□ 八千八声の客 □ shard-1 □
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合図も無く扉が開く音に、駿紀はモニタから視線を上げる。
「何だ、もう済んだのか?」
立っていたのは、受付担当の津田だ。両手が、肩の高さまで特ち上げられている。
てっきり透弥が戻ってきた、と思った駿紀は、いくらか目を見開く。
「ごめん、隆南くん」
同期の彼女は、少しだけ血の気の引いた顔で、ぽつり、と言う。
津田の首元にギラギラと妙に光る不格好な刃物をつきつけている女性は、後ろから少しだけ顔を出し、頭だけを軽く下げる。
「お邪魔いたします。受付でこちらと伺いまして」
にこり、と微笑む。
妙に爽やかなのが、この場に不釣り合いなことこの上ない。
女性は、津田の背後から出てこようとはせず、後ろ手に扉を閉める。
なるほど、ただのお客様を案内してきたわけでは無いらしい。
「失礼ですが、どちらサマでしょう?」
立ち上がりながら、いくらか首を傾げてやると、女性の口元に浮かんだ笑みが大きくなる。
「私、池田真由美と申します」
「池田さん」
おうむ返しにしながら、駿紀は思考をめぐらせる。
問いに対して、ままの答えが返ってきたのは意外だ。どちらサマ、とは何が目的で婦警に刃物を突きつけるなどという不穏なことをしているのか、という意味だったのだが。
池田真由美、と名乗った目前の女性の口調は、間違いなく名を告げればこちらが理解すると決めてかかっている。
少なくとも、特別捜査課が出来てからの事件関係者では無いことだけは確かだ。協力依頼を含めても、まだ関係者を記憶の外に放り出すほどにはなっていない。
ということは、一課の時に取り扱った件だろうか。それも、記憶に無い。
生活安全課、東署一課、交番、と遡ってみても、思い当たるフシは無い。
女性というのは化粧と服装で別人に成り代わることが出来るイキモノだから、絶対か、と問われると困るのだが。
でも、それでわからなくなるのなら、少なくとも池田は過去の事件で出会った容疑者ではない。それならば、おぼろげになってるにせよ、記憶に残っているという自信がある。
あるいは透弥が二課で取り扱った事件の関係者かもしれない。
なんにせよ、こちらを初対面と認識してそうなのに、どうも駿紀が関係者と決めてかかっている様子なのは不可思議だ。
せめてヒントくらいは無いと、話を進める取っ掛かりも見つからない。
津田を見やると、彼女は視線だけ池田へと向ける。
「中条さんたちは、今出ているようで」
中条班の扱った事件なのか、と駿紀は内心で頷く。
実際、中条たちは事件で出ている可能性が高いだろう。捜査一課の三大殺人担当班と呼ばれるだけはあり、自分たちが担当の事件が無ければ、たいがいは応援に借り出されているのだから。
それはともかく、だ。
先ほどの口ぶりからして、津田はここが中条班の部屋と偽って来た、ということになる。駿紀は、中条班所属の刑事という目で見られているわけだ。
なるほど、通りで関係者扱い、と内心で頷く。
こんな真似をしている理由はわからないが、相対しているのは少々頼りない相手と思ってもらうしかなさそうだ。一言で十を察してくれるなどと過度の期待をされると、後で厄介なことになる可能性がある。
ひとまず、いくらか困った笑みを浮かべてみせる。
「すみません、俺はまだこの班に配属になったばかりで」
中条班かはともかく、発言としてはウソでは無い。
名前を名乗られただけでは、どういう素性の人間が現れたのかわからない、というのは通じたらしい。池田は、再び笑みを浮かべる。
「昨年の始めに、阿部雄太の件でお世話になりました」
阿部雄太の件というからには、ホシかガイシャかということなのだろう。なんとなくだが、池田の口ぶりからして、ホシの方であるように思われる。
「はあ」
なんとも中途半端な相槌になってしまうのは、仕方がないと思ってもらうしかない。関わっていなかった件のコトを、それだけで察しろという方が無理だ。
もう少し手がかりをくれても、と思うのだが、面と向かってソレを言うわけにもいかない。
なんせ、人質を取られている。
くだんの件が昨年始めでケリがついているのなら、どんなに遅くとも初公判、通常ならば地裁での判決くらいは出ているはずだ。事件としては過去になったはずなのに、今になって警視庁の担当へと会いに来るのはどういうことだろう?
