□ 霧の音待ち □ glim-1 □
[ Back | Index | Next ]

-11月06日 10時03分
意見を聞かせて欲しい、という電話の後、しばらくして現れた四課薬物班班長葉山を見て、駿紀は軽く目を見開き、透弥はいくらか眉を寄せる。
表情が深刻なだけならともかく、葉山は顔色も妙に悪い。
すすめられた椅子に腰を下ろしてからも視線を落としたまま黙り込んでいる様子は、自首してきた犯人のようだ。が、葉山もれっきとした刑事なのだし、沈黙されたままでは話が進まない。
駿紀は、ひとまず口火をきってみる。
「俺らで、相談に乗れるようなことがありますか?」
「正直わからない。けれど、意外なアプローチで何件も解決してると聞いたものだから、あるいはと思ってね」
視線は上がったものの、葉山の顔に浮かんだのは力ない笑みだ。が、その笑みもすぐに消える。
半ばため息をつくように、ぽつり、と言う。
「……メルティのことだ」
「メルティっていうと、ヤクの?」
薬物班班長だから、最初に思いつくのが薬物なのは当然だ。
「ああ」
葉山は簡潔に頷いてから、知っているとは思うが、と前置きして続ける。
「中毒性が高く、合成麻薬の中でも上位の厄介さだ。ヤッてる連中の間では「本音で語れる薬」とも呼ばれている。最初に作られたのはヴォツェビナ。プリラードを中心に流行していたのが、じわじわと東へ広がってきて、リスティアに上陸したのは三年前だ」
一息置いて更に続ける。
「去年までは輸入モノの劣化品だけだったから、さほど流行もしてなかったんだが、今年に入ってアルシナドに合成拠点が出来てしまってね。所持、使用の容疑で逮捕した数は、去年までとは比べ物にならない」
よって早急に抑えなくてはならない、というのは言われるまでもないことだ。葉山がそこで言葉を切ったので、駿紀は軽く首を傾げる。
「組織に関して、なんらかの情報が得たい、ということですか?」
いくらか怪訝になってしまうのは、仕方がない。餅は餅屋、の言葉通り、殺人班と詐欺班だった二人よりは、断然、薬物班である葉山たちの方が、手繰り方を知っているに決まっている。
「いや」
葉山は、なぜか言い難そうに首を横に振る。
「組織はリスティア系で、アルシナドを中心に活動している、というので間違いない」
確信のある言い切りだ。
「となると、アジトが見つからない、とかですか?」
話が見えず、駿紀は困惑顔になる。
が、駿紀以上の困り顔になったのは、葉山だった。
「……ある意味では、そうだ」
煮え切らない言い方だ。
このままでは、いつまでも核心に近付かないと思ったのは、透弥も同じだったらしい。
「何を話されても口外はしませんから、ご協力出来るかどうかの判断を下せる程度にはお話いただけませんか」
冷徹な口調で言われて、葉山は苦しげに眉を寄せつつも、頷く。
「そうだな。すまない」
そこまで言うと、大きく息を吸う。喉が鳴るほどだから、葉山にとってはよほど言い難い話らしい。
「メルティは、最終段階では少量で合成するのが一般的で、道具もあまりいらないから、簡単に合成拠点を移動出来る。実際、ヤツらは常に何箇所かのアジト候補を抑えているらしく、コチラに見つかりそうになると素早く移動してしまってる」
葉山の視線が、いくらか落ちる。
「イタチごっこが続いてな。もうヒトツしかないと思ったんだよ」
言う、と決めた様子だったのに、言葉はそこで途切れてしまう。
が、その先を想像するのは簡単だ。
「潜入、したんですか」
駿紀は、問うというより、確認する。
他には誰もいないし、誰も聞こえないとわかっていても声はいくらか低くなっている。
葉山の首が、わずかに縦に動く。
成功したのなら、特別捜査課に相談に来る必要は無い。かといって、誰かが殉死したという話も聞いていない。
「ヤクを、覚えさせられましたね」
透弥が、平坦に確認する。
閉ざしてしまったまぶたが、何よりの肯定だ。
駿紀は、思わず息を飲む。
「まさか」
「これ以上ないという人間を選んだ。でも、嗅ぎ付けられてしまう」
絞り出すように、葉山は言う。
「あからさまなヤク中にされるんじゃない。誘惑があれば、揺れるだろうほどに、だ。一見は、普通に日常生活も送れるし仕事も出来る。だが、薬物班にいる限り」
常に、すぐそこに誘惑があり続ける。
「辞めると言うのを、引き止めてる。あいつらの責任じゃないし、刑事という楔が外れてしまっては自制仕切れるとも限らない」
「あいつら?」
駿紀が思わず聞き返すと、葉山は目を見開いてから、額を抑える。
「二人だ、二回潜入した。どちらも、あと一歩のところで逃げられた」
「国立薬学研究所の方には?」
実に不機嫌そうに眉を寄せた透弥が、相変わらず平坦に尋ねる。
「メルティの中和剤、というカタチでは頼んである。だが、良質なサンプルが無いと完璧なモノは無理だそうだ」
