□ 露結び耳の歌 □ dewdrop-11 □
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駿紀の視線の先には、髪の長い少女が座っているのが見えている。
少しうつむき加減に小首を傾げたような格好がひどくあどけない。
が、時折、太陽の位置を確認する為に上げられる視線は鋭いものだ。油断も隙も無い。
が、元の姿勢に戻ってしまうと、少女そのものだ。
モノの見事とはこのことだ、と駿紀は思う。誰も、門の前に座り込んでいるのが天宮財閥総帥だとはわかるまい。
年令を問われたら、誰もが十歳前後と言うだろう。
服装は紗耶香自身の見立てなのだが、自分が何を着ればどう見えるかを熟知しているに違いない。
駿紀も、ちら、と太陽へと視線をやる。
もう、かなり西へと傾きつつある。空全体が、ゆっくりと夕焼け色に染まっていっている。
視線を紗耶香へと戻そうとした瞬間。
駿紀の耳は、微かな音を捉える。
少しずつ近付いてくるソレは、聞き間違いようが無い。大野直樹の元へと走った日に聞いた、中型車のエンジン音だ。
自分の潜んでいるところの上にある枝を、ほんの少しだけ揺らす。
知らぬ人間が見れば、風がそよいだのかと思うだろう。が、風も無いのに、もう一方で技が揺れる。
門に寄りかかるように座る影は、視線が隠れ、少女そのものと化す。
その間に、エンジン音ははっきりしたモノとなり、こちらへと向かってくる。
ややの間の後、軽いブレーキ音がして、エンジン音が止まる。
近い、と駿紀は思う。
少しだけ、体をひねる。壁の影の向こうに、車の背後が見える。大きく描かれた宅配便会社のマークの端も。
ドアを開閉する音の後、ややして、駿紀の視線の先に緑の人影が現れる。
遠目にも、肩幅が大きいとわかる人物は、帽子を目深に被っていて、顔までは見えない。口元は引き結ばれているようだ。
そこまで見て取ったところで、男はこちらに背を向けてしまう。
荷台を開けようとしているらしいが、少し手間取っているようだ。
深呼吸するように、男の肩がゆっくりと動く。
今度は、あっさりと扉が開き、中から何か取り出したらしい。すぐに扉は閉まり、男は振り返る。
その瞬間、男の肩がびくり、と揺れる。
あの位置からも、家々からのすき間から差す夕日ははっきりと目に出来るはずだ。
それから、まっすぐに見た門の前に座っている小さな影が。
もう一度、駿紀の頭上の枝を、ほんの微かに揺らす。
高く、通る声がメロディーを奏で出す。
歩き出そうとした男の肩が、もう一度揺れる。動きかかっていた足が止まる。
耳に入った、と駿紀は確信する。
さあ、どうする?
