□ 万籟より速く □ FASSCE-1 □
[ Back | Index | Next ]

不機嫌そうに見やっていた書類から視線を上げた勅使は、前に見える人影に笑みを浮かべる。
が、それは、すぐに怪訝そうなものへと取って代わる。
「神宮司、隆南くんの魂が何処かに飛んでっているようだから、回収してやった方が良いぞ」
挨拶代わりにかけられた言葉に、透弥は無表情に返す。
「残念ながら、自分のを飛ばさないので精一杯なので、無理です」
珍しく冗談混じりに返されて、勅使は口の端を持ち上げる。行き会った場所からして、透弥たちが警視総監室から戻ってきたのは、考えなくてもわかる。
先日の幼児連続殺人事件解決の中心を担ったと知った長谷川警視総監が、ますます特別捜査課への信頼をあつくしているであろうことも、想像に難くない。
「また、何か難題でも吹っかけられたのか?」
「ある意味では、そうですね」
ここまで会話が進んだところで、やっと駿紀の視線が勅使へと向かう。
「あ、勅使さん、こんにちは」
ほとんど棒読みの口調で、しかも今更の挨拶に勅使は苦笑する。
「どうした、元気無いな」
「いや、なんていうか、そうかもしれません」
上手い言葉が見つからないらしく、駿紀は意味不明の返事をする。相変わらず腑抜けたままの駿紀を横目で見やってから、透弥が再び口を開く。
「勅使さん、隆南に外国出張に必要なモノを教えてやって下さいませんか?」
「おや、外国行きか?」
勅使の問いに透弥が返す前に、目に妙な光を帯びた駿紀が身を乗り出す。
「勅使さんって外国出張経験あるんですか?!」
「ああ、プリラードに捜査留学していたことがあるよ。出張も何度かは」
勢いに気圧されつつも返した答えに、駿紀の目が輝く。
「すみません、何が要るのか教えて下さい!」
手を握らんばかりに身を乗り出されて、勅使の方が目を丸くする番だ。
「一体、何が起こったんだ?」
「飛行機で汽車で、アルシナドでプリラードでアルシナドで」
地名と一緒に指が左右に動いているのは、移動を示しているらしいとは察しがつくが、それ以上はさっぱりだ。アルシナドは都市なのにプリラードは国名だったり、と駿紀の混乱ぶりに、勅使は笑いがこみ上げてきたのをどうにか噛み殺す。
「わかった。十分したら特別捜査課に行くから、それまでに隆南くんの魂取り戻しとけよ」
苦笑交じりに透弥に告げると、軽く駿紀の肩を叩いて通り過ぎていく。
軽い会釈と共に見送った透弥は、隣で相変わらず焦点の合わない目をしている駿紀を呆れた顔つきで見やる。
「いい加減にしろ、すでに決定事項だ」
「だって、飛行機で汽車で」
同じ事を繰り返すのに、何がそんなにショックだったのかを理解して軽く肩をすくめる。
「金はあるところにはあるということを理解しろ」
全くいつもと変わらない透弥の声に、駿紀の魂はやっと少しだけ戻ったようだ。
「神宮司は二課だったもんな」
どうやら、詐欺担当班にいれば大金が動くところも目の当たりにするだろう、と言いたいらしいのを理解してしまい、透弥は面倒そうに眉を寄せる。
「全く別の問題だ」
「違わない気がする……ワナだったんだなぁ」
罠という表現が相応しいかは微妙だが、近いことではあったな、とは透弥も思う。
どの時点から紗耶香がそれを考えていたかはともかく、他の手段は無かったのだから、彼女の算段に気付いていたところで後には引けなかったが。
何にせよ、駿紀の混乱ぶりからいけば、勅使に行き会ったのは丁度良かったのだろうと思いつつ、透弥は駿紀を促して特別捜査課へと向かう。

予告通り、ほぼ十分で特別捜査課に姿を現した勅使は、駿紀に譲られた椅子へと腰を下ろすと、指を組んで二人を見上げる。
