□ 光露落つるまで □ scintillation-10 □
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次の瞬間。
「?!」
目を丸くしたまま、日下部徹が硬直する。その顎には、冷たい金属の塊が押し付けられている。
透弥は、片膝を床につき、両手で正確に構えて見上げる姿勢だ。
に、と駿紀が口の端を持ち上げる。
「おっさん、その物騒なモノ、こっちに渡してもらおうか」
つい、と手を差し出されて、大人しく出すほど日下部徹も馬鹿ではないらしい。
「冗談言うな、至近距離での刃物と銃じゃ、どっちが有利か知らないのか!」
「無駄な知識だけはあるようだな。が、残念ながら今回はその理論は通用しない。確実に人質をしとめようと思うなら、その刃物では勢いをつけないと絶対に無理だ。そのロスの間に、お前の脳漿は天井にぶちまけられている」
全く抑揚の無い声で告げられ、びくり、と日下部徹の肩が震える。
「う、嘘だ」
「嘘だと思うのならば、試してみるか」
射抜くような視線に、飲み込まれたように日下部徹は透弥を見つめる。
ひゅ、と鳴くような音を喉がたてた、瞬間。
「ああ?!」
間抜けな声と共に、日下部徹は思い切り尻餅をつく。
大きく姿勢が揺らいだ瞬間に、まるで計ったかのように紗耶香の体が離れる。それを見届けて、駿紀が腕をひねり上げる。
「足元には気をつけないとな」
に、と笑いながら、引っ掛けた足で落ちてきたメスをがっつりと踏みつける。
「本当は、全部出揃ってから逮捕状請求してこようと思ってたんだけどなぁ」
しっかりと手錠をかけてやってから、距離を置いて立っている紗耶香へと振り返る。
「怪我は無かったですか?」
「ええ、おかげさまで」
にこり、と微笑む気力があることに、感心する。駿紀たちに連絡を入れてくる前から日下部徹に脅されていたと思えば、二時間以上は、命の危険に晒されていたことになるのだが。
日下部徹の動きを完全に封じてから、透弥も振り返る。
「応援を呼んでも、問題ありませんか?」
「ええ、後始末が必要でしょう」
笑みと共にの返答に、透弥は微苦笑を浮かべてから、窓へと歩み寄って開け放ち、呼子を吹く。
高いその音に呼応するように、周囲一体からパトカーがサイレンと共に集まってくる。徒歩の警官も入れれば、とてつもない人数だ。
後ろから覗き込んだ紗耶香は、さすがに目を丸くする。
「あら、これは凄いわ」
「天宮財閥総帥が人質となれば、この程度では少ないのではないですか?」
透弥に返され、くすり、と紗耶香は笑う。
「陸軍特殊部隊がいないのでは、まだまだ、とでも言えばいいかしら?」
「ああ、それは銃声が聞こえた場合は出動するようにお願いしてたんですけどね」
駿紀の真面目な返事に、紗耶香はヒトツ瞬きをする。
そして、次の瞬間、笑い出す。それは楽しそうに、声をたてて。
素直に溢れたらしい笑い声に、扉を開いた榊が驚いた顔つきになっている。
「あの、紗耶香様。警察の方々が応援とおっしゃって大変多くいらっしゃっておりますが」
「全員が入る必要は無いですよ」
駿紀が返し、透弥が歩き出す。
「俺が行って来よう」
「ああ」
後姿を見送って、日下部徹を見やる。自決されないよう、さるぐつわまで咬ませているので、目だけが異様に怒っているままで転がされている。
「今日のところは傷害未遂容疑、恐喝未遂容疑の現行犯、及び日下部久代殺人容疑で逮捕ってところ。後、最低ヒトツは加わるから覚悟しとけよ」
日下部徹が、何を言っているのかと言いたげに睨みあげる。
「診療所で調べてきたのは、今回のことばっかりじゃないんだよ。お前、八年前にこう証言してたな?天宮直道氏は睡眠薬を常用しており、それを毎回届けていたのは自分だ、と」
