□ 見霽かす □ illumination-14 □
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「ああ」
としか、返事が出来ない。
驚いたリアクションを飲み込んであいづちに出来たのは、一重に職業訓練のおかげだ。
けれど、正直なところひっくり返りそうなほどに驚いている。
事件の記憶が無い、のではなく、事件以前の記憶が無い、とは。それはきっと、父親との思い出を全て失ってしまったということだ。
それでか、と、思う。
シャヤント急行で透弥の時計を褒めた時、父親の形見だと告げた顔がほろ苦かったのは。
そんな駿紀の内心は見えないまま、成島が続ける。
「何かキッカケがあるとほら、思い出すことに拒否反応起こしちゃうらしくて。らしいというか、俺らは、とんでもないことやっちゃったことがあって」
「神宮司の記憶が戻るよう、仕掛けたんです。いろいろとキッカケさえあれば、思い出しそうになるらしいってのは知ってたんで」
記憶が戻ったのなら、成島も来栖も、そんな辛そうな顔をして話すわけが無い。
例えて言うなら。
「大量の苺ショートでも、用意したんですか?」
キッカケの一つを知っていることに、ほっとしたらしい。成島は苦笑しつつ、大げさな山を作ってみせる。
「ホールケーキを山盛りって感じです。そりゃもう、あらゆるのをゴチャ混ぜに」
苺ショートを突き出された透弥がどうなるか、は、知っている。それが、山盛りレベルになったとしたら。
「……それで?」
「食事中で申し訳ないんですけど、胃液も吐きつくして、食道が切れるまで吐いて」
すさまじいまでの拒否反応を起こしたわけだ。
「しばらく普通の食事じゃ、喉通らなくしちゃって。まあ、そんな酷いコトやらかしたおかげで、思い出そうとするとそんな風になるって、感情の起伏があると、その分拒否反応も酷くなるって教えてもらったんですが」
なぜ、妙に踏み込んだ話になったのか、駿紀は理解する。
「だから、ケンカしたのがビックリなんですね」
一時の感情に任せて、とんでもないことを仕掛けたわけだ。あそこにまかり間違ってケーキなんぞ持ち込まれた時には。
「ケンカを仕掛けたのは、俺なんです。教えていただいて、良かった」
「ああ、そうじゃなくて」
慌てて、成島が手を横に振る。来栖も頷く。
「神宮司は、どんなに悪態を吐かれたんだとしても、必要と判断したら制御しきるヤツです」
「そう。だから、神宮司が感情を動かしたとしたら、そうしても大丈夫と判断したってことですよ。まぁ、はっきり計算してたかどうかは、別ですけど」
二人が口々に言ってのけることに、どう返していいかわから無い。
それは、言い換えれば。
「え、いや、でも?」
おかわりのビールを、成島はぐっとあおる。
「ようするに、俺らの出来なかったことをしてのけちゃった隆南さんって人がどんななのか、知りたかったんですよ」
「おいおい、そこまでバラすか。って、もう、言っちゃったから仕方ないか。まぁ、神宮司がいないのをいいことにお誘いしたのはそんなワケです」
二人に笑顔を向けられて、駿紀は慌てて手を振る。
「いや、でも、もし、本当に神宮司が前より感情を動かせるようになってきたんだとしたら、皆さんとの時間があったからだと思いますよ。友達いないまんまでこの職について、上手くやってけるとも思えないし」
なんだか、言葉がまとまらない。でも、本当に思ったことだ。
「やっぱり、思ったとおり、イイ人だなあ」
そんなこと、面と向かって言われたら、ますます言葉に詰まる。
「成島、ちょっと酔ってるだろ」
苦笑しながら肩を叩く来栖の手を、軽くはらって成島は続ける。
「そうそう、今日の神宮司の用事、月命日ですよ。行ける限り墓参りしてるんです、あいつ」
ああ、そうだったのか、とまたヒトツ納得する。
警察官という職にある限り、墓参りに行く暇はそうそうは無い。特別捜査課になっても、それは変わらない。久しぶりの機会に気が急いていただろうし、おいそれと言える用事でも無い。
いつにも増して愛想が無かったのは、そういうことだったのだ。
成島は、急速に酔いが回ってきたらしく、少々座った目になっている。来栖は仕方ないな、というように肩をすくめて駿紀を見やる。
時間はさほど経っていないが、そろそろお開きというところだろう。
会計を済ませて外に出ると、成島一人足元がふらついている。
来栖がけろりとしているのは、成島のようにあおらなかったからだろうが、駿紀が酔っていないのは、話に驚いてばかりいたからだ。
「美味しいお店、教えていただいてありがとうございました」
「いえ、こちらこそ、お付き合いいただいてありがとうございました。楽しかったですよ」
「こちらこそ」
来栖は、成島を支えつつ笑顔を向ける。
「これに懲りずに、また機会があったらよろしく」
「お手柔らかにお願いしますよ」
笑い返すと、うつむき加減だった成島が視線を上げる。
「隆南さん」
「はい?」
「俺たち、神宮司が腹から笑ってるところ、見たこと無いんですよ」
「ああ、もう、この酔っ払いは黙ってろってば」
来栖が成島をこづく。
「じゃ、また」
