□ 八千八声の客 □ shard-2 □
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電話、と気付いたのは一瞬後だ。
人質を取られている手前、一応は池田へと視線をやる。
先ほど駿紀が告げた外部からの連絡と判断したのだろう、小さく頷く。が、同時に津田の首元へと刃物を近付ける。
「余計なことは、しゃべらないことです」
予測通りというか、お約束通りの要求へと今度は駿紀が頷き返す。
受話器へと手を伸ばしながら、こんな時に限って木崎さんからのイヤな捜査協力依頼だったりするなよ、神宮司であってくれよ、と念じる。
「はい」
特別捜査課とは名乗らなかったが、その一言で相手には十分だったらしい。
「連絡はあったか?」
聞き慣れた声の簡潔な問いに、大きく息を吐きたくなったのをかろうじて堪える。
代わりに、軽く一呼吸する。それでも落ち着かず、指が受話器を叩いてしまうのは、池田には見逃してもらいたいところだ。
「いや、そっちはまだだ」
余計な指示語に、受話器の向こうの透弥は、平坦な声で返してくる。
「ソチラでは無い方からなら、あったのか」
「ぶっちゃければ、あっちもマダ」
「なら、ドレならあった」
透弥はいくらか呆れたような口調になりつつも、駿紀の言葉遊びに付き合っているらしい。
「ドレもコレも、戻り待ち」
やっと、駿紀の指が落ち着く。
「それなら、最初からそう言え」
命令形で言ってのけると、駿紀の返事を待たず、電話は切れる。
駿紀も受話器を置く。今は、透弥の命令形に関してムカっ腹を立てている場合ではない。
警察が無関係の人間の前で、他の捜査情報をあからさまに話すわけにはいかない、ということには理解があるらしく、池田はその点に何か言おうとはしない。
代わりに、いくらか疑わしそうな視線で電話を見やる。
「もう一度受話器を上げて、置き直して下さい」
微妙に半端に受話器を置いて、電話を切らずにいたりはしないかの確認らしい。こんなところで余計な細工をして刺激する気は無いので、駿紀はおとなしく受話器を上げ、少々ハデめに下ろしてみせる。
池田は納得したらしく、視線を駿紀へと戻す。
「電話してきた方は、戻ってくるのですか?」
ソレやらドレやらコレやら何の連絡も無いのだ、相手が外部にいても仕方ないと思ったのだろう。
「そうですね、遅くないうちに」
駿紀は、はっきりと肯定してみせる。
何にせよ、それは紛れの無い事実だ。
通じたにせよ、通じないにせよ。
今、ここで起こっていることを悟らせなかった以上、戻ってくるのは当然と彼女も理解しているらしい。
池田は、自分の背後の扉を横目で確認し、津田を腕だけで促していくらか移動する。不意をつかれない、かといって窓から狙われることもない場所を知っているのも、志願兵役経験者ということを示している。
うっかりとしたスキというのは、そう簡単には作ってくれそうも無いな、と駿紀は内心でため息をつく。
となれば、透弥が戻ってくるまでの間に、出来るだけの情報とあわよくば対策まで出来るよう努力を続けるしかない。
池田は阿部のことで困っている、と言った。
口調と雰囲気からして、阿部雄太と知り合い以上の仲と思われる彼女の日常に何か不都合でも出ているのか、他の要素があるのか。
あからさまに尋ねるのは、少々危険な感じがしないでもない。
刃物を人につきつけるような真似をしているクセに、困ってるしか連呼しないというのは、なんだか危うい感じだ。バランスが悪いと言うべきか。
透弥なら、もっと別の表現をするのだろう。
ただし、本人のいないところでにしてもらわねばなるまいが。あの毒舌を今の池田の前で披露したら、どうなるか知れたものではない。
通常の刃物でも充分に危険だが、鏡を割ったモノとなると細かい破片の行方など考えたくも無い。
仕方ないが、刺激するような真似は出来ない。刃物をつきつけられているのは、自分ではないのだから、なおさら。
駿紀は、話を電話の前に引き戻してみることにする。
「阿部のことで、困っているとおっしゃいましたね」
「ええ」
その点ははっきりと肯定するわりに、相変わらず、それ以上を言おうとしない。
察しろということなのかもしれないが、昨年の事件とやらの片鱗も知らない駿紀には、推測すら出来ない。
刑事事件としてのケリはついても、日常に何らかの影響を残していているのは当然だろう。どんなふうに、というのも各々違うだろう。
結局のところ、透弥がよく言うように、情報無しに何らかの判断を下すのは不可能、というヤツだ。
どうにかしてしまいたいのは山々だが、このままでは難しい。
なぜ、人の命を盾にしなくてはならないのか、全く見えてこない。
推測でモノを言えないなら、ある程度は仕方ない。語調を丁寧にして、言ってみる。
「なぜ困っているのか、お聞かせ願えませんか?」
「ええ、ぜひそうしたいと思ってます」
だからこうしている、と言わんばかりの口調で返してくる池田に、駿紀は内心で首をすくめる。
少々、ストレートに尋ねすぎだろうか?