その言葉に、紗耶香の笑みが、す、と引く。
「おっかしいよなぁ?薬品簿見ると、お前が睡眠薬持ってったの、たったの一回だったんだけど?日付、言ってみろよ」
「言おうと思っても、言えないように見えますけれど」
紗耶香の声が、ほんのかすかに震えてるのは気のせいではないだろう。
「ああ、そうでしたね。あれは、事故の三日前、そうだったよな、日下部?」
にっこりと人のよい笑みが駿紀の顔に浮かぶ。
「あの日、直道氏は朝以外は水を口にしてないそうだよ?おかしいよな?睡眠薬は出かける直前に飲んだはずなのに。普通は、コーヒーで薬を飲む趣味ってのは無いよな?」
声こそ出ないものの、その顔が青いのを通り越して白くなりつつあるのが、何よりの自白だ。転がっている肩に、足をかける。
「コーヒーっていったら、目覚ましに飲むものだもんなぁ?」
「隆南、やり過ぎるな」
透弥の静かな声に、駿紀は振り返る。
そこには、どこか困ったような透弥の顔があって、駿紀は驚いてしまう。ついで、少し興奮気味だったと我に返る。
「ああ、うん。こうなったら、じっくり行けるしな」
少し距離を置くのを見届けて、透弥は扉の向こうへと声をかける。
「頼む」
必要最低人数が、整然と入ってきて無駄なく日下部徹だけを回収して出て行く。少しの間をおいて、入れ替わるように林原と東、そして加納が入ってくる。
ひょい、と紗耶香へと林原は頭を下げる。
「今回は大変でしたね。お怪我なさそうで、何よりです。これから、現場検証させていただきたいんですが、よろしいですか?」
何か言いかかったように見えた紗耶香の口は閉ざされて、代わりに笑みが浮かぶ。
「お手数をおかけいたします、よろしくお願いいたします」
丁寧に頭を下げられ、慌てて林原は深々と返す。
「や、これはどうも、ご丁寧に」
すばやく道具を開け始めている東に、駿紀は尋ねる。
「なんで、加納さんまで?」
「ああ、集まってる中に見つけたんですよ。飲み込んでくれてるし、手伝ってもらっちゃおうかなって思いましてね」
にっこりと、だが食えない笑みを林原が浮かべる。加納を見やると、嫌がってなさそうだ。東の指示に、ヒトツヒトツ頷いて丁寧に準備をしている。
本人が納得しているならいいか、と駿紀は紗耶香へと、もう一度向き直る。
「さて、今日の経緯をお話いただかないといけないんですが、今で大丈夫ですか?」
これだけ騒々しくしていれば、すぐにマスコミも動き出すだろう。天宮紗耶香に気力があるなら、今のうちに済ませてしまった方がいい。
「順序としては、国立病院で怪我が本当に無いのかの検査、それから警視庁で話を聞くというのが一応の筋だが」
透弥の言葉に、大仰な、と返そうとして駿紀は口をつぐむ。
余人ならいざしらず、彼女は天宮財閥総帥なのだ。
「そうすべきでしょうね」
紗耶香が、小さく肩をすくめる。世間の期待に応えるのも仕事のうち、というわけだ。
「離れて大丈夫か?」
「うん、こっちは大丈夫だね。ほとんど動かないでいて下さったでしょう?」
透弥に返してから、紗耶香を見やって林原がにこり、と笑う。
「そんなこともお判りになるんですか?」
「色々とわかりますよ。ご興味があるようでしたら、出せる分だけ報告しましょうか?」
「ええ、ぜひ」
楽しそうな顔つきで紗耶香が返すのを待って、駿紀たちは屋敷を後にする。



『Aqua』最大の財閥総帥が巻き込まれた事件、という実感は、日下部徹逮捕後に嫌というほど味わった。
なんせ、国立病院を出るというあたりから、マスコミだらけになっていたのだ。駿紀たちは顔をさらさないという方向で話が進んでくれたので助かったが、あの奇妙な熱狂は尋常ではない。
