□ 八千八声の客 □ shard-8 □
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木崎の不機嫌に反比例するかのように、勅使の顔には笑みが浮かぶ。
ただし、どこか冷えたモノだ。
「もう一度忠告しといてあげようと思ってな」
「忠告?」
貴様に言われる筋合いは無いというのがありありとした木崎の視線を、まっすぐに受け止めたまま、勅使はあっさりと口を開く。
「どうしてもツブしたいのなら、正々堂々とやれ。木崎班長が役立たないと思う捜査方法が、本当にムダと証明して見せろ。似合わん姑息なマネをするから無様をさらすんだ」
「これはこれは、有益なアドバイスを、と感謝でもすればいいか」
木崎は皮肉そのものの声で返し、鼻で笑う。
「二人を手なずけて余裕だな」
堪えきれずふき出す勅使に、木崎は眉を寄せる。
「何がおかしい」
「あの二人が誰かに手なずけられるという発想が出来るのが」
更に木崎の眉間のしわが深くなるが、これには何も返さない。
だいたい、先ほどの時点で猿芝居を食らわされているし、今とて再び来るのを読まれていたのだ。
少々分が悪い、と木崎もわかっている。
「わざわざ、いつ来るかもしれん俺を待っているとは勅使班はヒマでうらやましいことだ」
「まさか」
言うと勅使は、寄りかかっていた机から離れ、器用に木崎の隣をすり抜ける。
「せっかく来たのに誰もいないのでは、寂しがり屋の木崎班長が泣いてしまうかと思っただけだ」
先ほどよりずっと冷えた笑みを残し、勅使は部屋から出てしまう。
か、と木崎の顔に朱がさしたのは、一瞬の間の後だ。
「待て!」
伸ばしかかった腕は、でも届かない。
どんな動きをするかなど読んでいたとでも言いたげに、勅使の背中は木崎の指先のちょっと先から距離を開けていく。
「勅使ッ!」
怒りの為か、木崎の声が微かに震える。
が、勅使の歩調は全く変わらない。
止まるどころか振り返る気配すらないままに、その後ろ姿は階段へと消える。



流水音が延々と続くのに、不審そうに顔を出した東は、ほんの小さく首を傾げる。
白衣をひっかけたまま、ぼーっと突っ立っているなど、林原らしくない。
「林原さん?」
いつもなら、すぐに人の良さそうな笑みが振り返るのに、今日はそのままだ。
自分の調整した血のりは役立ったんだけど、やっちゃっいましたよーなどと苦笑混じりに着替えを持っていったはずなのに、一体どうしたことやら、と隣まで行って、もう一度声をかける。
「林原さん」
「うおあ?!」
妙な声を上げて、林原は向き直る。が、隣にいるのが東と認識して、すぐに、笑顔になる。
「ああ、東さん。何かありましたかねぇ?」
「いや、水がね」
「あああああ、いっけない」
慌てて、蛇口をひねって止める。そして、手元を見て、もう一度うめく。
「うわぁ、やっちゃったぁ」
隣から覗き込んだ東は、不思議そうに瞬く。
「実に見事なモノじゃないか」
林原がひっぱりだしたワイシャツは、見事な白だ。血のりで赤くなった名残は、周囲の水ににしか残っていない。
後は自宅なりクリーニングなりで漂白でもすれば、一度赤くなったことなんて全くわからないだろう。水溶性のところが新しい、と豪語していたが、全くその通りだ。
「せっかくだから、どのくらいで落ちるか時間計ろうと思ってたんですよぉ、あああ、がっかりだなぁ」
しょんぼりと肩を落とすのに、東は薄い笑みを浮かべる。
「ぼうっとしてたようだが、珍しいね」
「え、いや、その。実は、ちょっとビックリしてたんです」
照れたような笑みが浮かぶ。
「驚くようなことがあった?」
「や、その」
林原は言いよどむ。が、ここまで来て誤魔化すのもどうかと思ったのか、軽く頷く。
「最終学府の頃から神宮司のことは知ってるんですけどねぇ、余計な感情は動かすだけムダってタイプだと思ってたんですよ。や、悪い意味じゃあないんですよ、その、神宮司は神宮司の事情ってモノがありますからねぇ」
慌てて付け加えるのに、東はヒトツ頷き返す。
「ですからねぇ、なんかケンカの真似事でも、そんなのはしないって思ってて」
「隆南さんと、ケンカでもしてたのか?」
「や、ケンカじゃあなくて、真似事っぽいのですよ、うん」
手元の白くなったワイシャツへと視線を落とす。
「その、言葉が悪いんですけどねぇ、神宮司だって人間らしい感情、ちゃんと持ち合わせてるんだなぁって、失礼ながら驚いちゃって」
