□ 見霽かす □ illumination-1 □
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その声が聞こえた時、加納正人は、同期で交番勤務の千田と挨拶がてら近況を話していたところだった。
二人は、どちらからともなく顔を見合わせる。
扉が開く音、誰かの転げるような足音。
「わああああああ!」
はっきりと聞こえてきた声を、尋常の悲鳴では無いと判断して走り出す。
先に声の場所へと駆けつけたのは、加納だ。
ちょうど門から走り出てきた男と、衝突寸前になる。
「大丈夫ですか?」
倒れそうな男の肩を掴んで声をかける。男は、目前の制服が警官のモノとわかると、少しだけ血の気を取り戻したようだ。
「あ、あの、し、死んで」
自分の出てきた方へと振り返り、男は必死で伝えようとする。
「う、植竹が、植竹が」
「植竹さんが?」
追いついてきた千田が、驚いた顔つきになる。なるほど、ここは植竹という人物の家であるらしい。掲げられた立派な表札に、骨太の文字でそう書かれている。
「植竹さんは、どこにいらっしゃいますか?」
大きめの声で加納が尋ねると、男は血の気の引いた顔で首を振る。
「入って、すぐです、はい」
「頼む」
加納は真っ青なままの男を千田に預けると、慎重に開いたままの扉から家を覗き込む。
「植竹さん」
声をかけつつ、靴を脱ぐ。靴下でいいかどうかは少々迷ったが、土足よりはマシと割り切って踏み込む。
男が言ったとおり、入ってすぐの部屋の扉が大きく開いている。
「植竹さん?」
覗き込んだ瞬間、加納の眉は大きく寄る。
植竹という名と思われる男の首は、どう見ても生きていては不可能な角度に折れ曲がっていて、この距離でも明らかに命を失っていると判断出来る。
生きているなら、この姿勢では呼吸が苦しくて耐えられないはずだ。
もう少し目を凝らすと、後頭部も変形しているらしい。血がべったりとついているので、正確にはわからないが。
一応、手を伸ばして脈を取る。微弱なものすら、感じ取れない。
被害者の周囲へと、視線を走らせる。飛び散った血痕が、そこここについている。が、とある一点で視線が止まる。
「……?」
奇妙なところで血痕が途切れている。その先はふき取りましたと言わんばかりで、実に不自然だ。
「どうだ?」
声に振り返ると、千田が戸口から覗いていた。
「コロシだ」
加納の言葉を予測はしてたらしいが、なぜか千田の顔は困惑が浮かぶ。
「すぐ、管轄に連絡しないと。どこだ?」
千田のところへと戻りながら、本来の職務を思い出した加納が問うと。
「俺なら中央、加納なら本庁」
などと、何とも奇妙な返事をする。が、それで思い当たる。
本庁と所轄の管轄の境目が、あやふやままの場所がある。特に中央署との境界はややこしい区域があり、基本的に届出を受けた警官の所属で決まるのだ、とウワサには聞いたことがある。
まさにココがそうだということだが、となるとハナシが難しい。なんせ、本庁所属の加納と中央署所属の千田が同時に事件発生を知ってしまった。
こんな妙なところにこだわっては時間が勿体無いのだが、後からウルサイことになれば、捜査自体に支障をきたしかねない。
今までなら、加納は単に見回りで行き会っただけということにして、千田に譲ってしまうのだが。
先ほど目にした途切れた血痕が気になって仕方がない。何らかの隠滅がはかられたと考えていいと思うのだが、通常の捜査なら、単にそれだけで終わってしまうだろう。
けれど、科研が初動捜査に加わったのなら、少なくともどこに飛んだモノが消されたのかを明らかに出来るはずだ。
いつだったか、警備しているところに声をかけられ、捜査を手伝った時に加納に言うとも無く科研長は言ったのだ。
こうして、事件発生発見直後に、やらせてくれればねぇ。
言い方は悪いが、今はまさにそのチャンスだ。チャンスではあるのだが。
加納が黙りこんでしまった理由を、自分と同じと理解した千田が声を潜める。
「不謹慎だけど、ジャンケンでどうだ?」
そのくらいしか思いつかなかったのだろう。
科研に声をかけたいという衝動を持て余した加納も、代替案があるわけもなく、大人しく手を出す。
