□ 光露落つるまで □ scintillation-1 □
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本音を口にしていいのは、特別捜査課の部屋に入り扉が完全に閉じたと確認してから、だ。
駿紀は盛大にため息を吐き、透弥は皮肉に口の端を歪める。
「本格的に目の敵だなぁ」
「他課への回し方としては、間違ってないがな」
誰がこの件を投げてきたかは、考えなくてもわかる。
殺人容疑で扱いが難しいと来れば、木崎斑以外が担当などあり得ない。すなわち、この件を回してきたのは木崎その人というわけだ。
大仰に長谷川警視総監を通してきたのは、特別捜査課が総監直下だからだが、間にはあの負けず嫌いの一課長、山内がいたはずなのに素通りしてきてしまったことだけは、解せない。
「山内課長なら、絶対自課内で決着つけたがりそうなのにな」
「プライドより、被りうる影響の方を重く見ただけだろう」
椅子に腰を下ろした駿紀は、総監から渡されたファイルを皮肉な顔つきで見やっている透弥を見上げる。
「そんなに、恐ろしい存在なのか?」
「俺には縁が無いから、わからん」
肩を軽くすくめてから付け加える。
「だが、大多数にとってはそうだと判断すべきだろう。あの演説好きの口が重くなるくらいだ」
「腹でも痛いのかと訊きたくなるような雰囲気だったよな」
ファイルを手渡した時の長谷川の様子を思い出して、駿紀は首を傾げる。
「くれぐれも慎重を期すように、ってのもらしくないし」
たった二人の捜査課が成り立つなどという無謀を平気で思い付けるのだ、かなりな剛胆と思っていたのに。
「都市伝説のような噂が真実だった場合の影響を慮ったのだろう」
理解を示しているというより、単に、らしくない理由を推測している口調のまま、透弥は付け加える。
「組織の上に立つ者としての配慮なのか、個人的な理由なのかは知らんが」
「組織上の配慮ってのはどうかな。世間一般じゃ警視総監より総司令官って言った方が通りがいいんだし、実質の最高権力者だろ」
駿紀がしきりと首をひねるのに、透弥は再び軽く肩をすくめる。
「だからこそとも言えないことは無い。少なくともリスティア経済にそれなりの影響を与えるであろうことは確かだ」
「ああ、そっちか。そりゃ確かに不景気は困るよなぁ」
言いつつも、理解出来きらずに駿紀は眉を寄せる。
ヒトツ確かなことは、特別捜査課の二人は世間一般の感覚から見事にズレているらしいことだけだ。
「何考えて回してきたかはともかく、最も間違った場所に来たって気がしてきた」
少なくとも、駿紀も透弥も相手に対して、世間的に影響があるからといって遠慮する性格では無い。慎重を期せという総監の言葉の効力は無いに等しいのが確定だ。
駿紀の言葉に、透弥は口の端だけの笑みを浮かべる。
「回してきた人間からしてみればそうなるな。だが、そもそも波風を立たせたくなかったのならば、証拠不十分で不起訴なりにしておけば良かったんだ」
世間を気にして証拠不十分にするのは駿紀の宗旨に反する。それは、透弥も同じはずだ。
サンプル数は少ないが、駿紀はほぼ確信している。ということは、だ。
「波風立たす気満々か」
「必要外は無い。木崎班が手放した理由すらわからん状態で判断は下せん」
透弥に木崎の名を口にされ、駿紀は、先日の修羅のような表情を思い出す。戻って来いと言ったのに、逆らうと知って見せた激しい怒りを。
「重要参考人が……」
言いかかって首を横に振る。
「だけのわけは無いな」
はっきりとした証拠があるなら、木崎は絶対に躊躇うことなく逮捕する。それが例えリスティアの、ひいては『Aqua』全土の不況を招くとしても、だ。
先ずは、事件の解決ありき。
その原則を簡単に破るような人間ではない。
ということは、今、透弥が手にしているファイルの中身は、それなりに難事件の可能性が高いということになる。
駿紀は、うろんな視線でファイルを見やる。
「二重の意味で厄介ってか?」
「二重なら上々だな」
透弥がファイルを開きながら返したのへと、駿紀は眉を寄せてみせる。