「先ずは順序立てて説明してもらおう。アドバイスしようにも、行き先も日程もわからんのではどうしようもないからね」
「はい、すみません」
先ほどの自分の混乱振りを思い出したのだろう、駿紀は素直に頭を下げてから、透弥を見やる。どういう意味かを正確に理解した透弥は、小さく肩をすくめる。
「シャヤント急行開通号の警備を依頼されました」
「ほう」
勅使の目がきらめく。
「それはイイじゃないか。仕事とはいえ、普通じゃ経験出来ないぞ」
むしろ羨ましいと言いたそうな表情に、透弥は微苦笑を浮かべる。
「いささか唐突過ぎです。まして、フィサユまでがチャーター機となると、隆南でなくても混乱したくはなるでしょう」
今現在、飛行機が飛び立てるのはリスティアといえど空軍基地のみだ。一般人も申請さえすれば利用は可能だが、そもそもの機体、燃料、使用料などを用意しなくてはならないことを考えると、国としての要人移動以外に使用可能な組織は一箇所くらいしか無い。
その動向が『Aqua』全土の経済を動かすと言われる天宮財閥だ。
どの程度の力を持つかと問われれば、リスティア首都アルシナドからプリラード首都フィサユまで、『Aqua』四大国を結ぶシャヤント急行開通という国際事業の実際を仕切っている、と言えば誰もが納得するだろう。リスティアを背にしてるとはいえ、一般企業と呼ぶにはあまりに巨大だ。
当然、その発言力も大きい。特別捜査課を指名したのが誰かは想像に難くない。
「なるほど、天宮財閥総帥からの依頼というわけか。ずい分と信用されたな」
先日、財閥総帥天宮紗耶香にかかった殺人容疑をあっさりと晴らした上に、過去の件までも片付けたのだから、さもありなん、という口調だ。
まさか、前回の件を解決するための情報収集に協力してもらっただけでなく、総帥自らが囮になって犯人を誘き出した借りがあるなどとは、特別捜査課贔屓の勅使へといえども、絶対に言えない。
「そうですねぇ」
曖昧な返事を返す駿紀に、勅使は笑みを向ける。
「フィサユでは何泊予定だ?」
「ええと、一泊です」
駿紀の言葉に、軽く頷く。
「飛行機での移動に一日強、そこからシャヤント急行に乗車するなら、九泊十日というところだな。用意しておくといいものを書きだしてみようか」
「助かります」
心からほっとした表情を浮かべつつ駿紀が筆記用具を手渡すと、勅使は迷い無くさらさらと書き出し始める。
「そうそう、ドレスコードを確認しておいた方がいいぞ」
「ドレス?」
スーツならともかく、と目を見開いた駿紀の隣で、透弥はうんざりとした顔つきで頷く。
「そちらは、すでにいただいてます」
と、手にした封筒を持ち上げて見せる。
「必要経費も落ちるそうです」
「なるほど、金は惜しまないから場に相応しい格好にしろということか。では、それも考慮した方がいいな」
真面目な顔で言ってのけるのに、とうとう我慢出来なくなった駿紀が口を挟む。
「ドレスが相応しいって、俺ら、仮装しなきゃなんないんですか?」
困惑しきった顔を、透弥と勅使はまじまじと見つめる。駿紀は視線の意味がわからず、瞬きして見つめ返す。
混ぜ返そうとしたのではなく大真面目だ、と理解した途端、勅使は肩を震わせて笑い出し、透弥はため息をヒトツ吐く。
「正装の度合いのことだ。どこをどうするとそんな笑えない発想になる」
勅使さんは目に涙が浮かぶほどにウケてるけど、という言葉を飲み込んで、駿紀は唇を尖らせる。
「知らなかったんだ、仕方ないだろ」
「そっちの方が、俺はいいな」
どんな想像を膨らませたのか、やっとのことで笑い収めてから言うと、勅使はメモに向かい直す。
