□ 光露落つるまで □ scintillation-11 □
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扉が開くと同時に、優雅なおじきが二人を迎える。
「お待ちしておりました、隆南様、神宮司様」
前回が事情聴取迎え撃ち仕様だったというよりは、今回が大歓迎仕様らしい。
何せ、榊の口元に笑みが浮かんでいる。
まず案内された先は、客間のような場所だ。
すぐに招いた当人である紗耶香が姿をみせる。
先日よりシンプルな服装だが、こちらの方が似合っている。装飾が少ない分、彼女の細さがいい意味で際立つからかもしれない。
「お疲れのところ、来て下さってありがとうございます」
綺麗におじぎしてから、付け加える。
「断られるかもしれないと思っていたので、嬉しいです」
どこか悪戯っぽいニュアンスが含まれた口調に、駿紀はついやってしまう。
「天宮財閥総帥の招待を断る勇気がある人間は、そうはいないのではありませんか?」
「あら、お二人は唯一と言っていい勇気ある方々でしょう?」
にこりと微笑んで返してから、付け加える。
「今日は個人的にお招きさせていただいたつもりなんです。他にお客様がいるわけでも無いですし、気楽になさって下さい」
それから、小さく首を傾げる。見慣れてきた、どこかあどけない仕草だ。
「お酒は大丈夫ですか?」
「はい、好きですよ」
返すと、嬉しそうに両手を合わせる。
「良かった!珍しいのが手に入ったんです。お口に合うと嬉しいですけれど」
何か返そうと思った駿紀は隣が妙に静かなことに気付く。招いてもらった御礼以外は、透弥が全く口をいていない。
視線を受けて、透弥の無表情が少しだけ動いて駿紀を見やる。
「酒なら、歓迎だろう?」
少し、その視線が虚ろなように感じて、気分でも悪いのかと言いかかって飲み込む。そういえば、女性の前だというのに、いつもの脊髄反射フェミニストが出ていない。
最も、一度は重要参考人として会っているのであり、その相手にあれはどうかと思わなくは無いが。
どうしたという問いの代わりに、に、と口の端を持ち上げる。
「神宮司も嫌いじゃないだろ」
「財閥総帥が珍しいと言い切るほどのものが、どういうものかは興味がありますね」
少しだけひきつったような笑みが、透弥の口元に浮かぶ。駿紀は、いくらか目を細めてやる。
「いつも無表情で機嫌悪そうな顔しかしてないから、いざって時に笑えなくなるんだ」
透弥の眉が、微かに寄る。
「余計なお世話だ」
どうやら、少なくともいつもの調子くらいにはなってきたようだ。二人のやり取りに、紗耶香はくすくすと笑う。
「やはり、お二人をお招きして正解でした。今日は楽しく過ごせそうです」
まるでその言葉を待っていたかのように、扉が開き榊が顔を出す。
「失礼いたします。紗耶香様、準備の方が」
食堂へと案内されると、先日、向かい合って座ったテーブルにはクロスがかけられ、和食器と切子らしいグラス、そして紫と白の桔梗が飾られた花瓶がある。秋の先取りというわけだろう。
雰囲気がまるで違うのに、感心してしまう。
「どうぞ」
折り目正しく榊に椅子を引かれ、駿紀は内心、ちっとも気楽なんかじゃないと思うが、ここらは仕方あるまい。
品よく盛られた皿が運ばれ、グラスに酒が注がれる。
紗耶香が、グラスを手にする。
「何に乾杯するのがふさわしいでしょう?」
視線が合ってしまい、駿紀は目を丸くする。隣を見やると、透弥はお前を見てるぞ、と言わんばかりに自分もグラスを手にして駿紀を見つめている。
どうやら、駿紀が考えなくてはならないらしい。
「えー、そうだな、言い方が悪かったら許して欲しいんですけど、やっぱりここは、無事事件解決、ってことでどうでしょう」
「そうですね、事件を解決していただき、ありがとうございます」
にこりと微笑んで、紗耶香はグラスを上げる。あわせて上げてから口にすると、なるほど、美味しい。
「美味いですね」
「良かった」
駿紀の賞賛に笑みを大きくすると、紗耶香は産地と名前をさらりと告げててから小さく首を傾げる。
「今日は、色々とお話を伺いたいと思っているんです」