「それ以上だと?亅
「一課の鬼班長が、その程度で難事件と断じるとは思えんが」
ファイルから視線を上げずに言った透弥は、片眉を上げる。
「関係者に限れば、いたってシンプルだ」
挟まれていた封筒を手に、まっさらに戻されているボードへと向き直る。
「ホトケは日下部久代、死亡時刻は7月28日20時から24時の間、現場は自宅二階の浴室。死因は浴槽に頭まで浸かっての溺死。発見者は日下部徹、久代の夫」
写真を貼り、必要なことを書き込みながら、透弥は続ける。
「一課が重要参考人と目していたのが天宮紗耶香、天宮財閥総帥。榊紅葉、天宮家執事。海音寺寛臣、総帥秘書」
「並ぶと、なんとなく壮観だなぁ」
駿紀が思わず呟いたのに、怪訝そうに透弥が振り返る。
「だってさ、メディアの露出度とお茶の間の話題度からいったら、絶対に総司令官よりずっと上だぞ」
「確かに、リスティア史上初の文人総司令官とやらよりは露出度が高そうではあるな」
「政治的にどうかは知らないけど、少なくとも茶飲み話レベルでは確実に。おかげで跡継いだ付近の騒ぎなら俺でも覚えてる」
なんせ、八年前当時、ラジオだろうが新聞だろうが、メディアの話題はソレで持ちきりだったのだから、仕方が無い。
「不慮の事故で亡くなった財閥総帥夫妻が残した一人娘は十五歳、とかってさ。見た目が触れれば折れそうなお嬢様ってのも原因だったろうけどな」
人の能力が見た目で測れるとは思わないが、第一印象で受けるイメージはいかんともし難いのも事実だ。
各国首脳や経済界の要人たちは息を飲んだし、他の人々も興味と不安半々で注視した。それまでの深窓ぶりの反動だったのか、連日の細に入り密に入る報道だった。
いや、過去形にするのは間違いだ。当時ほどの熱狂は無いにしろ、未だに続いている、というのが正確なところだろう。
「天宮財閥総帥というのは、国家元首と同列、もしくはそれ以上の扱い、か」
「扱いとしちゃ、アイドルとかの方が合ってるんじゃないか」
表現はどうあれ、財閥を継いだ瞬間から、表立つ時にはその一挙一動が相当数の人間の注意を引いていることは確かだ。
「なんせ、仕事の際には絶対に側を離れたことの無い総帥秘書の海音寺、私生活には一切踏み入らせない執事の榊、だしね。世間様じゃ紗耶香嬢の騎士とかって呼ばれてるし」
しかも、この二人の青年の見てくれが悪くは無いと来ては、茶の間の興味がつきないのも道理というものだろう。
透弥も知らないわけではないようだが、面倒そうに肩をすくめる。
「少なくとも、当時、表立って財閥解体をささやいた連中は、今では後悔しきりだろう」
「毎回、業績伸びてるんだっけ。それって、けっこうスゴイよなぁ」
素直に感心した声の駿紀に、透弥はあっさりと返す。
「先代の頃に不振だった部門へのテコ入れ効果が大きい。今、あからさまな赤を出している部門は無い」
言い切れるのは、個人的興味ではなく二課の仕事柄のせいだ。無表情のまま、付け加える。
「財閥の好調な伸びを天宮紗耶香の実力と好意的に捉えている人間もいない」
「やはり、海音寺寛臣が握ってるってコトか?」
実際に財閥を動かしているのは紗耶香ではなく総帥秘書たる海音寺である、というのはゴシップネタでのお約束だ。
それを透弥が口にするということは、実際に根拠があるのかもしれず、となると意味合いが異なってくる。
「証言のみで、証拠は何も無い」
駿紀の問いを、透弥はごくあっさりと否定してから、一拍置いて続ける。
「ただし、天宮紗耶香が采配をふるっていると確定可能な証拠があるわけでも無い。無責任に騒ぐには、おあつらえ向きではある」
駿紀は、肩をすくめる。
「少なくとも、かなり食えない相手ってことでもあるな」
決算報告に何らかの不正が存在しているのではないか、と疑いたくなるほどに、紗耶香の総帥就任後、天宮財閥の業績は上向いている。その上、捜査とまではいかなくとも、二課がそれなりに動いているのに経営を握っている人間を掴めていない。相手は海千山千で、得体が知れないということだ。
だからといって、この件が回ってきた時からの最大の疑問が解けるわけではない。駿紀は、首を傾げて訊ねる。