財閥総帥が家で人質に取られたのだから、当然と言ってしまえばそれまでなのかもしれないが、自分がいたい渦中ではない。
もっとも、騒ぎはむしろ後の方になるほどに大きくなってもいったのだが。
先代総帥は、事故ではなく殺人だったというニュースは、リスティアのみならず『Aqua』全土を駆け巡ったと言っていい。
まさに、八年前の騒ぎの再来だ。
新聞もラジオも、メディアというメディアの話題は全てそれ、という。
そんな騒ぎを横目に、駿紀たちは日下部徹の全ての容疑に関して立件し、恒例になってきた感がある総監への直接報告を終えて、特別捜査課に戻ってきたところだ。
「銃の常時携帯許可なんてもらっても、俺はちっとも嬉しくないんだけど」
駿紀の言葉に、透弥が面倒そうに返す。
「携帯するかどうかの判断は自由と言っていたのだから、書面もそうなるだろう。隆南は体自体を使うことが多いから、無理に持ち歩かなくても何も言われない」
ため息交じりなのは、大会優勝経験があるだけに携帯せざるを得なくなってしまったからだろう。なんせ、銃は軽いものではない。
「ま、神宮司も必要に応じて、でいいんじゃないのか。いい方に解釈させてもらうという方向で」
「悪くない考えだ」
珍しく素直な同意が得られたところで、手にしている封筒を振る。
「で、コレ、どうするよ」
先ほどの報告の後で、総監から手渡されたのだ。天宮紗耶香からの伝言だ、との言葉と共に。
「開けてみなくては、なんとも言えん」
至極もっともな返答であると同時に、お前が開けろ、との意味でもある。駿紀は大人しく封を切ってみる。
几帳面な文字は、紗耶香自身のものだろう。
「ええと、先日はお世話になりましたってのと、立件まで終わるとお休みがあると伺いましたので、つきましては簡単にお礼をさせていただきたく、当家にお越しいただけないでしょうか、とさ」
「……立件後には非番があると知っているとなると、忙しいでは逃げられない、か」
面倒そうに、透弥は眉を寄せる。駿紀も似たような気持ちではあるが、御礼をしたいというのを無碍にするのも悪い気がする。
「簡単にって言ってるんだし、一回付き合っとけばいいんじゃないか」
「まぁな」
いまいち気が乗らなそうではあるが、透弥も頷いたので、駿紀は受話器を手にして便箋に書かれた先へと電話する。
出たのは、海音寺だ。どうやら、彼への直通電話だったらしい。
要件を告げると、少々お待ちくださいの言葉の後、およそ五分。
なにをどう調整したのか、今晩、屋敷の方へお出で下さい、ささやかながら夕食をご一緒にとの話になった。
「だそうだけど、どうだ?」
「ああ」
簡単に透弥が頷く。駿紀にとっても、明日は休めるというのは大きい。了承の意を伝えると、海音寺は我がことのように嬉しそうに、お待ちしております、と言う。
電話を終えて、駿紀は腰を下ろして時計を見やる。
まだ、天宮家に向かうには早い時間だが、今回の件の関係物は整理済みだ。
ようするに、手持ち無沙汰、ということだ。
さてと、と考えを巡らせていて、はた、とする。
「なあ、神宮司。勅使さんにお礼言わなくていいのか」
「お礼?ああ、警察嫌いの件か」
あの一言があったから、あの後の対応が出来た。勅使の情報は大きかったのだ。
「改めて行っても、余計な波風を立たすだけだろう。機会をみて言っておく」
「そっか。まぁ、そうだよな」
言いながら、駿紀はなんとなく伸びをする。自分の方はといえば、と思ったのだ。木崎はますます目の敵にするのだろう。
なんとなく、いたたまれない。仕方ないので、立ち上がる。
「出ようぜ」
透弥の視線が、まだ早いと言っているが、肩をすくめてやる。
「中央公園あたり通って、散歩がてらってのも悪くないだろ?ここ最近、書類とにらめっこばっかだったし」
