□ 露結び耳の歌 □ dewdrop-12 □
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現場に残った一課の人々から完全に離れたところまで来た、と確認してから、駿紀は大きく息をつく。
「お嬢さんの首に手が伸びた時は、肝が冷えたよ」
「何の為に首にガードを着けたんだ」
透弥に冷静に返され、駿紀は唇を軽く尖らせる。
「わかってるけどさ」
首だけでなく、万が一のナイフなどにも備えてはいた。それでも、あの気配には肝が冷えた。透弥は、そうではなかったのだろうか。
「えらく度胸が据わってるじゃないか」
駿紀が言い返すと、透弥はあっさりと言ってのける。
「隆南の足があって間に合わないという方が不思議だ」
そう言われてしまうと、駿紀は言い返しようがなくなる。それどころか、なんとなく面映い。
「そりゃ、へぇ」
などとはっきりしない相槌を打って、口をつぐむ。黙り込むと、色々と考えてしまう癖で、ふと思いつく。
「そういやさ」
「何だ」
黙ったと思ったら、すぐに口を開いた駿紀に、透弥が面倒くさそうな視線を向ける。
「私刑の趣味は無いって、言ってたじゃないか」
「それが、どうかしたか」
何を言い出したのか、と軽く眉を寄せて見せるのに、駿紀は返す。
「久保に、トドメ刺してただろ」
暴れようとした久保に、そんな悪い子のところにはお母さんは帰って来ない、と言い放った、アレだ。
影になるように立って言ったその言葉を指しているのは、透弥にもすぐにわかったらしい。
「大人しくさせるには、一番効果的だと思っただけだ」
軽く肩をすくめてみせる。
「体や銃で黙らせると、後が面倒になる」
「まぁな」
本当にそれだけか、という単語を、駿紀は飲み込む。
久保は、泣きながら、だって歌が止まらないとお母さんが帰ってこない、と繰り返していた。自分が歌っているのを子供が歌っていると錯誤して。
そして、文字通りに「止めた」のだ。
久保のようなのは、法で裁かれたところで全く堪えないだろう。
ただ、もう何をしても、お母さんが帰って来ない、という事実を突き付けられたことだけが、彼を苛むに違いない。
狙って言ったかどうかなど、わざわざ明らかにする必要など無い、と駿紀も思い直す。
そんなことを言い出したのは、自分の喉元まで浮かんだ問いを飲み込もうとしたからだ。でも、まだ突っかかったように残っている。
前に気付いた時は、透弥は隠そうとしていた。今回は、仕方無かったとはいえ、目前で見ている。少しズルいかもしれないが、確認のふりをするくらいは、許されるだろう。
駿紀は、軽く息を吸う。
「神宮司ってさ、生クリームのついたケーキ、苦手なのな。アレか、気分の悪い時に側あったとか」
体調が悪かった時に側にあったものがあると、身体が思い出すというのは知っている。透弥のはそんな生易しいものではないと思うが、さすがにそうは訊けない。
「…………」
透弥は前を見たまま、何か言いかかった口を、一度つぐむ。
少ししてから、苦笑のカタチに口の端が持ち上がる。
「しかも、誕生日だった」
ぽつり、と、だが駿紀の調子に合わせた口調で。駿紀は大げさなくらいに目を丸くする。
「うえ、誕生日にかよ。ツイてねぇな」
「本当にな」
苦笑と呼ぶには、苦すぎる笑みになる。
多分、一瞬、何があったのかを口にしようとした。思い留まったのは、駿紀になど教える必要は無いと思ったのではない、とその笑みで理解する。
少し、焦点の外れた視線が、どんな景色を見ているのかまではわからない。でも、それが誕生日だったと告げることだけでも、透弥にとっては、そんな笑みが浮かぶことなのだろう。
そんなことを考えながら歩く駿紀を、透弥は見やる。
何か考えに沈んでいるらしく、視線には気付いていない。透弥は、もう一度口を動かしかかるが、すぐに微苦笑を浮かべて閉ざす。
自分のしようとしたことに、軽く首を横に振る。それから、別のことを口にする。
「隆南は、苦手な食べ物はなさそうだな」
「今のところないなぁ、おかげさんで」
に、と笑みを返してくる駿紀に、透弥は肩を軽くすくめてみせる。
「そのうち、食べ過ぎで食べられなくなるモノが出る」
「んなこと、この年になってやるかよ」
駿紀は唇を尖らせる。
「どうだか」
透弥の涼しい顔に、ますます駿紀はむっとした顔になる。
「神宮司がそんなこと言うから、腹減ってきたじゃないか」
「俺のせいにするな」
きっぱりと言い切ってから、付け加える。
「言っておくが、今日は食べに行くのは無理だ。書類を仕上げなければ、それこそ木崎氏の血管が切れる」
「仕方ないなぁ。あ、そうだ、あそこにしよう。ほら、前に神宮司が教えてくれた」
どこのことかは、すぐに透弥にもわかる。
「ああ、好きなだけ買え」
「なんだよ、その投げやりっぷりは」
「まさか。腹が減ったらどれほど効率が落ちるかと考えれば、むしろ、ゼヒ行キマショウ」
妙なイントネーションに、駿紀はすぐに反応する。
「バカにしてるだろ」
「そう聞こえるのは、なにか負い目でもあるからだろう」
相変わらず表情を変えることなく、しれっと透弥が返す。
「ああもう、ムカつくなぁ」
「それが、腹が減ってる証拠だろうが」
何を言っても勝てなさそうなので、ふてくされて駿紀は口をつぐむ。が、透弥の口元が微かに緩んでいるのに気付いて、すぐに、に、と笑ってしまう。
こうして、どうでもいいことを話せるというのは、きっと悪いことではない。