「良質な?」
「メルティは、かなり短時間で劣化するんだ。合成、精製後すぐに売られて使用される。まともな賞味期限は、おそらく六時間。劣化したのでも喜んでやるヤツはいくらでもいるが、効力は精製直後のとは比較にならない。実際、輸入物だけの時は知ってるヤツの方が少なかったくらいだ」
思わず、といった感じで、葉山はため息を吐く。
「残念ながら、俺たちもまだ劣化前のモノは入手出来ていない」
それだけ相手はたくみに売りさばいているということだろう。潜入した刑事たちがいいようにあしらわれていることからしても、数段上手をいかれているわけだ。
「これ以上、同じことを繰り返すわけにはいかないし、のさばらせるわけにもいかない」
葉山は、力を入れて言う。
「だから、こうして相談に来たんだ。何か考えがあれば、ぜひ聞かせて欲しい」
一気に言うと、頭を下げる。
先輩でもあり、それなりの人数をまとめる班長でもある葉山が、駿紀たちへと頭を下げるのだから余程の思いがあるに違いない。
「頭を上げて下さい」
言いつつ、駿紀は透弥を見やる。
透弥は眉を寄せたまま、もう一度口を開く。
「葉山さん、私たちに話せるのはそれだけですか?」
「現状は、全て話したつもりだが」
トゲがあることを感じたのだろう、幾分、困ったような表情で視線が上がる。透弥は、無表情に変わる。
「そうですか。では、お役に立てることは無さそうです」
冷淡な口調で、きっぱりと言い切ると立ち上がって、扉を示す。
「お引き取り下さい」
「神宮司」
あまりに冷たい言い方に、思わず駿紀が口を挟む。が、透弥は表情を全く動かさない。
「現実から目を逸らせたまま、協力を求められても役立てるわけがない」
無表情に葉山を見やったままだ。
葉山の顔からは、血の気が引いている。
駿紀は、息を吐く。透弥の言葉は正論だし、特別捜査課に来て頭を下げるまで出来るのだから、もう少し現実を見つめることも可能だろう。
「葉山さんの班は、薬物班の中でも難しいモノを扱うことが多いそうですね」
言うなれば、一課の木崎班、二課の勅使班のような存在ということだ。
「昨年までに、マリンをさばいていた経路と組織を壊滅させたのも、葉山班が中心になったと聞いています」
そこで言葉を切るが、葉山は言葉を失ってしまったかのように黙り込んだままだ。駿紀は、言葉を継ぐ。
「それが、メルティに関してだけは精製直後の薬物が入手出来ず、二度までも完全に裏をかかれるというのは考え難いんですが」
葉山の顔色は、ここに現れた時よりもずっと悪くなっている。まさに、蒼白だ。
まだ口を開こうとしないのに、透弥が冷たく言い切る。
「四課内に、情報漏洩者が存在する可能性が高い」
「あいつらの中に」
いるわけが無い、とは言い切れないまま、葉山は首を落とす。
「自分の班にいるかもしれない、なんて考えたくはないとは思いますが」
駿紀の言葉は、慰めでも同情でも無い。
「これ以上放っておけば、状況は悪化するばかりです」
「わかってる、だが」
ためらう言葉を吐く葉山へと、透弥は容赦なく言ってのける。
「あぶり出す気があるのなら、一人ずつに異なる情報を掴ませればいいことです」
「ソレをすれば、班内の結束は無くなってしまう」
班長がメンツを疑うのだから当然の結果だが、あまりに厳しいのも事実だ。
葉山は、かすれた声で言う。
「やるしかないのは、わかってる。だが、ウチの班を潰すのと引き換えになるのが、情報漏洩者一人の発見だけでは見合わない」
そこまで言って、蒼白な顔のままではあるが、駿紀たちをまっすぐに見る。
「やるのなら、メルティをやってる組織を道連れにしたい。何か、方法は無いか?」
もう一度、頭を下げる。
「頼む、知恵を貸してくれ」
こんな重い話の解決策をすぐと言われても駿紀には無理だ。透弥を見やると、椅子へと戻って静かに言う。
「今すぐに、具体案は思いつきません。少し時間を下さい」
葉山は更に深く頭を上げる。
「待っているから、頼む」
やっと顔を上げた葉山へと、透弥は何気ない口調で問う。
「相談することを、誰かに?」
「いや、さすがに」
自嘲気味の笑みと共に告げると、葉山は特別捜査課を後にする。
扉が閉まり、声が届かなくなってから、駿紀はいくらか眉を寄せて椅子の背に体重を預ける。
「思ってる以上に、葉山さんとこの情報漏れてる可能性ないかな」
自分の席へと戻った透弥は、考えに沈むように落とした視線を上げる。
「どういう意味だ」
「メルティをヤッてるやつを取り押さえたことあるんだけど、ある意味、他のヤク以上にイッちゃってる感じだったんだ」
それだけでは具体性に欠けてるのは駿紀もわかっているので、言葉を継ぐ。
