□ 光露落つるまで □ scintillation-2 □
[ Back | Index | Next ]

透弥がかついでると疑うわけではないが、駿紀はまじまじとファイルを見つめてしまう。
「瞳孔散大だろ?収縮じゃなくて」
「写真でもはっきりと確認可能だ」
机に置かれた遺体の写真を見ても、間違い無い。最初の死亡確認時にすでに気付いたらしく、現場で撮影されている。
「もう、一週間以上だろ」
「十日近いとも言うな」
返して、透弥はまた肩をすくめる。
「未知、もしくは今現在は検出不能なモノ……」
呟いて、駿紀は唇を噛みしめる。それならば、一ヶ月だろうが二ヶ月だろうが、同定不可能なことには変わり無い。
「と、木崎氏も判断したようだ」
「天宮財閥総帥周辺なら、未知のモノを入手してもおかしくは無い、か」
『Aqua』全土に何らかの繋がりを持っているだけでなく、独自のネットワークを確立しており、情報集積の速度と確実さは、時にリティア中枢をも超えるとさえ言われている。
その気になりさえすれば、未だ学会にすら知られていない毒物を入手することなど、わけも無いだろう、というわけだ。
「当日以外にも、幾度と無く要職罷免の件で非公式な話合いが続いていたことは、関係者全員の証言が一致している」
「戻る予定、あったのか?」
「天宮財閥首脳側には、全くその気は無い。だからこそ、回数が重なった」
透弥の言葉に、駿紀は首を傾げる。
「日下部夫妻が諦めずに延々と動いてるのは、総帥にとってはウルサイだろうけどさ、それだけじゃ、殺人の動機としちゃ弱いだろ」
他はともかく、木崎班が動機となりうると判断するには、という言葉は、ひとまず飲み込む。
ファイルの文字を追いながら、透弥が返す。
「復職活動自体のしつこさも、かなりだが」
「かなりって、どの程度」
「形容詞が必要なら、なりふり構わず、常識外、逆効果になりうる、これらの同類の中から、好きなものをあてればいい」
相応しそうな単語が渦巻いたせいか、返す為の適切な単語が浮かばず、駿紀は低く唸る。
「更に」
透弥の瞳がファイルの一点から上がる。
「日下部久代は、妊娠六週目だった」
駿紀は、片眉を上げる。
天宮の血を引いた人間。
それは、間違い無く邪魔な存在だろう。まして、血縁を理由に財閥の要職を要求する親の側で育つとなれば。
「天宮紗耶香は独身だしな」
「少なくとも直系の後継ぎはいない」
となれば、ますます目ざわりに違いない。
「今のうちにケリをつけてしまいたくなっても、おかしくは無い、か」
駿紀の言葉に、透弥は軽く眉を寄せる。
「天宮紗耶香に動機があり、最も側近といっていい二人が彼女の為なら何だろうがしてのけるにせよ、日下部久代の瞳孔散大の要因が明らかにならない限りは、ツメられん」
「でも、それが未知の物質だってんだろ?」
だからこそ、木崎班はかなりの難事件と判断した。
確かにこれは、厄介だ。
「なら、既知の物質にする手段を講じるべきだ」
ファイルを閉じた透弥は、いきなり駿紀の肩越しに手を伸ばす。反射的に身をよじった駿紀は、抗議の声を上げる。
「おい?」
と言うだけの短い間にプッシュし終えたらしく、透弥は受話器に耳をあてたまま、すい、と体を引いてしまう。全く表情が動かないのが、なんとなく腹立たしい。
「おい」
もう一度、今度は、一体誰に連絡を入れる気なのかと声を上げたところで、あっさりと遮られる。
「神宮司です。お世話になります。日下部久代の件ですが」
ああ、と駿紀は小さく納得する。
挨拶の口調で良く知った相手、言葉で警察関連機関の目上と推測するのは簡単だ。そこまで絞った上で、いきなり被害者と目される人の名が通る相手は誰か、となれば、思い当たるのは一人。
国立病院事故担当外科部長であり、法医としても最高権威である扇谷だ。
受話器の向こうからの返答に、透弥は口の端を微かに持ち上げる。
「やはり、扇谷さんが担当ですか」
やはり、当たりだ。
未知の物質による謀殺の可能性有となれば、扇谷自ら執刀するのは納得でもある。
「現在の状況を伺いたいのですが」
少の間の後、透弥の口元には、はっきりとした笑みが浮かぶ。
