□ 霧の音待ち □ glim-2 □
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-11月06日 13時45分
「トーヤくんにトシキくん、いらっしゃーい」
相変わらずの薄汚れた白衣に無精ひげの姿で正岡が、にんまりと笑って両手を広げてみせる。
「今回は、ドンナ毒物に興味があるの?神経?筋肉弛緩?植物性?動物性?」
つらつらと並べていくのに、透弥は軽く肩をすくめる。
「正確には、毒物ではありません。薬物です」
「ヤクなの?」
返して、タレ目の上の眉を情けなく寄せる。
「もしかして、メルティじゃないよね?まともなサンプル持って来ないで中和剤作れなんて無茶言うのがいるんだよね。しつこいのはキライなんだけどな」
くしゃ、と癖のある髪を引っ掻き回す。
「残念ながら、そのメルティです」
駿紀が苦笑を返すのに、透弥が付け加える。
「どんなモノなのかの詳細を伺いたいのですが」
「ソレは俺も訊きたいよ」
と、どっさりと椅子の背に身体をあずける。
「劣化した劣悪なサンプルばっか持ってきて、解析しろって方が無理ってもんでしょ」
「そんな跡形無く分解するモノですか?」
ふてくされた顔にも声にも、全く動じていない冷静な口調で透弥が返す。
「いや、どっちかっていうと余計なモノがくっついてんじゃないの。混合物の状況からいって精製もズサンだし、そっちの方がありそう」
このまま口頭で言っていても透弥が引き下がるわけもないと諦めたらしく、正岡はファイルをヒトツ、引っ張り出してくる。
パラパラとリズム良くページを繰りながら、首を傾げる。
「しっかし、今度は何の事件?殺人じゃあなさそうだけど」
「メルティの組織を潰せないか、と相談を」
素直に返した駿紀へと、正岡は丸くした目を向ける。
「薬物班はどうしたの」
言ってから、すぐに視線をファイルへと戻してしまう。
「まぁ、なんか珍しく冴えないみたいだけどね、ハヤマさんとこ。いつもなら、とっくにまともなサンプル持って来てくれそうなのに」
事実だが、理由は言い難い。
別に同意を求めたわけではなかったのか、目的のモノを見つけたからか、正岡はファイルを二人の前へ広げて本題へと戻る。
「コレが、劣化サンプル解析結果だよ。ピークの立つ場所とカタチで構造が判明するんだけど、ここらとここらがね」
と、書き出された暗号のようなモノを指し示す。
「薬物としての効果を考えれば、違うモノがついてる方がいいんだよ。候補に挙がるのは置換されやすいモノだから絞れはするけどね、正確にはわからない」
正岡が指しているのは、スクール時代に見た化学式とかいうのに似ているが、もっと複雑きわまりなくて駿紀にはさっぱりだ。が、透弥はついてっているらしい。
「置換しやすいモノというと」
と、やはり暗号のようなカタカナを並べていく。
「そう、もっとあるけどね。それぞれに対する中和剤が作れないわけじゃないけど、投与は出来ないね。アタリが悪けりゃ命に関わるから」
正岡は、あっさりと言ってのける。
「精製から劣化まで、どの程度でしょう」
「正確に解析って条件でいくなら、室温にほっとかれたら二時間ってとこ。冷蔵すれば、半日はイケるよ」
「もし、材料が手に入ったら、そこから解析出来たりはしないんですか?」
駿紀は思い付きを言ってみる。そちらは持ち歩いているのだろうから、安定しているはずだ。
「反応条件がわかるなら、悪くはないね」
「ってことは、次善の策ってとこですね」
やはり、精製したてのメルティを入手するのがイチバンらしい。なかなかにハードルは高そうだ。
考えるように目を細めた透弥が、ぽつりと尋ねる。
「解析可能なメルティを入手したとして、中和剤が出来るまでの時間は?」
「二日あればどうにかってところかな、結局のところ、解析からだから」
一息ついてから、正岡は付け加える。