「話?」
問い返すと、こくり、と頷いてみせる。
「ええ、先ず最初はお二人ってどういうことなのか、っていうのから」
何のことを問いかけているのかはわかる。紗耶香が情報拡散を危惧した時に、二人だけだから、と告げたことを指しているのだ。
「それは言葉通りです。俺らは特別捜査課に所属しているんですが、いるのは二人だけなんですよ」
「特別捜査課」
紗耶香はおうむ返しにその名を綴る。
「それは初めて耳にしました」
「でしょうね、出来たてですから」
軽く肩をすくめて、透弥を見やる。意味を正確に受け取って、透弥は後を引き取る。
「警視総監の発案で、組織的にも直轄になっています。先日の騒ぎの一端の原因は、そこにあるわけですが」
紗耶香は箸を下ろして、くすりと笑う。
「総司令官でもある長谷川さんが動いたから、陸軍特殊部隊まで出てくることになったんですね。二人だけでそこまで動員出来てしまうなんて、面白いわ」
なるほど、そういう考え方もあるわけか、と駿紀は妙な感心をしてしまう。あの日、必要人数を手配するはずが一気に大掛かりになって目が丸くなったのを思い出しながら。
「なぜ長谷川さんは、二人だけの部署なんて作る気になったんでしょう?お二人はご一緒に組まれていてとても優秀だったとか?」
「いやいや、元は俺は一課ですし、神宮司は二課ですよ」
「ある事件で、合同捜査が行われた時にたまたま組んだだけです」
「まぁ、それが間違いの元とも言いますけど」
二人共があまりありがたくなさそうな言い方なのに、また紗耶香はくすりと笑う。
「でも、とても息が合ってらっしゃいますよね。徹さんを取り押さえた時とか」
また、小さく首を傾げる。
「神宮司さんの二挺目の銃は、どこにあったんですか?」
「足です」
それだけではあまりにぶっきらぼうと思い直したのか、透弥は付け加える。
「靴にひっかけておいたんです」
「スーツで隠れますからね」
駿紀が付け加えたのに、透弥は眉を寄せる。
「靴の型崩れは、避けられませんが」
「あー、あの後、歩き辛そうだったな」
思わず、素で返してしまう。実際、仕方なかったとはいえあれは申し訳なかった。
「あら、それは申し訳ないことをしていまいましたね。お礼代わりに靴を贈らせていただきたいわ」
さらりと言われてしまい、二人して遠慮する。
「あ、いやいや仕事なんで」
「お気になさらず」
そんな二人に、紗耶香は笑みを浮かべたまま告げる。
「でも、何かお礼をさせていただきたいんです。お二人には仕事を片付けただけかもしれませんけれど、私にとっては実際の命だけでなく、財閥総帥としても救っていただいたんですから。お二人がいらっしゃらなかったら、私は天宮財閥を遅かれ早かれ手放さなくてはならなくなったでしょう」
手放すことなる、という意味は、わかる。
遅かれ早かれ、日下部久代が変死したことは世間に知られることになる。あのまま証拠不十分ということになっていれば、世間の人間は天宮紗耶香が手を下したのではないかという目で見続けるに違いない。
長期的な視点で考えれば、それは絶対に取り戻せない信用を失ったことになるだろう。今すぐというわけでなく、いつか紗耶香は総帥の座を追われることになったかもしれない。
まっすぐな視線に、駿紀は笑みを返す。
「感謝していただけるだけでも十分ですよ」
その言葉に嘘は無い。実際、事件が解決したからといって感謝されるわけではないのだから。これだけ手放しに喜ばれるのは、むしろ珍しい。
透弥も駿紀の言葉に頷くのを見て、紗耶香は頷く。
「では、今後、私たちがお役に立てることがあればおっしゃって下さい」
社交辞令だとしても、嬉しい言葉だ。
「ありがとうございます」
返して、また料理に視線を落とす。なかなかに趣味のいい味付けだ。
それに、紗耶香は申し分の無いホステスぶりだ。聞き上手だし、かといって入り込み過ぎるわけでもない。
透弥も無駄な口をきくわけではないが、要所で上手く話をつぐあたりはさすがだ。脊髄反射とまではいかなくても、相手に十分配慮している。
和食をアレンジしたらしい一通りの食事も、選び抜いたらしい酒も皆、美味しかったし、楽しく過ごせたと駿紀は思う。