「それは、こちらとしても都合がいいです。これから伺います」
ちら、と視線が駿紀へと向く。もちろん行くの意味で、頷く。
「隆南も一緒に。……はい、後ほど」
透弥が受話器を置くと同時に、駿紀も立ち上がる。
「何か、出たのか?」
扉を開けると同時に問う。都合がいいという言葉はともかく、笑みが浮かぶということは、それを期待していいだろう。
が、あっさりと透弥は否定する。
「いや」
「それなら、毒薬の権威でも?」
死因がわからないのなら、それに近いことだろうとアタリをつけたのだ。
透弥は、まっすぐに前を見たまま軽く頷く。
「正岡氏が帰国している。応援を頼んだそうだ」
「正岡?」
「国立薬学研究所所長だ。毒に関しての知識は、間違い無く国内では第一人者だし、『Aqua』でも片手のうちに入る」
駿紀は、軽く口笛を吹く。
「そりゃ、心強いな」
検死と毒薬のトップクラスが組んでくれるとなれば、日下部久代の瞳孔散大を誘引した物質の判明の大きな力になる。
そして、使用された毒物がレアであればあるほど、それを手にした人間を絞るのは容易になるはずだ。

先日と同じ、扇谷の研究室の扉を開けると、ひょろりとしたタレ目の男と視線が合う。
相手は、透弥を認識すると、眉を情けなそうに寄せる。
「トーヤくん、助けてよ。オーギダニのおじちゃんがイジめるんだよ」
「正岡さんをいじめるほど、扇谷さんはヒマじゃないでしょう」
冷めた口調で返されたのに、相手は全く堪えて無いらしい。くせっ毛がはね上がった頭を横に振る。
「いや、絶対ドSだって。全く痕跡無しの遺体から死因の毒物抽出しろなんて、そうじゃなきゃ言えないって」
痩せているせいで目が落ちくぼみ気味の上、無精髭も加わって老けて見えるが、よれた口調に似合わない見事なバリトンの声の張りからすると、三十代半ばというところだろう。
「心臓もすい臓も脳下垂体も甲状腺も異常無しだってのの、ドコをどうすりゃいいのっての。ね?そう思うでしょ?」
いきなり振られて、駿紀は目を丸くしつつも頷く。
「難しい遺体とは思います」
「でしょ?そうでしょう?」
大きく頷き返してから、はた、とした顔つきになる。
「あれ?どちら様でしたっけ?」
「隆南です。はじめまして」
駿紀は、苦笑を噛み殺しながら頭を下げる。
「タカナさん、イイ人だな」
深く頷きつつ、正岡は扇谷へと振り返る。
「ほら、タカナさんも難しいって言ってるでしょう」
「難しいことなら、私も百も承知だよ。そうでなければ、正岡さんの手を煩わせるような真似はしない」
扇谷が真摯な口調で返したのに、透弥が付け加える。
「隆南も、毒物検出しなくていいとは言っていませんよ」
正岡の視線を受けて、駿紀は少々済まないような気になりつつ頷く。
「正岡さんなら、何らかを検出してくださるのではないかと期待して来ました」
「ええー、イジメっ子が増えただけなんて、殺生な」
くせっ毛の頭を振るのを無視して、透弥は微かに眉を寄せて問う。
「内臓に痕跡が無いのは確実ですか?」
「正確を期すなら、心臓、すい臓、脳下垂体、甲状腺ってところだけどね。それこそ、オーギダニセンセの検死だ、間違い無いよ」
正岡は、先ほどまでと変わらない仕草で肩をすくめる。
扇谷が続ける。
「正岡さんにも確認してもらった。薬物による変質はみられないと断言出来る」
「変死である可能性を告げているのは、瞳孔散大だけですか?」
駿紀の問いに扇谷と正岡がはっきりと頷いたのへと、透弥が更に問う。
「注射痕はありませんか?」
「腕にも首にもそういった跡は見つかっていない」
『Aqua』でも指折りの毒物の権威が加わってもこの調子だとすると、一朝一夕に死因が判明するというのはありえなさそうだ。
考える顔つきになった透弥に、正岡が首を傾げる。
「ところでトーヤくん、いつ、一課に移動になったのさ?」
「一課ではなく、特別捜査課です」
無表情に透弥が返した言葉に、正岡はくせっ毛を引っ掻きまわす。
「何、ソレ?」
「警視総監肝入りの新設捜査課だよ。一課と二課が手をこまねいていた件や、時が止まったなどと言われた長期案件を片付けた優秀な部署だ」