「運動不足解消に付き合えというなら、はっきりとそう言えばいい」
憎まれ口を言いつつも、透弥も立ち上がる。

階段を下りていく途中で、まるでタイミングを計ったかのように勅使が現れる。降りてきたのが駿紀たちと気付いて、笑みを浮かべる。
「やあ、今回も鮮やかだったね。いや、鮮やかという言葉でも足りないかな。まさか八年前の事故が事件だったとはな」
「勅使さんが情報を下さったから、ここまで早く片がつけられたんです。ありがとうございます」
ぺこり、と駿紀が頭を下げるのに合わせて、透弥もきちんとした角度で頭を下げる。
「情報?俺が?」
一瞬目を見開いた勅使は、やや考えてから、頷く。
「ああ、もしかして、噂のことか?アレが役立ったのか?」
「対処法に、ですね」
「ほう、どうやって?」
簡潔な透弥の説明に、勅使は何度か頷いてみせる。
「噂を役立てられるとは、君たちならではだな」
今回も手放しに誉めてくれているのに、駿紀はなんとなく照れくさくなって頬をかく。透弥は軽く頭を下げてみせる。
そんな二人を見つめながら、勅使は笑みを大きくする。
「ここまで来たら、二人だからこそ何が出来るのか、それを楽しみにしているよ」
「二人だから、ですか?」
驚いて訊き返す駿紀に、勅使は悪戯っぽく笑いかける。
「ま、俺の勝手な楽しみだから気にしなくていいよ。じゃあな」
階段を上がっていく勅使を見送って、二人はどちらからともなく顔を見合わせる。
二人だから、などとは考えたことも無かった。が、特別捜査課が存在し続ける以上、そういうことも考えなくてはいけないのかもしれない。
駿紀は、首を傾げつつも歩き出す。
「ひとまず、行くか」
「ああ」
透弥も、視線を戻して歩き出す。

のんびりとした歩調で歩いていた勅使が、ふ、とその足を止める。
階上で睨みつけるような視線を送ってきているのは、木崎だ。視線が合うと、皮肉にその口元が歪む。
「楽しそうだな、勅使班長」
「おかげさまで、木崎班長」
肩をすくめて通り過ぎようとした、その肩を木崎が掴む。
「余計な手出しはしないでもらおうか」
「何のことだ?」
勅使が不審そうに眉を寄せたのへと、睨みつけるような視線が近付く。
「何か、入れ知恵したろうが?」
「噂話くらいならしたが、それが問題と言うのなら誰とも会話出来んな」
面倒そうに言い、勅使は身体をひねってあっさりと木崎の腕から逃れる。
「忠告させてもらうなら、これ以上余計な関心は持たない方がいい。今回の件、無様に過ぎる」
「貴様に言われる覚えは無い」
まるで火のような木崎の視線に、勅使は顔を逸らす。
「これは、火と氷の勝負だ」
低く言われた言葉に、勅使は眉を上げる。
「火が勝つか、氷が勝つか」
繰り返されずとも、意味はわかる。その俊足を生かして時に犯人を執拗に追い詰める駿紀だけでなく、木崎班自体が火のようだと評されている。対して、冷徹に証拠を固めて犯人をつめていく勅使班は氷のようだ、と。
駿紀と透弥は、いわば双方の代表のような状況だ、と木崎は言いたいのだろう。
これは、木崎と勅使の勝負でもある、と。
勅使は、もう一度肩をすくめる。
「勝負?何のことだかわからんな。火と氷が共になったのなら、水になる。最も自在のモノは、総監や俺たちには想像のつかない変化を起こすだろう」
自分たちは関係ない、これは駿紀と透弥二人の問題だ、と返したわけだ。
木崎は、舌打ちする。
「バカらしい」
「それは、最後まで見届けてから判断すべきことだ」
勅使は言い捨てるように言って、背を向ける。
木崎も、それ以上は引きとめようとはしない。ただ、燃えるような視線だけが勅使を追い続ける。

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