背後の発見者にわからぬよう、手振りだけでやったジャンケンの結果は。
「本庁だな」
「ああ」
正直、勝ったらどうするかなんて考えていなかった加納は、戸惑った表情で自分のチョキを見つめる。
「大丈夫か?」
「あ、うん」
ぼうっとしている時間は無い。玄関先に置かれた電話へと伸ばしかかった手を、思わず加納は止める。
「なんだ?」
「あ、ええと」
自分でしたことに、加納は戸惑う。本庁にすぐに連絡を入れなくてはならない。だが、ここの電話を使っていいのだろうか。
もしかしたら、この玄関にも何か証拠があるかもしれない。だが、わざわざ交番まで戻るのもなんだろう。ひとまず、この電話は使うしかない。
本庁受付の電話番号を回しながら、考える。科研に初動捜査をまかせるのなら、依頼先はヒトツしかない。
特別捜査課だ。
だが、捜査一課殺人班を無視することが、自分の立場で許されるだろうか。
かといって、さすがに特別捜査課直通の電話番号は知らない。
受付にかけるしかないということは、と腹をくくる。ここまで来たら、賭けるしかない。
どこか祈るような気持ちで、呼び出し音を聞く。
受付担当のしっかりとしつつも、柔らかな声に、所属と名を名乗る。
「コロシです」
告げた言葉に、一瞬の間があってから。
「三班は出ています、一課で動けるのは」
三班の意味は、本庁所属で知らない者ははない。警視庁捜査一課の三大殺人担当、木崎、戸田、中条班だ。
全てが出ている、と聞いて加納は思わず息を飲む。
賭けの結果は、はっきりとした。
少しだけ、息を大きく吸う。
「あ、一課ではなくて」
加納の言葉に、受付担当は少し驚いたようだ。
「他に、指名がありますか?」
「はい、特別捜査課を」
一気に、言ってのける。
相手は、全く逡巡しなかった。
「わかりました、繋ぎますので少々お待ち下さい」
言葉通り、すぐに呼び出し音に切り替わる。
加納は、もう一度、大きく深呼吸をする。



電話を取った透弥は、すぐにスピーカーモードに切り替える。
駿紀も、その意味は知っている。
事件発生だ。
「機動隊の加納です。コロシです」
聞こえた第一声に、駿紀は思わず目を見開き、透弥は眉を寄せる。
一課に入るべき情報がなぜ特別捜査課に、という疑問は承知のようで、加納は早口に言い足す。
「血痕が、変なところで途切れてるんです。それと、三班全部、出てるそうです」
二度ほど科研の検証に立ち合ったことがある加納が、何を思ったのか理解する。
本来ならば、たとえ殺人担当三大班が出てようが一課に回すベきだ。三班がずば抜けているというだけで、殺人担当可能な班は他にもある。
一気に剣呑な目つきになった透弥が何を思ったかは、駿紀にもわかる。
確かに科研が初動捜査に加われば、今までより格段に判明する事実は増える。が、それはあくまで解決の補助であって、実際に捜査し、解決するのは担当の刑事たちだ。
その為には、現場検証も必要だし聞き込みも必須になる。
ようは、たった二人の部署で殺人事件を担当しろとは、オミヤにする気か、と叱責されても文句は言えない。
「確かに、今、初動に科研を呼ぶなんてするのは俺らしかいないわな」
「本末転倒だ」
電話口を押さえて、透弥が不機嫌そのものに返す。
いつもの透弥なら、加納に対してソレをはっきりと言ってのけるに違いない。言わなかったのは、現実的ではないと知りつつ擁護する発言をした駿紀と同じことを考えているからだ。
すでに事件発生を知ってしまった。しかも初動に科研が加われば、明らかに情報量が増えるとわかりきったモノだ。
みすみす逃してしまうのは、惜しい。
他の課が引き受けてしまえば、初動捜査などは科研は望んでも行けないだろう。
問題は、捜査にかかる人数を集められるかどうかだが。
「一課に協力要請、は難しいよな」
三班以外だとしても、木崎が影響力を発揮した時点でコトがややこしくなるのは目に見えている。
首をひねる駿紀を横目に、透弥は電話口へと返す。
「発生箇所は?」
加納が告げる住所を、透弥はホワイトボードに素早く書いていく。
「げ」