津田も、そのまま口を閉じてしまったところを見ると、池田が中条班に会いに来た以外の情報は持ち合わせていないらしい。
ともかく、このままではラチが開かない。
ホシ、と感じた勘を信じて、カマをかけてみる。
「阿部雄太さんは、その後?」
「地裁で実刑判決を受け、控訴しないことに決めました」
やはり、ホシで合っていた。
「そうですか」
頷き返すと、池田は一つ、息を吐く。
自分の手に切り札を握っているせいか、物騒なことをしてのけている割には落ち着いているようだ。
何やら、結審した件に関わることで、こんなことになっているらしいが。
別の証拠があったとか、アリバイがあるのだとかという主張であれば、激昂するなり蔑むなり、堂々と乗り込んでくればいいだけのことだ。わざわざ、こんなコトをする必要も理由も無い。
こういう行動に出るだけの要因があるはずなのだ。
なのに、池田の方から積極的に要求を突きつける気は無いらしい。
さて、と駿紀は考える。
池田真由美は、一体どういうつもりで昨年の件などで警視庁にやって来たのだろう、という疑問の答えを得るにはどうしたらいいのか。
困った笑みを浮かべたまま、首を傾げてみせる。
「今日は、どうなさったんですか?」
人質を取られているという状況からして間抜け極まりない問いだが、この際、回りくどいことをしても仕方ない。
出来るなら刃物を下ろして受付担当を開放してもらえませんか、の意も込めてみたが、そちらは当然ながら無視される。
「お話の前に、電話線を抜いていただけません?」
言葉と共に、池田の手元の刃物が津田の首に寄る。
要求を聞かなければ、と暗に脅しているわけだ。ムッとするが、それは表に出さず、駿紀は軽く肩をすくめる。
「あと少しで外にいるウチの人間から連絡が入ることになっています。出ないと何か起こってると気付かれてしまいますが?」
ほんの少しのウソを絡めて言ってみる。
本当のところは、連絡をすることになっているの駿紀の方だ。協力依頼の書類に抜けがあったので、先方に確認を取って電話することになっていた。
ただし、その情報は必須のものではない。無ければ無いで、どうにかなってしまう類だ。
ようするに、入ったら連絡する程度のモノで、実際、先方は担当事件で出ており、情報は無い。
先ほど、合図も無く扉を開けたのは透弥と勘違いしたくらいなのだから、駿紀自身も連絡が入るとは思っていない。
ムダの無い行動を好む透弥だ、正直、万が一くらいの可能性に賭けるも同然。それでも、唯一、こちらに戻って来る前に知らせられるかもしれない手段を失うわけにはいかない。
駿紀の言いたいことは、池田も理解したようだ。
相手にしているのは警察だ。外部から異変に気付かれてしまえば、人質を取っていても不利になる可能性は高くなる、と。
「わかりました。ただし、電話を取っても妙なマネはしないで下さいね」
元の位置にまで戻っていた刃物を、再度、津田の首元へと寄せる。
「了解です」
物わかりのいい駿紀の返事に、池田は満足そうに笑みを浮かべる。
電話の件に納得してもらったところで、駿紀は、もう一度同じ問いをする。
「ご用件を、伺えますか?」
池田の顔から笑みが消え、困惑が浮かぶ。
「あの、ええと」
丁寧に、首まで傾げてみせる。
「その、ご相談、と言えばいいのかしら」
妙にあやふやな返答だ。
だいたい、相談を持ちかけるのに、こんなコトをしなくてはならない理由がわからない。
「相談ですか?」
思わず、駿紀は問い返してしまう。
「はい、どう言えばいいのか……」
受付担当が人質でないのなら、事件性があるかないか微妙な案件についての相談者のようだ。津田も同じことを思ったのか、瞬きしながら池田を横目に見やっている。
が、当の池田は本当に困惑しているようで、視線が微妙に漂っている。