「ホントなら、初回の薬物投与から48時間で中和したいとこだけど、厳しいね。ソレ出来たら、投与二回まで、一回で完全に中和するんだけど」
「そうですか」
頷く透弥の隣で、駿紀は首を傾げる。
「もし、長期の間が空いたらどうなるんですか?」
「完全な中毒になってたらってこと?ン年かかりだね、それでも抜け切る保証は出来ないよ」
正岡の返事に、駿紀はいくらかためらいつつも、問いを重ねる。
「短期間、数回だけで、数か月経ったとかって場合は?」
「ああ、そういう場合なら、一回ってわけにはいかないけど、一、二か月あれば大丈夫なんじゃないかな。ま、中和剤を作るのは俺らの仕事だけど、処方を決めるのは医師だからね、個人差もあるしさ」
「そうですか」
中和剤さえ出来てしまえば、葉山班の刑事たちもどうにかなるわけだ。やはり、どうあっても精製直後のメルティを入手しなくてはなるまい。
駿紀は聞けることは聞いた、と思ったのだが、透弥はそうでもないらしい。いくらか難しい表情で、口を開く。
「メルティは自白、催眠効果があるようですが」
「それって、どこのソース?」
正岡の顔つきがあまりに変わったのに驚きつつ、駿紀が自分を指差す。
「俺です。ヤッてる連中の間では「本音で語れる薬」って呼ばれてるそうで、実際、メルティやってるヤツは聞きもしないのによくしゃべります」
正岡は身を乗り出す。
「トシキくん、ヤッってる奴見たことあるの?詳しく教えてよ」
そういう話は、とうに葉山たちとしていると思っていた駿紀は思わず瞬きをしつつ、頷く。
「俺も一回だけしか見たこと無いんで、たいした話は出来ないですが」
「いいからいいから」
透弥にした話を、もう一度繰り返してから付け加える。
「しゃべっている時の目つきがイッてたんで、ヤクやってるんじゃないかと調べてメルティだと判明しました」
椅子を前後ろにして背もたれにひじをついた正岡は、軽く唇をとがらせつつも真剣な目つきで駿紀を見返している。
「質問に答える時の様子は?」
「しゃべり方は機械的で平坦、感情が伺えないんですが、ケンカ相手の言葉には激昂してました。感情がコントロール出来ないあたりは、他のヤクと似てます」
ひじをつく手を反対にした正岡は、いくらか早口に言う。
「そりゃ、自白と催眠と両方ってとこだ」
透弥の目がいくらか細まる。
「末端を絞ることは可能ですか?」
「うん、ここまで特徴的だってならね。劣化してないサンプル手に入ったら、確認作業だけで確定出来るよ」
あっさりと頷く正岡に、駿紀は身を乗り出す。
「ってことは」
「ある程度までの中和剤も作っとけるから、アタレばそのまま、遅くても24時間以内にはどうにか出来るね。さっすがトシキくん、ぬかりないね!」
ぼすぼすと頭をはたかれて苦笑しつつも、正岡が請け負ってくれたなら確実だ、とも思う。
「では、中和剤の合成をお願いします」
正岡から聞くべきことは聞き終えた、と透弥も判断したらしい。あっさりと言ってのけて立ち上がる。
「色々と教えていただいてありがとうございました」
駿紀もお礼を言って、立ち上がる。
「トーヤくんとトシキくんなら、いつでも歓迎だよ。またこういう面白いネタが出来たら、仕事じゃなくても来てね」
ひらひらと手を振ると、二人が出るのを待たずにファイルを仕舞い込んで、手掛けていたらしい研究へと戻っていってしまう。
らしい反応なので、そっと扉を閉めて研究室を後にする。
正直なところ、劣化前のメルティさえ入手出来れば中和剤がすぐに出来るとわかったことが収穫だと喜ぶ気分では無い。
車に乗り込んだ時点で、エンジンをかけずにはっきりと問う。
「神宮司、次行く前にはっきりさせとこう」
「何をだ」
透弥は前を見たまま、面倒そうに返してくる。
「三度目の正直狙いで潜入するってなつもりで準備してるってのは合ってるな」
何を今更、という言葉の代りに、軽く眉を寄せた視線がバックミラーに映る。あえて、駿紀も透弥の方を見ずに続ける。