「じゃあ」
軽く手を上げて、背を向ける。
酔った声で成島が何か言うのへと、来栖が適当に返してるらしい声が、遠ざかっていく。
何となく歩き出せず、駿紀は振り返る。
二人の後ろ姿は、もう人混みにまぎれて見えない。
誰かの肩にぶつかってしまい、謝って自分の向かうベき方を見て。
駿紀は、また、固まってしまう。
見慣れた黒に近いグレーのコートの主は、間違いようが無い。
透弥も、すぐ視線に気付く。傍まで歩み寄って、声をかける。
「神宮司、どうしてこんなところに?」
「夕飯だ」
いつも通りの無表情で、簡潔な答えが返る。
「用は済んだのか?」
「ああ」
返してから、透弥は小さく眉を寄せる。
「どうした?」
「え?いや、俺も飯……」
言いかかって、そういうことを訊かれた訳ではないと駿紀は気付く。
成島たちといる間はどんなに驚くことを聞かされても顔に出してない自信があるが、反動で気が緩んだのだ。多分、今の自分はヒドい顔つきに違いない。
それに、影で聞き出したようなカタチになるのも嫌だ。
「偶然、来栖さんと成島さんに会って、食事に誘われたよ」
ヒドい顔で言う意味を、透弥は正確に察したに違いない。微かな苦笑を浮かべる。
「ここらなら、焼き鳥だったんだろう?」
「うん、うまかったよ」
ウソではない。彼らと話が出来たのも楽しかった。
だが、透弥の苦笑はいくらか大きくなる。
「何の罰ゲームだ?ビール無しの焼き鳥なんて」
「なんか結果的に。いや、ビール無かったわけじゃないけど」
酔わなかっただけで、飲まなかったわけでは無い。多分、途中までは普通にほろ酔いだった。
「神宮司は、もう食ったのか?」
「いや」
返してから、透弥はほんの少し首を傾ける。
「少し歩くが、勅使さんおススメのおでん屋がある」
「いいね」
何か温まるものが欲しいし、軽く動けば腹も十分こなれるだろう。
歩き出しながら透弥が視線をよこすのに、駿紀は首を傾げる。
「ん?」
「で?」
返されて、透弥がなぜ歩くことにしたのか理解する。そんな顔をしている理由をとっとと吐けということらしい。
「ええと、墓参りだったんだって?」
「ああ」
軽く頷いてから、透弥はいくらか目を細める。
「後は、ケーキを山盛りという話でも聞かされたか」
「え、アレって実際ケーキだったのか?!」
駿紀は思わず目を見開いてしまうが、透弥は軽く首を振る。
「いや、もっと至れり尽くせりだった」
小さなため息が漏れる。
「気にしなくていいと言っても、無理か」
「まぁ、な」
なんとなくどちらの気持ちもわかってしまって、困惑気味に駿紀は頷く。
成瀬たちは、悪意があってやったのではなく、むしろ友人が望んでいると思ったからこそだ。そのことを誰よりもわかっているのは透弥だろう。
友人を思えばこそ、透弥は気にしなくていいと言い、成瀬たちは未だに気にしている。こればかりは、どうしようもない。
正直なところ、そのコト自体は駿紀にとっては大きな問題ではない。
「それと、覚えてないのは事件のことだけじゃなくて……」
「正確には、事件前のことだけでなく捜査中のこともだ」
透弥は前を向いたまま、ぽつりと言う。駿紀は、眉を寄せる。
「事件の後もなんかあったってことか?」
「今となっては伝聞のみだから、どこまで正確かはわからないが」
前置きをして、透弥は続ける。
「事件直後は、忘れていたのは事件のことだけだったが、事件を思い出そうとすればするほど、少しでも関わる記憶が抜け落ちていったそうだ。実際、捜査中のことも例外ではなく、捜査担当だった警官の顔も声も覚えていない」
駿紀の足が止まる。
それに気付いた透弥の足も止まる。
「思い出そうとすればするほど、むしろ記憶が消えてったって、そういうことか?」
「伝聞だ。俺にはわからない」
浮かんだ笑みは、今まで見たどれよりも苦い。
「で、事件は?」
「判決も出て解決済だそうだ」
だから、人には事件と言わず、事故と言う。記憶の無いことを説明するには、その方が容易い。なのに、駿紀に事件だと言ったのは。半ば予測しつつも、問う。
「じゃ、なんで俺には」
「隆南にも、ご両親にも失礼だろう」
実際に事故亡くなった二人に対して架空の事故をでっちあげるなど、とまでは口にしないが、駿紀にはわかる。事件と言ったからには、と記憶の件も説明したのだろう。
あっさりと返した透弥の顔は、もう、いつも通りの無表情だ。
「ちなみに、おでん屋は勅使さんが今まで誰にも教えたことのない店で、ウィンストン氏を美味しい店へ案内した礼だそうだ」
急におでんに話が戻って、駿紀は思わず瞬きをする。が、すぐに返す。
「え?あの店の礼に、そんな隠し玉教えてもらえたわけ?」
「ああ」
「何か得したかも」
「その判断は、行ってみてからだ」
真面目な顔をしたまま返す透弥に、駿紀は思わず笑ってしまう。
「そりゃそうだな。行こう、なんか腹減ってきた」
「それは良かったな、空腹は最高の調味料らしいから」
いつもの通りのやり取りをしながら、二人はどちらからともなく歩き出す。



〜fin〜


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