返事が無いのに視線を上げた林原は、東が微笑んでるのを見て、また驚いて瞬きをする。
「人はね、きっかけがあれば変わっていけるモノだよ」
林原は、もう一度瞬きをしてる間に、考えを巡らせたらしい。
「ああ、確かにそうですよねぇ」
妙に納得して、何度も頷く。
「そうかぁ。キッカケを作れる人って凄いですねぇ」
心から感心した言葉に、今度は東が軽く目を見開く。が、すぐに笑み崩れる。
「ああ、本当に」



扇谷は、急に現れた駿紀たちから事情を聞くとひとしきり大笑いする。
「勅使くんらしいな。罰ゲームにお付き合いするよ、みせてごらん」
大人しく手を出した駿紀の手を取ると、一通り確認してくれる。
「きれいに洗ってあるから、大丈夫だよ。一応、消毒しておこうか」
返事を待たず、綿に染み込ませた何かを押し付けられる。
「ぎ」
思わず出かかった声を無理やりに飲み込んだ駿紀を、扇谷は案外真面目な顔で見やる。
「しみる?じゃ、今晩は雑菌が入らないようにしておいた方がいいな」
自分の役目は済んだとばかりに扉の傍に立ったままの透弥へと、視線を動かす。
「透弥くん、出来るだろう?」
「はい」
あまり気が進まなさそうな表情ながら、駿紀たちの方へと来る。
扇谷は簡単に注意すべき点を伝えると、立ち上がる。
「悪いが、後は頼むよ。また、何かあったいつでもおいで」
「ありがとうございます」
「お手数をおかけしました」
頭を下げる二人に、扇谷は笑みを向ける。
「罰ゲームでもね」
駿紀は、やっぱり父親みたいだなあ、と思って見送る。年令が近いのと、温かみのある笑顔のせいだろうか。透弥に後を頼むほどに忙しいのに、こうして付き合ってくれるあたりもかもしれない。
いくらかぼんやりと、そんなことを考えていると。
「隆南、手を出せ」
透弥の声に、我に返る。
「ああ」
伸ばした手の平に、いきなり綿が押し付けられる。
「んぎゃ!」
思わずあげた悲鳴に、透弥はうるさそうに眉を寄せつつも、ぼそりと言う。
「目が覚めたか」
「消毒なら、扇谷さんがしてくれたじゃないか」
駿紀が唇をとがらせる。
「そうだったか」
しれっと返しながら、手際よくガーゼをあてていく。
「やっぱ慣れてんなぁ」
思わず呟くと、珍しく透弥は微かに苦笑を浮かべる。
「隆南の方が、得意じゃないのか」
「得意とは言いかねるけど、確かに出来るよ」
職業柄、生キズとは縁が切れることが無い。四六時中どこかにあると言った方が合っているかもしれない。なんせ、相手にするのは往生際がいいとは言いかねる方が多いくらいだからだ。
勅使班で扱う事件の容疑者が知能犯であろうと、追い詰められた後は駿紀が目にしてきた相手と、そうは変わらないのかもしれない。
「でも、久しぶりだ」
「三ヶ月半ぶりが久しぶりか」
「まぁな」
受け身が上手なことは当然で、だからといって生キズにならないかと言えばそうではない。
木崎班に所属してからは、特にそうだった。真っ先に追いつくことになる駿紀は、更にだ。それこそ、いちいち病院に行っていたらキリが無い。
おおよそは想像がついたのだろう、透弥はそれ以上は何も言わず、包帯を手にする。
「ちょっと大げさだろ」
「扇谷さんの指示だ」
「うう、婆ちゃんになんて言おう」
悩みどころがそこなのがおかしかったのか、透弥はいくらか唇を引き上げるが、すぐに無表情に戻る。
「隆南」
改まった声で名を呼ばれて、駿紀は思考から引き戻されて、視線を上げる。
「なんだ?」
「ケガをする、しないで、感情を動かされてもありがたく無い」
何の話かは、すぐに理解する。
駿紀まで赤く染まってしまった、原因のことだ。
だが、先ほどのように不機嫌なモノではない。ただ、事実としてソレを受け止めろと言いたいらしい。
まさか、透弥の方から言い出すとは思いもしなかったので、駿紀は軽く目を見開いてしまう。が、すぐに、む、と軽く唇をとがらせる。
「んなこと言ったって、そう簡単に感情が制御出来れば苦労しないって」
「それなら、出来るよう努力することだ。特に命に関わるような場面に直面した際には」
実に正確に駿紀の気持ちを汲んでいる証明になる発言だが、言わせてもらえるならば、だ。
「ソレ、イチバン難しいと思うんだけど」
「呆然自失の間に相手の命を失ってしまえば、後悔では済まない」
それを言ったのが他の人間なら、例えが大げさだ、と苦笑混じりに返すだろうけれど。
駿紀はどちらも出来ないで、ただ、瞬きをする。
透弥は、大げさなモノ言いをするタイプでは無い。このテの話では、特に。