掌が、じっとりとしてくるのがわかる。つ、と背に汗が流れる。
やがて、男は、一歩足を踏みだす。
小さくうずくまる影の方へと。
ゆっくりと、ゆっくりとスローモーションのような動作で歩く男の姿は、夕日に染め上げられて赤く染まっていく。
一歩ずつ歩いていく男は、駿紀の目前へとやってくる。
そろそろ、その耳にはあどけない、だが、妙に通る声が、なんという歌詞をつづっているのかがわかるはずだ。
駿紀が考えた瞬間、その足が止まる。
真正面の位置だが、駿紀の気配に気付いた様子は全く無い。
帽子の下の視線の行方はわからないが、喉が動くのが見える。大きく息を飲んだのだ。
「うさぎの子 ぴょんと跳ねた
 草の中 ぴょんと跳ねた」
その歌詞は、駿紀の耳にもくっきりと聞こえている。
男は、凍りついてしまったかのように動かない。
赤く染め上げられたまま、前を見つめている。
「朝露飲んで また跳ねた
 あの子の母さん 今頃どこで寝ているの」
男は体全体で身震いする。荷を持つ手が震えている。
駿紀は、自分の口の中が乾いてくるのがわかる。
「あの子の父さん 今頃どこで駆けてるの
 あの子のいる間は」
「やめろ」
ぽつり、と男が口にしたのを、駿紀ははっきりと聞く。
だが、歌は止まらない。通る声が続く。
男は、もう一度、身震いする。
ふらり、と歩き出す。
その動きは、ぎこちなく動く操り人形のようだ。
ゆっくりと、だが、確実に一歩ずつ、男は少女の方へと進んでいく。
やっと駿紀の前を完全に通り過ぎる頃には、男の姿は夕日の赤に染め上がられている。
震えるような足取りで男が進んでいく。ヒトツ、角を通り越したのを見届けて、駿紀はすばやくその角まで進む。
男は、全く気付かず、まだ進んでいく。
少女の歌は続く。
「お天道様よ どうか 露を絶やさずに」
「やめてくれ」
震えるような声は、少女の目前だ。その声は、まるで懇願しているかのようにさえ聞こえる。
だが、聞こえているのかいないのか、少女は男を一瞥さえしない。
駿紀は、静かに角から滑り出す。透弥も反対側から姿を現す。その手には、すでにトリガーを下ろした銃がある。
気配を消して、男の背後へと回り込む。
完全に歌に取り込まれてしまったかのように、男は全くこちらの気配には気付いていない。
男が、膝を付く。
「お願いだ、やめてくれ」
「うさぎの子 朝日の中で」
二人は、瞬間的に、視線を見交わす。
「やめろ!」
半ば絶叫し、荷物を放り出した男が手を伸ばす。
少女の細い首に、男の骨ばった指が触れそうになった瞬間。
その指は、宙に浮く。
正確には、駿紀が背後から素早くひねり上げたのだ。
男は、駿紀を振り払おうともがくが、この程度ではびくともしない。
「は、離せ」
やっとのことで絞り出したような、か細い声が聞こえてくるが、無論、駿紀は聞きはしない。ただ、このまま動かれていると、いつまで経っても押さえ込んで無くてはいけない。
透弥を見やると、微かに頷いて歩き出す。
男が、大きく肩を動かそうとした、その時。
つ、とその目前に影が差す。
透弥が立ったのだ、と駿紀にはわかるが、逆光になって輪郭しか見えない。
座り込んでいる男には、大きく見えているだろう。
その口が、ゆっくりと開く。
「悪い子だ。こんな悪い子のところには、二度とお母さんは帰って来ないよ」
こんな声が出るのか、と駿紀でさえ、どきりとするような低い声が響く。
ぴた、と男の動きが止まる。
少しだけ、立ち位置を変えた透弥の表情が見える。
何の感情も浮かんでいない。こんな男に、何か感じるのさえもったいないとでも言いたそうだ。
ややの間の後。
「ああああああああ!」
悲鳴と絶叫が入り混じった声を上げ、久保和夫はがっくりと首を落とす。
泣き出してしまったのは、肩が震えているのが背中から見ている駿紀にもわかる。もう、暴れようとはしまい。
前に回って、捻りあげた手を下ろし、両手を揃えさせて手錠をかける。
「久保和夫、殺人未遂現行犯で緊急逮捕する」
はっきりと告げてはやったが、本人の耳に入っているのかどうかはわからない。