「当然、潜入するのは俺たちのどっちかだよな」
更に透弥の眉が寄る。
やっぱり、というのを駿紀は飲み込む。
「行くなら、俺だからな」
きっぱりと言い切った駿紀に、透弥はいくらか目を見開く。
「何を」
「何でもかんでもだよ。考えなくてもはっきりしてるじゃないか。頭脳戦ならどうしたって神宮司しかいないんだから」
そこまで言ってしまえば、後は一気に言ってしまうだけだ。
「警察内部の人間と騙し合いなんて、俺には向いてない」
「まるで俺には向いてるような言い草だが」
「あー、ちょっと日本語表現上の過ちを犯したってことで」
決まりきらなかったのに、くしゃ、と髪をかきまわす。
「でも、必要と判断したらやってのけるだろ。俺はわかってても顔に出る。間違いなく出る。刑事失格だけど出る」
「そこまで言い切るな。言いたいことはほぼわかった」
微妙に頭痛でもしてきたように額を押さえた透弥は、そのままの姿勢で言う。
「確かにメルティの中和剤が早い段階で入手出来る算段は出来た。だが、元となる新鮮なメルティを簡単に入手出来るメドがたったわけじゃない」
「言われなくてもわかってるよ。潜入したとしても、すぐにメルティに手が届くわけじゃないってのも」
いや、それどころか。
「今までと同じと思わせるなら、相手の思う壺にハマったふりしなきゃならないだろうってのも」
今までと同じ、となれば。
潜入した方は、メルティの洗礼を受けることになる。
「わかってない」
「わかってるよ。体力いるってのもな。ソレなら、俺の方があるって」
「体力の問題じゃない」
遮った透弥の声がいつもより、少し大きかったのに気付かないふりで駿紀は続ける。
「根性の問題ってなら、それも自信ある」
「隆南」
「メルティ手に入れて、組織ぶっ潰して、情報提供者あぶり出してってやろうと思ったら、神宮司が残る方がいいって考えなくたってわかるじゃないか」
だが、透弥は頷かない。
「何を根拠に」
「俺の勘」
駿紀はきっぱりと言ってのける。
本音のところでは、透弥に行かせるべきではない、の方だが、結論としては同じことだ。
透弥も駿紀の勘のことは、すでに理解しているからか、珍しく言葉に詰まったらしい。
「俺が残ったらって考えてみろよ。踏ん張りまくって、情報提供者騙しきったとしても、だ。絶対に踏み込むまでには熱くなってる。冷却担当がいないままでいったら、どうなるかわかったもんじゃないだろ」
「妙なコトに自信を持つな」
「俺の精いっぱいの客観だっての」
ツッコミどころ満載なのは、駿紀がイチバン知っている。覚悟しているとか根性があるとか、口だけのモノにしかなっていないことも。
透弥は、その点を見逃す気は無いらしい。
「中和剤は、体からヤクを抜くことしか出来ない」
真正面から言われて、駿紀も挑むように見つめ返す。
「神宮司が行ったところで、問題は同じことだ」
言ってから、気付く。なぜ、透弥を行かせるべきではないと思ったのか、理由のヒトツに。
「俺は家にばあちゃんがいる。なんかやりゃ、一発でバレるよ。誤魔化しようが無い」
当然、職場には透弥がいる。理論的には、二十四時間衆目があることになる。
透弥は、無言のまま眉をいくらか寄せる。
不機嫌になったのではない、と駿紀にはわかる。視線の焦点が合っているようで合っていないのは、思考に沈んでいるからだ。
かなりな間の後。
「Le ciel noirに情報提供を依頼する。その回答次第で、手に負えるかの判断を下す。協力するかは、もう少し葉山班を試してからだ」
言い切るということは、腹を据えたということだ。
駿紀は頷き返す。
「了解、じゃ、行くか」
エンジンをかけ、薬学研究所を後にする。



-11月06日 15時21分
漆黒の封筒を目にした天宮紗耶香は、興味深そうに目を瞬かせる。が、その内容をぶしつけに尋ねるような真似はしない。
いつも通りの笑みを浮かべて微笑む。