もっと考えに沈んでくれれば、スキが生まれるかもしれない。邪魔をするのは得策ではないだろう。
何気無い視線で、駿紀は池田真由美をを観察する。
年齢は二十代半ば、どんなにいっても三十には届いていない。入って来た時の立ち姿からすると、平均的な身長だ。体型も、太っているわけでも痩せぎすなわけでもない。どちらかといえば、スレンダーの部類に入るだろう。
髪は、肩につく位のをふわりとさせていて、少し細めでシャープな顔を柔らかく見せているようだ。目鼻立ちも、典型的なリスティア系で、いい意味でも悪い意味でも印象に残らない。
声も話し方も、奇妙に耳につくものは無い。
あえて、記憶に残る箇所を探せと言われるなら、今は伏せられている目だろうか。
顔立ちに対して少し大きめのそれは、強い意思が宿っているように見える。人を盾にするような真似をしているのだから、当然かもしれないが。
ここまでするのだから、何か明確な要求があるはずだ。愉快犯には、とても見えない。
なのに、なぜ、相談と言ってみたり迷ったりするのだろう?
中条自身、もしくは実際に阿部の件に携わった刑事が戻るのを待つというなら、そう言えばいいだけのことだ。
迷う演技をして時間稼ぎをしている、というのも状況からして考え難い。
困り顔で視線を伏せているのに、津田の喉元につきつけている刃物は微動だにしない。志願兵役経験者だな、と思う。リスティア国籍の人間はほとんどがそうなのだから、さほど役立つ情報ではないが。
その微動だにしない刃物は、実に奇妙な形状だ。津田に突きつけている側はイナズマのようなジグザグで、反対側は直刃になっている。
前に透弥に聞いたウィルカの成人が与えられるネメとも違う。こんなのは少なくともリスティアでは見かけない、とまじまじと見つめるうちに気付く。
アレは、鏡が割れたモノだ。
少なくとも、色々と想像だにしない人を相手にしなくてはならない受付担当が、こんな目に合っているのかも想像がつく。
中条班担当の件でと訪ね来た池田は、案内される途中、どこかでハンドバッグを落とすなりして凶器を作り出した。
わざわざ、持ち手のある手鏡を用意していた点から言って、計画的だ。鏡は必需品といってもいいくらいに持ち歩いている女性は多いだろうが、こんなかさの張るモノは選ばないだろう。
なのに要求がはっきりしないというのは奇妙だ。
迷っているふりなのか、本当なのか。
津田も、似たことを思ったらしい。動かずにいることに疲れてしまったといった風を装い、小さく身じろぐ。
「動かないで」
いくらか鋭い声を池田があげるまでに、ほんの一瞬の間があった。
本当に迷ってるのか、と駿紀はいくらか目を見開いてしまう。
もう少し、どんな事件であったのかの情報が入れば、池田の謎めいた行動の意味もわかるのだろうか。
「彼女が動かなくて済むよう、お互い時間を大事にしませんか?」
軽く、水を向けてみる。
池田は、津田から視線を駿紀へと向ける。その間に、また困惑の顔つきに戻ってしまっている。
「ええ、確かにそれはそうですね」
肯定ということは、別に中条自身が戻るのを待っているわけでは無いわけだ。
「私、とても困っているんです」
言って、小さく首を傾げる。
はっきりとしたスキが生まれないのなら、池田の思惑を聞き出すより他あるまい。
励ますように、深く頷き返す。
「雄太のことで、その」
「はい」
真摯な声に、すがるような視線が上がる。
しっかりと見つめ返すと、池田は津田の肩ををつかむ手に力を込める。
「私、本当に困ってしまって」
視線は、また、落ちてしまう。
堂々巡りだ、と内心で両手を上げた瞬間。
落ちた沈黙を破る、機械音が鳴り出す。

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