赤と緑が交じり合っているせいなのか、それとも、度し難い犯罪を犯し続けた者と思うからかはわからないが、この空間の中でヒトツ、妙な違和感のある存在だ、と駿紀は思う。
ヒトツ息を吐いてから周囲を見ると、すでに少女だった人影は消えている。打ち合わせ通り、犯人を捻り上げた瞬間に紗耶香は姿を消したらしい。
その身軽さも含めて、本当に適任だったと思う。
透弥も、もう久保が暴れないと判断したのだろう、駿紀を見やる。
駿紀も、頷き返す。
現行犯で犯人を捕らえたのだ。後は、一課に任せればいい。



一課の殺人担当班班長たちは、その目で確認するまで信じられなかったらしい。
木崎でさえ、駿紀と透弥の前に座り込んでいた男が連続殺人犯とは、信じがたいという顔つきだ。
「待っている間に、勝手に吐いてくれました」
手帳のページを破り取ったモノを駿紀が手渡す。几帳面な透弥の文字を不機嫌に見下ろした木崎へと、付け加える。
「ホシにしかわからない事実が含まれています」
もっと詳細に証言を取っていけば、という言わずもがなの言葉は飲み込むが、充分に通じたようだ。
不機嫌ながらも、頷き返す。
「わかった」
木崎は、いくらか乱暴にメモを胸ポケットに突っ込む。
「どうして」
口を開いたのは、戸田だ。
そちらへと視線を向けると、困惑そのものを宿した目と合う。
「前回といい今回といい、どうしてわかったんだ」
駿紀は、少し首を傾げる。
今回は誘い出したのだから、この場を選んだのは駿紀たちだ。が、まさか囮を使いましたなどと言える訳は無い。
透弥なら、上手い言い方を知っているのではと見やるが、宅配便会社の代理配達人と上司らしいのに事情を説明しているところだ。
科研が、あれやこれやと探っている状態では、驚くのは当然なので仕方あるまい。
ということは、こちらは駿紀が引き受けるしかない。
「俺たちなりにあたってみた結果としか」
そもそも、透弥が、夕方ばかりなのも犯人の勝手な規則だと言ったから、夕日だと駿紀は直感したのだ。
駿紀の言葉で言うなら、これしかない。
「隆南」
困惑顔が、もうヒトツ加わる。中条がしきりと首をひねりながら、問う。
「ここらには、髪がこんな長い子はいないらしいんだが?」
狙われた子供のことだ。久保が問わず語りに言ったので、数人の部下と聞き込みしたらしい。
手で髪の長さを示すのへと、駿紀は再度首を傾げてみせる。
「そうなんですか?」
宅配便業者へと説明を終え、科研からの引渡しも終えた透弥が、駿紀の視線に気付いて、こちらへとやって来る。
「神宮司、子供はっきりと見たか?」
これに関しては、とぼけ倒すしか無いとわかってるが、駿紀はそういうのは苦手だ。巻き込まれた透弥は、呆れたような顔つきになる。
「隆南の方が早く着いただろうが」
前回と同じく、たまたま間に合ったことにしてあるから、当然そういうことになっている。
「いや、俺、ホシにばっか気ィ取られてて」
髪を軽くかき回す。
「図体デカくて、背に隠れてたし」
「俺が見たのは、更にその背なんだが?」
そこにいる班長たちを無視するカタチでの会話は、結局のところ彼らへの返答でもある。襲うところは見たが、相手ははっきりしない、という。
「どうやら、騒ぎに驚いてどこかへ行ってしまったようでしたし」
駿紀が首を傾げつつ、木崎を見やる。
無言のまま駿紀を見つめ返した木崎は、ややあってため息混じりで呻くように言う。
「刑事が二人して、だらしがない」
「すみません」
ごくあっさりと頭を下げる二人に、戸田も中条も、久保に話を聞くしかない、と諦めたようだ。
「いや、ホシを逮捕したんだからお手柄だよ」
「全く、ツイてるな」
褒めてるのかいないのか微妙だが、運がいいということで片付けてくれるなら、駿紀たちにも好都合だ。
後は、早めに手を引けばいい。
「今日の件の報告書はまとめますが、応援はここまでということでいいですよね」
駿紀の確認に、どことなく狐につままれた様な顔つきのまま、班長たちは頷き返す。
「ああ、ご苦労だった」
どこか不機嫌な表情だが、木崎がはっきりと言う。
特別捜査課の仕事は、ここまでだ。

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