が、池田はまた小さく首を傾げる。迷っているというより、考えている顔だ。
このまま、ただ対峙していても疲弊するばかりだとは、理解はしているらしい。
「ですから、少しだけお時間をいただけません?」
どうやら、考えをまとめる時間を寄越せ、ということであるらしい。
しつこいようだが、こちらは人の命を盾に取られている立場だ。
何を要求するのかはっきりとしないままに、こんなコトをしているという理不尽を指摘するわけにもいかないし、答えはヒトツしか用意されていない。
「わかりました」
津田には、まだしばらくこのまま頑張ってもらうしかない。
彼女も現場に張り込みに出る刑事ほとではないが、訓練された身の上だ。少なくとも、立っているのがツラいということにはなってなさそうだ。
実際、刃物をつきつけられているのは津田で、駿紀以上に選択肢が無いわけだから申し訳ないのだが。
部屋には、沈黙が落ちる。
考えに沈みきって、池田がスキを作ってくれるのを待つしかない。
駿紀は、出来る限り動かずに様子を伺う。津田も、今度は身じろごうとはしない。
鼓動の音がうるさい、と感じるくらいに静まって、何分が経ったのか。
がっかりしつつも感心してしまうのは、明らかに考えにふけっているのに刃物を持つ手だけは微動だにさせないあたりだ。
困ってると言いながら、要求がはっきりしないのは、何度考えてみても理解し難いが。
何がしたいのかも、さっぱりわからないし、と再度、心の中で軽く両手を手を上げたところで、扉のノブが回る。
きっちり神経を張っていた証拠に、池田の視線も、すぐにそちらへと向く。
合図が無いということは、今度こそ透弥だ。
駿紀は、軽く息を飲んで扉が開くのを見つめる。
無駄の無い動きで入ってきた透弥は、自分へと視線が集まってる理由にすぐ気付いたらしい。
「ああ、お客様でしたか。失礼」
池田へと、さらりと言ってのける。その無表情からは、この状況に驚いたのかどうか駿紀にも読めない。
状況判断を瞬時にしてのけたのは、お客様という呼び方が毒舌そのものだったから間違いないが。
透弥の冷ややかな切れ長の視線と合った池田は、伏せるように視線を下げる。
「こちら、池田真由美さん。阿部雄太の件で、困ったことがあるんだそうだ」
当人が口にしていることは伝えるくらいは問題ないはずだが、さすがに池田の前で中条班に来たつもりでいる、とは言えない。
どうしたものか、と駿紀は内心で首をひねる。
なんせ、池田を見つめる透弥が無表情過ぎて、何を考えているやら、さっぱりだ。
扉を後ろ手に閉めたところで止まっているのは、津田が人質になっているのを見て取ったからだろう。彼女の手にしている刃物がなんなのかくらいは、察しをつけているに違いない。
誰も口をきこうとしないと判断したのか、透弥は小さく肩をすくめてから、口を開く。
「困ったことと言いますと、何か事件に関わることですか?」
「え、ええ」
どちらかというと、勢いに気圧されたような感じで池田が頷くのへと、冷徹な口調で更に問いを重ねる。
「すでに結審まで行ってケリがついたことになっているはずですが、何か別の案件、もしくは証拠でも?」
「あ、いえ、そういうんではなくて……」
だんだんと、池田は消え入りそうな声になってくる。
切れ長の視線にも、声にも、はっきりと度し難いと意思表示されたのに困惑したのだろう。
おいおいおい、と駿紀は内心でツッコんでしまう。
これでは、まるで尋問だ。しかも、池田を刺激している。しまくっている、という方が正しい。
津田が人質に取られているのが目に入っていないとしか思えない勢いだ。間違いなくわかっているクセに。
阿部の件が結審まで行っていることを知ってる、ということは、電話での話は通じていた。
受話器を叩いていたのは、別に本気で落ち着きを失ったからではない。先日教わったばかりの、勅使班独自の連絡方法で、受付担当が人質、凶器は刃物、実行犯は池田真由美、それから中条班担当で昨年頭の阿部雄太の件と、最低限を伝えたのだ。
透弥の早く言えという返答は、わかったという意味に他ならなかったわけだが。
これでは、なにやら裏目に出てしまっているではないか。
なんとか、もっと穏便にと合図を送るか、それとも上手く間があれば口を挟んでしまおうと思うのだが、透弥は駿紀にそのヒマを与えてくれない。
池田を見つめたまま、駿紀とは視線を合わそうとすらしない。
相変わらず人質が目に入っているとは思えない冷ややかな視線のまま、透弥は更に問いを重ねる。
「それでは、何かあなたの日常に関わることですか?」
問いというよりは、確定だ。人質を取っている人間追い詰めるなど、いつもの透弥らしくない。何か気に障ることでもあったのだろうか?
視線を巡らせ、池田を見た駿紀は、軽く唇をとがらせる。
マズい。
勘が強く告げる。
駿紀は、強い視線で透弥の気を引こうとするが、一歩遅い。透弥は更に言葉を重ねる。
「まさか、あなたの感情面の問題ではないですよね?」
池田は、弾かれたように落ちかかっていた視線を上げる。

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