□ 霧の音待ち □ glim-13 □
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透弥の姿を見たなり、木崎は半ば怒鳴るように言う。
「隆南はどこだ」
「本日はすでに帰宅しました」
ああ、失敗した、と透弥は思う。木崎の感情に微妙に引きずられて、うっかりと声まで無表情になった。
案の定、木崎の怒りに油を注いだらしく、勢いよく降りてきて、透弥の目前へと立つ。
「馬鹿な物言いはやめろ、どこに隠した」
自宅だとでも言おうものなら、このまま乗り込みかねない勢いだ。
何をどう執着するとこうなるのかは全く理解の外だが、あまりに感情的な態度は実に不愉快だ。そんなに駿紀にこだわるのなら、彼が悩むような真似は止めればいいものを。
今とて、子供のように感情を先立たせているのがあからさまだ。
正直言ってしまえば、ここからのらりくらりとかわして誤魔化すのは難しくは無い。
だが、どうにもそういう気分にはなれないことに気付く。
今回の件は、それでなくとも二人でこなすには実に重いモノだった。
だった、と過去形にするには、まだ早い。
駿紀が、通常通りに復帰して完了だ。彼のことだから、とっとと戻っては来るのだろうが。
だが、子供のように困った顔をしていたのを、忘れられる訳も無い。
「何がって言われると困るんだけど、なんか嫌な感じがして」
本当なら、現場を離れた時点で理性を手放したって良かったのだ。なのに、駿紀は頑なにそうはしなかった。
それどころか、理性を手放したはずの時だって、誰がそこにいるのかとずっと考えていた。
ヤクを投与されていたのに、だ。
比べて目の前の男は、いい年をして少しも感情を抑えようとしていない。
少しはご執心の元部下を見習ったらどうなのか。
「おい、無視を決め込むつもりか」
ああ、本当に不愉快な声だ。
耳障りだ。
これ以上、口数を聞かせたくない。
透弥は、少し大きめに息を吸う。
「木崎班長のことですから、今回もまた随分と早くからご存知だったのでしょう?」
実に冷静な口調ながら、微妙に語調が強いことに気付いたのだろう。何を言い出したのか、というように木崎は透弥を睨み返す。
透弥は、口の端だけをうっすらと持ち上げる。
「メルティの組織に対する容疑は、密造密売の他、殺人も含まれていたと木崎班長がご存じないはずが無いでしょう。ウチがここまでしなくてはならなくなった一端の責任は、殺人容疑を固め、早急に押さえにかからなかった一課にも十分に責任があると思われますが、いかがでしょう?」
一気に言ってのけてから、反論を待たず、無表情へと戻って続ける。
「ウチに持ち込まれた時点で、隆南という人間を良くご存知の木崎班長には、どう動くか最も簡単に予測がついたはずだ。一切の苦情をこちらに向けられるのは、お門違いであり迷惑です。むしろ、早くに解決しなかったことを棚に上げた態度について、抗議させていただきたいくらいです」
案の定、木崎は返す言葉を失ったらしい。
ワナワナと唇がわななくが、一言も返っては来ない。
やっと黙った、と判断して、透弥は脇をすり抜けようとする。
が、そこで我に返ったらしい木崎が、腹の底からの声を出す。
「待て」
言葉に従って足を止め、隣を見やると、釣りあがった目が睨み返してくる。
「その減らず口、間違いなく勅使班長譲りだな。その程度で俺が」
一時は、答えに窮したくせに、と思うが言っても無駄なので言わない。
「最初のご質問の答えでしたら、断固としてお断りします」
きっぱり、かつ無表情に言い切る。
最初から、無駄口をきかずこう言ってやれば良かったのだ。
「今、隆南が木崎班長に会ったら、間違いなく体調が悪化します」
すさまじくストレートな一言は、木崎を一撃したようだ。目を見開いたまま、今度こそ何も返せないでいる。
さすがに、その程度の判断はつくのだろう。
「では、失礼します」
これ以上の会話はお断りだとばかりに、階段を上がる。
が、木崎から見えなくなったと判断した時点で、ハンカチを取り出す。
マズい、と思う。
確かに、ものすごく腹立たしかった。
正常であるはずなのに感情をコントロールせずにヤツ当たりする態度も、怒鳴ることしか出来ない声も。
素直に尊敬している部下を、あれほどまでにガッカリとさせるようなことを、平気でしてのけらるという大人げの無さも。
何もかもが、透弥をイラつかせた。
が、これほどまでに感情を動かしたら駄目だ。
こみ上げてくるモノを、必死で耐える。
特別捜査課の階まで上がってしまえればいいが、どうもこのままでは。