お茶をいただきながら、紗耶香がもう一度首を傾げる。
「実は、もう少しだけお付き合いいただけると嬉しいのですが」
「なんでしょう?」
尋ねると、彼女は視線を少し離れたところに控えている榊へと向ける。静かに頭を下げたのは、何らかの準備が出来ている、という合図なのだろう。
駿紀たちがお茶を飲み終えたのを確認して、立ち上がる。
「こちらへ」
駿紀と透弥は顔を見合わせるが、ひとまず、どちらからともなく立ち上がる。

案内された先は、なんと庭だ。昼間ならば色々な植物や花を楽しめるようだが、今は灯りもなく薄暗い。
一歩先に外に出ていた彼女は、何かを手にして、くるり、と振り返る。
「コレなんですけれど」
見せられたものが何か、薄闇の中でもすぐにわかる。
「花火ですか」
「ええ」
紗耶香の口元が、笑みの形に持ち上がるのが見えるが、それはすぐに消える。
「父が大好きだったんですけど、あれ以来、なんとなく出来なくて」
今回片付いたのは、日下部久代殺害の件だけではない。八年前の事故に見せかけた殺人も、だ。
一人、あれは事故ではないと思い続けていたであろう紗耶香の気持ちは、察するに余りある。多分これは、彼女なりのけじめなのだろう。送り火の変形ともいえるかもしれない。
駿紀は、あっさりと頷く。
「いいですよ。俺もしばらくやってないし、懐かしいから」
言って、振り返る。透弥は、無言のまま肩をすくめる。否定ではないので、手招きする。
其々に手にとって、火をつけて。
色を変え、様々なカタチを描いて消えていくのを、見つめる。
数本目に火をつけたところで、ぽつり、と紗耶香が言う。
「失礼なことを伺いますけど、隆南さんと神宮司さん、ご両親ご健在?」
視線が花火に落ちていて、その表情はよくは見えない。
「いえ、交通事故で亡くなりました」
「交通事故」
小さく息を飲む気配に、駿紀は、一呼吸置いて付け加える。
「逆走してきた、無免許のと正面衝突したんです」
ほんの小さく、紗耶香が頷く。それから、視線が透弥へと向けられる。駿紀も、透弥を見やる。
少なくとも、片親はいないと思っていたけれど。
「すでに、彼岸の人です」
あっさりとした一言は、どちらもいないと告げる。
新しい花火に火をつけながら、紗耶香はほんの小さく首を傾げる。
「だからかしら、あんなに真剣に話に取り合ってくださったのは」
急にそんなことを言い出したのは、そういうことだったのか、と納得する。八年間、誰もまともに聞いてくれなかったことを、なぜ二人だけが信じたのか、彼女は本当はそれが訊きたかったのだ。
駿紀の口元に、笑みが浮かぶ。
「まぁ、感情が動かなかったと言えば嘘になりますけど」
実際、日下部徹を目前に憎いと思わなかったといえば嘘になる。自分の両親を奪っておいて、未成年だから何もわからないからで通そうとした男と重ならなかったとは言い切れない。
でも、それは彼を目前にした、あの時だけだ。
もう一度視線を向けると、透弥もいつもの無表情になっている。けして、不機嫌ではないのを、駿紀はもう知っている。
「貴女はそういった局面でも冷静さを失わない、信用に足る人だと判断したから、捜査を進めただけです」
静かだが、きっぱりとした言葉に駿紀も頷く。
「感情では捜査出来ないですから」
視線を上げた紗耶香は、目を見開いている。素で、驚いたらしい。
が、少しの間の後、笑みを浮かべる。
薄闇の中だったけれど、今まで見た中では最も可愛らしい笑みだ。
「線香花火まで、付き合ってくださいね」
差し出されたのを受け取ると、なんとなく額を寄せ合う雰囲気になる。
大の大人が寄り集まっているのは可笑しいのだが、多分、たまにはこういうのも悪くないのだろう。
だんだんと小さくなっていく火玉を見つめながら、透弥が、ぽつりと言う。
「そういえば、花火の散っていく光のことを、光露というとか」
「光の露、綺麗な響きね」
静かに紗耶香が返す。
まるで、それを合図にしたかのように。
はたり、と最後の火玉が落ちる。



〜fin〜


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