦子だ。血の気が引いている。
誰もが、自殺では無いと思ってはいたろう。が、こうしてはっきりと断言されてしまうのでは、重みが違う。
誠も、悦子の座った椅子の背もたれを握る手に、酷く力が入っている。
「じゃあ、祖父は、殺された、と……」
「粟田口久光で頚動脈を切断した後、自分で血液をぬぐい、しまいに行ったというのなら別ですが」
そんなことは、あるわけが無い。
はっきりと、他殺と示されたのだ。
「また、刀のはばきの下から指紋が発見されました」
「指紋?」
聞き慣れぬ単語に、清が眉を寄せる。駿紀は頷き返してから、透弥へと視線をやる。
「指紋とは、指先にある文様です。ご自分のをよく見ると、波のような線があるのが見えるでしょう。これは各個人で異なるものだということが証明されています」
静かな声が、一拍の間を置いてから続く。
「すなわち、凶器に残った指紋は、犯人が誰なのかをはっきりと示す証拠となります」
「二十年前の捜査で、正氏殺害時にこの屋敷にいたのは、皆さんだけだということが充分に確認されています。ということは」
三度、駿紀は七人の顔を見回し、視線をしっかりと合わせていく。
「刀に残った指紋は、皆さんのうちのどなたかのものだ、ということになる」
声にならない声は、千代子のものだ。
「皆さんの指紋を、採取します」
きっぱりと言い切り、一緒に来た東を振り返る。無言のまま頷くと、一歩、進み出る。
「インクでスタンプするだけですから、痛みなどはありません。ご安心を」
駿紀の注釈は、なんの気休めにもなりはしない。ここで文様を取られれば、誰が犯人かはっきりしてしまうのだ。
つい先日まで、事件か事故かさえ判定出来ていなかったというのに。
居間は、東が簡単に説明をする声だけになる。
息苦しいような沈黙を破ったのは、ノックも無しに入ってきた林原だ。
「お待たせしました」
振り返った透弥が、東の方へ視線をやりながら返す。
「ちょうど、指紋の採取が終わったところだ」
「では、タイミングが良かったでしょうかね」
言いながら、背後を振り返る。緊張した面持ちで入ってきたのは、加納だ。両手でそっと持っているのは先ほどの粟田口久光の模造品らしいが、厳重にビニール袋に入れられている。
林原に手招きされ、加納は、恐る恐るといった様子で清たちの目前に立つ。
よくよく見れば、刃の部分は白鞘に収められ、茎の部分だけが見えている。
「これが、福屋正氏殺害に使用された凶器です」
透弥が告げ、茎の部分を指して見せる。
「ここに、赤い流線模様が見えますね?これが、犯人の指紋です」
「右手の親指ですねぇ」
のんびりと、いつもの調子の口調で林原が口を挟む。
問うように透弥が眉を上げたのへと、林原が紙を差し出して見せる。
「拡大模写図を持ってきましたよ」
手にした駿紀は、軽く目を見開く。
「これは……」
「実に特徴的です。これならこの場で充分に同定出来ますよ」
林原が言い切ったのも、無理は無い。透弥が頷いたので、駿紀は模写図を七人に見えるように広げる。
口を開いたのは、透弥だ。
「親指の指紋の、ちょうど真ん中付近がはっきりと途切れています。これは押し損じではなく、指に傷があると判断した方がいい痕跡です」
そこまで言ったところで、東から手渡された、採取したばかりの指紋カードへと視線を落とす。
「指が半分落ちそうな傷を持っている方は少ないと思いますが……」
駿紀は、ただ一人を見つめている。彼は、どんな反応をするだろうか。
じっと、駿紀が広げている拡大図を見つめていた彼は、少しだけ、視線を落とす。
「見るまでも無い」
静かな声が、居間の中に妙に響く。
彼は、福屋勇はまっすぐに、視線を上げて駿紀と透弥を見る。
「俺が、親父を殺した」
最初に会った時と同じ笑みが浮かべて、立ち上がる。
「お見事だよ、完敗だ」
「!」
勢いよく立ち上がった清へと、勇は笑みを向ける。
「兄貴は少なくとも、島袋刑事との勝負には勝ったんだ。充分だよ、もう、時を止める必要なんて無いんだよ」
反対側へと、振り返る。
「俺のせいで不幸になるなんて、本末転倒だからな」
誠と悦子は、言葉も無く勇を見つめる。
「少ししたら、ほとぼりも冷めるさ。幸せになれよ」
「伯父さん!」
悦子が、大きく目を見開く。誠は無言のまま、唇を噛み締める。
駿紀たちへと向き直った勇は、歩み寄り、静かに両手を差し出す。
「行きましょう」
たまらなくなったように、誠も声を張り上げる。
「叔父さん!」
「マコちゃん、会社のこと頼むぜ。もう、一人前なんだからよ」
振り返らずに告げられ、誠は、深く頭を下げる。その手は、椅子の背ではなく、悦子の肩にある。
千代子と八重子は、言葉が無いままに清と勇を交互に見つめ続けるばかりだ。
透弥の銃をちらつかせるまでも無く、勇は大人しく同行するつもりであるけれど、これはしないわけにはいかない。
駿紀はポケットから、手錠を取り出して勇の両手へとはめる。
金属音が、やはり、妙に響く。
「加納」
「はい」
証拠の剣を東の手へと預け終えていた加納は、いつも職務は最後まで言われずともわきまえている。
犯人を警視庁まで護送しなくてはならない。
扉が開け放たれたのに、小さく息を飲む音。
「勇!」
その声は、企業のトップの威厳に満ちたものでも、刑事たちを煙に巻くための物柔らかだが小馬鹿にしたものでも無い。
まっすぐな、生身の人間の声だ。
「俺はッ」
だが、言葉はそこで途切れてしまう。
「……俺がやらなかったら、兄貴がやってたろ。俺は兄貴の手を血で染めるなんてまっぴらだったんだよ」
振り返った視線と、立ち尽くしたままの視線が、合う。
「勝手で済まん。でも、二十年もゲームに付き合ってくれて嬉しかったよ」
「二十年付き合わせたのは俺だ」
「でも、俺は楽しかった」
搾り出すような清の声に、勇は笑みを浮かべる。
捜査にあたりだしてこの方見たことの無い、素直な柔らかい笑みだ。
「兄貴と肩並べてあれやこれやと頭をひねるのは、楽しかったよ」
清の口元だけに、笑みが浮かぶ。
「ああ、そうだな。島袋との勝負なんてどうでも良かったんだよ。勇と一緒にああしてられるのが……」
まるで溶けるように柔らかな笑みになる。
「そう、俺も楽しかったよ」
そこで見詰め合っているのは、間違いなく双子だ。兄弟などではなく。
振り切るように背を向けたのは勇だ。
「さぁ、もう行きましょう」
駿紀が頷いたのを確認して、加納が腕を取る。
「勇、俺は、俺たちは待っているから」
肩をすくめることで応え、勇は歩き出す。
正が歪めてしまったたくさんのことと、清たちが留めてしまったたくさんのこと。
その全てが今、やっと溶けて動き出したのだ。

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