「神宮司、こっちだ」
低い声と共に、思った以上の力で引っ張られる。
声が勅使のモノだとはすぐにわかるが、とてもじゃないが返事が出来ない。
勅使は気にする様子無く、透弥の片腕を引いて数歩行き、奥まった個所にある洗面所へと押し込む。
「ここなら、滅多なことじゃ人は来ない」
戸を閉めざま、更に付け加える。
「来たとしても、適当に追い返しとく」
余計なことを考えている場合ではないので、奥へとよろめくように入って込み上げたモノを吐しゃする。
事件にかかりきりだったせいで、まともに食べていなかったことが不幸中の幸いで、さほどは多くない。
口をすすいで、まともな顔になっていることを確認して扉を開ける。
いくらか距離を置いたところに、まだ勅使はいた。
気配に気付いたのか、音が聞こえたのか、すぐに振り返る。いくらか困ったような笑みだ。
「私も扇谷さんとは良く見知っているからね」
直属の上司だったのだから、聞いていてもおかしくは無い。いざという場面で、動揺することなく適切な行動に移ることが出来るのも、勅使らしい。
「ご迷惑をおかけしました」
素直に頭を下げると、勅使は小さく肩をすくめる。
「いや、アレは木崎班長が悪い。完全にヤツ当たりでしかない」
「いえ、あの程度で」
感情を揺らしてしまうとは。
多分、駿紀に言われたことが、どこかに引っかかっていたせいだ。
忘れたのは、自身のせいではない、という。半ば無意識に、だが本音で言われてしまった言葉。
抱いてはいけない望みが、頭をもたげたからだろう。
だが、そこまでは勅使には言うことではないので、いくらか中途半端なまま口をつぐむ。それをどうとったか、勅使はいくらか首を傾げる。
「隆南くんは?」
「後は、休息を充分に取れば問題ありません」
勅使には、それだけで十分に通じると知っている。案の定、意味を正確に取った勅使は、そうか、と表情を緩める。
「それは良かった。後は、神宮司もゆっくり休みなさい。書類も終わったんだろう」
どこから上がってきたのかまでを正確に察した言葉に、透弥は素直に頷くことにする。
「そうします」
またも素直な返事に、勅使はいくらか面食らったのか、少しだけ目を見開いてから、柔らかに笑う。
「ああ、隆南くんが本調子になったら飲みに行こう」
先日と今日のことは、それで手打ちというコトらしい。軽く頭を下げる。
「了解です」
「じゃ、また今度な」
ひらひらと手を振って立ち去る勅使を見送ってから、階段を上る。
勅使の指示が無くとも、早く帰宅した方が良さそうだ。久しぶりに、感情の波が上手く押さえ込めていない。
早足に特別捜査課の扉を開いて、自分の机へと腕をつく。
吐き気までは行かないが、ムカムカする感触は収まらないし、鈍い頭痛も始まった。
最も、最悪のパターンだ。
なのに、思うのを止められない。
記憶を取り戻したい。
何を、忘れてしまったのかを、知りたい。
落ち着け、と思う。
いつも、このコトだけは感情的になりすぎる。もう、それで何度も失敗しているのだから、いい加減学習すべきだ。
自分の記憶を辿るコトが、不可能だという前提に立つべきだ。
少なくとも、現時点では。
では、それ以外の手立ては何がある?
今は、警察官という立場で、幸か不幸か毎日のように確実に事件に追われる日々でも無い。そして今日、ヒトツ事件は片付いた。
明日は非番だが、明後日からはまた数日、駿紀と顔を突き合わせて嫌味のように持ち込まれる協力依頼の書類を片付けるハメになるだろう。
そのうちのいくばくかの時間を、別のことに割いても問題はあるまい。
勤務時間外でもいい。
そう、アレは殺人事件だったのだから。
確実に、第三者が記録したモノが存在し、それはこの建物の中に有り、どこを探せばいいのかを透弥は知っている。
ヒトツ、大きく息を吐く。
手を伸ばす気さえあるのなら、知ることは出来る。
このコンディションのまま紐解く訳にはいかないが、落ち着けばいい。
もう一度、大きく息をする。
続いていた吐き気は、どうにか収まりそうだ。
頭痛も、弱まっている。
どうにか、制御出来そうだ。
今度は、半ば無意識に息を吐く。と同時に、電話が鳴る。
「特別捜査課」
声は、いつも通りだ。
「あ、やっぱりまだいたか」
聞き慣れた声に、透弥は微かに苦笑する。
「黙って帰れと伝えたはずだ」
「神宮司が無理してるのに、俺だけ帰るのかよ」
平静に返してやると、唇を尖らせていると容易に想像のつく声が返ってくる。もう、完全にいつもの駿紀だ。
うっかりと緩みそうになった口元を軽く押さえてから、相変わらずの声を返す。
「俺ももう帰るところだ、だから、大人しく帰れ」