住所を見て、駿紀は思わず声を上げる。本庁と中央署の管轄があいまいで有名な箇所ではないか。ますます、ハナシはややこしい。
が、透弥はそうは思わなかったらしい。振り返った口の端が、微かに持ち上がっている。
「神宮司、なんか考えあるのか」
「中央署なら、川上さんがいる」
「その手か」
中央署一課は、本庁に来る前に透弥が所属していた課だ。課長の川上は透弥を信頼しているし、特別捜査課になってからも協力依頼で顔を合わせたことがある。科研の存在も有用性も、それなりに理解してくれている相手でもある。
管轄区分がややこしいことを理由に、協力依頼をもちかけるのは不自然ではないし、コチラに借りがあると思ってくれていれば引き受けてくれる可能性は高い。
駿紀と透弥は、まともに視線を合わせる。
「どうにもならなくなったら、二人で木崎さんに土下座」
「切腹だろう」
空いている受話器を取り、駿紀は科研へと連絡を取り始める。
「はい、科研」
「特別捜査課の隆南です、出動頼みます」
駿紀の声に、林原は興味深そうに問い返す。
「急ぐみたいだねぇ?」
「コロシ発生」
発生、の意味は正確に伝わる。
「初動?」
「ああ」
きっぱりとした肯定に、林原は背後になにやら告げる。東に出動だと言っているのだろう。
「場所は?」
透弥が書いた住所を駿紀は読み上げる。
「現場に警官は?」
「加納さんが」
「それはツイてる。絶対に誰も入らせるな、と伝えて」
「了解、では現場で」
受話器を置いて、透弥に林原からの伝言を伝えようと視線をやる。が、透弥は視線も向けずに加納に向かって、言ってのける。
「ロープを使っても何でもいい、野次馬も担当巡査も現場に入れるな。君もだ、道具が揃うまで待て、すぐに行く」
「はいっ」
加納の返事に、どこか緊張感が加わる。また命令形、と駿紀は軽く眉を寄せるが、うっかり野次馬を入れたりしない為には、これくらいで丁度いいのかもしれない。
話が通ったのがわかったので、駿紀はもう一度受話器を取る。
電話を切った透弥が、視線を上げる。
「隆南、検死窓口ではなく」
軽く目を見開いた駿紀は、すぐに透弥が言いたいことを了解する。
「わかった」
駿紀が呼び出しを待つ間に、透弥も再び受話器を取る。中央署に連絡を入れるのだ。
運がいいことに、扇谷は研究室に在室だ。
「殺人の初動捜査?わかった、私が行こう」
あっさりと承知してくれる。
「ありがとうございます」
場所を告げ、駿紀は受話器を置く。
透弥の方も、川上と繋がったようだ。相変わらずの大きな声が向こうから聞こえる。
「どうした、ウチから協力依頼は出てないはずだぞ」
どこか面白がっている声だ。透弥が無駄な連絡を入れてくるはずが無い、と知っているからだろう。
「こちらの協力依頼です。コロシで、発生箇所が」
告げられた住所で、なぜ川上のところに連絡が入ったのかを理解したのだろう、その点は疑問をさし挟まず、むしろ、というように尋ねてくる。
「なぜ、コロシが特別捜査課に?」
「初動に科研が必要と思われるからです」
そう加納が判断したわけだが、そこまで言う必要は無い。判断に必要な情報は、全てだ。
一課に目をつけられている特別捜査課の協力依頼で、しかも誰も彼もからお荷物と言われる科研が初動に出る。
ややこしい管轄区域だから双方協力する、というキレイゴトだけのハナシでは無いことは川上にもよくわかったはずだ。
「三班はどうした?」
「出ています」
はっきりとした透弥の返事から、ややの間の後。
「わかった、永井の班をやる」
川上の、決然とした声が返ってくる。
「ありがとうございます」
静かな透弥の声に、笑みを含んだ声が返る。
「今後、本庁一課の協力がもらえなくなったら、お前らが責任持てよ」
透弥は小さく肩をすくめながら、わかりました、と平坦に返す。
通話が終ると同時に、二人は立ち上がる。
「切腹したら、さらし首?」
駿紀の問いに、透弥の口の端が微かに持ち上がる。
「切腹どころか、土下座もする気は無いだろう」
「神宮司もな」
視線の先は、互いでは無い。
扉の向こうだ。

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