「でも、なんだってそんな厄介な参考人取り揃えになったんだ?」
「日下部久代は天宮の血筋だ。天宮紗耶香のはとこにあたる」
ファイルに視線を戻して、透弥が返す。
「その関係で、日下部徹は財閥の一翼を任されていた」
駿紀の片眉が上がる。
「過去形なんだな」
「六月に名目上の役職になっている。役員会としては辞職に持ち込みたかったのが、土俵際で粘った。ホトケも夫の留任の為にずい分と動いたようだ」
透弥の文字を追うすばやい視線を見つめつつ、駿紀は当然の疑問を口にする。
「なぜ、辞職を求められたんだ?」
「天宮財閥唯一の赤字を問責された」
「他の部門は?」
「利益という観点からはふるわなくても、赤は無い」
他は業績を伸ばす中、不可効力の事情も無く赤字を出しつづければ、立場上の責任を問われるのは当然だろう。
が、それは一般的な企業ならばの話だ。
「天宮財閥でも、経営責任は部門にあるのか?」
軍需を除き、全ての産業に何らかの関わりを持つ巨大企業は、「グループ」では無く「財閥」を名乗るだけあり、総帥の権限が大きい。
そんなことを駿紀が知っているのも、紗耶香が跡を継いだ時の騒ぎのおかげだ。
「総帥と部門トップでは管轄レベルが違う」
言葉と共に、視線が上がる。
「部門内の経営責任は部門のトップが背負うのが当然だ。その人間を選択したのは総帥ということは忘れるべきでは無いが、日下部徹に関しては例外とすベきだろう」
「血縁だからってことだな?」
駿紀は、納得する単語を吐きつつ語尾を上げる。
「他部門に新たに抜擢した者を置き、業績不振が改善される中、赤字を出し続けているのに、今年まで先代の人事のまま据え置かれていた。日下部徹は血縁故に、十分に優遇されてきたと言えるだろう」
「そういや、はっきりと血縁といえるのはほとんどいないんだっけか」
駿紀の言葉に、透弥の口の端が微かに持ち上がる。
「ほとんどどころか、日下部久代が唯一だ」
「ふうん。唯一で、はとこか」
駿紀は、軽く唇を尖らせる。
「当日の状況は?」
「日下部久代は当日夕方までは外出せずに自宅にいた。来客も無く、手伝いがいた以外は一人で過ごした。17時半を回ってから家を出て、天宮家の屋敷に到着したのは18時前。ここで会社から直に来た夫の日下部徹と合流し、天宮紗耶香、海音寺寛臣と共にタ食を取った。終了が19時半、二人はすぐに帰宅」
必要な事項をボードに書き加えながら、透弥は淡々と続ける。
「到着が20時前、日下部徹の通報が0時4分」
几帳面な文字が並んでいくボードを見つめていた駿紀は、思いきり片眉を上げる。
「おい」
「なんだ」
軽く眉を寄せて振り返った透弥の顔に、はしょり過ぎ、と言いかかった駿紀の口は、別の問いを発する。
「日下部徹は何と?」
読み上げられたのは複数の証言者が存在する部分だ。残っているのはソレしか無い。
透弥は、ファイルに視線を戻して読み上げる。
「帰宅直後に、久代は気分がすっきりしないと告げてベッドに横になった。30分後に嘔吐。落ち着いてから風呂に入る、と徹に告げ、浴室に向かった。24時頃、うとうとしていた徹が目を覚ましても、まだ戻って来ていないのを不信に思って確認に行ったところ、浴槽で意識を失っている久代を発見。救急車を呼んだ」
「それが0時4分か」
駿紀の確認に軽く頷いてから、透弥は続ける。
「救急隊員の到着は0時12分。死亡を確認し、警察に連絡」
死亡時に医師の立会いが無い場合、警察による検死が必要だ。不審死ではないか確認が取れるまでは、埋葬出来ないことになる。
「何で、他殺の疑いありってことに?」
「瞳孔散大」
なんだ、と拍子抜けの表情で駿紀は椅子に座り直す。
「なんの薬物だ?」
透弥は、肩をすくめる。
「不明」
「は?」
実にシンプルな返答の意味が、一瞬飲み込めない。
「今のところ、血液からも尿からも、何も検出されていない」
言い直した透弥は、ファイルの該当個所を駿紀へと向ける。

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