自分のことをあまり話そうとしないが、断辺なら駿紀もいくつか知っている。
両親はいないこと、時計が父親の形見と口にした時、どこか苦い表情だったこと。
そういえば扇谷には父親が世話になったと言った時も。
手にした欠片が、一気に繋がっていく。
「終わったぞ」
凍りついたようになっていた駿紀は、我に返って、自分の手を軽く握る。
動かすのには、何ら問題無い。
「ありがとう」
珍しい棒読みに、透弥はほんの微かに眉を寄せる。
口にすべきではない、と思うのに、駿紀の視線は透弥へとまっすぐに向いて、動けなくなる。
透弥の顔に浮かんだのは、不機嫌では無く苦笑だ。
「隆南は嘘が吐けないな」
「……悪ぃ」
視線を落としてしまった駿紀に、透弥は苦笑を大きくする。
「謝るより誇るべきだろう」
「職業病って方が合ってる気がする」
困惑気味に上げた視線の先は、無表情だ。
「父は、俺の目前で刺された」
つ、と透弥の視線は逸れる。
「かばわれて抱きしめられたまま、一歩も動けなかった。母が戻って来た時には、こときれていたそうだ」
「そうだ?」
思わず口を挟んでしまってから、駿紀はマズかったか、と軽く手を振る。
「あ、いや、ちっちゃい頃だったら、充分あるよな、うん」
透弥が自身のことで伝聞を使うのはらしくないと思ってしまったが、何歳の時のことかもわからずに決め付けるのは早過ぎる。
慌てて付け加えてから視線を戻した透弥の口元に、何度目かになる苦い笑みが浮かぶ。
「八歳というのが、記憶が曖昧になる免罪符になるとは思えないが。覚えているのは、ホシが何度も父の背に刃物を振り下ろしていたこと、飛んだ血液がケーキの上に散ったこと、ホシに、忘れろ、と言われたことだ」
おそらくは無意識に閉ざした瞼の奥に、何が見えているのか。
「その言葉通り、俺はホシに関して、その一言しか証言出来なかった。見たはずの顔も凶器も言われた声さえも」
苦い笑みは自嘲なのだ、と駿紀は気付く。
気分の悪い時にケーキが傍にあったのか、と軽く訊いた時、透弥は誕生日だったと返した。
父親が、透弥の目前で殺されたのは、その日だろう。
「それで、ケーキがダメなのか?」
我ながら間抜けな問いに、駿紀は頭を抱えたくなる。
「そうだな」
透弥が律儀に返してくれるのが、返って痛々しい気がしてどうしようもない。
何をどう言ったって、余計なことでしかない。だいたい、駿紀が言える言葉もない。
わかるのは両親を早くに失った寂しさくらいだ。それだって、透弥にとっては素直に思い返せることかもわからない。
ぐるぐると山ほど考えて、それから出てきた言葉は。
「あー、でも、俺、やっぱダメだ」
急に何を言い出したのか、と透弥はいくらか眉を寄せる。
「俺は、神宮司がケガしたら心配するよ。もちろん、出来るだけのことも必要なこともする、それでも、心配しないのはムリだ」
駿紀の導き出した結論に、透弥は珍しくヒトツ瞬きをする。
それから、ふ、と口元を緩める。
「せいぜい、隆南がケガをしないよう気をつけるんだな。何かというと走り出すのはそちらだ」
言い終えると、扇谷が用意してくれた道具を片付け始める。
駿紀も立ち上がり、手伝い始めながら唇を尖らせてみせる。
「そうは言ってもさ、こういうのは不可抗力だ」
「なるほど」
面倒そうな表情がいつも通りなのに、少しほっとしながら付け加える。
「神宮司がいたら、心配はともかく必要充分してくれるんだろ」
ガチャン、というピンセットか何かが台に当たった音は、気のせいで片付けるには大きすぎる。背を向けたままで凍り付いているのを横目に、に、と駿紀は口の端を持ち上げる。
「ようするに、俺は神宮司と組んでる限り安心ってことだよな」
「バカか、そんな油断をしていると大ケガするぞ」
振り返った顔は、不機嫌に眉が寄っている。
やっぱり、と駿紀は確信する。
心配されるのが嫌だというのは、そういう感情を向けられるのが得意ではないからだ。そして、自分は心配しないかという点については。
「しないしない」
「どこからその自信が来るんだ」
減らず口が戻って来た透弥に、駿紀は満面の笑顔を向けてやる。この点に関してだけは、絶対に有無を言わさない自信があるのだ。
「その前に、神宮司が絶対止めるだろ」
駿紀は、透弥が絶句した顔というのを、初めて拝んだ。



〜fin〜


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