「刃物持ち出してケンカしてるっていう件で、双方取り押さえるのは難しくなかったんだけど。取り押さえながら誰かが「なんでこんなことしてるんだ」みたいなことを言ったら、二人してべらべら動機もどきを話し始めてさ。切りあってたらしくて二人とも血まみれだったから、先に治療だって言っても、全く止まらないんだよ。焦点合ってない、イッちゃった目つきで、延々と。で、調べたらメルティやってたって後からわかった」
「他に、質問はしたか?」
「氏名だの住所だの、訊かれたことには全部答えてた。開き直ったっていうより、質問がスイッチみたいな感じだったな。訊かれたことには答えなきゃいけない、とでも思ってるように見えた」
透弥の眉が、軽く寄る。
「自白効果か催眠効果、もしくは両方か」
駿紀は頷き返す。
「俺はホンモノで尋問してるとこは見たこと無いから、どっちとも特定は出来ないけど、話に聞いてるのとは似てたよ。だから、相手に逆手に取られたら、想定以上の情報を漏らしている可能性は高いんじゃないか」
「情報提供者の裏を取るくらいはしているだろう。それ以上はわからんが」
「ますますハードル高いってことになるな。情報提供者もあぶり出したいとすると」
無意識に唇を尖らせた駿紀は椅子の背から、いくらかずり落ちる。
「とてもじゃないけど」
「最初から投げるな」
透弥に先回りをされて、駿紀は更に唇を尖らせる。
「苦手なの知ってて言うなよ。俺に思い付くのは、もう一度潜入するくらいだよ。二度あることは三度がオチだ」
「と、相手も思うだろう」
自嘲気味に言ったのへと、真面目な顔つきで返されて、駿紀は瞬きをしてから背を起こす。
「じゃ、神宮司も潜入を考えてるのか?」
「相手を網にかけるには、油断させなくては無理だ。今まで潜入したのが二回というのは、ちょうどいいところだろう」
透弥は、指を組んで目をいくらか細める。
「相手がコチラを懲りない連中とナメてかかるように仕向けなくてはならないが、本当に同じ轍を踏んでは意味が無い。それだけの用意が出来るか、事前の調査が必要だ」
「どっちにしろ情報は漏れるんだから、リスキーだよな」
ため息を吐いて、駿紀は椅子の背に体重を預ける。
「Le ciel noirに貸し返せって言って、潰してもらうとか出来りゃいいのに」
「近いことは可能かもしれない」
「え?!」
思わず目を見開いて、姿勢を正す。
「まさか、Le ciel noirだって裏だろ。いくら借りがあるからって」
「その手の中で、Le ciel noirだけが特別扱いなのは、組織が大きすぎるだけでも一般人には絶対に手出しをしないというだけでもない。ヤクを扱わないという不文律を守っているからだ」
透弥に言われて、なるほど、と駿紀は思う。
「確かに、Le ciel noirがヤクを扱いだしたら、こんなもんじゃ済まないか。にしても、よく知ってるな」
「貸しを返してもらうにしても、相手を知らないのでは意味が無い」
ようは、調べたということだろう。
「手出しをしないってのと、情報を流すってのは別だけど、そこらはどうなんだろう?シャヤント急行の時は天宮財閥も絡んだから、あそこまで協力してくれたんだろうし」
「Le ciel noirはヤクが広がるのは歓迎しないスタンスだ。過去の件で、匿名の情報提供をしている形跡がある」
それが事実なら、透弥の言う通りLe ciel noirから情報くらいは得られるだろう。
「ついでに、本当に潰してくれりゃいいのにな」
「コチラの視界に入ったモノに手出しをする愚は犯さないだろう」
さすがに透弥が微苦笑を浮かべる。
正直なところ、裏組織といえばロクなのがいないという経験しか無い駿紀にとっては、イマイチ、Le ciel noirというのは掴めない存在だ。
もちろん、ロクでも無いのも彼らの一端の事実ではあるはずだが。
「カシと認識してる分の情報はくれるんだろうけど」
駿紀は、もう一度軽く唇を尖らせる。
「Le ciel noirを引っ張り出すとなったら、俺らもどっぷりだな」
透弥は、軽く肩をすくめる。
「正体を明かせない情報提供者くらいは、誰でも持っているだろう」
「でも、Le ciel noirからの情報をコロしたら、それこそ相手の思うツボだ」
このままの状況が続けば、葉山班だけでなく、うっかりすると薬物捜査網自体が自壊しかねない。
それは透弥もわかってはいるのだろう、表情がますます厳しくなる。駿紀も唇を尖らせたまま、抑える必要があるモノを指折り数えてみる。
「メルティ製造販売網、内部情報提供者、劣化前のメルティ」
どれが欠けても、禍根を残すことになる。そこまで言って、駿紀はいくらか首を傾げる。
「もう少し、メルティそのもののことを知らないと、危ないな」
「先ずは、薬学研究所だ」
透弥の出した結論に、駿紀も頷く。

[ Back | Index | Next ]


□ 月光楽園 月亮 □ Copyright Yueliang All Right Reserved. □