「で、ドレスコードはどうだって?」
「ディナーはフォーマルです」
ドレスコードという単語はわからないが、さすがにフォーマルという単語の響きは理解出来る。透弥のうんざり気味の表情からも、おおよその想像は合ってるだろう。
「格好の方は、勅使さんのおかげでどうにかなりそうですけど」
なんとなくしゅんとした顔つきになる駿紀に、勅使は笑顔を向ける。
「大丈夫だよ、マナーやなんかも神宮司が知っているから。買い物の方も、付き合ってやれよ」
駿紀へと言ってから、透弥へと笑顔ままの視線を向ける。
「時間もありませんし、それが早いでしょう」
仕方無い、という口調ではあるが、言質は取れたので、駿紀は再度ほっとした顔つきになる。
「それなら、どうにかなるな」
勅使は、笑みを浮かべたままメモへと視線を落とす。ざっと目を通して確認を終え、駿紀へと手渡す。
「シャヤント急行に乗るなら、戻ってくるのは10月1日だな。上手く行けば非番だし、せっかくだ、見に行こうと思ってるんだよ」
勅使にも人並みの野次馬的興味があるのか、と目を丸くする駿紀の隣で、透弥は無表情のまま、訊ねる。
「お知り合いが乗りますか?」
「あ、そうか」
プリラードに捜査留学をしたことがあるのだから、充分にありえる、と駿紀は納得する。
勅使は、軽く肩をすくめる。
「もしかしたらな。乗ることになるかもしれない、としか聞いていないから」
プリラードまでなど、そうそう簡単には行き来出来なかったから、留学以来になるのだろう。
「会えるといいですね」
駿紀の素直な言葉に、勅使の笑みが大きくなる。
「そうだな。まあ、駄目でも、二人の出迎えは出来るから、無駄足にならずに済むな」
「嬉しいですけど、何か緊張するなあ」
笑顔の駿紀を見ながら、勅使は立ち上がる。
「準備でわからないことがあれば、連絡入れてくれていいから」
「ありがとうございます。本当に助かります」
駿紀と一緒に透弥も頭を下げる。
「お忙しいところ、すみませんでした」
「いや。じゃあ、またな」
けして暇などでは無いのだろう。扉向こうで去っていく足音は速い。
「でもさ、あそこは謝るんじゃなくてお礼だろ」
駿紀の言葉に、透弥は怪訝そうに眉を寄せる。
「違わないだろう」
「違うよ、絶対」
このことで議論したところで仕方ないと判断したのだろう、透弥は駿紀が手にしているメモを指す。
「書き出してもらったものを早いところ用意した方がいい」
「それもそうだな、出かけるか」
駿紀は身軽に方向転換すると、かけておいた上着を取って、羽織る。



あっという間に、見慣れた景色が遠ざかっていく。
駿紀にとっては未だ信じ難いことに、眼下の方向へ。
正直に言って、体に感じる上昇の圧迫感や、久しぶりに聞く独特のエンジン音などより、目に映るモノがダントツに衝撃的だ。
瞬きも忘れて窓の外を見つめ続けている駿紀の隣で、透弥はシャヤント急行の旅程表を開いている。
「リスティアを上空から拝むなんて、今しか出来ないよ。神宮司も見てみろよ」
はしゃぐ駿紀に、透弥はさらりと返す。
「リスティアなら、志願兵役の時に嫌というほど見た」
「え?空だったのか?」
目を丸くする駿紀に、透弥はやっと視線を向ける。
「空だと問題があるのか?」
「いや、なんとなく参謀部とかかなぁと思っただけだよ。俺はまごうことなき陸だったからなぁ」
珍しく、うんざりとした表情が駿紀の顔に浮かぶ。
「一生の仕事にはしないって言ってんのに」
その言葉で、おおよそは理解したのだろう、透弥の口元が微かに持ち上がる。
「それだけ、欲しい人材だったということだ」
駿紀の運動能力は、ずば抜けている。当人は、足の速さ以外認識してはいなさそうだが。