「命令するなっての。って、あ、いや、全部やらせといて言うこっちゃ無いけど」
駿紀らしい言葉に、今度こそ透弥は苦笑する。
「今回はこれでも不平等だ、気にするな」
「するよ、だって俺、後半寝てただけじゃないか」
「それが義務だ、諦めろ」
言葉遊びのようなやり取りが、面倒では無くなったのはいつからだったのだろうか。
「じゃ、その仕上げに付き合ってくれよ」
駿紀の語調が、いくらか変わる。
「仕上げ?」
「このままだと、間違いなく婆ちゃんにツッコまれる。だから、夕飯付き合え」
「だから、大人しく帰れと」
「帰るよ、神宮司も一緒に」
言わんとすることを、やっと理解する。透弥が画策した通りに、今日は大人しく帰宅するつもりだ。が、一人で帰ると顔色の悪さだの、殴られた痕だののことをしづにさり気なく何気なく問い詰められる可能性がある。
そこで、透弥を連れて行けば、矛先は逸れる、と踏んでいる訳だ。
「もう、婆ちゃんに俺も神宮司も食ってないって言っちゃった」
「事後承諾か」
「神宮司だってそうだったじゃないか」
状況が異なる、と言い返すことは簡単だ。が、木崎の矛先をかわさせたのなら、しづの方もフォローして始めて完了ということになるのかもしれない。
「わかった、付き合おう」
「助かるよ!」
多分、受話器の向こうで片手で拝んでいる。
「隆南の最寄り駅でいいか」
「うん、改札で待ち合わせな。今すぐ出られるか?」
「もう全部落としてある」
言いながら、立ち上がる。ブラインドをざっと下ろす。
その音が聞こえたのだろう、駿紀が言ってくる。
「じゃ、待ってるから」
「ああ」
簡単に返して、受話器を置くと開いた手にコートを取る。
戸締りをさっさとして、羽織ながら階段へと向かう。その足音は、すでにいつも通りだ。



-11月09日 19時41分
改札を通る透弥を見つけて、駿紀は軽く手を振る。
小さく手を上げ返した透弥の顔は、いつも通りだが疲れは隠しきれていない。確実に二晩寝ていないのだから、当然といえば当然だ。
ある意味、無理に呼び出したのは駿紀なので、先ずは言う。
「助かったよ」
電話でも言われたと思ったのだろう、透弥はかすかに肩をすくめる。
「そんなにしづさんが怖いのか」
「一度、神宮司も婆ちゃんに怒られてみればいいんだ」
この点に関しては、心底そう思う。
「遠慮する」
透弥はきっぱりと返すと、無表情のまま歩き出す。
その横顔は、いつも通りのようだ。気のせいだったかな、と駿紀は内心で首を傾げる。
もうすっかり大丈夫だ、と告げる為に電話した時、受けた透弥の声が掠れているように聞こえた。疲れているとかではなく、何か別の要因、と勘が告げた。
本当のところを言うと、透弥を連れて帰ると告げたのは、あの電話の後だ。
なんとなく、一人にしておかない方がいい気がした。
正直なところ、しづのことは、嘘ではないが一人で向き合えないほどではない。少なくとも仕事の件で、問い詰めるような真似はけしてしない祖母だ。
婆ちゃん、ダシにしてゴメン、と内心で謝っておく。
透弥の視線が、コチラを向いたので我に返る。
「ん?」
「しづさんに、何と言ったんだ」
「俺も神宮司も二日間ほとんど食べてないって」
透弥は、ため息を吐く。
「で、連れて行くと言ったのか」
「連れて来いって言われたのが正確だって」
「誘導するような言い方をしたのだろう」
否定は、出来ない。
視線を逸らした駿紀に、透弥はもう一度ため息を吐く。
「そんなだから、怖いような怒られ方をするんだ」
「だから、不肖の孫に付き合ってくれよ」
「もう、付き合ってる」
実にあっさりと返されて、駿紀は思わず視線を戻す。
「確かにな」
ありがとう、と言おうとして、最も大事なコトを言い忘れているのに気付く。
「神宮司」
改まった口調になったことは、すぐにわかったのだろう。不可思議そうな視線が向く。
「約束を守ってくれてありがとう」
透弥の目が軽く見開かれるが、すぐにいつもの表情に戻る。
「いや」
それから、視線は前へと行く。
「隆南なら、行くと言えば絶対にそれまで踏ん張っていると思ったからだ」
駿紀が余計なことを言わずにいる、メルティの誘惑に負けずにいると信じていたということだ。
透弥も、駿紀を信じていてくれたからこそ、本当なら無理なはずの0時に現れた。
「そっか」
我慢しきれずに笑み崩れる駿紀に、透弥は小さく肩をすくめてから。
微かに、微笑んだ。



〜fin〜


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