まじめな顔つきで解説したのは扇谷だ。
「へえ、そんなん出来たんだ」
正岡は、落ちくぼんで見える目を瞬きさせる。に、と扇谷の口の端が持ち上がる。
「構成員は二人だがな」
「へ?」
意味を飲み込むのに、数秒かかったらしい。
「ソレって、タカナさんとトーヤくんだけってこと?」
頷いた駿紀を、正岡はまじまじと見つめる。呆然としてるわけではなく、なにやら忙しく思考しているらしいのは目でわかる。一体、何を、と思ったところで、正岡が口を開く。
「ああ、タカナさんってキサキさんとこの韋駄天くんでしょ」
「えっ?」
今度は駿紀が目を丸くする。あはは、と豪快に笑ったのは扇谷だ。
「なるほど、韋駄天はいいね。ぴったりだ」
そう言われてみれば、足の速さがモノをいったエピソードなら、いくつか心当たりがある。それを誰かが面白おかしく広めたのだろう。
「ははぁん、若手の精鋭組ませたわけだ。で、今のところ大当たりと。さすがのキサキさんもアマミヤの嬢ちゃんにはサジ投げたってことね」
サジを投げたというのとは少々違う気がするが、あえて訂正するようなことでもない。
正岡は一人で納得して頷くと、駿紀たちへと椅子ごと体を向ける。
「優秀な二人にお願いだよ。少しくらいはさ、ヒントになるような情報をくれない?何から何まで教えて頂戴じゃ、名が廃るでしょ?」
軽く目を見開いたのは駿紀で、ほんのわずかだが眉を寄せたのは透弥だ。
「木崎班の方から、何も情報が入っていないですか?」
透弥の問いに、扇谷が頷く。
「こちらの参考になるような情報は無いね」
「天宮紗耶香たちの動きは?」
駿紀が、口早に訊ねる。
「いや」
「人の出入りも?」
「そういったものは一切」
扇谷の返答は、簡潔だがはっきりとしたものだ。正岡が大げさに肩をすくめてみせる。
「ヒントなしで答えをくれっていうなら、見合うだけの時間をもらわないとさ。今の情報だけでわかったとしたら、学会騒然レベルもんだって」
この状況で、毒物を入手したかもしれない場所の候補が上げられていないというのは奇異だ。必要外の情報は漏らさないというレベルの話ではないし、木崎班の人間が、そんな出し惜しみをするはずもない。
ということは、天宮紗耶香たちの行動を掴めていないことになる。
駿紀と透弥は、どちらからともなく顔を見合わせる。
相談するまでも無く、次にすべきことは決まっている。その考えは、二人とも同じらしい。
扇谷と正岡へと、視線を戻す。
「わかりました。ともかく、天宮紗耶香にあたってみます」
扇谷が、頷き返す。
「こちらも出来うる限りのことはするよ。正岡くんもついててくれるし」
「おやおや、完全に関係者扱いですか?オーギダニセンセのご指名じゃ逆らえないですね」
くせっ毛をひっかき回す手を止めると、正岡の瞳に先ほどまでとは別種の光が宿る。
「まあ、瞳孔散大だけを誘引する物質が存在する可能性ってのには、大いに興味はあるけど」
なんのかんのと言っても、目前の謎を解く気は充分のようだ。
「よろしくお願いします」
頭を下げ、駿紀と透弥は扇谷の研究室を後にする。
工レベータで二人になったところで、駿紀は無表情になっている透弥を見やる。
「扇谷さんと正岡さんでアレじゃ、死因からってのは難しいな」
検死に関しては、現状での最高水準と言っていい。これ以上を望んだところでムリだろう。
「今のところは」
返した透弥の眉が、微かに寄る。
「天宮紗耶香もそうとうな人物だがな」
検挙率ダントツを誇る木崎班に動きを掴ませないというのだから、想像以上だということになる。
「ま、な」
だが、日下部久代の死因に不信点がある限りは引くわけにはいかない。
「でも、あたるしかないだろ」
「それ以外、どうしろと?」
駿紀が返す言葉につまったところで、タイミングを図ったかのように、駐車場へとエレベータの扉が開く。
「じゃ、行こうぜ」
駿紀が大股に歩き出す後ろで、透弥がほんの小さく肩をすくめる。

[ Back | Index | Next ]


□ 月光楽園 月亮 □ Copyright Yueliang All Right Reserved. □