「まあ、認めてくれるのはありがたいけどさ。神宮司は参謀部に誘われもしなかったのか?」
「最後の一年は」
さらり、と言ったが、瞬間的に寄った眉で、駿紀にもおおよそはわかる。
「やっぱり」
とだけ返して、窓へと視線を戻す。
「すっげ、もうあんなに小さい。うわ、でっかい川が見えるぞ?」
駿紀が袖を引かんばかりなので、透弥は微妙に頭痛がしてきたような顔つきになりつつ、窓へと視線をやる。
「あれがシーネ川だ」
「え?!あんなにでかいんだ、へええ」
シーネ川といえば、首都アルシナドも横切っていく、リスティア最大の川だ。警視庁からも見えるその流れは、首都に住んでる人間なら身近でもある。
だが、リスティア上空でこの調子では後はどうなることやら、と透弥は心でため息を吐く。
アルシナドは完全に遠ざかったあたりで、機体は急激な上昇を終えたようだ。
街灯もほとんど無いので、地上も見えなくなる。窓から視線を戻した駿紀は、首を傾げる。
「何度か、降りるんだよな?」
「ルシュテットのリュルとミエナのヴェツェで給油だ」
「二回の給油でプリラードまで飛べるのか、スゴイな」
透弥は、無表情のまま返す。
「この機種は実行航続距離が8000キロ程だ。アルシナドからフィサユまでの距離を考えれば、余裕を見た無理のない航行計画といえる」
「ふぅん、そんなもんなのか。なんか、プリラードっていうと、ものすごく遠いイメージがあるけど。実際、シャヤント急行じゃ七泊八日だろ」
「停車時間が19時間強あるということも、考慮には入れるべきだろう」
むう、と駿紀は唇を尖らせる。
「夜出発だっての含めりゃ、実質は七泊七日だけどさ。でもやっぱり、遠いって」
「時間的距離は、それだけに縮まったとも言えるが」
透弥の言葉に、駿紀は軽く目を見開く。
「ああ、そうか、そうだよな。勅使さんはどのくらいかけて行ったんだろう?」
「留学の時は、車と汽車と船、場所によっては馬車だったそうだ」
「馬車!」
移動手段だけでも大変そうなのが伺える。駿紀はしきりと瞬きをする。正直、移動の苦労は想像を絶している。
「上から言われたからって、あっさりは頷けないなぁ」
常に冷静さを失わない勅使も、さすがに驚きの連続だったろう。もし自分が、などは想像外だ。そもそも、留学という話自体来ることがあり得ない。
「留学なんて、勅使さん、優秀なんだな」
「そうだな」
あっさりと透弥が返すあたり、本当に優秀なのだろうと考えて、駿紀は首を傾げる。
「神宮司には留学の話って無いのか?」
「最近は留学自体が無い。手続きが煩雑過ぎる」
「ふうん、そうなのか」
もしあれば、透弥は真っ先に候補に上がるのだろうな、と思いながら、軽いあくびをする。
「ひとまず、寝といた方が」
言いかかったところで、近付いてくる足音に振り返る。
視界に先ず映ったのは、さらり、と揺れる柔らかな長髪。それから、ひらり、とひるがえるスカート。
見覚えのある雰囲気に、思わず目を見開く。
そのシルエットを持つ人物はプリラードに先行している、と出発の時に執事である榊紅葉から告げられたはずだ。
が、視線を上げると、天宮紗耶香の姿が微笑んで口を開く。
「快適に過ごしていらっしゃって?」
一瞬目を丸くした駿紀は、すぐに眉を寄せる。珍しい表情だが、透弥も驚いた様子は無い。
彼女が、驚いたように首を傾げる。
「何か、不都合がございまして?」
「失礼ですが、どちら様です?」
問いは、同時に発せられる。

[ Back | Index | Next ]


□ 月光楽園 月亮 □ Copyright Yueliang All Right Reserved. □