書類を仕上げて提出し、捜査の為に集めた資料や借り物を整理し、返却などの全ての手続きを終えた頃には、翌日の朝日を拝んでいた。
「うわ、徹夜になっちまった」
朝日がすっかり昇りきってるのを見上げて、駿紀が目を細める。
「ま、残しとくのもマズそうなのばっかだったし、仕方ないかな」
と独り納得しているのを、透弥は面倒そうに見やる。
「徹夜した、と言っている割には、元気だな」
「返ってハイテンションになってる」
困ったように自己申告してから、駿紀は首を傾げる。
「直樹くん、どうなったかな?」
犯人逮捕の報は、扇谷にも入れてある。
首の打撲も完全に直り、本人は事件に巻き込まれたことも知らない。安全が確保されたとはっきりすれば、入院している理由はどこにも無い。
「今日か明日、退院だろう」
ごく当然の予測を述べる透弥に、駿紀はいくらか不満な顔つきになる。
「どっちだよ」
透弥は、無言のまま受話器を手にする。
自分たちの聞きたいことだけ聞き出したらお兄ちゃん返上では、あまりに手前勝手が過ぎるし、少年に対して失礼過ぎる。
「お早うございます。神宮司です」
その言葉だけで、扇谷には今回も用件がわかったのだろう。必要な情報はすぐに得られる。
「今日ですか。午前?では、もうすぐですね?」
時計を取り出し、時間を確認する視界の端に、駿紀が腰を浮かしているのが映る。
「わかりました、伺います。教えていただき、ありがとうございます」
必要な言葉を述べて、受話器を置く。
「神宮司、すぐ行こう」
駿紀が妙に急かすのに、首を傾げつつも透弥も立ち上がる。扇谷ももうすぐだ、と言っていたし、確かに今すぐ向かって悪くは無い。
先に歩き出した駿紀が手をかけようとした瞬間、ドアノブは先に回って勝手に開く。
現れたのは、木崎だ。
真正面に駿紀が立っているのに、さすがに軽く目を見開く。
が、すぐに気を取り直した顔つきに戻って、まっすぐに駿紀を見る。
「隆南、昨日の件で確認したいことがある」
何を確認したいか、など、考えずともわかる。
どうやってあの場所を割り出したのかの詳細、本当に襲われかかった子供を見なかったのかの再確認。これらをとことん訊き上げたいに決まっている。
どちらも、尋問されても答えることは出来ない問いだ。
駿紀は、透弥の脊髄反射フェミニストに倣って、極上の笑みを浮かべる。
「お早うございます、木崎さん。確認はもう、必要無いはずでしょう?」
「なに?」
木崎は、不機嫌そうに眉を寄せる。
「俺たちの協力は犯人逮捕まででいいとおっしゃいましたよ。きちんと書類も提出しましたし、昨日の時点で確認もしていただきました」
口を差し挟む暇を与えず、一気に言ってのける。そうでないと、木崎のペースに巻き込まれてしまう、と駿紀はわかっているからだ。
言っているのがへ理屈だということも。
何か言い返そうとした木崎から視線を逸らし、透弥を見やる。
「なあ、神宮司」
急に振られたが、透弥も、だいたいのところの察しはつけているらしい。無表情のまま、頷き返す。
ますます不機嫌な顔になった木崎へと、駿紀は更に言う。
「申し訳ないんですが、俺たち、これから急いで行かなきゃいけないところがあるんで」
「どこへだ」
木崎が反射的に訊き返したのに、駿紀はいつもの笑顔で返す。
「直樹くんのところですよ、退院なんです」
「なんだって、また」
こちらの必要な証言も出来なかったじゃないか、と言いたいのがありありとした顔だ。
が、駿紀は笑みを大きくする。
「俺たちがホシを探し出すのが遅かったせいで事件に巻き込んだのに、生きててくれたんですよ。お礼を言うべきで、文句を言う必要はヒトツもありません」
木崎の心を完全に読みきった言葉に、返す言葉が無かったらしい。今度こそ、本当に目を見開いたままになっている。
「それに、あれだけ通ってて、事件が終ったから挨拶も無しなんて、非人情過ぎでしょう?」
本当に思っていることなので、その笑顔にも言葉にも曇りは無い。
駿紀は、その笑顔のまま、透弥へと振り返る。
「行こう」
「ああ」
ほんの微かにだが、透弥の口の端も持ち上がる。
飲み込まれてしまったように、木崎は無言で二人を見つめている。が、駿紀たちが動くのに合わせて、機械的に身体だけは避ける。
扉を閉め、早足に歩き出した二人が階段へと曲がろうとした、そこで我に返った顔になる。
「隆南!」
振り返った駿紀は、にこり、ともう一度笑みを浮かべる。
「俺たちがお役に立てそうなら、また声をかけて下さい」
軽く頭を下げる視界の端に、透弥も一緒に頭を下げているのが見える。
走るように階段を降り始めた二人の背中に、木崎の声が届く。
「諦めたと、思うな」
二人は、どちらからともなく顔を見合わせる。
駿紀は、げ、というように舌を出してみせ、透弥は仕方ないな、というように軽く肩をすくめる。
また何か仕掛けてくるというのなら、受けて立てばいい。
特別捜査課として、二人で。



〜fin〜


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