「確かに、お預かりしました。もちろん、急ぐのでしょうね」
「そうですね、全てへの回答とは言いませんが」
透弥の返答に頷くと、背後に控える榊へと封筒を差し出す。
「五分で返事を、と伝えて」
「承知いたしました」
全く表情を動かさず受け取ると、駿紀たちへと丁寧な所作で頭を下げる。
「三十分ほどお時間をいただけますでしょうか」
「お時間があるなら、お茶にでも付き合って下さると嬉しいわ」
三十分の間を、警視庁との往復で潰すのは面倒だ。この付近のどこかで時間を潰せと言っても、駐車違反にならないところで待っているくらいだろう。
「では、お言葉に甘えて」
駿紀が返すと、嬉しそうに紗耶香は微笑む。
榊が辞去するのと入れ替わりに、あとは注ぐばかりになっているらしい茶器が運ばれてくる。
最初から人払いが出来ているものらしく、客間に残ったのは三人だけだ。
慣れた動作で紗耶香がお茶を入れると、話題は先日発足した、科研と天宮財閥合同の交通事故に関する研究チームの話になる。
「うちの新見とお知り合いだったようね」
テストドライバーの名前に、駿紀は苦笑する。
「ご存じだったんでしょう?」
「今回の人事に関しては、全て海音寺に任せていたから、私は知らなかったわ。企んでる顔をしているとは思っていたけれど」
紗耶香は、軽く肩をすくめてみせる。
「天宮最高のテストドライバーというのに嘘は無いようですし、問題は無いでしょう」
透弥の言葉には、駿紀にも大いに同意だ。林原と透弥の、神経質ともいえるくらいの指示を見事にこなしてしまう腕は、素人目からしても感心に値した。
「交通課からもテコ入れ入ってますし、アチラは順調と思ってイイと思います」
「神田さんと有川さんね。いつまで交通課所属なのかしら」
カップを手にしながら、さらりと言われて駿紀は吹き出しそうになる。
それは、駿紀たちも確信していることだ。人が欲しいとおおっぴらに言い続けている林原が、増員のチャンスを逃すような真似をするとは思えない。
知っていて、交通事故に関わることならと人を貸すことを承知した事故班班長を止めなかったのだから、ある意味駿紀たちも共謀していると言えなくもないのだが。
「時間の問題でしょう」
世間話の続きのように透弥が返すものだから、駿紀はまた笑いをこらえるハメになる。
「科研の拡充は必須ですから、早いに越したことは無いですよ」
「特別捜査課専属のままなわけないですものね」
先だっての事件では、中央署一課が必要性を認めてくれた。じわじわとではあるが、科研の必要性の認知は進むだろう。
駿紀も頷き返す。
「そうですね」
などと、黒い封筒など無かったかのように、なごやかに会話しているところへ、ノックの音が響く。
まだ、十五分ほどしか経っていないだろう。
振り返った紗耶香も、自分の方に緊急の何かが起こったと判断した表情だ。
顔を出したのは、榊の妹である椿だ。そうとわかったのは、警察として見た目をドラスティックに変えても人を認識出来る訓練を受けてきた賜物だ。
なんせ、紗耶香そっくりに長く伸ばしていた髪は、ばっさりと肩上まで切られていたし、服装も動きやすさを重視しているらしいパンツだ。
「お邪魔いたします」
榊らしい、きっちりとした礼をした後、駿紀たちへと丁寧に再度礼をしてから、電話を手に紗耶香へと向き直る。
「急ぎの用件と、兄からです」
「あら」
小さくつぶやき、紗耶香は受話器を取りながら、下がっていい、と示す。
Le ciel noirに連絡をつけにいったはずの榊から、どんな用件かと駿紀たちも表情を改める。
ややの間の後。
いくらか面白そうな表情で、紗耶香は顔を駿紀たちへと向ける。
「Le ciel noirが、直に隆南さんたちとお話したいのですって。いかがかしら?」

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